手に取った本たち 〜ア行〜


  • 最上部へ
    ミハル・アイヴァス(阿部賢一訳)「黄金時代」河出書房新社、 2014年
    語り手が過去に訪れ、数年滞在していたある島について、島の風俗や社会の様子、歴史、言語などについて記録を残していきます。 しかしその記録が延々と続けられるというわけではなく、途中から話の展開が大きく変わっていきます。それは、島においてある 一冊の本のことを伝えられます。その「本」は普通に我々が想像するものではなく、島民のだれもが自由に加筆したり修正する ことが出来るというものでした。

    前半の島の様子もなかなか独特な描写が多いのですが、後半の「本」の話になるとさらに幻想的な展開になります。こう言う本は あまり細かく内容を書くよりも、実際に読んで、本の世界に身を浸して欲しいと思います。

    会田大輔「南北朝時代 五胡十六国から隋の統一まで」中央公論新社(中公新 書)、2021年
    南北朝時代というと、三国志の時代の後に間を置かず発生した色々な国に分かれて争ったりしていた時代という扱いや、隋唐帝国につながる制度や 文化 生み出した時代という感じで扱われていると思います。本書では、華北の五胡十六国の動乱期について鮮卑拓跋部の代国、そして北魏というライン を軸 にすえ、江南については晋の扱いはあえて軽くしつつ宋から陳までの内容を整理し、北朝と南朝の歴史をそれぞれ描き出していきます。読みやすい ので ぜひ。

    シルヴィア・アヴァッローネ(荒瀬ゆみこ訳)「鋼の夏」早川書房、 2011年
    イタリアの地方工業都市を舞台にした思春期の少女と彼女たちを取り巻く人々の物語です。地方都市の話と行っても、ほのぼのとした感じの 話ではなく、未成年の飲酒、たばこ、麻薬、ちょっとした犯罪行為のようなちょっと柄の悪さを感じさせる要素を加えながら、主人公である 二人の少女の成長を描いています。

    青木健「マニ教」講談社(選書メチエ)、2010年
    3世紀に出現したマニ教(本文中ではマーニー教)は、一時は西方、東方にかなり広がり、ローマ帝国領内ではキリスト 教と勢力争いをするほどであったり、ウイグルで国教となったりもした教えです。しかし現在は消滅してしまっています。 本書ではマーニー教はユダヤ・キリスト教系の思想がその根源にあり、その思想を練り上げるために様々な宗教を利用 したことが明らかにされています(ゾロアスター、キリスト、仏教の融合宗教という出版社の案内文は、マーニー教成立 の過程を大幅にはしょりすぎです。)。

    また、教祖マーニーをはじめ、彼の父パティーク等々、かなり強烈なキャラクターによって発展していったマーニー教 の思想や教会や儀式、芸術、さらに西方、東方におけるマーニー教の布教とその消滅の過程もまとめられています。 結構砕けた調子でまとめられており、以外と取っつきやすいかもしれません。

    青木道彦「エリザベス女王 女王を支えた側近たち」山川出版社(世界史リブ レット人)、2014年
    テューダー朝のエリザベス1世の時代というと、世界史の教科書ではイギリス絶対王政の時代として取り上げられてきたことでよく 知っている人もいるのではないでしょうか。当時の最強国家スペインをアルマダ海戦で破り、イギリスがこれ以後発展していった というイメージをお持ちの方もいらっしゃるかと思います。

    本書はエリザベス1世の生涯と、彼女を支えた側近達の話をまとめていきます。エリザベス1世が強い個性の持ち主であること、 そして側近達を使うことに長けていたことがまとめられています。また、エリザベス女王が生きた時代のイングランド社会と 経済の様子や、当時の宗教事情などについてもまとめられています。エリザベス女王とその時代という感じの一冊です。

    青柳かおる「ガザーリー」山川出版社(世界史リブレット人)、2014年
    ガザーリーというと、イスラム世界の歴史についての教科書的記述ではスーフィズムとの関係でその名前が登場します。本書では ガザーリーがシーア派を論駁し、哲学を批判的に受容し、神学や法学を発展させ、スーフィズムを取り入れることによりスンナ派 思想の枠組みを作り上げていった様子、そしてガザーリーの思想の現代的意義について、彼の生涯や思想について簡潔にまとめな がら迫っていこうとしています。

    青柳正規「ローマ帝国」岩波書店(岩波ジュニア新書)、2004年
    ローマ帝国に関する本が2004年にも結構出版されましたが、これもそのようなほんの一冊です。ジュニア新書に入って いるので、一応対象は高校生あたりということになるのでしょうが、大人でも十分読める一冊だと思います。内容的には ローマ建国から共和政期、そしてアウグストゥスによる元首政の開始と帝国統治のシステムの確立、そして繁栄と衰退と 言ったところになり、特にアウグストゥス時代および彼以降のユリウス=クラウディウス朝の時代に関する記述が全体の 1/3ほどを占めており、ローマ帝国がどのような仕組みを持っていたのかということに関して詳しく説明するという姿勢 のようです。その一方でローマが繁栄から衰退に向かう時代の記述はかなり少なめになっています。

    青柳正規・陣内秀信・杉山正明・福井憲彦(編)「興亡の世界史」(全21 巻)、 2006〜2010年
    一括紹介その4にまとめて掲載する予定

    青柳正規「人類文明の黎明と暮れ方」講談社(興亡の世界史第0巻)、 2009年
    一括紹介その4に掲載

    青柳正則・陣内秀信・杉山正明・福井憲彦ほか「人類はどこへ行くのか」講談 社(興亡 の世界史第20巻)、2009年
    一括紹介その4に掲載

    青山和夫「古代メソアメリカ文明」講談社(選書メチエ)、2007年
    南北アメリカの古代文明というと、マヤ、アステカ、インカすべてを一緒くたにして考えてしまいがちですが、中米(メソアメリカ)は 南米とは異なる文明を形成していました。また、テレビや雑誌などで、神秘の古代文明、はては宇宙人が作った等々の怪しい取り上げ方 がされることもありましたし、何より「四大文明」とは別個に、しかもあまり重要じゃない物として扱われるところがありました。しかし 中米の古代文明は石器を使いながら非常に高度な文明を形成していたことが近年明らかにされてきました。本書はオルメカ、マヤ、アステカ、 テオティワカンなどの中米古代文明を現地で発掘された遺跡について数多く取り上げながらまとめていきます。古代中米の歴史をまとめた 本で手軽に読めるものはなかなか無いので、興味がある方は読んでみましょう。

    赤松明彦「楼蘭王国 ロプ・ノール湖畔の四千年」中央公論新社(中公新 書)、 2005年
    楼蘭というと、シルクロード関連の書籍や番組でもその名前が度々登場する古代国家であり、またヘディンやスタインと いった探検家たちがその存在について調査したロプ・ノールの話にも関連する事柄として登場してきます(彼らの探検に よって色々な物が見つかっています)。しかし楼蘭という国名が登場するのは紀元前2世紀から50年あまりのことです。 ロプ・ノール湖畔に古くから文明が栄え、シルクロードのオアシス諸都市を支配下に置く国家が存在していたことが調査 によって明らかになっています。

    本書では史記や漢書にみられる楼蘭や西域についての記述からはじまり、楼蘭のミイラ にみられる約4000年前のこの地域に栄えた独自の文化についてふれ、そこでトカラ語を使う人々が暮らしていたことに言及 しつつ、現地で発見されたトカラ語系ガンダーラ語の文書をもとに楼蘭王国がどのような王国であったのかを論じていきます。 遺跡の位置の関係上、ロプ・ノールの発見話とヘディンとスタインの話にかなりのページ数を割いているため、タイトルと 少し内容が違うような印象を持つかもしれませんが楼蘭王国に関する発見や研究について考えるうえでこれらのことは無視 することはできないためそうなっているのではないかと思われます。ガンダーラ語文書に見られる楼蘭王国の姿ですが、王 があれこれと細かいことまで指示している所や彼らの法の扱いを見ると、中国の王朝とはかなり違う王国をつくっていた事がうかがえます。

    秋山聰「聖遺物崇敬の心性史 西洋中世の聖性と造形」講談社(選書メチ エ)、 2009年
    中世ヨーロッパでは聖人の遺体やその一部、身につけていた物や触れた物は聖遺物として崇敬の対象となっていきました。本書では聖遺物とは 何かということから話を始め、さらに聖遺物となる聖人の遺体を移動したり分割することが行われるようになると、聖遺物として入っている物 が何かを分かりやすくするために装飾が施された聖遺物容器が多数作られるようになったこと、そしてやがて芸術が発展していくということを まとめていきます。

    聖遺物というと十字架のかけらとか槍とかそういうものを想像しがちでしたが、聖人の遺体や遺骨といったものが元々あり、それに触れた物 も聖遺物として扱われていくという点では遺体の方が重要だということがわかりました。聖遺物のブローカーが存在したりするということ等、 聖遺物について色々なことを、ドイツの事例を中心に扱っています。なかなか内容が濃くて面白かったです。

    秋山晋吾「姦通裁判 18世紀トランシルヴァニアの村の社会」星海社(星海 社新書)、2018年
    18世紀後半、トランシルヴァニア侯国のある村で、姦通裁判がおこりました。夫が妻と自分のいとこを訴えるというこの姦通裁判の証言聴取記録 が のこされており、それをもとにこの出来事の真相はどのようなものだったのかを探っていく一冊です。

    史料をもとに歴史を描き出す面白さ、そして史料との向き合い方の難しさを感じる一冊です。

    マルコス・アギニス(八重樫克彦・八重樫由貴子訳)「マラーノの武勲」作品 社、 2009年
    1639年、南米のリマで、異端審問の結果死刑を宣告されていたユダヤ教徒フランシスコ・マルドナド・ダ・シルバが火あぶりの刑に処されまし た。 彼は異端審問所にとらえられ、拷問や異端審問官や修道士からの様々な批判や懐柔、論駁によっても決して信仰を変えることなく、異端審問官 たちにたいして真っ正面から議論を行い、最後まで戦い続けました。本書はそんな彼の生涯を幼年期から書き上げた作品です。彼は様々な 人との出会いや別れを通じて、己の信仰を再確認し、それに忠実に生きる事を選び、異端審問官を相手にしても決して己の信仰を曲げる ことなく、当時のキリスト教およびカトリック教会のあり方に対して疑問や批判を投げかけていきます。何があろうと筋を通すことの崇高さと 厳しさを感じさせる本だと思います。

    ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ(木下眞穂訳)「忘却についての一般 論」白水社、2020年
    アンゴラ内戦の最中、自宅マンションをかべにより隠し、27年間にわたり引きこもり自給自足生活を送った女性の半生と、内戦の時代に 困難な状況を生きた人々の物語です。一見すると主人公と他の人たちが交わることはなさそうなのですが、色々な要因でつながっていく ことになります。重いテーマ、題材、内容ですが、軽やかな語り口と悪党に対しても優しさを感じる著者のまなざしにより、結構読みやすい 本になっているとおもいます。

    浅野和生「ヨーロッパの中世美術 大聖堂から写本まで」中央公論新社(中公 新書)、 2009年
    どうしてもキリスト教を理解していないと分からないというイメージを持たれているヨーロッパ中世美術について、作品を作ろうとした意図や いきさつ、製作過程や技法などをしると、もう少し分かりやすくなるのではないかと考えた著者が書き上げたヨーロッパ中世美術の入門書です。

    著者は西洋美術、特にビザンツを専門にしている方ですが、ビザンツに限らず西ヨーロッパについても書いています。最初は中世ヨーロッパと キリスト教の話題とか、古代から中世へと言ったところから初めて、途中から美術の話が増えていきますので、そこにたどり着くまでがひとつ の関門っぽい感じですね。ビザンツの話がある一方、ケルト関係は皆無(と言うか、読んだ限り見あたらず)、イベリア半島はサンチャゴ・デ ・コンポステラの話が載っているくらいで、その辺はちょっと手薄かなと。

    修道院関係の話がかなり充実しているような気がします(というか、中世美術について語ろうとすると、どうしても修道院の話は外せないでし ょう)。美術のほんと言うことで、作品の話の合間に、当時の社会に関する話題が結構盛りこまれていたり、修道院建設の意図なども書かれて いたり、単なる作品案内とは違う感じですね。

    浅野啓子・佐久間弘展(編著)「教育の社会史 ヨーロッパ中・近世」知泉書 館、 2006年
    ヨーロッパの教育について、中世初期からハプスブルグ帝国時代までの広い時期を扱っている本です。中世初期の頃には宮廷と修道院が 教育において結構重要な存在だったことや、中世の大学についてプラハ大学を一つのケーススタディとして見ていく論文があったり、 都市の発展とともに初等教育への社会的要請が強まってきたいっぽう、人文主義の西欧各地への拡大がルネサンス期に見られ、その動きは 日本にもイエズス会を介して関係していたこと、近世に大学で「実学」を教える以前には貴族の子弟を教育するための特別な教育機関が 設けられていた等々、なかなか面白い題材を扱っています。初等教育において言語と宗教の教育がかなり重視されてきたということがこの 本に収められた論文から示されていますが、教育の歴史について歴史学の側から書いた本は本屋でもあまり見かけないので、これは読んで おいて損はない本だと思います。

    浅野裕一「諸子百家」講談社(学術文庫)、2004年
    春秋・戦国時代の中国はそれ以前に存在した社会の秩序などが大きく変わっていった時代であり、その中で新しい 社会をいかにして作ればよいのかが求められていました。そのような混沌とした状況の中で、様々な思想が生まれ、 思想家たちが各国を遊説してまわりました。諸子百家として総称されるそうした思想家たちについて、彼らの生涯 や思想の特徴をコンパクトにまとめたものが本書です。諸子百家のなかで公孫龍や鄒衍といった比較的扱いの小さい 人物についてもその生涯や思想について1章がさかれており、諸子百家の思想について一通り押さえておくには丁度 良い一冊です。また、孔子や孟子に対しては類書とはかなり異なる評価がなされているなど、人物評価については 著者独自の視点から書かれていると思われている部分もあります。

    安達正勝「死刑執行人サンソン 国王ルイ16世の首をはねた男」集英社(集 英社新 書)、2003年
    フランス革命のさなか、国王ルイ16世がギロチンの露と消えたときに刑を執行した人物が本書の主人公サンソン です。代々続く死刑執行人の家に生まれ、数多くの人々の処刑に立ち会った彼は敬虔なカトリック教徒であり 国王を崇敬する人物でしたが、フランス革命という歴史の大きなうねりの中でルイ16世の処刑を執行することに なったのです。ギロチン登場が「自由と平等」の観念や「人道的見地」のなかから生まれてきたということや、 当時の処刑の様子についてもふれつつ、処刑執行人に対する差別と戦いつつ、死刑の是非を自問しながら生きた 一人の男の生涯を彼の子孫やバルザックの手による回想録を元に書き出しています。

    安達正勝「フランス反骨変人列伝」集英社(集英社新書)、2006年
    どこの歴史でも「変人」として扱いたくなる人は絶えることなく存在します。それはフランスの場合も同様ですが、本書で 扱われている4人の「変人」たちはどこかしら彼らの中では一貫した物があり、それがかれらの生きた時代には適合しなかった というタイプの人々です。妻を寝取られたと言うことを理由に国王ルイ14世に反抗したモンテスパン侯爵、常に祖国フランスの 事を第1に考えたためにナポレオンと国王の間を揺れ動くことになったネー元帥、犯罪者として処刑される間際になって文才を 発揮して受刑制度の不備や社会への批判を行ったラスネール、そして彼の処刑にも立ち会い後に死刑廃止を訴える死刑執行人 6代目サンソンの4人は正史に登場することはほとんど無い人物達です。しかし彼らの姿から、彼らが反抗したフランスの社会 について考えてみても面白いのではないでしょうか。硬い本ではなく軽く読む読み物として読んでみると面白いかと思われます。

    安達正勝「マリー・アントワネット フランス革命と対決した王妃」中央公論 新社(中公新書)、2014年
    フランス革命で断頭台の露と消えたフランス王妃マリー・アントワネット。彼女については様々な本が書かれています。本書はフランス革命 が起きた後のマリー・アントワネットの動静について頁を多く割いてまとめています。「革命」により自分達にとってそれなりに都合 の良い状況が生じる可能性がある中(革命当初は国王に対し革命側も敵対的でない)、あくまで「革命」により起こる事そのものを認めず、 かたくなに「革命」およびそれにより来たる物と対決することを選び、破滅へ向かう過程と、楽しいこと大好きなわがままな女の子から フランス王国王妃としての責務を自覚しそれに基づき振る舞うようになる過程が同時進行であったということが、後世の人々の共感を呼ぶ ポイントであり、本書の著者も含めツヴァイクなど様々な人が評伝を残す理由でしょうか。新しい視点としては、ルイ16世紀再評価の傾向 を取り込んでいるところかと思います。

    チヌア・アチェベ(粟飯原文子訳)「崩れゆく絆」光文社(古典新訳文庫)、 2013年
    主人公オコンクォはアフリカの村落社会で苦労しながら頑張って、それなりの地位を築きますが、キリスト教が入ってきたことで、 伝統社会は崩壊していき、彼も悲劇的な結末を迎えることになります。

    前半の6割くらいはアフリカ伝統社会の民俗誌のような内容がえがかれ、それがキリスト教・西洋文明の流入により一方的に崩れていく 過程がかかれています。伝統社会では居場所のなかった人々がキリスト教により居場所を見いだしたところもあり、伝統社会の中にも かなり暴力的、排他的な所もあります。しかし問題は一方的に力ずくで変えさせられるようなところなのでしょう。

    チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(くぼたのぞみ訳)「なにかが首のまわ りに」河出書房新社(河出文庫)、 2019年
    ナイジェリアを舞台にして、ナイジェリアの国情や歴史を反映したものもあれば、ナイジェリアとアメリカを行き来していたり、 ナイジェリアからよそへ移動していった状況やアメリカでの暮らし替えが描かれるなど、物語の舞台となる世界はいろいろなもの があります。

    そのような世界で生きる人々の出会いや価値観のすれ違い、ある状況下で悩み考える姿、自分を取り巻く世界を改めて見つめ直し 行動を起こす人々の姿が描かれています。舞台となる世界になじみがなくとも、そこに現れた老若男女の姿や関係性は読んでいて そういうことはあるなあと納得がいく人が多いのではないでしょうか。そしてなにより、ストーリーテリングの巧さで引き込まれ ていくのではないかと思います。

    キャサリン・アーデン(金原瑞人・野沢佳織訳)「熊と小夜啼鳥」東京創元社 (創元推理文庫)、2022年
    中世のルーシ、そこはキリスト教化がすすみつつも精霊やそれ以前の神々への信仰も残る世界でした。主人公ワーシャは精霊が見える女の子、しか し 継母は精霊を悪魔として忌み嫌い、さらに京からやってきた聖職者は精霊信仰を禁じます。これにより精霊の力が弱まり、悪しき者が力を取り戻し て いくことに、、、。ワーシャは精霊を助け、悪しき者と戦うのですが、、、、。三部作の第1作と言うことで、まずはこういう世界であると言うこ と、 そしてこれから先の展開へのつなぎという感じですね。

    阿刀田高「ローマとギリシャの物語 黎明編/栄光編」新潮社(新潮文庫)、 2011 年
    古代ギリシア、ローマ世界で活躍した様々な人物を取り上げたプルタルコス「英雄伝」を翻案し、現代日本人向けに読みやすく まとめた作品です。「黎明編」のほうは伝説的な人物も登場しますし、「栄光編」ではカエサルなど有名人が登場します。 古代ギリシア、ローマ史の入り口にはちょうどいいような気がします。

    マーガレット・アトウッド(鴻巣友季子訳)「獄中シェイクスピア劇団」集英 社、2020年
    シェイクスピアの劇を現代の作家がリメイクする企画があり、その一冊として書かれた作品です。シェイクスピアの「テンペスト」 を現代に置き換え、巧みにリメイクされており、非常に読み安く面白い一冊です。自分を追い落とした元部下に対し鮮やかな復讐 はなるか、そして主人公の中にくすぶるものは解放されるのか。監獄の矯正プログラムとして劇を演じさせ、劇の登場人物について 様々な解釈を行いながら理解を深めていく場面が終盤にあるのですが、これは演劇と教育という観点から見ても興味深いです。

    レスリー・アドキンス&ロイ・アドキンス(木原武一訳)「ロゼッタストーン 解読」新 潮社(新潮文庫)、2008年
    内容としては「ロゼッタストーン解読」というタイトルからはヒエログリフ解読に関する話だけかと思うかもしれません。しかし 実際はナポレオンのエジプト遠征とエジプト研究の始まりが第1章で、それ以降で、何かの象徴だとか、漢字が起源だといった珍説 が次々発表される中、フランス革命から第一帝政、ブルボン朝復古王政と七月革命という激動の時代にその流れに翻弄され(実際、 その中で職を失ったり色々な目に遭っています)、生活も結構厳しい中でシャンポリオンが解読を成し遂げる過程がまとめられて います。

    シャンポリオンの説をなかなか認めようとせず誹謗中傷に近いことを続ける学者がいたり、何かと彼の邪魔をする学者が いたり、美術館のエジプト部門の長となったシャンポリオンの言うことをなかなか聞かない部下に彼が苦労させられたりと、シャン ポリオンも含めたヒエログリフ解読に関わった人々の人間くさい話が色々出てきますが、なによりシャンポリオンの兄(というか12 歳離れていて実質父親役を果たしている)ジャック・ジョゼフが弟を全面的にサポートしていたからこそ語学に天才的な才能をもつ シャンポリオンもヒエログリフを解読できたのだと言うことがよくわかります。

    カルミネ・アバーテ(関口英子訳)「風の丘」新潮社、2015年
    カラブリア地方にあるロッサルコの丘に住み続けるアルクーリ家4代の苦難や喜びにみちた物語と、古代遺跡クリミサを巡る話、 そして現代イタリアの歩みが織りなす大河ドラマといった趣を持っています。アルクーリ家だけでなく、色々な家に同様の物語 があるのだろうなと思いながら、それと同時にここまで一族の由緒、歴史を語れる人が果たして現代にどれだけいるのかという ことを考えながら読みました。

    カマル・アブドゥッラ(伊東一郎訳)「欠落ある写本 デデ・コルクトの失わ れた写本」水声社、2017年
    トルコ系遊牧民オグズ族のなかでおこなわれたスパイ探しのための審問と、サファヴィー朝初代シャー、イスマーイール1世と影武者の 奇妙な話が交錯していく物語。デデ・コルクトの書の写本という体裁を取りながら、その裏に何があったのかを明かすようなスタイル ですすんでいく。元の叙事詩を読んでおいたほうがより楽しめたような気がする。

    デイヴィド・アブラフィア(高山博監訳、佐藤昇・藤崎衛・田瀬望訳)「地中海と人間 I・II」藤原書店、2021年
    地中海の歴史というとブローデル、そんな風にあつかわれるところがあります。しかしブローデルの本では政治的な出来事などは どちらかというと軽視されています。それに対し本書は地中海を舞台にした様々な人間集団の興隆や衝突の歴史に重点を置いて語った著作です。 訳文も読みやすいですし、分量はあるけれども結構とっつきやすいと思うのでお薦めです。

    阿部謹也訳(著者不明)「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」 岩波書店 (岩波文庫)、1990年
    シュトラウスの交響詩にもその名を残すティル・オイレンシュピーゲルが職人や旅芸人などさまざまなことをやりつつ、各地でいたずらを 繰り返す、それも愉快とは言い難いかなりきついこともやらかす(ホップを煮ておけといわれて、「ホップ」という名前の犬を煮込んだり)、 そんな話が収録されています。

    出てくる話のおおくに排泄物のネタが登場したり、言われたことを文字通りそのままの意味でとって突拍子も ないことをやらかす、そう言うあほらしい一面がある一方で、世の中の人が無批判に信じ込んでいることに挑戦したり、世間では権威と見な されている者に対しても臆することなくいたずらを仕掛けるといった具合で、それが500年ほどの間ドイツで読み継がれ伝えられた秘訣なの かもしれません。

    阿部拓児「アケメネス朝ペルシア 史上初の世界帝国」中央公論新社(中公新 書)、2021年
    オリエント世界を統合し、インド、さらにはバルカン半島方面にまで手を伸ばした大帝国アケメネス朝の通史がでました。20世紀後半の ポストコロニアルなどの影響のもと、単なる王の列伝ではなくペルシア帝国がどのように語られてきたのかといったことに着目しながら 書かれています。随所にあたららしい研究成果や研究動向を反映しながら描いていますが、史料的制約のおおい時代の歴史を描くことの 困難さを感じるところも随所にありました。分からないものは分からない、それで仕方ないわけですが。

    フィリップ・C・アーモンド(奥山倫明訳)「英国の仏教発見」法蔵館(法蔵 館文庫)、2021年
    仏教がイギリスで「発見」されたというと、そんなことはない、遙か昔にガウタマ・シッダールタが開祖として教えを説き、各地に広まってい る ではないかと思うかもしれません。しかし、西洋における「宗教」概念からみて、「宗教」としての仏教が見いだされるようになる、要はヨー ロッパ の物差しである「宗教」としてガウタマ・シッダールタの教えを「仏教」という一つの宗教として認識するようになったのが近代のことだった と いうことになるようです。

    本書はヨーロッパによる仏教の「発見」と、仏教にある様々な要素をどのように考えてきたのか、そして過去の仏教を研究する一方で同時代の 東洋 に対してどのような認識を持つようになったのかと言ったことを扱っています。オリエンタリズムと言う言葉が広く用いられるように為って久 しい ですが、西洋の管理する枠の中で東洋をどう理解するか、その一つの表れとして仏教との向き合い方がある、そういう本だろうと思います。

    網野徹哉「インカとスペイン 帝国の交錯」講談社(興亡の世界史第12 巻)、 2008年
    一括紹介その4に掲載

    網野善彦「日本中世の百姓と職能民」平凡社(平凡社ライブラリ)、2003年
    日本の中世史について興味のある人であれば網野善彦という名前は必ずどこかで聞いていると思います。 また、網野善彦の歴史観が強い影響を与えているものとして、「もののけ姫」があります。網野善彦の中世史研究は従 来の日本史の通説に対し大きく修正を迫るものが多く見られますが、これもまさにそういう本です。日本の歴史では百 姓というと、農業をやっていて米を作り、それを年貢として納めるというイメージがありますが、それに対して百姓と は農民のことではないことを示していきます。

    百姓と呼ばれる人の中には農業以外の仕事に従事する人間も多数含まれ ていたことが、年貢の納入などから示されていきます。また中世には様々な技能(その中にはばくちも含む)を持った 人が存在し、彼らと農耕民が堅密な関係を持っていたのが中世社会であることも示されます。このように、日本の歴史 を従来とは違う角度から見直す網野史学については、講談社「日本の歴史」00巻に概要がまとまっているので、そち らを呼んでからこの本を読むとわかりやすいかもしれません。

    荒このみ(編訳)「アメリカの黒人演説集」岩波書店(岩波文庫)、 2008 年
    19世紀前半のアメリカ黒人奴隷制反対論者から21世紀のバラク・オバマ次期大統領まで、アメリカの黒人たちが残した 様々な演説が収録されています。全部通読してもよし、特に読んでみたい物を重点的に読むもよし、キング牧師やマルコムX などの有名な演説も掲載されています。奴隷制や差別に対する黒人たちの怒りや悲しみ、そして将来への希望といったものが 感じられると思います。

    荒このみ「マルコムX 人権への闘い」岩波書店(岩波新書)、2009 年
    1950年代から60年代にかけて活躍した黒人活動家マルコムXの伝記です。キング牧師と比べると、彼の活動の実態については 知られていない部分が多く、戦闘的なマルコムXと平和的なキング牧師といった対比で理解される程度です。本書では、彼の 生涯を様々な史料(FBIの文書や、彼と関わりを持った人からの聞き書きなど)をもとに、アメリカの黒人の人権問題を追及 するだけでなく、もっと広い人権の獲得を目指して活動した彼の生涯を、彼の活動がもつ現代的意義とあわせてまとめていき ます。

    荒川正晴ほか(編)「岩波講座世界歴史2」岩波書店、2023 年
    岩波講座世界歴史の新シリーズのうち、古代ギリシアと西アジアを扱った巻です。個々でみると面白い論攷が色々と掲載されています。 ただ、いかんせん頁数が少ないので、何となくもっと読みたいのだけどなと、何となく満足感がえられないところがありました。あと、 ヘレニズム世界についてはもうちょっと扱って欲しかったです。

    荒木瑩子「ロシア料理・レシピとしきたり」東洋書店(ユーラシア・ブッ ク レット)、 2000年
    (同) 「ロシア料理その2 中央アジアからバルトまで」東洋書店 (ユーラ シア・ ブックレット)、2003年
    ロシア料理のお店は日本国内にも何軒もあり、そこで様々なロシア料理を味わうことができます。しかし中にはレストラン で味わったものを実際に自分で作ってみたいと思う人もいるのではないでしょうか。そういった方におすすめできる本です。 内容はロシア料理のレシピのみならず、ロシアにおける食事のマナーやロシアの料理にまつわる様々なお話がまとめられて います。さらに続編のほうでは中央アジアに関する話題が多く取り上げられているとともにこちらの本もレシピが数多く載せら れています。ちょっと料理の腕に覚えのある人はちょっと材料を集めてみて作ってみてはどうでしょう(ビーツとかをどこで 手に入れるのかが問題になりそうですが)。

    フラウィオス・アッリアノス(大牟田章訳)「アレクサンドロス大王東征 記 (付インド誌)(全2巻)」岩波書店(岩波文庫)、2001年
    一括紹介その1へ移動しました

    有坂純「世界戦史 歴史を動かした7つの戦い」学習研究社(学研M文庫)、2000年
    人類の歴史において、数多くの戦争が戦われてきました。その戦いの中には、歴史の転換点となった戦いもあれば、後々 まで強い影響を与えることになる戦いもありました。そうした戦いについて、それを戦った国家・勢力の背景や内的要因 についても詳細な記述をしながら、戦いの展開についても詳しく書き出していきます。7つの戦いの中に、はたして歴史 を動かした戦いなのかと思う物もありますが、かなり詳しく読みやすくかかれています。カイロネイアの戦いや、イッソス 戦いについて、いろいろと参考になりました。

    有松唯「帝国の基層 西アジア領域国家形成過程の人類集団」東北大学出版会、2016年
    人類史において領域国家がどのようにして誕生してきたのか。本書では国家形成に関する様々な過去の理論をまず一通り見つつ、 アケメネス朝ペルシアの建国を事例としてみていきます。都市国家から国家へと言う理解がこの国について可能なのかという疑問 からスタートし、イランの考古学研究の成果をみつつ、国家形成への道のりを考古学からどこまでみることができるかを示そうと した本です。なかなか骨の折れる読書となりました。

    フランソワ・アルトーグ(葛西康徳、松本英実訳)「オデュッセウスの記 憶」 東海大学出版部、2017年
    「オデュッセイア」の主人公オデュッセウスは故郷に帰り着くまでに様々なものに触れ、それはギリシアとギリシア人以外の世界について 何がどう違うのかを示す旅となりました。オデュッセウスの旅以外にも様々な事例を扱いながら、古代ギリシアと非ギリシアの境界をさぐる一冊。 

    ショレム・アレイヘム(西成彦訳)「牛乳屋テヴィエ」岩波書店(岩波文 庫)、2012年
    ウクライナのユダヤ人集落に暮らす牛乳屋テヴィエが著者に対して語るというスタイルで書かれた連作からなっています。 テヴィエが牛乳屋としてやっていけるようになるきっかけから始まり、何か儲かりそうな話や娘との縁談で生活が良くなる のではないかという淡い期待は裏切られ、最終的にはテヴィエを含むユダヤ人が集落を追われていくという、事柄だけを列挙 すると非常に過酷な半生を綴った物語です。しかし聖書やユダヤ教徒の律法などを時々引用しながら語っていくテヴィエの 語り口が非常にユーモアあふれるもので、過酷さや悲惨さをあまり感じさせずに読ませる本だとおもいます。

    エリー・アレグザンダー(越智陸訳)「ビール職人のレシピと推理」東京 創元 社(創元推理文庫)、2020年
    アメリカのワシントン州にあるレブンワース、この町でオクトーバーフェスト開催直前、殺人事件が発生します。その犯人は一体誰なのか。 とはいえ、そういった謎解き以上に本書に出てくるビールや食べ物が美味しそうで、そちらの方に関心がほとんど持って行かれていました。 アメリカはクラフトビールが非常に盛んなところですが、その一端が窺えるような内容です。

    イヴォ・アンドリッチ(松谷健二訳)「ドリナの橋」恒文社、1966年
    ボスニアを流れるドリナ川にかけられた橋と、その側にある町ヴィシェグラードを舞台とし、そこに生きた人々の展開する悲喜劇が 終始変わることのない川と橋を舞台にして描かれている一冊。様々なことが起こり、多くの人が現れては消えていく、しかし橋は 存在し続け、川も流れていく、諸行無常という言葉をふと思い出してしまう一冊です。

    イヴォ・アンドリッチ(栗原成郎訳)「宰相の象の物語」松籟社(東欧の 想像 力)、2018年
    「ドリナの橋」の著者アンドリッチ による短編と中編4つを収録した一冊です。表題作は姿を見せない独裁者が気まぐれで飼った象を めぐる町の人々のふるまいと、それに関して語られた物語です。ボスニアを舞台とした作品が収録されています。

    ベアトリス・アンドレ=サルヴィニ(斎藤かぐみ訳)「バビロン」白水社 (文 庫クセ ジュ)、 2005年
    「バベルの塔」や「空中庭園」といった神話や伝説で知られる古代メソポタミアの大都市バビロン。その歴史は古く、アッカド 帝国の末期にはその名が見られ、古バビロニア王国のハンムラビ王の時代に大幅に整備されていたようです。そして現代の発掘 で知られる様々な建造物が数多く残されたのは新バビロニア王国のネブカドネザル2世の時代でした。本書はバビロンに関する 史料(楔形文字の文書や聖書、古典史料から後生の旅行記まで)や発掘調査の歩み、バビロンの歴史について軽くまとめつつ、 ネブカドネザル2世の時代についてもっともページ数を割いて説明しています。

    バビロンの都市の規模や人口、王宮や神殿など の様々な建造物、宗教儀礼や経済活動、古代の宇宙観について発掘された文書や遺物をもとに説明していきます。ネブカドネザル 2世治下のバビロンについてまとめられており、その前や後の時代については余り書かれていませんが(特にその後の時代につい ては非常に少ないです)、バビロンがどのような町であったのか、そのイメージをつかむには丁度良いと思います。

  • 最上部へ
    イ・ソヨン、チョン・ミョンソプ、キム・イファン、パク・エジン。パク・ハ ル(吉良佳奈江訳)「蒸気駆動の男 朝鮮王朝スチームパンク年代記」早川書房、2023年
    朝鮮王朝建国時に蒸気機関とそれに関する技術がもたらされたと言う設定のもと、蒸気で動く男(汽機人)「都老」の設定を5人の作家が共有し、 短篇の形で書いた物語が掲載されています。進んだ技術がもたらされたとき、それに対して社会がどのように対応しているのか、かならずしも 進んだ技術が入ったからと言って社会まで発展していくとはかぎらないということが伝わってくる話が多いです。
    飯嶋和一「黄金旅風」小学館、2004年
    江戸時代初期、海外貿易によって栄えた長崎の町のなかに我欲にとらわれず広い視野から物を見ることができる一人の 男がいました。その男、末次平左衛門(二代目末次平蔵)は放蕩息子、不肖などといわれながらも家督を継ぐと優れた 手腕を発揮していきます。また、彼の友人でもある火消しの頭平尾才介は若い頃は乱暴者でしたが人望を集める存在に なっています。諸外国や大名たちが貿易の利を欲して活発な活動を見せる長崎を舞台に彼ら2人が、自らの私利私欲の ためにフィリピン出兵をもくろみ、そのためには長崎の人々を犠牲にしてもかまわないと考える長崎奉行竹中重義らに 対して、長崎の町と人々を守るために戦いを挑むことになります。物語の半分くらいの所で才介が消えてしまうのは ちょっともったいない気がしますが、長崎の町と人を守るために真っ正面から戦いを挑む平左衛門の姿は快いものが あります。

    飯嶋和一「神無き月十番目の夜」河出書房新社(河出文庫)、1999年
    関ヶ原の戦いから2年後の1602年、北関東常陸の国において一つの村が殲滅され、村人は老若男女問わず皆殺しの憂き目にあうという 事件が起こりました。小生瀬の蜂起と壊滅については正確な年代すら分からなくなっている(1607年説が一般的か?)もののそのような 事件があったという事は史書にも僅かに記されています。本書は史書では僅かな記述しかないこの事件について、何故そのような惨劇が 発生したのか、惨劇の舞台となった村が戦時には大名に従軍して戦う義務を負う土豪たちを中心にした自治独立の気風が強い村であると いう設定で、関ヶ原以降幕藩体制による支配を固めようとして検地を強行した役人と衝突し、村の中では争いをさけようとする者と力で 解決しようとする者の2派が併存する中で遂にのっぴきならない事態に陥っていく様を描き出した歴史小説です。

    飯嶋和一「始祖鳥記」小学館(小学館文庫)、2002年
    江戸時代の岡山城下に突如現れた、悪政はびこるときに飛ぶという怪鳥鵺。しかしその正体は岡山城下有数の表具師幸吉が 自作の凧で飛んでいたというものでした。彼自身は空を飛んでみたいという夢を実現しようとして頑張っていただけでしたが、 世間を騒がせたその行為により所払いの刑を受けます。しかし彼が空を飛んだという行為がいつしか一人歩きして、悪政を糺す ために空を飛び最後は処刑されたという噂になって日本各地に広まっていきます。そしてその話を聞いた人々のなかには日常に 安住するのではなく権力に立ち向かっていこうという気概を抱いて動き始める者たちがおり、いつしか世の中を変えていくこと になるのです。非常に緻密な情景描写によって描かれた空を飛びたいという夢に生きた男の生涯を描いた一冊です。

    飯嶋和一「雷電本紀」河出書房新社(河出文庫)、1996年
    江戸時代中期の相撲界に突然現れた大力士雷電為右衛門。様式や格式などにはまったくこだわることなく、己の体と 力のみを頼りに圧倒的な力で相手をなぎ倒していく彼の登場はそれまでの相撲のあり方を一変させ、力士を抱える大名 たちからは反感をかうものの、今までは堕落しきっていた力士たちが相撲への取り組み方を一変させていきます。また、 貧しい生活を送っていた民衆たちは彼の勝ち進む姿に拍手喝采し、彼の姿に元気づけられるとともに様々な思いを彼に託 すようになっていきます。土俵での激しい戦いとは裏腹に、土俵を降りれば、笑顔で赤子を抱き上げ、厄払いに応じる という姿を見せます。気は優しくて力持ちとはまさに彼のような人物のことを言うのでしょう。その雷電と、彼と 親交があり、彼を支えた鉄物問屋鍵屋助五郎を主人公にした歴史小説です。しかし彼ら2人の周囲の人物についても きちんと掘り下げて書かれており、これがまた良いんです。

    飯嶋和一「出星前夜」小学館、2008年
    江戸時代初期、島原藩では藩主の松倉氏は領国ではなく江戸におり、地方を治める代官たちは手代を派遣して彼らに徴税を任せており、 実態以上に重い税を各村々から無理矢理取り立てるという状況が続いていました。そんな松倉氏の苛政に加えて病気が流行して死者が 多数出るという状況下、苛政をただひたすら堪え忍ぶかつての猛者甚右衛門など大人の態度に反発する寿安たち若者が集結し代官所と 衝突するという事態が発生します。そしてこれがきっかけとなり、長年苛政に耐え続けてきた島原の民衆が武装蜂起に踏み切り、西国 各藩を巻き込む「島原の乱」へと発展していくことになるのです。前作「黄金旅風」のあとにつながる時代であり、登場人物をみると 前作でも登場した人がかなり重要な役割を担っていたりします。周りの人間がある人間に色々な思いを仮託していくことが多い他の作品 と異なり、寿安、そしてしばらくあとの甚右衛門は明確な目標を持って行動しているようなところが感じられます。

    飯島渉「感染症の中国史」中央公論新社(中公新書)、2009年
    近現代中国において、感染症の大規模な流行が発生したとき、どのような対応を取ったのか、そして政府は公衆衛生にたいして、どのように 取り組んだのかと言ったことをまとめた本です。国家が個々人の健康や衛生に介入するようになった近代世界において、中国でも善意の個人 による活動から政府による活動への変化が起きていたことがまとめられています。また、公衆衛生政策において日本のやりかたが手本とされ たことにも触れられています。一方、公衆衛生という福利に関する事柄が、実は極めて政治的な事柄であるということが、満州や上海における 公衆衛生のとりくみ(列強傘下の鉄道会社や都市の租界がこれを機会に力を伸ばそうとしていたりする)から分かるように書かれています。 公衆衛生からみた中国近現代史といったところです。

    飯塚正人「現代イスラーム思想の潮流」山川出版社(世界史リブレッ ト)、 2008年
    一括紹介その5に掲載

    飯田道子「ナチスと映画 ヒトラーとナチスはどう描かれてきたか」中央 公論 新社(中 公新書)、2008年
    第二次大戦後、数多くの映画でヒトラーとナチスは「悪」として描かれてきました。しかしそれをどのように表現するのかは時とともに 様々であり、ある時は笑いとばし、またあるときは「美的な物」として描かれ、ヒトラーについても人間としてのヒトラーを描こうとする 作品も登場しています。一方、ナチスとヒトラーは映画をプロパガンダの道具として利用したり(リーフェンシュタールに撮影させた党大会 やオリンピックのほか、宣伝中隊やニュース映画のことも出てきますし、国民への娯楽として提供された劇映画にもそう言う要素がありま す)、 映画との関わりは強かったこともしられています。

    本書ではヴァイマル時代からナチス政権時代までのドイツの映画史の一面を知ることが できるとともに(ヴァイマル時代のドイツは映画産業が非常に発展しており、ナチス時代の様々な映画はこのときの遺産を活用している事 がまとめられています)、第2次大戦後、ナチスとヒトラーがどのように映画の中で描かれてきたのかをたどりつつ歴史と記憶の問題にも アプローチしようとしています。前半のナチス時代のドイツ映画史の話がなかなか興味深いです。

    ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン(長島要一訳)「王の没落」岩波書 店 (岩波文庫)、2021年
    デンマーク王クリスチャン2世の没落と学生から傭兵に身をやつしたミッケルのどうしようもない生涯を重ね合わせながら、時折不思議なイメージ のような場面が織り込まれて展開される物語です。デンマークで20世紀最高の小説という評価が為されているようですが、勘所となる部分が つか み づらい読書となりました。分からなくとも一度で諦めず、また挑戦するくらいのつもりで読むと善いのではないでしょうか。

    五十嵐修「王国・教会・帝国 カール大帝期の王権と国家」知泉書館、 2010年
    フランク王国のカール大帝というと、高校世界史でも必ず出てくる人物です。カールの戴冠が西ヨーロッパ世界形成の始まりと位置づけられ ているからなのですが、カール戴冠を巡っては、実はフランク王国でもかなり扱いが面倒なことになっていたようですし、フランク王国では 自分たちは西ローマ帝国ではないという認識を持ち続けていたようです。そんなことを含め、カール大帝がどのような国家を作ろうとしたのか が、本書では詳しく論じられています。

    五十嵐ジャンヌ「洞窟壁画考」青土社、2023年
    旧石器時代の終わり当たりからあらわれる洞窟壁画、これは一体誰が何のためにどうやって描いたのか,そこに切り込んでいく一冊です。 洞窟壁画の5Wと1Hについてまとめてあります。洞窟壁画についてこの様な形でまとめられた本が読めるのはありがたいです。

    ジェニファー・イーガン(中谷友紀子訳)「マンハッタン・ビーチ」早川 書 房、2019年
    第二次大戦中の1942年、海軍工廠で働くアナは偶然訪れたナイトクラブで、そこのオーナーであるデクスターと出会います。彼女は かつてデクスター邸を父とともに訪れたことがあり、彼が父失踪のことについて何か知っているかもしれないとおもい、偽名を使って 接近するのですが、、、

    海軍工廠で働き潜水士を目指すアナ、イタリア系ギャングの大物で裏世界から表の世界への進出をもくろむデクスター、大恐慌後に 落ちぶれた状況からの脱却を目指すアナの父エディの物語が交錯しながら、アメリカが超大国となる前夜の状況を描き出す歴史小説です。

    生井英孝「空の帝国アメリカの20世紀」講談社、2006年
    一括紹介その4に掲載

    池上俊一訳「中世奇譚集成 東方の驚異」講談社(学術文庫)、2009 年
    中世ヨーロッパの人々にとり、東方の世界はどのように見られていたのか、それをうかがい知ることが出来る物語が2本掲載されています。 1本はアレクサンドロス大王が東征途上でアリストテレスに宛てて送った書簡という形をとって富と奇妙な生き物に満ちたインドの様子を 書いた物語で、「アレクサンダー・ロマンス」とも何らかのつながりがありそうな話、もう1本はプレスター・ジョンから西方の君主にあてて 書かれた手紙という形をとり、実際に「司祭ヨハネ」を探すべく多くの人を旅立たせることになったという曰く付きの話です。

    池上俊一「中世幻想世界への招待」河出書房新社(河出文庫)、2012 年
    中世ヨーロッパにおいて、人々の想像の世界は現実の世界と密接に結びついていたものでした。本書では、中世にあらわれた様々な幻想の中から、 狼男や聖体、プレスター・ジョンやユダヤ教徒といった他者、そして煉獄など死後の世界といったものをとりあげ、それらがどのような背景か ら 生まれてきたのか、それぞれの意味はどういうものか、そういうことをあつかっているようです。

    池上俊一「お菓子でたどるフランス史」岩波書店(岩波ジュニア新書)、 2013年
    フランス菓子に関するエピソードをのせつつ、フランスの歴史をまとめているような本です。あくまでフランスの歴史を描くことが メインで、そのための手段としてお菓子がある、そういう所だと思います。それにしても、他所から入ってきたものをさも自分達の ものであるかのようにしれっと主張し、それを通してしまうのだからすごいものです。

    池上英洋「ルネサンス 歴史と芸術の物語」光文社(光文社新書)、 2012 年
    イタリアにおけるルネサンスの始まりから終わりまでの話を、カラー図版を用いながらわかりやすくまとめた一冊です。古代の復活という ことがよくいわれますが、イタリア各地にコムーネができるなかで古代ローマ共和政の再評価がみられたことや、プラトンのイデア論が 伝わる中で不完全なモノを完全なモノとするために芸術作品が作られると言った方向での認識が生まれてくること、そして古代の建造物 や遺跡をとりこんでいったことなど、古代とルネサンスの関係について結構わかりやすくまとまっている一冊です。

    池上裕子「織田信長」人物叢書、2012年
    織田信長というと革新性が矢鱈と強調されたり、時代の枠を越えた天才みたいにあつかわれることがあります。しかし本書では 信長について、史料を基に等身大の像を描き出していきます。まず信長について知りたかったら、まずはこれを読めばいいと思う。 気楽に読み飛ばせる部分(著者の推測・主観・妄想など)がほとんど無く、非常に骨太な作りになっているため、かなり気合い を入れてかかるべき一冊です。

    池田潔「自由と規律 イギリスの学校生活」岩波書店、2019年
    イギリスの中等教育機関の一つであるパブリックスクールというと、全寮制で上流家庭の子弟が通う学校であるという ことや、「ハリー・ポッター」シリーズのホグワーツ魔法学校のモデルであるとか、そういうことは知られているよう です。では、実際のパブリックスクールにおける生活はどのような物だったのでしょうか。パブリックスクールの一つ であるリース校の卒業生である著者が、自らの体験もふまえつつ厳格な規律と鍛錬からなるパブリックスクールの教育 システムについて書き出していきます。

    厳しい規律を持つパブリックスクールで教育を受けさせることにより、自由を 享受する前に、自由を裏付ける規律の存在を理解させるということや、こうした学校の卒業生達が各界の指導者として 自ら率先して困難に立ち向かい責任を負う「ノブレス・オブリージュ」の精神を身につけ、実践していることなどが かかれてた本書の中身から、自由、責任といったことについて考えさせられることは多いのではないでしょうか。恐らく 現在のパブリックスクールの教育はこれとは変わってきていると思いますし、数十年前の外国のことを日本に当てはめ られるのかという疑問も出てくると思いますが、それでもなお自由を尊重する社会を作るためのヒントは色々と含まれ ているとおもいます。

    池田忍「手仕事の帝国日本」岩波書店、2019年
    近代日本において、「美術」とはなにかを規定する際にそこからこぼれ落ち、なおかつ高級な工芸品ともちがう日常生活で 使う工芸品の数々、そこにあらたな美を見いだした若い芸術家達がいました。彼らは女性や農民、異民族の手仕事により 作られた工芸品に注目し、それを再評価していきました。本書では日本における「美術」の確立過程をえがき、そこから こぼれ落ちた工芸品を再評価した芸術家達の取り組みと、彼らのまなざしがはらむ問題点が描き出されていきます。

    池田嘉郎(編著)「第一次世界大戦と帝国の遺産」山川出版社、2014 年
    2014年は第一次大戦開戦から100年目ということで、それに関連した企画がいくつか持ち上がっているようです。本書は第一次 世界大戦前の世界各地に存在した「帝国」に注目し、帝国がその後の世界に残したものがいったい何だったのか、帝国が解体 してどのように変わっていったのかを論じた論文集です。

    池田嘉郎「ロシア革命 破局の8か月」岩波書店(岩波新書)、2017 年
    1917年、ロシアで革命が発生し、帝政が崩壊、そしてもう一度革命が発生してソヴィエト政権が樹立されました。本書ではソヴィエト政権 を樹立したボリシェヴィキの視点で見ることが多いこの出来事の歴史を、臨時政府の側の動きをかなり詳しく述べながらまとめていきます。

    池谷文夫「ウルバヌス2世と十字軍」山川出版社(世界史リブレット 人)、 2014年
    十字軍の歴史について学ぶとその名が必ず出てくるウルバヌス二世、かれは十字軍を始める際に大きな役割を果たしただけでなく、 教皇と皇帝の争いにも関わった人物でした。本書はウルバヌスが関わった皇帝との争いや十字軍運動の展開について簡潔にまとめて います。ウルバヌス2世の伝記ではありません。

    池谷文夫「神聖ローマ帝国 ドイツ王が支配した帝国」刀水書房、 2019年
    オットー1世の戴冠以降、850年ほど続いた神聖ローマ帝国の歴史を扱った一冊です。ドイツ王が何故ローマ皇帝となり、ローマにこだわった のか、イギリスやフランスとは異なる国家のあり方を取るようになった帝国において皇帝が求心力をある時期まで保っていたのはなぜか、 そういった辺りが気になる人は是非読んでみて欲しい一冊です。

    諫早直人・向井佑介(編)「馬・車馬・騎馬の考古学」臨川書店、2023年
    前近代の世界を考えたとき、そこに馬がいるかいないかで大きな違いが生じてきます。馬を大量に運用する遊牧民帝国が非常に強大な 力を持っていたのが前近代のユーラシアでした。本書では東ユーラシアに焦点を当てながら、そこでの馬の利用や騎乗技術、宗教儀礼 について論じていきます。これの西ユーラシア版もいつか出て欲しいと思う内容です。

    石井美樹子「エリザベス 華麗なる孤独」中央公論新社、2009年
    エリザベス1世についての本格的な評伝です。彼女の母親のアン・ブーリンや異母姉メアリ1世についてもかなりページを割きつつ、 エリザベスの若かりし日々から晩年までを、一次史料を使いながら書きあげています。エリザベス個人に関わる話(結婚・後継者 を巡る話や、宗教の問題)を中心に、スペインや周辺国との関係にも触れていきます。あくまでエリザベスの伝記なので、当時の 社会など背景となる出来事にそれ程深入りしているわけではなく、そういったことを知りたい場合は別の本で補う必要があると 思います。

    石川博樹「ソロモン朝エチオピア王国の興亡 オロモ進出後の王国史の再 検 討」山川出 版社、2009年
    ソロモン朝エチオピア王国が、オロモと呼ばれる集団の進出を受けて一時弱体化した後、それに反撃をするほどに力を回復できた のはなぜか。それまで十分に解明されてきていない、エチオピア王国における様々な改革の動きを明らかにした1冊です。

    カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)「日の名残り」早川書房(早川epi文 庫)、 2001年
    かつてはイギリス貴族の邸宅で執事を務め、いまは邸宅を買い取ったアメリカ人のもとで執事を続けるスティーブンスは休みを取って旅に でます。旅の途中で彼が回想する大英帝国が頂点から下り坂に向かう頃の話を中心に、邸宅でおこなわれた国際的に重要な会談に執事という 仕事を通じて関わり成功させたという思い出、邸宅での仕事の日々、そして執事という職業に対する彼の思いが語られていきます。執事と して職務を全うすることを最優先にしてきたことによってスティーブンスは色々な物を失いましたが、最後はまた仕事でのさらなる充実を 求め、また前向きになっていく所は何かいいなあと思いますね。失われた古き良き日々を回想しつつ、新しき日々への希望を感じさせる そんな話でした。丸谷才一の解説はちょっとスティーブンスに辛いような気がしますが。

    カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)「わたしを離さないで」早川書房、 2006 年
    キャシー、トミー、ルースの3人が織りなす「施設」ヘームシャルでの暮らし、「コテージ」へ移ってからの出来事、ノーフォークへの旅、 そしてその後の日々をキャシーの回想を通じて書いていきます。運命は逆らえないということに気づきつつも、そのなかで希望を見つけよ うとする彼らの姿には色々と考えさせられるのではないでしょうか。設定がどうとか言っている場合ではないだろうとおもいます。

    ちょっと、これについてはあまり中身をしゃべってはまずいかとおもいますし、簡単に感想を書けと言われてもなかなかかけそうにない のでこのような紹介になりました。

    カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)「忘れられた巨人」早川書房、2015 年
    魔法や龍といった不思議な物が存在し、ブリトン人がサクソン人に取って代わられつつある時代のイングランド、アクセル とベアトリス2人の老夫婦がブリトン人の集落で暮らしていました。そんな彼らがある日、遠くの村にいる息子に会いに旅に 出ることになります。ファンタジーの形を借りながら、人間の記憶について描き出す物語。

    石澤良昭「東南アジア 多文明世界の発見」講談社(興亡の世界史)、 2009年
    一括紹介その4に掲載。

    石田真衣「民衆たちの嘆願 ヘレニズム期エジプトの社会秩序」大阪大学出版 会、2022年
    プトレマイオス朝エジプトで数多くの嘆願文書が残されています。それらのなかにはギリシア語ではなくエジプトの文字(民衆文字)で書かれたも の も多く残されています。それらの嘆願がどのようにして上に届けられていったのか、そして人々は紛争解決のためどのような手段を執ったのかとい う 事を扱っているようです。

    石濱裕美子「物語チベットの歴史」中央公論新社(中公新書)、2023年
    前半ではチベットの歴史にふれつつ、チベットの仏教指導者についての話を重点的にかたり、ダライラマ政権の登場からあと、 現代までを見ると歴史に関する内容が多くなってくる一冊です。やはり、ダライラマ政権の登場あたりから、ぐっととっつきやすく なる感じだと思います。

    クリストファー・イシャウッド(木村政則訳)「いかさま師ノリス」白水 社、 2020年
    ヴァイマル時代のドイツ、主人公はノリスという紳士と出会います。このノリス氏、陽気な紳士なのですが、なにやら怪しいところがある 人物でした。 そして、そんなノリスと周囲の人々の様子をコミカルに描きつつ、ナチスによる権力掌握の過程が書かれていきます。 ノリスの自己認識と周りのノリスの捉え方のずれが描かれる場面が幾度となく出てくるのですが、なかなかにシニカルな描写ですね。 ああこういうおじさんいるよなあと。また、ヴァイマル時代のドイツの様子に興味を持つ人もいそうですね。

    石渡美江「楽園の図像 海獣葡萄鏡の誕生」吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)、2000年
         中国、日本で「海獣葡萄鏡」という獅子、天馬、麒麟、孔雀といった動物たちと葡萄唐草紋で飾られている鏡が発見 されています。この鏡の紋様である葡萄唐草紋や動物のルーツは何かと言うことを探っていきます。葡萄唐草紋が地 中海世界にルーツがあり、それが東へ伝わっていったこと、獅子や孔雀などの動物が西方起源であり、これもまた西 方から伝わってきたことをしめしています。さらに葡萄の栽培やワインの製造、楽園の図像のもととなる庭園の構造 など内容はかなり広い範囲にわたっています。東西文化の交流の歴史の一端が鏡の紋様にも現れていると言うことが よく分かります。

    井田尚「百科全書 世界を書き換えた百科事典」慶應義塾大学出版会、 2019年
    ディドロ、ダランベール、百科全書というと、世界文化史の単語としては必ず覚えさせられるレベルの組み合わせです。しかし、「百科全書」が どのような書物なのかということまで知っている人が果たしてどれだけいるのか。本書は、「百科全書」が登場するまでの前史から始め、これ が 過去の類似事業と比べて、どの部分が新しい点なのか、後世にどのような影響を与えたのか、執筆項目においてどのような特徴が見られるのか といったことをまとめている一冊です。

    伊高浩昭「チェ・ゲバラ」中央公論新社(中公新書)、2015年
    チェ・ゲバラの生涯を映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」の題材となった南米旅行、カストロ達と出会いキューバ革命 に身を投じた時期、そして革命後のキューバでの経済建設の舵取り失敗と「出キューバ」、今後やボリビアでの活動をとりあ げてまとめた評伝です。

    読み終えたあと、私の中にはリーダーとしてはどうなんだろうという疑問、そしてバーとかで女の人相手に偉そうな文学論 とか映画論とか政治について御高説をたれるダメ男というイメージがうかんできました。革命家ってそういうものなのでし ょうか。

    板橋拓己「アデナウアー 現代ドイツを創った政治家」中央公論新社(中 公新 書)、2014年
    第2次世界大戦により国土は荒廃、東西に分裂したドイツにおいて、西ドイツの初代首相として西ドイツの国際社会への復帰、 復興を進めたアデナウアーは国内でも非常に高い人気を誇る人物のようです。そんなアデナウアーについての評伝です。 特にアデナウアーが進めた外交政策についてかなり詳しく書いています。冷戦体制下で西ドイツがどのように生き残って いくのかを考えたとき、西側との統合を進める事が必要であると考え、それがヨーロッパ統合へとつながっていったこと がまとまっています。

    一ノ瀬俊也「明治・大正・昭和軍隊マニュアル」光文社(光文社新書)、 2004年
    明治6年に徴兵令は発布されて以来、第二次世界大戦が終わるまでの間、日本には徴兵制があり、成人男子は皆一度は 軍隊という巨大な組織の構成員として時を過ごしたことがあります。そしてこの時代、兵士となる人々のために 入営の心得や、兵士の歓送迎会で使われる式辞、戦死者に対する弔辞等の文例集、また軍にいる兵士とやり取りする 手紙の書き方等、軍隊に関連した各種のマニュアルが元軍人や現役の軍人の手によって多数書かれて販売されていた ようです。そうしたマニュアルを通じて徴兵や軍隊といったものに当時の人々がどのように向かい合っていたのかを 書こうとした本です。当時の軍隊がいかにして当時の人々に良いイメージを持たせようとしたり、軍隊生活が良いもの であると思わせようとしたり、あの手この手を尽くしてその存在を認めさせようとしている様子が軍隊マニュアルから も窺えます。

    伊東俊太郎「十二世紀ルネサンス」講談社(学術文庫)、2006年
    ヨーロッパが封建制の下で社会が安定し、発展に向かい始めた12世紀、西ヨーロッパでは後に「十二世紀ルネサンス」と 呼ばれる文化活動が始まっていました。スコラ哲学、自然科学の発展などがみられたこの文化活動については20世紀の初め になってから注目され、以後研究が進められていきましたが多くの場合ヨーロッパ内部の文化活動の研究に重きが置かれて きたようです。それに対して著者は西欧がイスラム世界と接触し、イスラム文化やイスラム世界に伝わったギリシア文化を 摂取することで、12世紀ルネサンスが成立したという側面に注目しながら「十二世紀ルネサンス」について説明していきます。

    著者は科学史の人であるため内容的には自然学関係の話が多いですが、一番最後にはトゥルバドゥールとアラビアの関係について 書きつつ文学についてまとめていたりもします。全体としてイスラム世界と西欧の関係、特にイスラムからギリシアの自然科学 の文献が入ってきたことについてまとめられている本です。また、「シリア・ルネサンス」と著者が呼ぶ東方におけるシリア語 への古典文献翻訳運動がイスラム世界の自然科学の発展にかなり重要であったということは他の本ではあまり触れられていない と思うので、この部分は興味深く読めました。

    伊東俊太郎「近代科学の源流」中央公論新社(中公文庫)、2007年
    17世紀の近代科学革命以前の西欧科学史というと、古代ギリシア・ローマの自然科学に関してちょこっとみた後、科学に関する話は ほとんど無く、ルネサンスの頃になってようやく出てくるという形で習ったり覚えたりした人もいるのではないかと思われます。最近 でこそ、イスラムの科学や12世紀ルネサンスなども注目されるようになってきましたが、そのような流れが起こる前にこれらのこと についてまとめていたのが本書です。

    原著は1978年に出された本書で扱われている内容をみると、イスラム世界での翻訳活動や12世紀 ルネサンスのように最近は学校の世界史でも教えるようになったこともあれば、12世紀ルネサンス以前の中世ラテン世界における自然科学 のように未だにあまり教えられていない事柄もまとめられていたりします。また、中世の自然科学と近代科学革命の関係についても考察が なされており、中世の自然科学は一見近代科学に接近したところもあるけれど、中世と近代では異なる思考プロセスのもと類似した結果に到達 したということから、単純な二者択一としての「連続か断絶か」という結論はあえてとっていません。学者の名前と著作が大量に出てくるの で、 そこを読むのは大変かもしれませんが、一度読み終えた後ももう一度読んでみようという気になる本です。科学思想について知りたい人はまず 読むべきでしょう。

    伊藤俊一「荘園」中央公論新社(中公新書)、2021年
    墾田永年私財法制定以降、日本において「荘園」が登場してきます。しかし正直なところ、古代から中世にかけて存在した荘園がどのようなもの かと言われると、正直なところなんだかよく分からず、説明に困るところがあります。本書はそんな荘園について登場から消滅までの歴史をまとめ た 一冊です。とはいえ、語り口や文章はとっつきやすいのですが、どうしてもわかりにくいのは、荘園がそもそも現代人の感覚では捉えにくいものな の だろうかと、自分の読解能力以外の所に原因を求めたくなります。

    伊藤雅之「第一次マケドニア戦争とローマ・ヘレニズム諸国の外交」山川 出版 社、2019年
    ローマの地中海世界制覇の過程において、ハンニバルとの激闘がみられる第2次ポエニ戦争や、マケドニア密集歩兵をローマ軍団兵が圧倒した 第2次マケドニア戦争とくらべ、第1次マケドニア戦争はいささかすっきりしない展開と結末ゆえかあまり注目されないところがあります。 しかし、第1次マケドニア戦争から第2次マケドニア戦争開戦にいたるまでの時期は、ローマがヘレニズム諸国の外交技術を学び、外交面で それまでと比べ進歩していった時期でした。本書ではそういったローマの外交の様子をえがきつつ、外交が国内情勢など様々な要因によって 左右されるものであることを示していきます。古代の国際政治のダイナミズム、そして外交と国内政治の関連が分かる一冊です。 

    伊藤義教「ペルシア文化渡来考」筑摩書房(ちくま学芸文庫)、 2001年
    正倉院の宝物にはペルシア文化の影響を受けた文物が多数見受けられますし、東大寺のお水取りも実はペルシア文化の 影響を受けたものであるという説も現在では広く受け入れられています。このような日本の文化とペルシアの文化の関係 について、シルクロードを通じて文化が入ってくるのみならずペルシア人もやってきたのだと言うことを論じているのが 本書です。やや語呂合わせのような印象を受けましたが、日本書紀の記述からペルシア人たちがやってきていたことを論 じています。

    帯文には「考証随筆」とありますので、著者が考えたことをつらつらと書いていったのだとおもえばそれで よいのでしょうが、ちょっと違和感が残りました。ちなみに本書は1980年に出されましたがその前年に作家の松本清張が 「ペルセポリスから飛鳥へ」という本を出していることから混同されがちなようですが、ゾロアスター教徒が来日した 可能性はあるといっても、別にゾロアスター教そのものが日本に入り込んだわけではないという立場をとっている点で 松本氏とは異なると言われています(松本氏の本を読んでいないのでこれから読む予定です)。

    絲山秋子「海の仙人」新潮社(新潮文庫)、2006年
    宝くじで3億円をあてたのをきっかけに、主人公の河野は会社を辞めて敦賀に引越した。とりあえずアパート経営 をしながら釣りをしたり、ヤドカリを飼育したりしながら過ごすかれのもとに居候を志願する神様・ファンタジー が現れます。

    河野とファンタジー、そして彼に思いを寄せる2人の女性を軸にして展開される話は、決して派手ではないし濃厚 な物語ではないのですが、後の余韻は結構残ります。登場人物は孤独ではありますが他人に依存することのない ひとたちですし、神様であるファンタジーも誰かを助けたりはしません。しかし何をするというわけでなく、そこ にいるというだけで十分意味があるような気がします。

    絲山秋子「沖で待つ」文藝春秋(文春文庫)、2009年
    職場の同期として仕事を通じて結ばれた(ただし決して恋愛ではない)男女の物語を描いた表題作、失職中だが決して暗さを 感じさせない「勤労感謝の日」、全編ひらがなでかかれある作家にして政治家をモデルにしているんじゃないかと思う「みなみ のしまのぶんたろう」の3篇からなる短篇集です。

    主人公が死んだ同期との間でかわした秘密の約束を果たすために家へしのびこむことになる表題作は芥川賞受賞作です。しかし 矢鱈と小難しいということはなく、かなり読みやすい話でした。社会人としてある程度の年齢に達した人達にはそうだよなあと 思う所も結構あるのではないでしょうか。他に収録された2作品もなんとなく前向きな気持ちで、面白く読めました。

    絲山秋子「離陸」文藝春秋社、2014年
    国土交通省キャリアの主人公があるときイルベールというフランス人に遭遇し、彼から人捜しを頼まれます。それは主人公の元 彼女でした。彼女は何故子供を残して失踪したのか、、、。物語の舞台は矢木沢、フランス、そして熊本の八代へと移りながら、 彼女がどうなったのかを探索するとともに、様々な人との出会いと別れを経験することになるのですが、、、。

    真相は分からないまま終わりますが、人生には分からないことなどいくらでもある、知ろうとしても分からないことも色々ある なかで人は生きていく、その様子が静かな調子で書かれていきます。

    稲野強「マリア・テレジアとヨーゼフ2世」山川出版社(世界史リブレッ ト 人)、2014年
    マリア・テレジアとヨーゼフ2世というと、18世紀にオーストリアを発展させていこうとした君主としてその名前が良く出てきます。 また、マリア・テレジアというと、「外交革命」、そしてマリー・アントワネットの母親といったことは良く触れられますし、 ヨーゼフ2世というと系も専制君主と言う言葉で表されることが多いです。

    この二人は「啓蒙の世紀」といってもよい18世紀に生き、ハプスブルク君主国という歴史的に非常に古く、社会構造も昔の要素を 色濃く残す国家の君主として、国の発展のために尽力しましたが、当然の如く二人の取り組み方には違いがありました。その辺り の所をコンパクトにまとめたのが本書です。

    稲葉穣「イスラームの東、中華の西 7〜8世紀の中央アジアをめぐって」臨 川書店、2022年
    かつて仏教圏であり今はイスラム圏となった中央アジア、そのような転換が起こる直前期のこの地域を舞台にしてどのような歴史が展開 されていったのか。本書では羈縻政策でしられる唐による西域支配のありかたと西域の国々の状況にふれ、タラス河畔の戦いが持つ意味 や、安史の乱でみられた「大食(アラブ)」の兵士たちの実態といったこともあきらかにしていきます。

    井野朋也「新宿駅最後の小さなお店ベルク」ブルース・インターアクショ ン ズ、 2008年
    新宿駅東口改札を出て左折すること十数秒のところにある「ベルク」は喫茶店でもありビアバーでもあり、ワインや日本酒もある など、安くて美味しい様々な物が飲んだり食べたり出来るお店です。本書は「ベルク」の店長が、個人経営ゆえに様々な試行錯誤を かさね、2008年時点で18年という年月を積み重ねる中で魅力あるお店が出来ていった、その過程をつづった本です。

    この本が出た時点で、ルミネから立ち退きを迫られており、9月末には法外な賃料をとるということまでルミネから言われているよう ですが、何とか頑張って欲しいです。この本を読んだら、実際に「ベルク」に行って見て欲しいです。

    井上浩一「ビザンツ 文明の継承と変容」京都大学学術出版会、2009 年
    1000年に渡り続いたビザンツ帝国はギリシア・ローマ文明を継承していると言われます。しかしそのまま継承したのではなく、 そこには様々な変容がありました。本書ではギリシア・ローマの都市文明がビザンツでどのように変容していったのかをまず 明らかにするとともに、ビザンツ帝国を特徴付ける専制君主としての皇帝、「皇帝の奴隷」の代表である宦官、そしてビザンツ と古代文明(および西欧)を大きく隔てる戦争の3つのテーマについて説明を加え、ビザンツ帝国がどのように古代文明を継承 しつつ、それを変容させ、「ビザンツ文明」をどのように作っていったのかをまとめています。通史的なことから少し足を踏み 出してみたい人にお勧めです。

    井上浩一「ビザンツ皇妃列伝 憧れの都に咲いた花」白水社(Uブック ス)、 2009 年
    歴史、特に前近代の歴史において、登場する人物の多くは男性であり、女性が表に出てくることは極めてまれな事例です。約1000年の 長きにわたり存続したビザンツ帝国も例外ではなく、皇帝の妻や娘に関する記述はあまり見られません。しかし、本書では、史料にわずかに 見られる皇妃に関する記述をもとに、皇妃の生涯と帝国の興亡の歴史を紹介していきます。取り上げられている8人の皇妃の出自は庶民から 外国の王族までさまざまですが、ビザンツの歴史の転換点において彼女たちはどのように生きたのか、彼女たちの生涯がビザンツ帝国の歴史 とどのように絡んできたのか、そのようなことがまとめられています。

    井上浩一・栗生沢猛夫「ビザンツとスラヴ」中央公論新社(「世界の歴 史」)、 1998年
    ユスティニアヌス以降のビザンツ帝国の通史と、中世から近代初めまでのロシア・東欧の歴史を扱った本です。同じヨーロッパ でも西欧と比べるとビザンツ・スラヴ圏はその扱いも地味であり、どんな国が作られどのような人々が活躍したのかはあまり知 らない人も多いと思われます。ビザンツ帝国や東欧の諸国の歴史について取りあえず大まかにつかんでおきたいときにはこれを 読むと良いのではないでしょうか。また、第2部では東欧各国の歴史に入る前にスラヴ民族に関する話題にページを割いており、 民族の話題に関心のある人は読むと面白いのではないでしょうか。

    井上浩一・根津由喜夫(編著)「ビザンツ 交流と共存の千年帝国」昭和 堂、 2013年
    日本のビザンツ帝国史研究の第一人者といってよい井上浩一先生の退職記念論文集として企画された一冊です。ビザンツ帝国の歴史と いうと、中央の統治機構についての研究が多かったようですが、最近では地域史研究も増加し、多様な地域や民族、文化を統合する 帝国がなぜ1000年にわたり存続できたのかということを、帝国周縁部のあり方から探っていこうとした一冊です。

    扱われている地域も黒海沿岸から北アフリカ、南イタリア、クレタ島、ドナウ川流域、小アジア、バルカン半島西部など多岐にわたり ます。そのようなビザンツ帝国の周縁部・境界域に焦点を当て、そこにおける交流、共生の様子について、大まかな概略を書いている ような印象を受けました。さらなる研究の発展に期待したい一冊です。

    井上浩一「歴史学の慰め アンナ・コムネナの生涯と作品」白水社、 2020 年
    ビザンツ皇帝アレクシオス1世の伝記『アレクシアス』の著者は娘のアンナ・コムネナでした。皇帝の嫡出の娘として生まれ、 紆余曲折を経てそして修道院へ入り歴史書を書くという生涯を歩んだ人物です。

    本書は、アンナ・コムネナの生涯をたどりながら、彼女の著作である『アレクシアス』について、一般的な当時の歴史書の枠 から微妙にはみ出すといったことや、史料の取り扱いや叙述が出来るまでのプロセスなど、興味深い話題が色々とみられます。 

    井上文則「軍人皇帝時代の研究 ローマ帝国の変容」岩波書店、2008 年
    3世紀のローマにおいて、「軍人皇帝時代」とよばれる動乱の時代がありました。周辺ではゲルマン人やササン朝ペルシアの 侵攻が繰りかえされ、さらに地方で勝手に皇帝が擁立され、互いに争うこともあったという時期です。本書はそのような 軍人皇帝時代にローマ帝国の統治構造が決定的に変わっていったことを論じています。ウァレリアヌス帝の業績について 改めて見直してみると、結構重要なことが起きていたことが印象的な一冊でした。 「騎士身分の興隆」として取り上げ られる出来事は、実はイリュリア人軍人が政界で台頭し帝国の統治において重要な役割を果たすようになったことであり、 西方に拠点を置くコンスタンティヌスが帝国分割から統一に向かう争いで勝利したことがイリュリア人の影響力を低下させる ことになり、それとともに帝国統合が困難になっていくことにもつながるという視点は新鮮です。

    井上文則「軍人皇帝のローマ 変貌する元老院と帝国の衰亡」講談社、2015年
    かつて、軍人皇帝時代のローマについて研究所を著した筆者による、一般向けの書物です。以前の専門書から、 より軍人皇帝時代のローマについてある程度時系列に沿うような形に整え、ガリエヌス勅令非存在説など専門書 では細かく分析している箇所は思い切って簡略化し、さらにイリュリア人軍人や当時の元老院議員についての 記述を増やす、そしてローマ帝国の衰亡に到るまでの過程についてまとめるといった形で、より一般向けになって いるとおもいます。

    井上文則「シルクロードとローマ帝国の興亡」文藝春秋(文春新書)、 2021年
    ユーラシア東西を結ぶ交易路、草原、オアシス、海それぞれに通る交易をまとめて「シルクロード」ととらえることがあります。本書はその シルクロードがローマ帝国の繁栄に大きく関わったこと、そしてシルクロード交易の衰退とローマ帝国の衰退、さらに帝政の変質や西ローマ の滅亡にまで影響を与えたという見方を示していきます。ローマ商人が関わった海上交易の様相や、それがどのくらい儲かるものだったのか、 では何故ローマがそこから撤退していったのかといったことをまとめています。

    井上文則「軍と兵士のローマ帝国」岩波書店(岩波新書)、2023年
    共和政期から帝政期、そして西ローマ帝国の滅亡までのローマ軍と兵士のありかたについてまとめた本です。ローマ軍の本というと共和政期から 帝政前期(元首政の時代)当たりまでは詳しく、その後はおまけのような感じの本を結構見かけますが,本書は帝政後期以降のローマ軍について も詳しく書いています。職業軍人化、プロフェッショナルな方向へ向かう一方、市民社会との距離が開き、やがて諸部族同盟軍で代替可能、その 方が経費削減になるということでローマ軍が消滅していくという流れでしょうか。なお、常備軍を維持する財源のひとつとしてシルクロード交易 の発展を重視するのは前著の成果を盛りこんだといったかんじです。

    井野瀬久美惠「黒人王、白人王に謁見す」山川出版社、2002年
    ヴィクトリア女王が黒人王に聖書を贈る場面を描いた一枚の絵画と、著者が見つけた「父がヴィクトリア女王より聖書を贈られた」 と語る黒人王の渡英のニュース。そこから、この絵に描かれた黒人王の正体や、この絵の扱いの不思議さ(画家はかなりの大家なのに、 まともな扱いをされていない&タイトルがいつの間にか忘れ去られている等々)、そして、「イングランドの偉大さの秘密」とは結局 の所何なのかと言ったことに迫っていきます。

    井野瀬久美惠「大英帝国という経験」講談社(興亡の世界史16巻)、 2007年
    一括紹介(その4)に掲載

    今井昭夫「ファン・ボイ・チャウ」山川出版社(世界史リブレット人)、 2019年
    東遊運動で有名なファン・ボイ・チャウのコンパクトな伝記です。東遊運動以後の彼の活動や思想的な展開についてもまとめています。

    林采成「飲食朝鮮 帝国の中の「食」経済史」名古屋大学出版会、 2019年
    日本の植民地となっていた時代の朝鮮半島では半島で作られた米が日本に移出され、食糧供給地となっていたと言うことは しばしば言われています。では米以外の食糧についてはどうだったのか、本書では米だけでなく牛や人参といった朝鮮半島 在来のものから、西洋林檎や牛乳のように日本から持ち込まれ,後世の食の西洋化にも関係したもの、明太子のように朝鮮 半島から日本に持ち込まれたものなど外からやってきたり外に伝わった食、そして焼酎や麦酒、タバコと言った嗜好品まで 扱いながら、朝鮮半島が生産から加工・流通、そして消費に至るフードシステムにどのように組み込まれていたのかを示し ていきます。

    今谷明「『王権と都市』を歩く 京都からコンスタンティノープルへ」NTT出版、2004年
    世界の各地にある都市の形は、その都市ができた時代や地域によって違いがあります。日本の古都京都にはその周囲を囲う 城壁が存在しない一方で、城壁を備えた都市というものが各地にみられます。なぜ京都には城壁がないのかという問いを 抱きつつ、中央アジア、小アジアの都市を見聞して最後にコンスタンティノープルにまで行き、それらの都市の構造をみな がら王権と都市の関係について考察を進めていきます。内城と外城をもつ城塞都市や、町の中心部を守る城壁はあるが町全 体を囲んでいない都市、神殿から列柱参道が直線上に延び、その両側に市街地が発展する神聖都市といった系統に分けられ ることや、アジアの都市と古代ギリシアの都市の違いには前者にある王宮や内城が後者には存在しない代わりにアゴラと 議事堂を後者は備えていて、その特徴は中世ヨーロッパにも引き継がれることなどが指摘されています。このような東西の 都市に関する比較史的な内容を含むのみならず、著者が実際に訪れた中央アジアや小アジア、イスタンブルの紀行書として 読むこともできる本です。

    岩明均「ヒストリエ」講談社(アフタヌーンKC)、2004年〜(1〜11巻。現在連載中)
    アレクサンドロス大王の書記官をつとめ、ディアドコイ戦争で活躍したエウメネスの波乱万丈の生涯を描く歴史漫画です。 1,2巻ではエウメネスの少年時代を描き出していきます。登場人物はアリストテレス、メムノン、バルシネ、カリステネス、 そして後にエウメネスと激闘を繰り広げるアンティゴノス(?)といった歴史上の人物を登場させつつ、エウメネスの回想編に 入るとエウメネスの生い立ちなどを創造を交えて描き出しています。1,2巻はまだまだ始まりにすぎず、3巻になっても まだ回想が続いていますが故郷を離れてよそで暮らすようになったエウメネスですが、4巻になってようやく回想編が終 わります。

    そしていよいよ第5巻からはマケドニア王国編に突入し、6巻ではアレクサンドロス王子とミエザの愉快な仲間達が登場します。 7巻では「ヘファイステイオン」登場にまつわる話、エウメネス考案の謎のゲーム、8巻では前巻から続くビュザンティオン、ペリントス を巡る戦い、その後のスキタイ遠征と帰りのトリバッロイ人との争いといった軍事行動の話が多く出てきます。そして、9巻 ではいよいよカイロネイアの戦いに突入、10巻で決着がつきます。一方でエウメネスを取り巻く状況もややこしいことに、、。 11巻では、フィリッポス暗殺事件に関わる重要人物が登場します。果たしてこの後どうなるのか。

    岩井淳「ピューリタン革命と複合国家」山川出版社(世界史リブレット)、2010年
    ピューリタン革命というと、かつては名誉革命とワンセットで「イギリス革命」としてあつかわれ、イギリス立憲政治確立という 観点から語られてきましたし、教科書ではなおそのような扱われ方をしています。一方で、この出来事を「内乱」として扱う研究動向 も有り、むしろ最近だとそちらの方が多いようです。しかし、本書はこの出来事をイングランド一国の出来事としてではなく、周辺の スコットランド、ウェールズ、アイルランドにも大きな影響を与えたものとしてとらえ、UK(連合王国)成立の契機という視点から ピューリタン革命を見直す1冊です。

    個人的には、アイルランドが16世紀時点で既にイングランド王が国王だったと言うことをこの本で初めて知りました。クロムウェルのアイル ラン ド 侵攻前って、そういえばどうだったのだろうと思いつつ、調べていなかったもので…。

    岩ア周一「ハプスブルク帝国」講談社(現代新書)、2017年
    カール5世やルドルフ2世、マリア・テレジアやマリー・アントワネット、そしてエリーザベトといった人物によるロマン溢れた王朝絵巻 のような本は結構ありますが、ハプスブルク君主国の政治や社会、文化についてまとまった一冊は手に取りやすいサイズや価格だとなかなか なかったように記憶しています。そんな中で出た本書は、ハプスブルク君主国の通史として、一般向けに読みやすく、それでいて王朝絵巻 でない君主国の歴史を描いていると思います。

    岩ア周一「マリア・テレジアとハプスブルク帝国」創元社、2023年
    ハプスブルク君主国を統治した「女帝」マリア・テレジアの伝記的な本です。彼女が生きた時代の君主国の社会や政治の仕組み、文化の展開と、 彼女の家族や家臣といった彼女を取り巻く人々及び,この時代に生きた人々の姿を描き出す内容と、彼女の生涯の歩みが組み合わさっています。

    岩田靖夫「ヨーロッパ思想入門」岩波書店(岩波ジュニア新書)、2003年
    デカルト、カント、ハイデガー、レヴィナスといったヨーロッパの哲学はすべて古代ギリシアの思想とヘブライの信仰という 2つの土台の上に立っています。ヨーロッパの思想を理解するためにはまずこの2つをよく知らないといけないという著者の 考えから、本書は古代ギリシアの思想(ホメロス、ギリシア悲劇、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど)についての 説明と、ヘブライの信仰(ユダヤ教の成立、キリスト教)の説明にその多くを割き、その後のヨーロッパの思想の展開について 説明を加えていきます。入門書でありながら、一読しただけでは内容を理解できていない私は一体・・・。とおもったら、 ネット上の書評や読書感想を述べたサイトを色々見てみると同じような感想を抱いた人が他にも何人かいたようです。 「ジュニア新書」だからといって大人には読むに耐えないものだと思わぬ方が良いでしょうし、この内容が理解できたら かなり哲学や思想についての理解がしやすくなるだろうなとおもいます。

    岩根圀和「物語スペインの歴史」中央公論新社(中公新書)、2002年
    (同) 「物語スペインの歴史 人物編」中央公論新社(中公新書)、2004年

    かつて「太陽の沈まぬ帝国」とも呼ばれたスペインの歴史について、イスラム勢力による支配とレコンキスタ、そして スペイン史上重要な出来事であったレパントの戦いと無敵艦隊の敗北についてまとまった記述が見られる「物語スペインの 歴史」と、スペインの歴史上、様々な時代や活躍分野からエル・シド、ファナ、セルバンテス、ゴヤ、ラス・カサス、ガウディ を選び出して彼らの生涯を書き出した「物語スペインの歴史 人物編」があります。もっとも近現代まですべてを書いた歴史 の本ではなく、もっぱらスペインが歴史上その名をヨーロッパにとどろかせた時期にしぼられていますが、それはそれでよい と思います。

    ちなみにこの2冊を読むと、ドン・キホーテの著者セルバンテスについて色々なことが分かってきます。レパント で負傷し、その後捕虜となって度々脱走を試みたり、帰国後も生活は苦しく、周りからさんざん嫌われ苦労しながら小麦や オリーブ油をあつめて無敵艦隊に供出していたり、バリャドリード引っ越し後に自宅近辺で起きた殺人事件にまきこまれ、 そこから彼の生活ぶりが分かってくるなど、セルバンテスについては色々なことが分かってくる2冊です。

  • 最上部へ
    ウー・ミン(さとうななこ訳)「アルタイ」東京創元社、2015年
    物語は16世紀のベネチア、主人公は出自がユダヤ人であることがばれてしまい、追われる身となってしまいます。紆余曲折 をへて彼がたどり着いたのは繁栄の時代にあるイスタンブル、そこでユダヤ人の有力者ヨゼフ・ナジから、さまよえるユダヤ 人のための新たな王国を建設しようという壮大な計画を持ちかけられます。

    大宰相ソコルル・メフメット・パシャなど敵対する勢力とのぎりぎりのやりとりの末、新たな王国を築くべくキプロス島攻略 のために軍を動かさせることに成功しますが、はたして王国は建設することはできるのか、そして主人公はどうなるのか、、、。

    「Q」に出てきたある人物達が続けて出てくるので、「Q」の続編のような感じもしますが、これだけで独立した話となって います。キプロス島の壮絶な戦いの後、クライマックスとも言うべきレパントの海戦に突入していきますが、なかなか苦い後味 の物語に仕上がっています。

    アザリーン・ヴァンデアフリートオルーミ(木原善彦訳)「私はゼブラ」 白水 社、2020年
    独学・反権力・無神論の三つの柱を掲げ、文学以外を愛してはならないと言う家訓のもとにそだった主人公、「文学バカ」という言葉が ぴったりに合う彼女は自分が家族とたどった亡命の旅を逆から進んでいこうと考え、それに着手しようとします。しかしその過程で出会った 一人の男との間はどうにもうまくいかず、彼女自身も文学至上主義的状態からなかなか抜け出せず、、、。ドン・キホーテをモチーフにした ようなところが感じられますが、正気に戻って死んでいったドン・キホーテのようになったのかどうかは判別しかねるところはありますが、 この主人公はSNS全盛の今に生まれたら、その世界にどっぷりと浸ってそこから出てくることなくある意味幸せに生きられるのかもしれない ですね。

    ボリス・ヴィアン(野崎歓訳)「うたかたの日々」光文社(古典新訳文 庫)、 2011年
    裕福な青年コランはクロエという美しい女性と恋に落ち、結婚します。しかしクロエは肺の中で睡蓮が育つという奇病に冒され、 それにたいしては花を買って周りに置いておく必要がありました。やがてお金が無くなったコランはいままではしてこなかった 様々な仕事をすることになるのですが…。

    随所に鏤められたなんとも不思議な場面がつづきます。彼らの境遇の変化に合わせてサイズが変化する居住空間、つぎつぎと 折り重なって死んでいくスケート場の人々、そして退くとカクテルができあがるピアノ等々、かなり変わった感じの描写が 次々と出てきます。悲恋というほどにはクロエの存在感を感じなかったのですが、何とも不思議な読後感が残った話でした。

    エリック・ウィリアムズ(川北稔訳)「コロンブスからカストロまで I II」岩波書店、2000年
    コロンブスの到達以降、スペイン、フランス、イギリスがカリブ海地域にやってきてこの地域を植民地化していきます。 また20世紀にはアメリカがこの地域へ進出してきます。列強に征服・支配されてきたカリブ海地域はヨーロッパの交易市場、 原料供給地として近代ヨーロッパの成立に経済面から大きな影響を与えてきた地域であることがよくわかります。著者の ウィリアムズはトリニダード・トバゴの独立運動を指導し、独立後は共和国の首相として活躍した人物であり、カリブ海 地域の連帯を常に考え続けた人物ですが、そのような視点は本書の随所にも見ることができます。単なるカリブ海の歴史書 としてではなく、コロンブスの来航以来ヨーロッパ、アメリカ合衆国といった外部の勢力に経済的に従属させられてきた カリブ海地域の歴史を総括したうえで、これから(原書が書かれたのは1970年)のカリブ海世界のあり方を模索していこう という意図が窺えます。

    ジョン・ウィルズ(別宮貞徳監訳)「1688 バロックの世界史像」原 書 房、 2004年
    通常世界史の本というと、古い時代から新しい時代までを順番に書くという形が取られているようです。世界を“タテ”に 切って、それをいくつもまとめて世界史にしていくという感じになります。一方この本は縦割りの各国史の寄せ集めではなく、 “ヨコ”に切ってみていく、すなわち、ある時点で世界を横に切ってみていくという形になります。ある特定の時期に、世界 ではどのようなことが起きていたのかをかいていくことになり、通時的ではなく共時的な世界史を試みています。そして 本書で扱っているのは1688年、日本で言えば元禄元年のことをあつかっています。フランスではルイ14世が、中国は清の康煕帝 が君臨し、ニュートンやロック、ライプニッツ、井原西鶴といった人々が活躍する、そんな時代をあつかっています。広い 世界の他の場所では人がどのようなことをやっているのかということは誰しも何気なく考えたことがあると思いますが、その ような思いを一冊の本の形で表した世界史の本です。

    マウリツィオ・ヴィローリ(武田 好訳)「マキァヴェッリの生涯 その微笑の謎」白水社、2007年
    「君主論」の著者として名高いマキァヴェッリの伝記です。フィレンツェ共和国の書記官として、イタリアのみならずヨーロッパ各地 へ使者として赴き、そこで外交交渉に従事したり、フィレンツェで古代世界を範としながら常備軍設立を進めるなど精力的な活動を展開 した前半と、政治の世界を失意のうちに離れざるをえなくなり、さらに肝心なところで運命の女神に見放されたかのようなつきのなさと 著述活動への専念がみられる後半で、公的生活の方ではかなり違いがあるマキァヴェッリも、一個人としては冗談好きで仲間内では中心 となって活動するようなタイプであり、なおかつ女好きで年を取っても若い女の子に恋をしている、そんな一面があったことが窺えます。 そして、著者は肖像画に見られる微笑がなぜあるのかということについても考察していますが、このような色々と大変な人生を送る中で 浮かべるようになった微笑は一体何を意味するのか、それは本書を読んでみましょう。

    上垣豊「ナポレオン 英雄か独裁者か」山川出版社(世界史リブレット 人)、 2013年
    ナポレオンの波瀾万丈の生涯の間に、彼が統治者として一体何を行い、何を残したのか、そして後世にナポレオン伝説がどのように形成 去れいていったのかをコンパクトにまとめた一冊です。軍事面に関心のある人にはちょっと肩すかしな感じもあるでしょうが、ナポレオン の生涯を手っ取り早く抑えるには丁度良い一冊でしょう。

    上田信「シナ海域蜃気楼王国の興亡」講談社、2013年
    20世紀から21世紀になり、2010年代にはいった歴史学の世界では「海域史」というジャンルが流行ってきているようです。それは東アジア でもみられたことで、明の建国から明清交代、清による支配の確立といった大陸部での変動が見られた時期に、海域でも独自の「王国」を 作り上げようとする動きがあったとするのが本書の著者の立場です。

    実際に「王国」と呼べるものだったのかはさておき、この地域での海上での様々な出来事に深く関わった足利義満、鄭和、王直、小西行長、 鄭成功の5人の活動をまとめています。

    上田信「戦国日本を見た中国人 海の物語『日本一鑑』を読む」講談社(選書メチエ)、2023年
    倭寇が猖獗を極めた時代、これに対しどう対応を取れば良いかは明にとってかなり重要な課題となっていました。こんな時代に,日本にわたり、 日本の調査を進めた人物がいました。調査を行った鄭舜功が日本の習俗などをまとめたのが『日本一鑑』です。本書では日本人の生活習慣、 日本刀についてや切腹の作法についてと言った事柄も含めて描き出しています。当時の倭寇対策に関わった人々のその後の寂しさを感じるととも に、 当時の日本の様子の一端が分かる興味深い一冊です。

    上田雄「渤海国 東アジア古代王国の使者達」講談社(学術文 庫)2004年
    かつて「海東の盛国」と呼ばれ、日本とも盛んに交流を持っていた国が渤海国です。しかし渤海のことは過去の密接な交流にも かかわらず渤海のことはあまり知られていないというのが現状です。彼ら自身が書き残した物があまり無いことなどもありますが、 東北アジアに唐の文化を受容し、高度な文化が栄えた安定した国家であったと言われています。本書ではその渤海と日本の交流を 中心に、渤海の使節がどのような船を用いてどのような航路を取ってやって来たのか、渤海の使節に対して日本側が何を求め、どの ような交流を持っていたのかといった事をまとめていきます。渤海の国政などについてはあまり分からないと言うこともあり、この ような記述が中心になっているのですが、渤海の使節と菅原道真ら日本側の文化人による漢詩のやりとり、渤海使節のもたらす毛皮 を日本の貴族がこぞって求めたこと、そんな渤海使節に対する日本の朝廷の対応について書かれています。

    上原誠一郎「ビールを愉しむ」筑摩書房(ちくま新書)、1997年
    著者は日本酒「越後鶴亀」の蔵元であり、かつ日本の地ビール第一号「エチゴビール」の生みの親です。そんな著者がエチゴビールを 作るまでの話からスタートし、そのあとは各国ビール事情やビールの種類、ビール造りの過程、テイスティングと言ったことがまとめ られています。著者のドイツ滞在時の経験やエチゴビールにおけるビール造りの様子がなかなか面白いですし、巻末にはテイスティング 用語集がついているので勉強にもなります。

    ジョヴァンニ・ヴェルガ(河島英昭訳)「カヴァレリーア・ルスティカー ナ他 11編」 岩波書店(岩波文庫)、2002年
    イタリア・リアリズム運動(ヴェリズモ)の代表的な作家ヴェルガが書き残したシチリア島を舞台にした短編小説が収められています。 男女の三角関係のもつれから決闘に至るまでをかいた表題作の他、シチリア島を舞台に過酷な生活を送る下層民を主人公とした小説が 掲載されています。最後に何かしらの救いがあるという感じではなく、きわめて悲惨な結末を迎えている話が次々と出てきますが、 これはあえてシチリア島の社会の厳しさをかなり簡潔な感じで描き出していきます。仰々しく、煽るような感じで悲惨な様子を描くの ではなく、客観的・冷静な筆致で淡々と描かれると、かえって過酷さが増すように感じられます。

    イーヴリン・ウォー(小林章夫訳)「ご遺体」光文社(古典新訳文庫)、 2013年
    ロサンゼルスのペット葬儀会社に勤める主人公が、友人の葬式を頼みに行った葬儀会社のコスメ係に一目惚れ。しかし彼女に対し彼女の 上司も気があり、遺体を扱う人間らしい方法で彼女の気を引こうとします。彼女は彼女で人生相談コーナーに相談して答えを探そうと していたりします。果たしてどうなることか。なんとも皮肉の効いたブラックな話でした。アメリカの社会についてこれでもかとばかり の皮肉、きわめてブラックかつ強烈なオチ…。

    ニー・ヴォ(金子ゆき子訳)「塩と運命の皇后」集英社、2022年
    なんとなくアジア系の要素を感じさせる架空の世界、そこで歴史を記録する聖職者が隠された歴史を記録していく。幽閉された皇后とその後の 出来事の真実はどうだったのかを侍女だった女性が語る表題作と、虎たちにたいして「千夜一夜物語」のような状況で物語を語る一編からなりま す。 歴史を記録し、語ると言うことについて関心がある人はああこういうのあるよなあと思うかもしれません。そして、様々な境界線を軽く越えていく 展開が多々見られます。なお主人公の一人称は原書ではTheyだそうです。

    魚豊「チ。 地球の運動について」(1巻〜3巻)小学館、2020年〜 (連 載中)
    時は15世紀前半、この世界では禁じられた真理とされている地動説を命をかけ探求する人々の姿を描いた作品です。これからどうなるのか楽しみ です。 

    ブライアン・ウォード=パーキンズ(南雲泰輔訳)「ローマ帝国の崩壊  文明 が終わるということ」白水社、2014年
    ローマ帝国の分裂、ゲルマン民族の移動、そして西ローマ帝国の滅亡といったローマ帝国の末期の頃というと、かつては「崩壊」「衰退」と 行った側面から語られていましたが、最近は「古代末期」というとらえ方で古代から中世への変貌が進んだ時代として、プラスの面に目を 向ける研究が増えているようです。ただし少々それが行き過ぎているところもあるようです。そんななかで、あえて「文明」のおわりという 所を強調し、考古学資料なども駆使しながら語って「古代末期」論に対して反論を行っているのが本書です。

    ある一つの時代や地域について、どこに視点を取るのかとによっていろいろな結論が出ると言うことがよくわかりました。単純に白か黒か でだめだしするのでなく、色々と論争しながら、議論が磨かれていくことを注視していきたいですね。

    エヴゲーニー・ヴォドラスキン(日下部陽介訳)「聖愚者ラヴル」作品 社、 2016年
    15世紀ロシアを舞台に、4つの名前を持って生きた人物の生涯を綴った物語です。聖人伝のような体裁で書かれていますが、なんとなく 愛の形がしっくりこないところもあります。あの時代はこういう感じなのでしょうかね。

    ヴィットリオ・ヴォルピ(原田和夫訳)「巡察師ヴァリニャーノと日本」 一藝 社、 2008年
    フランシスコ・ザビエル以降、イエズス会によるキリスト教の布教が日本でも開始され、多くの宣教師たちが日本を訪れています。その 中の一人ヴァリニャーノはイエズス会宣教師が日本の習慣・文化を理解し適応しながら布教を薦めるべきであるとする「適応主義」戦略 を主張し、それを実行しようとした人物です。本書はそのヴァリニャーノの来歴をまとめるとともに、日本における「キリスト教の時代」 16世紀の様子や、日本文化論のような内容も加えられています。比較的軽く読めると思う一冊。

    宇佐美文理「中国絵画入門」岩波書店(岩波新書)、2014年
    中国の絵画というと、顧凱之「女史箴図」とか、北宋徽宗「桃鳩図」、様々な山水画、そういった所を思い浮かべることはあります。 しかし大量に書籍も流通している西洋絵画や日本画と比べると、中国絵画を扱った本は少々目立たないという印象があります。本書は 中国絵画を考える上で「気」と「形」がどのように関わり合いを持ってきたのかという観点からまとめています。

    中国において色々な場面で登場する「気」の概念と、本来形を持たない流動的な「気」を絵画における「形」でどのように表現するのか、 そして気を描くことから描き手の気の表現へと変わっていく過程といったことをまとめています。中国絵画の鑑賞にあたって、絵画の 背後にある思想を本書でとりあえずおさえたら、あとは現物を見ると言うことで良いのではないかと思います。

    牛島信明「ドン・キホーテの旅」中央公論新社(中公新書)、 2002年
    ドン・キホーテといえば、風車に向かって突進したというイメージを多くの人は持っていることと思います。 セルバンテスがその生涯の後半生に書き上げたこの小説は近代文学の源とも言うべき存在であるといわれています。しかし 実際にドン・キホーテを通読した、という人はそれほどいないのかもしれません。邦語訳でもかなりの分量があり、実際に これを読了するにはかなりの時間がかかります。本書は名前は知っていても実際には読んだことがない人に対しても、「ド ン・キホーテ」という小説の魅力を余すところ無く伝えている本だと思います。ドン・キホーテという作品の全体と細部を 読み解きながら、ドン・キホーテについて語るに当たってキリストと比較したり、松尾芭蕉やフーテンの寅さんまでもちだ しながら「ドン・キホーテ」という小説の魅力に迫った一冊です。これを読むと、実際に読んでみたいと思う人も出てくる ことでしょう。

    宇田川武久「真説・鉄砲伝来」平凡社(平凡社新書)、2006年
    通常、鉄砲の伝来については種子島に伝わった後急速にそこから広まっていき、一気に戦い方や城の作りなどを変えていった と言うような説明がなされています。しかしそれに対して実際に残されている鉄砲の現物を見ていくと、細かいところで違いが あり、そう言ったことから種子島から各地に広まったのでなく、各地に色々な形で鉄砲が伝わっていたのではないかという説を 唱えています。また砲術の秘伝書をみていくと狩猟の際の使い方についての説明がかなりあることなどから、当初は狩猟用と して用いられ、それが徐々に戦闘に用いられるようになったのであって、急激に戦い方を変えるような物ではなかったという ことも述べられています。このように従来の通説とはかなり違う鉄砲伝来と普及に関する内容となっている本書ですが、最後の ほうに朝鮮王朝における鉄砲の話が出ており、この部分がなかなか興味深いです。

    内田康太「元老院と民会 共和政末期ローマにおける立法」山川出版社、 2023年
    古代ローマにおける立法過程についてというと、教科書的にはホルテンシウス法のところで民会決議がそのまま法律になるという話を 習うくらいでしょうか。しかし立法過程について近年の通説ではコンティオという集会での意思表示が重視されてきているようです。 それに対して本書は元老院の意向が重要であると言うことを史料の検討を元に改めて示していきます。現在の中等教育の事情や一般書 の事情を考えると、なかなか興味を持って貰うのは難しそうな所ではありますが、プロセスがなかなか面白いと思いました。おどし、 はったり、投獄なんでもありなのかと言う感じがしてしまいます。

    内田隆三「ベースボールの夢 アメリカ人は何をはじめたのか」岩波書店 (岩 波新 書)、2007年
    アメリカにおけるベースボールの成立と普及の歴史(ベーブ・ルースの登場以前)をまとめ、社会学的な分析を加えた本です。 とはいえ、野球の話はなんとなく起源の神話とか共同幻想、都市と地方、男性性と言った社会学的な話題の説明につかえそうだ と思ったから入れているような感じがします。野球の歴史としてみると、何となく色々抜けていそうな感じがしますが、かるく 流し読み程度でも前半から半ばくらいまでは読めるんじゃないかと思われます。後半はまあどうでもいいかと。

    スーザン・ウッドフォード(篠塚千恵子・松原純子訳)「古代美術とトロ イア 戦争物 語」ミュージアム出版、2011年
    「イリアス」というと古代ギリシア人はそれを暗唱できたと言うほど人口に膾炙した作品です。そして「イリアス」に限らずトロイア 戦争に関する物語は後の時代にまで語り継がれています。本書は、そんなトロイア戦争を壺や彫刻などでどのようにして表現しようと してきたのかを、多数の図版を掲載しながらまとめています。図版を眺めているだけでも結構楽しい一冊です(カラーだともっと良い のですが、それはまあしかたないかと)。

    内海愛子「キムはなぜ裁かれたのか 朝鮮BC級戦犯の軌跡」朝日新聞出 版 (朝日選 書)、2008年
    戦争犯罪人というと、東京裁判で裁かれたA級戦犯のイメージが強いのですが、そのほかにBC級戦犯として、各地の戦争法廷で 裁かれ有罪となった人々が大勢いたことは意外と知られていないようです。BC級戦犯として裁かれた人の中には植民地だった 朝鮮半島から動員された人もおり、彼らは連合国からは「日本国民」として裁かれながら、釈放されてからは「外国人」として 扱われました。さらにかれらは故郷では「親日派」「日本の協力者」とみなされ、親族は村八分状態という状態でした。本書は 金完根をはじめとする朝鮮人軍属の生涯を切り口として、日本による植民地支配の様子や、後に連合国から非難され戦時法廷で 裁かれることになる日本軍における捕虜処遇の実態、そして「戦犯」となった彼らの釈放後の生活と戦後補償の問題など、様々な 内容に切り込んでいきます。1冊に盛り込まれた内容は多く、そして重いです。

    冲方丁「光圀伝」角川書店、2012年
    水戸黄門で有名な徳川光圀ですが、実際は諸国漫遊の旅には出ていません。それはさておき、家老殺害場面からはじまり、三男にも かかわらず世継ぎとされたことへの疑問、「義」とはなにかということの探求、史書編纂や詩文への取り組み、その過程での様々な 人との出会いと別れを描き出しています。フルボディかと思いきや、意外とライトな読み応えでした。エンターテインメントとして はいいかなとおもいますが、なんとなく後に残るものはもう少しあれば良かったですね。

    梅原郁「皇帝政治と中国」白帝社(白帝社アジア史選書)、 2003年
    紀元前221年に秦王政が皇帝という称号を採用してから、1912年に宣統帝が廃位されるまで2000年以上にわたって中国では 皇帝による政治が行われ続けた。しかし皇帝による政治といってもその中身は時代によって様々である。本書では皇帝政治 は農業生産が不安定でそのために家族単位でまとまる家父長制社会を作らざるをえなかった中国を統治するために必要なもの としてとらえ、それが発展していった過程を述べている。

    まず秦漢の時代を通じて作られていった皇帝政治があり、五胡十 六国時代に始まる異民族による皇帝政治がそれ以前の皇帝政治を手本にしながら発展して隋唐で頂点を迎えた。しかし唐ま での皇帝政治は皇帝の位そのものが安定せず、外戚や宦官によりおびやかされるなどの状態にあった。その後宋の時代によ り高い段階である君主独裁制に移行したが、元、明代なかばまではそれが混乱してしまった。そして明代半ばに再び宋代の 路線にもどり、それは清の時代に完成を迎えていったという。1日に6キロにも及ぶ書類の束に目を通し決定を下した秦の 始皇帝や一日4時間しか眠らず、地方官一人一人から報告書を出させて目をとしていた清の雍正帝のような皇帝もいれば、 ほとんど政治にまじめに関わらない皇帝も多数いるなど、様々な皇帝がいながらも2000年にわたり皇帝政治が続いた理由を 考える参考にはなると思う一冊。

    浦沢直樹・長崎尚志「MASTERキートン Reマスター」小学館、 2014年
    かつてはSAS所属、今は探偵業、保険会社の調査員をしている考古学徒を主人公とし、主人公を巡る人間ドラマと考古学や歴史学、 そして国際情勢も絡めて描かれた漫画の続編です。20年後の続編と言うことで主人公も歳をとり、背景の出来事もより重苦しさを 増していますが、それでも面白く読めます。果たして文明の起源は判明するのか。

    浦野聡(編著)「古代地中海の聖域と社会」勉誠出版、2017年
    古代地中海世界の社会や人々の考え方について、聖域を切り口として論じた論文集です。扱われているのは古代ギリシア、 ヘレニズム時代、ローマの3つですが、興味深い論文がいろいろとのっています。 

    リュドミラ・ウリツカヤ(前田和泉訳)「通訳ダニエル・シュタイン」 (上) 新潮社、 2009年
    主人公ダニエル・シュタインはポーランド生まれのユダヤ人。そんな彼はユダヤ人虐殺を運良く逃れ、いつの間にかゲシュタポ の通訳になり、情報を流してゲットーのユダヤ人を救おうとしたり、その後逮捕・脱走を経てパルチザンになって戦ったりした あと、戦後はカトリックの修道士になり、イスラエルに移住して活動したという数奇な人生をたどっていきます。本書はそんな ダニエルについて、本人の講演や手紙、彼に直接・間接的に関わった人の間でやりとりされた手紙や文章が並べられていくという スタイルで書かれています。

    ダニエル自身の生涯と、彼に関わった人々の悲喜劇を、様々な手紙や録音テープの起こしなどがつなげられて書かれていくため、 同じ人や出来事が、複数の視点から説明されていき、それが奥行きを与えているような感じがします。

    リュドミラ・ウリツカヤ(前田和泉訳)「緑の天幕」 新潮社、 2021年
    スターリン時代末期のソ連のある学校で、イリヤ、ミーハ、サーニャの3人の少年が同級生となります。今風にいえば「スクールカースト下位層」 の扱いをされてる彼らは親交を深め、さらに文学や芸術への関心を深めていきます。卒業後はそれぞれ違う道を歩みますが、彼らの関係は色々 な形で継続されていきます。そんな彼らと同世代の女性3人をはじめとする様々な人を絡めながら、スターリンの死後からソ連崩壊後までの ソ連時代の様相を描き出した一冊です。とにかく分量の割に読み安くどんどん読み進められると思いますので、是非どうぞ。

  • 最上部へ
    エインハルドゥス/ノトケルス「カロルス大帝伝」筑摩書房、1988年
    フランク王国のカール大帝というと、世界史では彼の西ローマ皇帝戴冠をもって西ヨーロッパ世界の成立と見なすほどの重要人物 です。そんなカール大帝について書かれた本はいくつかありますが、それらの著作の多くで原典となっているのが本書で紹介され ているエインハルドゥス(アインハルト)の「カロルス大帝伝」やカールより少し後の世代にあたるノトケルス(ノトカー)の 「カロルス大帝業績録」です。カール大帝と同時代に生き、彼の宮廷学校で教育にあたり、カールに対する感謝の念をもってローマ の歴史書風に書き上げられたエインハルドゥスの伝記と、カールの子孫に対してカールのことを語るために書き上げられた、中世の 聖人伝風で、時々関係ない話に脱線しているノトケルスの伝記を読み比べられるような形で編纂されています。

    ウンベルト・エーコ(藤村昌昭訳)「前日島(上・下)」文藝春秋(文春 文 庫)、 2003年
    17世紀、太平洋上のどこかの島の側に停泊するダフネ号に漂着したロベルトの前半生と、目の前に見える対蹠子午線の先にある島へ 行こうとする(そして、恐らく失敗したんじゃないかという気がする…)、そのような内容からなる話です。そのような話の中に 物語の舞台となった17世紀(1643年頃らしいですが)、バロック文化の時代の西欧の学術・思想に関する脱線が大量に盛りこまれて います。

    実を言うと私は、この本についてはかなり斜め読みをしながら、所々読み飛ばしながら強引に最後まで読んでいます。そのような、 あまりよい読者ではなかったのですが、色々な読み方が出来そうですし、結末部分についても読んだ人によって色々な想像ができる のではないかと思いました。上下巻の大部分にあたる探求・思惟・妄想を延々と続けていたところから、思い切って行動に踏み出した 後のロベルトがどうなったのかは少々気にはなりますが…。

    個人的には、バロック文化についてある程度知識を入れてから読んだり、読みながら調べたりしていくと、なんとなくで読むのとは 違う楽しみ方が出来たのかなと、強引に結末部分まで読んだ後では思いますが、読んでいるときはそのような余裕は全くなく、訳者 の方が書いているような「疲労困憊」した読書となってしまったのが悔やまれます。

    ウンベルト・エーコ(橋本勝雄訳)「プラハの墓地」東京創元社、 2016年
    幼き日々より祖父より反ユダヤ主義を吹き込まれてきた主人公シモニーニ、かれは文書偽造の才を認められ、スパイ活動にも 関わるようになっていきます。そんなかれが、ユダヤ人が陰謀を巡らせているという文章を偽造し、それがやがて「シオン賢者 の議定書」となっていく、、、、。

    エーコの文学理論や研究、博識を実際に物語作成のためにもりこみながら書かれた本書は色々な読み方をして楽しめると思います。

    ウンベルト・エーコ(中山エツコ訳)「ヌメロ・ゼロ」河出書房新社、 2016年
    イタリアのある出版社で、新しい新聞を敢行するためのパイロット版の作成が始まり、そのために記者たちも集められました。 マスメディアにおいていかにして記事が「作られ」、歪められ、そして広まっていくのかを書く部分と、ムッソリーニの生死を めぐる噂から、現代史の陰謀に迫っていく同僚の話がメインです。

    エーコの遺作となった作品です。イタリア現代史に詳しいと、もっと面白く読めたかもしれません。そして、どのようにしてニュースが 作られていくのか、そしていかにして読者を操作するのかといったことからは、いろいろと考えさせられます。

    越後島研一「ル・コルビュジエを見る20世紀最高の建築家、創造の軌 跡」中 央公論新 社(中公新書)、2007年
    生誕120周年を迎え、2007年5月26日から9月24日には森美術館で回顧展も開かれているたル・コルビュジエは日本の建築家にも強い影 響を 与えた人として知られていますし、上野の国立西洋美術館は彼の作品だったりします。そんなル・コルビュジエの建築は初期のサヴォア邸 と後期のロンシャン教会堂とでは前者が空中に直方体が浮いているような構造なのに対し、後者はこれが同じ人が作ったとは一見したところ 思えないほど姿形が変わってきています。そこにいたるまでの変化の過程を彼が残した建築や絵画を紹介しながらまとめ、最終章では日本 への影響についてまとめていきます。この本を読むまで、新宿紀伊国屋ビルがそんな来歴を持っているとは知らなかったのですが、ちょっと した勉強になりました。

    カタリン・エッシェー&ヤロスラフ・レベディンスキー(新保良明訳) 「アッ ティラ大 王とフン族 〈神の鞭〉と呼ばれた男」講談社(選書メチエ)、2011円
    アジア由来の騎馬遊牧民フン族の存在がゲルマン民族の大移動の引き金となり、ヨーロッパの歴史に大きな変化を引き起こしました。その フン族の王のなかで最も有名なのがアッティラです。本書は、アッティラとフン族について、史料をもとに後に付け加わった伝説や虚構を 取り除きながら、アッティラの生涯や個人、君主や軍事指揮官としてのアッティラについて描き出していこうとします。意外と類書が少ない ジャンルであり、騎馬遊牧民フン族のイメージから騎兵だけしかいないように思いがちなアッティラの軍隊には歩兵が多数存在し、攻城機 もあったことや、アッティラの国家がフン族と諸種族の連合体であったことなど、なかなか興味深い内容も含んでいるので読んでみてもいいかと思 います。

    ロバート・M・エドゼル(高儀進訳)「ナチ略奪美術品を救え 特殊部隊 「モ ニュメンツ・メン」の戦争」白水社、2010年
    ナチス・ドイツによるヨーロッパ各地の美術品略奪に関する話や結構知られています。そのような略奪した美術品を大戦末期に他所に隠して いきました。そうした美術品を探し出したのが、連合軍の編成した特殊部隊「モニュメンツ・メン」です。ヨーロッパ戦線における文化財へ の被害を可能な限り食い止めることを目的に編成された特殊部隊の任務が、やがて独逸の略奪美術品探索にも広がっていき、様々な名品が 発見されてて行きます。本書は「モニュメンツ・メン」のメンバー達を追ったノンフィクションです。

    榎本渉「僧侶と海商たちの東シナ海」講談社(選書メチエ)、2010年
    9世紀から14世紀の日中交流を僧侶の渡航記録をもとに描き出す1冊。遣唐使船に頼っていたものが、やがて新羅の海商の船をつかい、国家の許 可を 取って渡航するようになり、国家の関与が無くなる中で個人で色々なコネを持っている者が渡航し、その際に密航も行われたことなどが述べられま す。 そして、宋・元の時代になると制限が無くなったこともあって渡航者が激増した後、明の海禁政策のもとで僧侶の渡航も断絶するまでをまとめてい ます。
    参考文献表やちょっとした註をつけて欲しかったとは思いますが、まあ、面白い本だとおもいます。

    アントニー・エヴァリット(高田康成訳)「キケロ もうひとつ の ローマ史」 白水社、 2007年
    共和政末期のローマというと、「ローマ史上、唯一の創造的天才」とモムゼンをして言わしめたカエサルの人気が著しく 突出 し ているような 感が否めません。それゆえか、カエサルと違う路線を取った者、彼と対立した者については一概に低くみられるような感がなきにしもあらず というところもあります。しかし、ローマ史について考える際にカエサルの視点だけから見ていたのではやはりどこかしら偏りが出てきてし まうのではないでしょうか。そんなときに助けになりそうなのがこの本です。キケロの政治活動を主に扱った伝記ですが、間には古代ローマ の結婚や共和政の仕組み、キケロの頃のローマ市の構造、ローマの裁判などの話題が組み込まれていたり、カエサル、ポンペイウス、ブルー トゥス、アントニウス、オクタウィアヌスなど共和政末期を彩る有名人から、カティリーナ、クロディウスといった民衆派の扇動政治家 についても色々描かれており、キケロの生涯を通じて古代ローマ史をみると言った本になっています。カエサルと同時代に活躍したキケロの 活動を通じて、共和政のローマをその内部から見つめ直していくことができるのではないでしょうか。

    アントニー・エヴァリット(草皆伸子訳)「ハドリアヌス ローマの栄光 と衰 退」白水社、2011年
    ローマ皇帝ハドリアヌスというと、ユルスナール「ハドリアヌス帝の回想」ですとか、ヤマザキマリ「テルマエ・ロマエ」でご存じの方も いらっしゃるかと思います。本書は、そんなハドリアヌス帝について、ジャーナリストがちょっと踏み込んだ記述ももりこみながら書き上 げた評伝です。

    とりあえず、政治家・軍人としては間違いなく優秀であり、なおかつありとあらゆる事を知りたがり、専門家とも張り合えるものをもって いる人物だと言うことはよく分かりました。しかし、自分大好き・自己中心的な感じもあり、一番でなくては気が済まないような感じも与える 人物です。なかなか厄介な人ですね。

    海老沢哲雄「マルコ・ポーロ」山川出版社(世界史リブレット人)、 2015 年
    昨今実在するか疑われているマルコ・ポーロですが、彼について「東方見聞録」を読み解きながら探ろうとする一冊です。 伝記というより「東方見聞録」の中身を色々と紹介するようなかんじの本になっています。

    江村治樹「戦国秦漢時代の都市と国家」白帝社(白帝社アジア史選書)、 2005年
    戦国時代は中国の歴史上、宋代、近代とならんで都市が著しく発展した時代として知られ、現在発掘されている遺跡の規模 を調べてみても都市の総数および大型の都市(一辺2キロ以上のもの)の数が統一帝国である秦漢時代以上に多く見られます。 では、そのような都市はなぜ発展したのか、都市が現在の中国の領域内でどのような分布を見せるのか、そのようなことを文献 と考古双方の史資料をつきあわせながら描き出していきます。中国における都市の発展について、経済的要因によって発展した とする「経済都市」説と戦国時代の政治・軍事的要因により発展したとする「政治・軍事都市」説がありますが、広大な中国 において都市の発展に関しても韓魏趙のあった黄河流域と斉燕楚秦のあった地域では都市の規模や発展にも違いがあるため、 どちらが正しいとは一概にいえないようです(著者は都市の発展していた韓魏趙のある黄河中流地域で都市が発展した理由として、 交通の要所にあったことから経済が発展し、それに伴い都市が発展したと考えているようです)。

    戦国時代の韓魏趙では、都市は独自に貨幣を発行したり武器の製造を行ったりすることもできる、政治的にかなりの自立を達成した 存在であり、それらの都市では「市」が都市住民の意思を発現する場(ただしあくまで情報の結節点・発信場所としての機能のみ) であったと考えられるようです。そして、秦漢帝国が都市にどのように対処したのかについて、都市を圧政で抑えた秦と当初は規制 を加えたが徐々に緩和していった漢という対比や、漢の時代でも商工業者を抑圧する諸政策が実施された武帝期以降、漢で地方豪族 が台頭する中で都市が衰退した可能性に触れ、最後に、郷挙里選や九品官人法のような評判による官吏任用は、都市の発展を経験す ることによって成立したと論じます。

    後半には秦の時代に関することが色々と載せられています。 始 皇帝 に関する本の 紹介も参照。

    江村洋「カール五世 ハプスブルク栄光の日々」河出書房新社(河出文 庫)、 2013年
    ヨーロッパの大部分を支配したハプスブルク家のカール5世の評伝です。原著はかなり前に出たものなのですが、文庫化されました。フランス に対してかなり評価が厳しかったり、ハプスブルク家びいきが少々鼻についたりと言ったところはありますが、非常に読みやすいです。これを 補完する他の本がなにかあるとよいですね。

    ジョージ・エリオット(小尾芙佐訳)「サイラス・マーナー」光文社(古 典新 訳文庫)、2019年
    若い頃のとある裏切りがきっかけで、人を信じたり人との関わりを積極的に持つことができなくなったサイラス・マーナー。そんな彼の楽しみ は機織りにより得た金貨を眺めることでした。しかしある時彼の金貨は盗まれてしまい、失意の日々を送ることに。しかし彼の元に突如として 一人の幼子がやってきます。これが彼を大きく変えていくことになるのです。

    信仰に裏切られ、貨幣にのみ価値を見出すようになった男が、愛情により救われていくという物語ですが、読み始めるとなかなか面白いです。

    T.S.エリオット(北村太郎訳)「CATS T.S.エリオットの猫 詩 集」大和書 房、1983年
    日本でもロングラン上演中のミュージカル「キャッツ」。そこには様々な個性を持った猫たちが登場し、歌い踊っていた りし ま す。その ミュージカルの元ネタとなったのがT.S.エリオットが書き残した猫に関する詩集でした(中には詩集に載っていない猫もミュージカルには でてきたりするようですが)。出てくる猫が皆なかなか個性的な猫たちで、こんな感じの猫っているよなあと思う物もちらほらと…。

    リュドミーラ・エルマコーワ(監修)「はじめに財布が消えた 現代ロシ ア短 編集」群像社、2019年
    ある編集者の身の回りにあるものや人が次々に消えていく、そして彼の身の回り者を次々に消していく謎の存在が、、、。編集者 の仕事をメタフィクションな感じで描き出した表題作をはじめ、虚実ない交ぜになったような、いつの間にか別の世界に踏み込んで いるような作品が多く収録されています。現代ロシアで小説を書く様々な人々の作品が掲載されています。また、ジェンダー的な視点 が結構感じられる作品が多いところも今の時代ならではと言ったところでしょうか。駄目な男よりコチョウザメのほうが意思疎通が はかれそうと言うのは、なかなか厳しいものがあります。

    アン・エンライト(伊達淳訳)「グリーン・ロード」白水社、2022年
    アイルランドで生まれ育った4きょうだいが,ある年のクリスマスに母親に呼ばれ一堂に会することに。それ以前の彼らは皆様々な道を歩んで おり、きょうだいとはいっても全く違う世界で生きています。それが一堂に会し、母親が家を売ると宣言してから子ども達の状況が色々と 動き出しはじめます。家族の結びつきは強いのかはたまた弱いのか、色々と考えさせられるところはありますし、年月が経っても人は変わる ところもあれば変わらないところもあるということを感じさせる本です。

    閻連科(谷川毅訳)「黒い豚の毛、白い豚の毛」河出書房新社、2019 年
    身代わりに逮捕されることで、どうしようも無い現状から脱出しようとした男の運命を描いた表題作、男らしさを見せる、ただそれだけ のために殺人を犯すことになる話や、がんばって牛を自分のものにしようとした少女をまちうける不条理な結末等々、中国の農村社会の 生きづらさを描いた作品があるかと思えば、軍隊生活の不条理を描いた作品もあるなど、現代中国の一面が描かれている短編集です。 最後の2つは信仰にまつわる話ですが、信仰と政治や社会のあり方にどういう風に折り合いを付けていくのでしょう。

  • 最上部へ
    笈川博一「古代エジプト 失われた世界の解読」講談社(学術文庫)2014年
    日本では古代エジプトについてはかなり人気はあるようで、エジプト関連の展覧会も多く開催され、またエジプトのピラミッドやミイラ、 王家の谷のファラオ達、ツタンカーメン、「死者の書」等々、様々な事柄について触れた本が出ています。本書も原書は中公新書でかなり 前に出て古代エジプトの本ですが、多くの本が歴代ファラオの治績など王朝の歴史・政治史をまとめたようなものがおおかったなかで、 このような宗教や文化にかなり重点を置いた本を出したのは意味があったと思います。今でこそそういう所にも目がむきつつありますが、 なかなか面白い一冊です。文庫版が出たところで読みなおしてもいろいろと楽しめるのではないでしょうか。

    オウィディウス(沓掛良彦訳)「恋愛技法 アルス・アマトリア」岩波書 店 (岩波文 庫)、2008年
    今も昔もどうやって彼女を作るのか、うまいことやっていくのかと言うことについてさまざまなやり方が説かれていま す。本 書 は古代ローマ 時代に描かれたハウツー本で、いかにして男が女を手に入れ、関係を維持するのか、女が男を手に入れるにはどうすればよいのか、そのような 事柄を、神話や古典、歴史的な出来事を交えながら「恋愛の技法」について説明していきます。粘り強くとか、甘い言葉や贈り物とか、身だし なみに気をつけるとか、そのような内容が延々と続くわけですが、これを読んでいると今も昔もあまり変わらないなあという記がしてきます。

    大石学「新選組 「最後の武士」の実像」中央公論新社(中公新書)、 2004年
    2004年の大河ドラマ「新選組!」の時代考証を担当された大石学氏による新選組の通史です。新選組というと、時代 にと り 残された剣客集団といったイメージが強いようです。様々な小説などの媒体を通じてそのようなイメージが作られていますが、 本書で書かれる新選組はそのような物とはかなり異なります。一部の人間の主観はさておき、新選組という組織自体は幕末 の幕府による改革路線の歴史の中に位置づけることが可能であるという描き方や、江戸時代の江戸と多摩の関係に関する 記述など、なかなか面白い所を扱っている本です。

    大内宏一「ビスマルク ドイツ帝国の建国者」山川出版社(世界史リブ レット 人)、2013年
    19世紀後半のドイツ統一の立役者、その後の巧みな外交、そういったことがビスマルクというと良く取り上げられています。本書では、 ビスマルクがどのような状況のもとでプロイセンの指導者となることができたのか、どのような状況がドイツ帝国建国を可能としたのか、 彼が作り出し指導した国家がどのような性格のものでどのような状況を生み出したのか、この3点について答えていくという形をとっています。

    少ないページ数でどこか一転に偏ることなく満遍なくビスマルクの生涯をまとめ、彼の存在をドイツ史・世界史の中に位置づけている一冊で す。 おすすめ。

    大垣貴志郎「物語メキシコの歴史 太陽の国の英雄たち」中央公論新社 (中公 新書)、 2008年
    メキシコの歴史というと、古代マヤ文明やアステカ帝国やスペインによる植民地化といった辺りは比較的知られているで しょ う し、 人によってはメキシコ革命のあたりなどを知っている人もいるかもしれません。しかしメキシコの歴史についてはそれほど詳しく 知る機会はあまりないようです。本書は古代文明から現代までのメキシコの通史で、独立の辺りからは人物についての話を多めに しながら、独立に向けての動き、独立後の保守派と改革派の対立、ナポレオン3世のメキシコへの介入、そしてメキシコ革命の 経過と現代メキシコについてまとめています。

    大木毅「「砂漠の狐」ロンメル」KADOKAWA(角川新書)、 2019年
    第2次世界大戦中、ドイツ軍で活躍したロンメルというと、「名将」としてよく取り上げられる事が多い人物だと思います。 第二次世界大戦ではフランスへの侵攻作戦において装甲師団を率いて活躍し、さらに北アフリカ戦線での連合軍との死闘など で知られ、最後はヒトラー暗殺計画に関与したとされ、自殺においやられるという悲劇的な死を迎えた所等々、惹きつけられる 要素は色々とあります。

    しかし、彼についての研究が海外で色々と進むなか、日本では最近のロンメルについての研究動向を反映した本がなかったよう です。本書はそういった隙間を埋めてくれる評伝となっています。非プロイセン、非貴族で正規の将校育成過程で学ぶことが 出来ず、傍流を歩まねばならなかったロンメルが上昇するには戦場で功名をあげることにこだわっていたことや、ヒトラーに 接近することで高みに登り、最後は破滅に至ったこと、そして傍流出身で正規の将校育成課程にいけなかったことが、徐々に 戦略的判断を求められるような状況が増加するなかで彼の指揮官としての限界を露呈させていったことなどが書かれています。

    師団長としては最高だが、それ以上の地位で働くには資質にかける(特に補給を軽視したことや軍の犠牲のこと)、時には ヒトラーの命令を無視しても対手を尊重する騎士道精神を持っていたこと等々、ロンメルをどう評価するのか難しい話が 色々と出てきます。

    大木毅「独ソ戦」岩波書店(岩波新書)、2019年
    第二次世界大戦において、独ソ戦は壮絶な展開をたどった戦いでした。ソ連側死者が2700万、ドイツ側も数百万と言うレベルで死者を 出しているだけでなく、占領地における親衛隊や国防軍による残虐行為の数々と、大戦終盤、ドイツに侵攻したソ連軍による暴虐、 またどちらも自分の占領地域において社会の指導層となり得る人々に対する残虐行為、捕虜に対する過酷な取り扱い等々、凄惨な 状況を物語る出来事は枚挙に暇がないといってもいいでしょう。

    本書は、純軍事的な事だけでは理解できない独ソ戦について、その前段階となる作戦計画の立案や当時のドイツやソ連の状況、戦争 の展開、そしてこの戦争の性格といったものをコンパクトにまとめていきます。独ソ戦を軍事的合理性の範囲内の「通常戦争」、 ドイツ国民への負担を軽減するため他国の農産物や資源、さらには労働力となる人間も奪っていく「収奪戦争」、敵と見なしたもの の絶滅を目指す「絶滅戦争」という3つの戦争の絡み合い具合の変化が描かれています。3つの戦争が徐々に重なり合い、やがて戦況 が悪化する中で「絶滅戦争」の性格が強まり、そのなかに前2つが吸収され、「絶対戦争」へとなっていく様子がまとめられています。 独ソ戦について、まず読んでおくべき本でしょう。

    大木康「『史記』と『漢書』 中国文化のバロメーター」岩波書店、 2008 年
    中国の歴史書というと、司馬遷の「史記」が有名です。しかし、中国においては当初は「史記」はそれほど評価は高くな く、 そ の後に 書かれた「漢書」の方が評価が高かったと言われています。本書は「史記」と「漢書」の違い(儒教に対する距離感)、それを書いた 司馬遷と班固の生涯、両著作がどのように読まれてきたのかといったことをまとめ、さらに司馬遷の執筆姿勢や班固による人物評価など 内容にかんすることも少し書いています。もうちょっと内容についての話が多くても良い気がします。

    大黒俊二「嘘と貪欲 西欧中世の商業・商人観」名古屋大学出版会、 2006 年
    歴史上、商人や商業を一段低く見ていた時代というと中世ヨーロッパは良くその事例として出てきます。中世ヨーロッパ では 徴利禁止や公正価格という原則があったり、貪欲な利潤追求は悪とされていた時代でした。そんな中で商業や商人も低く見ら れていましたが、中世は商業や商人に対する桃の見方が変わっていく転換期でもありました。

    本書ではスコラ学者たちの中で 商業・商人を肯定する論理がどのように現れてきたのかということを主にオリーヴィというフランシスコ修道会会士の思想や 著作にみられる徴利や公正価格についての考え方をとりあげながら、どのようにして徴利禁止を克服し、商業や商人を肯定する 事が可能となっていったのかということを探り、実際に民衆に対して説教を行うフランシスコ修道会士がどのようにして商業や 商人を肯定したのか、また彼らはなにを語りなにを語らなかったのかと言うことを取り上げていきます。そして、「清貧」を モットーとするフランシスコ修道会会士からなぜ商業や商人を肯定する論理が登場し、さらに彼らが中心になって「モンテ・ディ・ ピエタ」という低利で営まれる質屋が作られていったのかということを論じていきます。

    「貧しき使用」(最低限度のものを使う事は許される)というところから商業や商人を「必要と有益」という視点から擁護する論を 展開し、モンテ設立も「貧しき使用」に由来する物であること、貨幣の「種子的性格」から投資貸借による利益を容認していく等々 のフランチェスコ会系の思想が西欧の経済観に影響を与えているという事が示されていきます。また、実際に商業に従事する側の人々 がどのような考えをもっていたのかと言うことに関して、徴利禁止について最後まで学者や聖職者が認めなかった消費貸借(金利取得 のみを目的にした貸借)についても為替を隠蔽手段として乗り越えていく様子や、一方で彼ら自身はそれを徴利でないと思いこもうと していた様子が示されていたり、「必要と有益」が商人自身の手で表現されるときには新たに「愛と統合」(商業を通じて人々を結び つけること)という要素が加えられていったことが当時の商業文書から示していきます。このように様々な方向から中世西欧で商業・ 商人に対する見方がどのように変わっていったのか、そして徴利禁止論や公正価格といったものにどのように向き合っていったのかを 興味深い史実を示しながら論じていく本であり、なかなか興味深い本であると思います。

    大阪大学歴史教育研究会(編)「市民のための世界史」大阪大学出版会、 2014年
    歴史研究もいろいろと進んできており、世界史の見方についても新しい視点が色々と提唱されています。しかしそのような視点を 踏まえて書かれた通史となると以外とないのが現状です。「欧羅巴中心主義」でない新しい視点でまとめてみようという試みを 形にしたものが本書です。大まか流れや世界史の枠組みを把握するには丁度良い感じの分量です。今後、新しい世界史の通史を 作る際のたたき台には丁度良いかなと思います。

    大澤武男「ローマ教皇とナチス」文藝春秋(文春新書)、 2004年
    地上における神の代理人にして使徒の頭ペトロの後継者、全世界約5億人の信徒の長であるローマ教皇は信者の尊敬を集 める 存在です。1939年から1958年までローマ教皇を努めたピウス12世もまた高潔な人柄、職務熱心な態度から人々の尊敬を集め、 聖者に列しようとする人々がいるほどの教皇でした。しかしそんな彼にも一つ大きな問題があります。ナチスによるユダヤ人 虐殺に対してドイツおよび各地の聖職者や信徒達の抵抗を抑える側に回り、ユダヤ人虐殺を一切止めようとせず「沈黙」して いたという事です。本書ではピウス12世の生涯をたどりながらなぜ彼がそのような行動を取ったのかと言うことを考察してい きます。

    当時の反ユダヤ主義思想の流行や共産主義の脅威といった風潮のなかでピウス12世はナチス政権との関係構築に積極的であり、 共産主義へのおそれからナチス政権を支援したことや、ナチスの教会への攻撃を避けたいと言う思い、彼個人のドイツへの親愛 の情がナチスによる蛮行に対して教皇が沈黙し続けた理由として考えられています。しかしなによりもユダヤ人を虐殺した ナチスのみならず、彼らを救う力を持っていた連合国側や教皇庁の中にも反ユダヤ主義が程度の差こそあれ存在したことを指摘 し、ひいてはヨーロッパ・キリスト教世界の歴史的体質がこのような悲劇をもたらしたと結論づけます。個人的には迫害される ユダヤ人に同情しつつも反ユダヤ思想はピウス12世の心の中に存在し、上記のような背景と併せてローマ教皇がユダヤ人迫害を 黙認し続けることになった様を見ると、力を持つ者がそれに付随する責任を果たそうとしないことの問題を色々と考えさせられ ます。

    大澤正昭「妻と娘の唐宋時代」東方書店、2021年
    中国史の分野でも、女性の歴史について扱う本が段々と増えています。本書は著者の専門とする唐、宋時代の女性について、史料をもと にしながら、農作業や商業に従事したり、地域社会のボス的存在となっていた女性の存在や、この時代の結婚や家族構成、財産を巡る 扱いなどをまとめています。中国史におけるジェンダー研究についての先行研究のまとめもついており、興味関心のある人はそこから 色々たどれるのではないでしょうか

    大清水裕「ディオクレティアヌス時代のローマ帝国」山川出版社、 2012年
    ローマ帝国の歴史において、ディオクレティアヌスの時代は様々な改革が行われ、地方の支配に関してみても、属州細分化、地方の都市 に対する管理統制の強化といったことが挙げられています。しかし実際の所どの程度のものだったのかはあまりはっきりしないようです。 ローマ帝国西部を舞台として、そこに残された碑文からディオクレティアヌス時代及びその前後のローマ帝国と都市の関係を読み解いて いくのが本書です。帝国西部で、都市は一方的に統制される存在ではなく、都市のほうで、彼らが置かれた政治的状況に巧みに対応して いたこと、ディオクレティアヌスの時代においても都市が極めて重要な存在であったこと、一方で帝国西部では帝国中央に対する関心が 低下する傾向にあったのではないかという推測が示されています。

    大城道則「古代エジプト文明 世界史の源流」講談社(選書メチエ)、 2012年
    古代エジプトの歴史というと、ナイル川の流域で完結している文明の歴史というイメージが強いようです。しかし本書では古代エジプト文明と 外部世界の間に生じた交流や衝突、文化の受容と言ったことを取り上げていきます。扱われているテーマを見ると、ミノア文明やヒクソス、 ヒッタイト、「海の民」、アレクサンドロスや古代ローマ等が広く扱われ、その他アクエンアテンのアテン神信仰などについても取り上げて います。各章の内容がなかなか興味深い事柄なので、もう少し深く掘り下げて書いてみても良かったのではないかなと思う所もありました。

    大城道則「ツタンカーメン 「悲劇の少年王」の知られざる実像」中央公 論新 社(中公新書)、2013年
    黄金のマスクなどの豊かな副葬品がほぼ手つかずの状態で発見されたことで一気に有名になったツタンカーメン王。しかし彼の出生や血縁関係、 そして19歳前後というかなり若い没年とその真相などは未だによく分からないままで残されています。本書ではエジプト史の一大転換期とし て 彼の時代をとらえ、彼の死後の後継者を巡る動きやアマルナ時代のその後への影響などにふれていきます。やや著者の推測による部分が多い ようにも感じますが、資料が少ないとなかなか難しいのでしょう。

    大城道則「神々と人間のエジプト神話: 魔法・冒険・復讐の物語」吉川弘文館、2021年
    長い歴史を誇る古代エジプトにおいては、文学作品のようなものも発見されています。その中からいくつかを選び、翻訳と解説を加えたのが 本書です。魔法の書を探す話や、神官の航海物語、何度もしぶとく生き返る男などなど、神々や王、神官や庶民を登場人物とする物語の数々 はなかなか興味深いです。

    ポール・オースター(柴田元幸訳)「リヴァイアサン」新潮社(新潮文 庫)2002年
    自由の女神像を次々と爆破する連続爆破犯は、かつて自分のよく知る人物だった。かれがなぜ爆破犯になっていったのか、彼を取り巻く様々な 人の人間模様もからめながら描き出していく。思わぬところで人のつながりがあり、爆破犯になっていく過程が、複数の物語を並行させつつ 描かれています。また、同じ出来事も人によって語ることが違っており、「私」がかたる真相とは違う何かがあるのではないかとも思いながら 読んでいました。

    太田敬子「ジハードの町タルスース イスラーム世界とキリスト教世界の 狭 間」刀水書 房(世界史の鑑)、2009年
    古代史に登場するタルソスは7世紀のイスラームによる大征服によりキリスト教世界とイスラーム世界の境界地帯に位置 する よ うに なります。そのため、この町は8世紀から10世紀にかけてビザンツ帝国との最前線に位置し、「ジハード」の拠点として重要な都市 となっていきました。本書ではタルスースの8世紀から10世紀の歴史をまとめるとともに、タルスースの町はジハードのために特化 した面がある(要塞化しており、戦士を泊める施設(中には民間人の寄進によって出来た物もある)があったり、正規兵・志願兵・ 奴隷兵のみならず住民も戦う)、ビザンツ境界域の歴史の中でタルスースが持つ位置づけられるのかといった内容を含んでいます。

    行政官としては受け入れを拒んだ人物でもジハードの戦士としては受け入れる所など、タルスースの住民がジハードに重きを置いて いたこととがうかがえる記述があったり、アッバース朝やトゥールーン朝に対して自立的な動きを見せて素直に従わなかったりする 様子が書かれています。また、滅多に見ることのないトゥールーン朝の動向にも触れていたりします。ビザンツによる占領以降の話 は範囲外ということで出てきませんが、同じ町をビザンツ帝国がどのように扱っていったのかが何となく気になりました。

    太田敬子他(著)「十字軍全史」新人物往来社(ビジュアル選書)、 2011 年
    一括紹介(その3)に掲載

    太田敬子「十字軍と地中海世界」山川出版社(世界史リブレット)、 2011 年
    一括紹介(その3)に掲載

    大谷敏夫「魏源と林則徐」山川出版社(世界史リブレット人)、2015 年
    アヘン戦争というと必ず出てくる林則徐と、この時代に活動し「海国図誌」をチョして幕末日本にも影響を与えた魏源、 本書では林則徐と魏源の生きた時代の背景を説明、さらにその後に林則徐の生涯と魏源の生涯に1章ずつをさき、最後に 彼らが後の時代に与えた影響をまとめています。

    ジュリー・オオツカ(岩本正恵・小竹 由美子訳)「屋根裏の仏さま」新潮社、2016年
    日本からアメリカに嫁いだ女性たち。彼女たちはアメリカで苦難にみまわれながらも働き、子を生み育てながらいきていきます。 しかし戦争の勃発により、強制収容所へと送られることに。

    そのようすを、「わたしたち」という主語で一人一人の語りを積み重ねながら全体像を描き出す手法で表現された、ずっしりと 重い物語です。

    大月康弘「帝国と慈善 ビザンツ」創文社、2005年
    古代から中世へと移り変わる中、かつて都市の有力者達がになっていた社会福祉的な事柄は、彼らがそういう活動から手を 引く中、誰がになうようになったのか。ローマ帝国を継承したビザンツ帝国でそれをになったのは教会付属の施設でした。 慈善事業をになう教会に対し国家が法により特権を付与していたり、小土地所有者達が大土地所有者である修道院に進んで 寄進を行っている様子が窺えたりと、国家対教会・修道院といった対立構図と違う姿がみられます。社会経済史的な面で 通説的な理解に一考を迫るような一冊です。

    大月康弘「ユスティニアヌス大帝」山川出版社、2023年
    ローマ法大全の編纂や再征服戦争、ハギア・ソフィア聖堂の再建といった世界史でもよく出てくる事業をおこなったユスティニアヌスの コンパクトな伝記です。本書ではそういった事柄はもちろん触れていますが、当時の社会や経済活動のあり方、そして教会による慈善活動 のあり方と皇帝の関わりにもふれています。ややユスティニアヌスに対して肯定的というか甘いかなという印象を受ける締めですが、 彼の生涯や業績をコンパクトにまとめています。そしてテオドラの存在感の大きさを感じさせる内容です。

    大月康弘「ヨーロッパ史」岩浪書店〔岩波新書)2024年
    前半は著者の専門とするビザンツ帝国に関連する内容であり、ユスティニアヌス、カール大帝、オットー大帝、バシレイオス2世など、 「大帝でたどる中世ヨーロッパ史」という趣もある内容でした。ビザンツと周辺勢力の関係や認識、帝国周辺の歴史や地理に関する 百科全書的な「帝国の統治について」など,興味深い項目も見られます。後半の近代パートについては正直なところなんだかよく 分からないというところですが、ヨーロッパの歴史の根源をローマ帝国(ビザンツ帝国)とキリスト教にもとめた本なのだろうなと 思います。

    大戸千之「歴史と事実」京都大学学術出版会、2012年
    歴史を書くとはどういうことなのか、古代ギリシア世界のヘロドトス、トゥキュディデス、ポリュビオスの3人をとりあげ、 彼らの叙述について検討し、歴史を書くとはどういう意味があるのかを考えていこうとする本です。終盤のほうは歴史と フィクションの関係に関心がある人が読むと面白いと思いますし、古代ギリシアの歴史家3人それぞれの個性がきわだち、 なかなか興味深い一冊でした。

    大西泰正「前田利家・利長」平凡社、2019年
    金沢というと「加賀百万石の城下町」といわれたり、「加賀百万石の伝統と文化」というのが石川県観光の売りにされたりすることが よくあります。その「加賀百万石」の藩祖とされるのが前田利家であり、利長がその後を継ぎ発展させていったという理解でしょうか。 しかし、前田家が豊臣秀吉のもとで大名として成長していくなか、どのような支配のしくみをとっていたのか、利家と家康など他の大名 の関係はどうだったのかといわれるとなかなかよく分からないところがあります。この辺りは、史料の残存状況にもよるようです。

    本書では、前田利家、利長のもとでどのような領国支配が行われ、家臣団編成がどのようなものだったのかなどを明らかにするとともに、 前田利家に関する事柄には後世の創作が結構含まれていることが示されていきます。秀吉の手紙、利家の遺言状が原本がなく史書にのみ 残されているが、それらは何れも後世に意図的に創作されたものであること、そして加賀前田家にとり危機的瞬間ともいえる「北国征伐」 についてもそれ自体が存在しないという事が語られています。「加賀百万石の開祖」としての利家や利長ではなく、「豊臣大名として」 成長する利家、利長の姿を描こうとしているように思える一冊です。織田信長、豊臣秀吉との縁の近さがものをいったというところでしょうか。

    大沼由布、徳永聡子(編著)「旅するナラティブ」知泉書館、2022年
    旅を扱った文学や書物は多数ありますし、様々なモノの移動というものもどの時代でも見られたことです。本書では中世のイングランドの事例 を取り上げ、残された旅行記や聖人伝の記述を分析しながら人々の移動にかかわる思想や事情をみつつ、移動が何をもたらしたのかを考ええたり、 さまざまな形の移動とアイデンティティや文化形成の関わりをみていくもの、精神的な移動やモノとしての本の伝播と来歴と言ったことが扱われ る論文が掲載されています。

    大庭脩「木簡学入門」志学社、2020年
    中国の歴史研究において、発掘によって見つけられた木簡によりえられた知見をもとに、古代史の記述がより豊かになっていることは間違いない でしょう。本書は木簡の特徴や発掘の歴史、そして居延漢簡をもとに、漢の辺境地帯における兵士の日常や対匈奴の関係をえがいていきます。 墓の出土品として法律書や色々な文献が出てくることで、いままで偽書扱いされていた本の存在が確認できたり、法律書が見つかることから秦 の 法による支配の一端が分かったり、木簡を通じて分かるところの面白さが伝わる一冊です。

    大橋幸泰「検証 島原天草一揆」吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)、 2008年
    島原天草一揆(島原の乱という呼び名はいくつかの理由から採用しないと明言しています)について、相反する内容の矢 文が 存 在 することや、原城発掘の成果をもとにまとめていった本です。 島原天草一揆に参加した人々は熱心なキリスト教信者もいれば仕方なく改宗して加わっている者もいた事や、原城籠城についても 殉教のためでもあり生存のためでもあった事、女性の一揆参加者男性からは客体とみられるなか主体的に関わる女性もいた事、 島原天草一揆が従来の国人・土豪の一揆と近世の惣百姓一揆の過渡期にある事、幕府としてはこの一揆をキリシタン一揆として 終わらせたかったがそれは出来なかった事、一揆のあと「一揆」というものが治者・被治者のどちらにとっても好ましくない言葉 となっていた事などがまとめられています。全体として「多様性」と言うことが強調されています。

    大牟田章「アレクサンドロス大王」清水書院(人と歴史)、2017年 (新訂 版)
    一括紹介その1に掲載

    大村幸弘「アナトリア発掘記 カマン・カレホユック遺跡の二十年」 日本放送出版協会(NHKブックス)、2004年
    鉄を生み出した帝国として知られるヒッタイト、その製鉄の秘密についてかつて迫った大村幸弘氏が発掘を進めるトルコ の カマン・カレホユック遺跡の発掘が現在もすすめられています。そして発掘が進むにつれて、ヒッタイトの鉄についても 新しい発見がなされています。本書は大村氏がヒッタイトの鉄の秘密について迫った前著につづく内容を持っています。 はじめはヒッタイトの鉄の秘密を探るという目的から始まった氏の研究は、やがてカマン・カレホユック遺跡の発掘を通じ て、一大文化編年を作ることへと進んでいき、そのことが着実な前進をもたらしている様子が書かれています。考古学を志す 人は一読してみることをお勧めします。また、ヒッタイトの鉄についても新たな研究成果をもとに仮説を提示しており、前著 を読んだことのある人も読むとより良く分かると思います。

    大村幸弘「トロイアの真実 アナトリアの発掘現場からシュリーマンの実 像を 踏査する」山川出版社、2014年
    シュリーマンがトロイアを掘り当て、トロイア戦争およびトロイアは叙事詩の作り事ではなく実際にあったのだといわれるようになりました。 しかし、シュリーマンがトロイアだとおもって発掘を進めたヒサルルックは果たして本当にトロイアなのか。本書ではシュリーマンによる トロイア発掘の過程がどのように進められたのかをまとめ、さらにシュリーマン以後におこなわれたヒサルルック遺跡の発掘についてもふれ たり、アナトリアにおける他の遺跡の発掘も取り上げて、ヒサルルックがトロイアなのかを考えていこうとします。

    ヒサルルックをトロイアとする決定的証拠は未だ無い状況ですが、世界遺産にも登録されてしまっているという現実や、多くの研究者が ヒサルルック=トロイアという前提で話を進めているという状況があります。ある一定方向の思い込みが研究にも色々と影響を与えていく ことや、考古学の世界の難しさなどを感じる一冊でした。

    岡美穂子「商人と宣教師 南蛮貿易の世界」東京大学出版会、2010年
    ポルトガル人のアジア貿易への参入は16世紀のことで、マカオを拠点として東シナ海で日本の銀と中国の生糸を商う貿 易を 行っていました。本書では、ポルトガル側史料を大量に用い、南蛮貿易の実態について迫っていきます。また、イエズス会 と南蛮貿易の関係などにも触れています。まあ、そういったところです。

    小笠原弘幸「オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史」中央公論新社(中 公新 書)、2018年
    ヨーロッパ、アジア、アフリカの三大陸にまたがる大帝国を築いたオスマン帝国の歴史を、王位継承、権力構造、統治と正統性といった 観点からまとめた一冊です。最近の研究動向を色々と繁栄しながら、君主の順に、時系列に沿って上記のテーマにそって書いており、 読みやすく面白い通史本です。

    小笠原弘幸「オスマン帝国英傑列伝」幻冬舎(幻冬舎新書)、2020年
    「オスマン帝国」で帝国の通史を書いた著者が、今度は初代オスマンやスレイマンなどのスルタンや、ヒュッレムのような寵姫 だけでなく、画家や建築家、革命家(しかも女性革命家もでてきます)までとりあげた一冊です。政治だけでなく文化、男性 だけでなく女性、そういったところもうまいこと拾い上げて書いており、なかなか興味深い一冊です。またオスマン帝国の歴史 が現代どのように扱われているのかと言うことで、テレビドラマなどの話が随所に登場するほか、コラムの形で、エルドアンに ついても触れています。

    岡田英弘「康煕帝の手紙」中央公論社(中公新書)、1979年
    清朝4代目の皇帝康煕帝は中国史上有数の名君としてしられています。長きにわたる治世の間に清朝の繁栄期を築きあげ た康煕帝の治世において彼と度々争った人物にジュンガル部のガルダンがいます。17世紀中央ユーラシアを舞台に3次に わたる両者の争いの末に勝利したのは康煕帝でした。そのジュンガル遠征について、康煕帝が送った手紙をもとに、ゴビ 砂漠を越えて苦難の末にガルダンを打ち破ることが出来た第1次遠征、モンゴル諸侯を従え、盛大な狩りを行い勢威を見 せつけながら追撃した第2次遠征、そして逃亡するガルダンが病死して決着が付く第3次遠征について、康煕帝の側から ジュンガル遠征について詳しく書いていきます。また、康煕帝の人となりについてはイエズス会宣教師ブーヴェによる 「康煕帝伝」によっても伝えられていますが、彼自身がジュンガル部のガルダンを相手に行った3次にわたる遠征の間に 皇太子に当てて送った多数の手紙からも彼の人柄、皇太子に対する愛情などが強く伝わってきます。

    岡田明憲・他(編)「別冊 環 『オリエント』とは何か」藤原書店、 2004年
    古代文明発祥の地であるオリエントについて、この地に栄えてたペルシアやパルティア、バクトリアの歴史や、マニ教や ゾロアスター教、ミトラス教、ガンダーラの仏教美術といった宗教、さらにアレクサンドロスとオリエント世界やソグド 人ネットワーク、日本との関わりといった諸文化の交流と融合に関して様々な論文が掲載されています。前半の座談会は あまりよくわかりませんでしたが、個々の論文には面白いものもあります。

    岡田泰介「東地中海世界のなかの古代ギリシア」山川出版社(世界史リブ レッ ト)、 2008年
    古代ギリシアとオリエント世界というと、二つは全くの別物で特につながりはない物と見なされてて来ましたし、今でも そう 思う人は多いのではないでしょうか。しかし古代ギリシア文明を見ていくと、ギリシア人たちが東地中海世界で活発な活動を 展開しながらオリエント文明を摂取したことが明らかです。本書では経済的・文化的・社会的なネットワークが張り巡らされた 東地中海世界の中にギリシアも組み込まれており、オリエント諸文化の影響を強く受けながら発展してきたことをまとめています。 建築様式や人体彫像、占いや供儀といったものから、アルファベットや書記システムに至るまで様々な分野でオリエントの影響を 受けていたことがよくわかると思います。そして、オリエントと向かい合う中でギリシア人が独自性を確立したり、戦争で勝った あとは侮蔑的な見方とオリエントに対するあこがれが同居するような物も現れたという内容がまとめられていきます。

    岡田哲「明治洋食事始め」講談社(学術文庫)、2013年
    明治維新により日本の政治や社会は大きく変わりましたが、著しく大きな変化が起きたのは食生活の分野でした。それまで行われて こなかった肉食が解禁され、おおっぴらに肉を食べられるようになりましたが、それまで肉を食べてこなかった日本人にとって肉食 は当初はなかなかなじめなかったものでした。しかしそんな日本人がとうとうとんかつを作り出すまでに到ります。本書では、肉食 解禁からの日本における洋食の形成の過程を描き出しています。

    岡田晴恵「感染症は世界史を動かす」筑摩書房(ちくま新書)、2006 年
    世界の歴史をひもとくと、広範囲にわたって疫病が流行して歴史の流れに影響を与えた事例や、人の交流が進む中で新た な病 気 が もたらされた事例が多数あります。本書では過去の様々な感染症(ハンセン病、梅毒、ペスト、結核、インフルエンザ)の事例を とりあげ、さらに公衆衛生の問題に触れ、最近の鳥インフルエンザおよび新型インフルエンザ流行の危険性についてまとめていきます。

    尾形希和子「教会の怪物たち ロマネスクの図像学」講談社(選書メチエ)、2013年
    ロマネスク様式の教会には、ふしぎな怪物の図像で飾られているところが多く見られます。そうした怪物の図像について、何故教会に 彫られたのか、そしてそれらの怪物はどういう意味があるのかといったことに迫っていきます。教会を飾る怪物たちの図像が可愛らしく、 これは売り方によっては売れるのではないかという気がしてしまいました。

    岡野友彦「源氏と日本国王」講談社(現代新書)、 2003年
    今まで、高校の日本史や日本史の概説書などでは、征夷大将軍になることができるのは源氏だけであるということが通説 であ る ように言われています。確かに源頼朝、足利尊氏は皆源氏ですし、徳川家康は源氏に改姓していますから、そのようなところを みると源氏でなければ将軍にはなれないと思うのがふつうだと思います。また征夷大将軍に任ぜられるとともに国家主権も委譲 されたと考えるのがふつうでしょう。しかしこのような通説に対して真っ向から異議を唱え、通説の修正を試みているのが本書 です。源氏とは皇族が臣籍に下る際に与えられる姓の一つであるけれども、本書では源氏はこれら氏族をまとめた「王氏」の中 でも準皇族として扱われる特別な存在であり、その源氏を束ねる「源氏長者」は王氏を束ねる存在でもあったことが述べられます。 さらに征夷大将軍自体は単なる軍事指揮官であり、「源氏長者」となることにより日本の統治者となれるということが論じられ ています。

    岡本さえ「イエズス会と中国知識人」山川出版社(世界史リブレット)、 2008年
    明末から清の時代、ヨーロッパからイエズス会の宣教師が中国でキリスト教を布教すべくやってきました。彼らはキリス ト教 の 布教のみ ならず、西洋の学問や技術ももたらし、さらに中国の思想や美術をヨーロッパに伝える上でも重要な役割を果たしていました。本書は イエズス会宣教師の中国での活動や中国文化のヨーロッパへの影響についてコンパクトにまとまっています。ブックレットなので、 それ程ディープではないですが、手頃な1冊です。

    岡本哲志「銀座四百年 都市空間の歴史」講談社(選書メチエ)、 2006年
    東京の繁華街のなかでも銀座というと新宿、渋谷、池袋などとは違う雰囲気、重みのような物が感じられます。本書では銀座の 町並みの発展がどのようなものであったのか、江戸時代から現代まで銀座の町がどのように作られ発展してきたのかをまとめて います。著者によると銀座は江戸以来の町人地としてのブロック構成をほぼそのまま街区として現在に伝えている町で、通りや 路地からなる空間構造の骨組みが現在も維持され、それと建築物の関係が守られていることから乱開発が阻止されたといいます。 読むと、何となく銀座を実際に歩いて町並みを確かめてみたくなる一冊です。

    岡本隆司「「中国」の形成 現代への展望」岩波書店(岩波新書)、 2020 年
    女真族による清朝の建国と発展から現代までと言う非常に長いタイムスパンを扱いながら、陸と海、南と北、社会の上層と下層など シリーズの他の巻で扱われていた図式がどうなっているのかを示していく。一寸図式的な感じもする本ですが、その分分かりやすくは まとまっているような気がします。

    岡本隆司(編著)「中国経済史」名古屋大学出版会、2013年
    20世紀末ころより急激な経済発展を遂げ、2010年にはGDPで世界第2位となった中国。中国の経済情勢について様々な分析がなされて います。しかし今の経済状況を見るだけで中国の経済を真に理解することできないという立場から、先史時代から現代に到るまでの 長いスパンでどのようなことがあったのかをまとめていきます。税制や治水、土地制度や農法、土地利用、商人の活動、貨幣などなど 様々なトピックを扱っています。教科書的な本なのかと思いましたが、なかなか刺激的な一冊でした。

    小川英雄「ローマ帝国の神々」中央公論新社(中公新書)、2003年
    古代ローマの神々というと、ギリシア神話の神々とにたようなものというイメージが強く、それらの神々が深く信仰されていた という印象があります。しかし現実にはギリシア、ローマ神話の神々に対する信仰は共和制末期には形骸化し、それにかわって ローマが征服した東方世界の様々な宗教が流行していたといわれています。エジプトのイシス女神、キュベレとアッティス、 ミトラス教といった東方の密議宗教とよばれるものについてコンパクトにまとめられています。またグノーシス主義や占星術 といったものについても説明がなされており、ローマ帝国の宗教事情について大まかな姿をつかむことができる一冊であると おもいます。キリスト教もこれらの東方系宗教の一つとして広まり、やがて社会不安が広まる中で唯一神崇拝への支持が集まり、 ローマ皇帝コンスタンティヌスもそれを支配の道具として利用するようになったということのようです。

    小川剛生「足利義満 公武に君臨した室町将軍」中央公論新社(中公新 書)、 2012年
    足利義満というと、日明貿易を巡る「屈辱外交」、皇位簒奪計画などなどによりあまり評判の良くない人物です。しかし、 中世日本の政治史をみるなかで、彼の存在感は極めて大きいということもまた否定できません。足利義満の朝廷での歩みは その後の足利将軍達もそれに年齢や日程も全く同じように歩んでいくことになり、義満に反発した足利義持ですらそれには 従わねばならなかったくらいです。

    本書では、足利義満が単なる幕府の将軍という位置づけを越え、公家と武家の両方の勢力に君臨する支配者となっていった ことを描いていきます。その際に、有職故実や芸能といったことが取り上げられ、これらの物が政治の場面でも極めて重要 な意味を持っていたと言うようなことが述べられていきます。

    また、政治の舞台で文化の果たす役割が非常に大きかった事や、外国からの文化の受容について改めて考える必要性がある 事なども指摘されていましたが、確かにその通りだよなあと思います。

    小川光生「サッカーとイタリア人」光文社(光文社新書)、2008年
    イタリアのサッカーについて、都市や地域ごとにサッカークラブの略歴を紹介しながらまとめた本です。どこかで見たり聞いたり したことがある内容もありますが、結構面白く読めます。それにしても、郷土愛の強いイタリアのサッカーファンが地元のクラブ も応援しつつ、ユヴェントス、ミラン、インテルのどれかを応援しているというメンタリティを持っているとは知らなかったです。

    奥富敬之「鎌倉北条氏の興亡」吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)、 2003年
    2年前、NHKの大河ドラマは「北条時宗」でした。題材が一般の人にあまりなじみがなかったことやドラマ自体の 出来も色々言われたこともありあまり視聴率は良くなかったのですが、時間があるときはちょこちょこ見ていました。 北条氏というと鎌倉幕府が出来る際には源頼朝に協力し、しかしその後執権として鎌倉幕府の実権を握り幕府を乗っ取った というようなイメージを持たれています。それではその北条氏がどのようにして権力の座に登り、どのような政治を行ったのか、 それについてまとめた本です。当初は伊豆の弱小勢力にすぎなかった北条氏が幕府執権として権力を握り、 やがて幕府の制度の枠を超えた得宗専制体制にいたり、滅亡していくまでの歴史がまとめられています。 ある程度日本史を知っていれば簡単に読める本だと思いますので、興味があったらどうぞ。

    奥富敬之「義経の悲劇」角川書店(角川選書)、 2004年
    2005年の大河ドラマは源義経ということになっています。通常、義経というと優れた軍事的才能を発揮して平家を討ち 滅ぼした後、兄の頼朝に追放され、衣川で悲劇の死を遂げた悲劇の英雄として書かれ、「判官贔屓」という言葉が現在 まで残されている人物ですが、果たして彼の死は本当に悲劇だったのでしょうか。頼朝、義経が生まれる以前から始まる 源平合戦前夜の時代から筆を起こし、源頼朝がどのような考えを持って武士をまとめて幕府を開いていったのかをたどり つつ、そのなかで何故義経が死ぬことになったのかを論じていきます。ともに源義朝の子として生まれながら、頼朝は 源氏の惣領として京の朝廷から独立した新しい武家政権樹立を目指して活動し、そのためには平家との和睦すら申し入 れる(実際に和睦が成立すると考えていたか疑わしいが)など、これから作ろうとする物を見据えて活動する政治家 であったのに対し、義経は武家社会から離れたところで育ったために武家社会の道理をわきまえず(壇ノ浦で水主を攻 める等々)、それ故に兄の目指す物を理解なかったということが彼の死をもたらすことになったというところでしょうか。

    小河浩「紀元前4世紀ギリシア世界における傭兵の研究」渓水社、 2011年
    紀元前4世紀のギリシア世界では、傭兵の使用が盛んになり、そのことを「ギリシアの衰退」と絡めて論ずる本もあります。 一方で、傭兵のような人々の登場をヘレニズム世界成立の一要因として重視する本もあります。本書は後者の立場に立って 書かれたもので、傭兵活動の活発化はペルシアやエジプトなど外部要因によるところが多いこと、傭兵活動・徴募活動を 通じて人的結合が生まれ、それがヘレニズム世界成立に寄与し、ヘレニズム諸王国の政治制度を支えたということをまとめて います。

    古代ギリシアの傭兵をどのような集団が用いていたのかということ、どのような人々が傭兵となっていたのかと言うことが まとめられているほか、マケドニア王国の発展と傭兵の関係等々、マケドニアや後継者戦争に関係することも色々とのって います。「ヒストリエ」でマケドニアとかに興味を持った人も一寸読んでみてはどうでしょう。

    フランク・オコナー(阿部公彦訳)「フランク・オコナー短編集」岩波書 店 (岩波文 庫)、2008年
    捕虜となったイギリス人2人の運命の変転を描いた「国賓」、友人の司祭の葬儀に備えられた花輪の扱いをきっかけに友人の友人 との関係が変わる「花輪」、家族内での人間関係の変化をとりあげた「ぼくのエディプスコンプレックス」、風来坊が謎の女性に なんだか絡め取られていくような「あるところに寂しげな家がありまして」等々を収録。

    読み始めた段階では、話の全体が見えず、徐々にわかってきても、色々な取り方が出来そうな感じの、何ともミステリアスな話が あったり、途中で運命が劇的に転換する話があったり、なかなか面白かったです。

    長田俊樹「インダス文明の謎 古代文明神話を見直す」京都大学学術出版 会 (学術選書)、2013年
    インダス文明というと、モヘンジョダロやハラッパーと言った遺跡、区画が整えられた計画的な都市作り、そして未だ解読されていない インダス文字といったものを思い出す方もいると思います。なにより大河流域に栄えた「四大文明」として記憶している方が多いのでは ないでしょうか。

    しかし、インダス文明調査プロジェクトのリーダーを務めた著者による本書では、そのようなインダス文明像が果たして妥当なのか、 最近調査が進んでいる様々なインダス文明の遺跡、プロジェクトの調査研究の成果、それらをもとにして検討していきます。従来の インダス文明のイメージが2つの遺跡によって導き出されたモノであり、大河文明とは言い難いことや、「多言語多文化共生社会」で あり、流動性の高い人々のネットワークにより作られた文明であることを示していき、インダス文明と南アジア社会の連続性にも 注目していきます。最新の科学技術も使いながら文明像を明らかにしようとしていくのですが、インダス文明でも「カレー」みたいな ものを食べていたとは知りませんでした(歯石調査からターメリック、ジンジャーが検出されたそうです)。

    長田年弘「神々と英雄と女性たち 美術が語る古代ギリシアの世界」 中央公論新社(中公新書)、1997年
    古代ギリシアの陶器に描かれた絵や彫刻にはペルセウスやヘラクレスと言った英雄による怪物退治の話やトロイア戦争と その 後日談をモチーフにしたものが多数見られます。そのような美術のモチーフとなるギリシア神話には当時の人々の生活感情が 色濃く繁栄されているという視点から、美術作品に書かれた神話を通じて人々の心性の歴史を読み解く事を目指したのが本書 です。時代設定としては陶器に描かれる図像が大きく変わってくる紀元前7世紀からはじまり、ペルシア戦争を経た紀元前5 世紀までと言うことになっていますが、これはペルシア戦争がギリシア人の思考に強い影響を与えたという視点からそのよう な区切り方になっているようです。ギリシア美術の表現の中でギリシア人は戦闘場面についても勝敗を平等に描く事が多い中 で、ペルシア人とギリシア人の戦闘場面に関してはギリシア人がそれを圧倒している描写が多くみられること、そのような構図 の手本は過去の英雄による怪物退治にあることなど、面白い指摘が多数見られました。

    忍足欣四郎(訳)「中世イギリス英雄叙事詩 ベーオウルフ」岩波書店 (岩波 文庫)、 1990年
    北欧を舞台に、勇士ベーオウルフが悪しき巨人や龍と戦う英雄叙事詩です。怪物と戦って打ち破り、財産や名誉を手に入 れ、 火を吐く龍との戦いで致命傷を負って一生を終える、勇士の一生を古英語で書いた叙事詩の邦訳です。邦訳が昔風の言葉で 行われているため、かなり難しいと感じる人もいるかもしれません。しかし、これを優しい言葉で訳すと、おそらくリズムが 乱れてしまうでしょうから、この訳でいいような気がします。怪物や竜と戦う話ではありますが、ただの怪物退治アクション の話ではなく、フロースガール王の訓戒のように何となく無常観のようなものを感じさせる内容が含まれた叙事詩です。

    ロビン・オズボン(佐藤昇訳)「ギリシアの古代 歴史はどのように創ら れる か?」刀 水書房、2011年
    古代ギリシアの歴史の入門書ですが、単なる概説書ではなく、いくつかのトピックを取り上げながら古代ギリシア史がいかに 創られてきたのか、「古代ギリシア人」「古代ギリシア世界」とはどんな人々、どんな世界なのかといったことの一端を明ら かにしていこうとする本です。

    小関隆「イギリス1960年代」中央公論新社(中公新書)、2021年
    「スウィンギング・ロンドン」のまばゆい輝きが儚くも終わった後、次にやってきたのはサッチャリズムだったという、 1960年代から80年代のイギリス社会や文化についてまとめた一冊です。ビートルズについての記述は私の手に負える範囲 ではありませんが、ベスト10を選ぼうとしてそれを超える数になるというのはなんとなく分かる気がします。

    サッチャリズム登場につながる要素が自由と消費を謳歌した1960年代にあったという、なかなか皮肉な事を明らかにした 一冊です。

    小田内隆「異端者たちの中世ヨーロッパ」NHK出版(NHKブック ス)、 2010年
    中世ヨーロッパのキリスト教において、カタリ派などのように「異端」と認定された集団がいくつかあります。本書で は、 まず「異端」とは何かという所から話が始まり、色々な主張がある中で「正統」教義が作られ、それと異なる物が異端と されていったと言うこと、「正統」がどのようなものを異端と見なしたのか、身体・言語・富と権力と言った物に対して、 キリスト教がどのように考え、どのような関わりもとうとしたのか、ということにかんしてカタリ派、ワルド派、 聖霊派とベガンをとりあげて見ていきます。

    小田中直樹「歴史学ってなんだ?」PHP研究所(PHP新書)、 2004年
    最近、相対主義や構造主義といった思想の影響で歴史学その物に対する批判もおこなわれていますし、歴史など何の役に も 立たないといった意見もよく聞かれます。史実を明らかにすることは出来るのか、歴史学が社会の役に立つのか、歴史家は 何をやっているのかと言った章立てで、最近の動向もふまえながら歴史学とは何かということを語っている本です。直接 役に立たなくとも、真実性(それが史料批判などを通じて妥当かどうか)を経たうえで社会の役に立つことや、個人の生活 のために役に立つことが「歴史学が役に立つ」ということであると考えているようです。また史実の問題に関しては現段階で もっともであるという結論にまでは至ることが出来ると考えています。昔の歴史書のように強い調子で断定するような形で かかれていないため、なんとなくはっきりしないという印象を持つ人もいるかもしれませんが、それでよいのではないでしょ うか。

    小田中直樹、帆刈浩之(編)「世界史/いま、ここから」山川出版社、 2017年
    古代から現代までの通史を描くにあたり、人や物、情報の移動、宗教と信仰、科学技術と環境という3つのテーマから書き上げた一冊。 非常に読みやすい文章で高度な内容がまとまっています。 

    落合淳思「甲骨文字に歴史をよむ」筑摩書房(ちくま新書)、2008年
    殷の時代に使われていた甲骨文字は現代の漢字のルーツとなっています。甲骨文字は占いのためにもちいた骨に刻まれて いま したが、甲骨を用いた占いがどのようなものだったのか、また甲骨文字はどのように読むのかといったことについて軽くまとめ られています。そしてそのあとはこの文字を使っていた殷という王朝のしくみや社会のあり方について、甲骨文字の資料を読み とく中でどのようなことが言えるのかをまとめていきます。

    甲骨文字の文法は基本的に漢文と似ていることや、殷の時代の自然環境(もっと温暖で降雨量も多かった)や、時間・暦など、 さらに自然神と祖先神をまつっていたことや王が人の動員、徴税、軍事に関すること、祭祀を行う権限を持っていたことなどが 示されていきます。また、殷代の大規模建築は農民を挑発して行う公共事業のような性格を持っていたと考えていたり、殷の系譜に ついてあとで作り替えられていること、さらに殷の滅亡についても上下関係を規定して奉仕を強要したことに対する反発から 各地で反乱が起こり滅亡したと考えていることを考えているようです。

    小名康之「ムガル帝国時代のインド社会」山川出版社(世界史リブレッ ト)、 2008 年
    一括紹介その5に掲載

    小沼孝博「清と中央アジア草原 遊牧民の世界から帝国の辺境へ」東京大 学出 版会、2014年
    中央ユーラシアの歴史において遊牧民が中心的な存在であった時代はジューンガルの征服で終わりを告げ、18世紀、19世紀に 中央ユーラシアはロシアと清の2帝国の辺境へと転換していくことになります。本書ではジューンガルの支配する中央アジアが 清朝の支配下に入る過程と、清朝がジューンガル征服後に接するようになったカザフなど中央アジアの遊牧民の世界との関係 をまとめて、中央アジア草原の変わりゆく姿を明らかにしていきます。

    後半では清のジューンガル領支配とカザフとの関係について、理念と現実のずれが、やがて遊牧民に対する属人主義的支配 (エジェンーアルバト関係)と属地主義的支配(哨所で結んだラインを境界として支配を固める)の矛盾、そして属地主義的 な路線を強める中で遊牧民の世界が清朝の「辺境」化していった様子が史料を基に描かれていきます。

    小野昭「ドナウの考古学」吉川弘文館、2024年
    ドイツから黒海方面にむけて東へと流れる大河ドナウ、その上流域で発見された旧石器時代からローマ時代までの考古学の 成果をたどりつつ、環境や遺跡の保護などの問題にも触れていく。笛とかかなり頑張って作った像(ライオン人間がいたり、、) など、文化的な活動に関連する遺物が旧石器時代から見られるというのがなかなか興味深いものがありました。願わくばドナウ 下流の当たりとかも何かあればなとおもいますが、面白いです。

    尾野比左夫「リチャードIII世研究」渓水社、1999年
    悪いイメージが定着し、それが長年にわたって引き継がれつづける歴史上の人物は多数います。イングランド国王リ チャード 3 世 もまたそのような人物の一人であり、シェークスピアの劇などにより狡猾・残忍な人物というイメージが定着してしまっているよ うです。本書ではそのようなリチャード3世について、リチャード3世像の変遷や彼が所領としたイングランド北部を彼がどのように 統治したのか、そして彼が王になるまでの過程、王としての統治について考察を加え、イングランド王国の歴史のなかでどのように 位置づけられるのかを書き出していきます。

    小野理子「女帝のロシア」岩波書店(岩波新書)、1994年
    18世紀ロシアに君臨した女帝エカテリーナ2世と、エカテリーナ擁立のクーデタに関わりのちにロシア・アカデミー初 代総 裁 を務めた ダーシコワ公爵夫人の2人の女性を軸にして当時のロシアについてまとめた読み物です。エカテリーナ2世についてはアンリ・トロワイヤ の伝記などでも知られていますが、それらの本ではやはり男性優位の視点で書かれている部分があるようで、そう言った事に関して違う 視点からエカテリーナ2世についてみるきっかけになりそうな本です。彼女の行いについては農奴制強化などに関する言及が少ないように、 どちらかというとエカテリーナよりな描き方をしているようですが、新しい史料なども用いているようでなかなかおもしろいと思います。

    小野容照「帝国日本の朝鮮野球」中央公論新社、2017年
    現在、韓国で人気のある野球は日本の影響を受けています。朝鮮半島に野球がどのような経緯で伝わってきたのか、そしてどのような形で発展 したのかといったことをまとめています。

    小野寺拓也・田野大輔「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」岩波書 店、20023年
    インターネット上でしばしば見られる、「ナチスがこういう良いこともやった」という系統の言説について、それがそもそも成り立つのか、 根こそぎ吹き飛ばそうと言う感じの一冊です。事実関係としてナチスが無関係、やると言ったが結局行っていない、一見良さそうだが元来の意図や 文脈から切り離して語られている、そういったことが次々と提示されていきます。

    マギー・オファーレル(小竹由美子訳)"ルクレツィアの肖像」新潮社、 2023年
    16世紀イタリア、フィレンツェからフェラーラに嫁ぎ,若くしてなくなったルクレツィア、その生涯を想像力豊かに膨らませて描き出した小説で す。 時代の制約から完全に自由になることは難しいながらも、それにあらがおうという気概を感じる主人公の姿に色々と感じる人は多いのではないかと おもいます。ハッピーなような、しかしなんか苦みの残る結末は歴史の流れ事態は変えられない中での精一杯の努力という所でしょうか。

    オラフ・オラフソン(岩本正恵訳)「ヴァレンタインズ」白水社、 2011年
    長い間安定した関係を築いていたある夫婦が、一つの出来事がきっかけで関係が破綻する、ふとしたことから男女が別れた後に何があったのかを知 り、 長年連れ添った夫婦が心の奥底に秘めていた想いをぶちまける…、ふとしたことがきっかけで男女の関係が変わる様子を書いた話が収録されていま す。 はじめのうちは話の全体が分からないのですが、結末部分で大体の概要が判明したときには何とも苦い読後感が残る話が多いです。

    小和田哲男「北政所と淀殿 豊臣家をまもろうとした妻たち」吉川弘文 館、 2009年
    北政所と淀殿、豊臣秀吉の妻2人については、歴史小説、大河ドラマなど、様々な媒体で取り上げられています。しか し、通説的な理解が 本当に妥当なのかと言う疑問も出され、特にこの2人が対立していた、そして結局それが豊臣家の滅亡につながったということに対して、 本書では、両者はそれぞれ違う役割を果たしながら豊臣家の存続のために尽力してきたということを述べていきます。史料的な問題もある ため、推測で話が進んでいる箇所もあったような記憶がありますが、読みやすいですよ。

    ミシェル・オンフレ「〈反〉哲学教科書 君はどこまでサルか?」NTT 出 版、 2004年
    哲学というとなんだか取っつきにくい印象を受ける人もいるかもしれません。難解な言葉遣いや文章、抽象度がたかいと いっ たこと で敬遠する人もいるでしょうし、そもそも哲学何かやってなんになると思っている人にとっては苦痛なだけかもしれません。しかし この本はフランスの技術系リセ(高校)の哲学教科書として書かれたもので、話も分かりやすく、なおかつ今の我々にもとっつき やすい内容で書かれています。また、それだけではなく扱っているテーマに関連するテキストもくっつけられており、これをきっかけ に哲学に興味を持つこともできそうな感じがする1冊です。つまみ食い的に興味のあるところから読むもよし、頑張って始めから順に 読むもよし、哲学について少しばかり考えてみるのに丁度良いのではないかと思います。

    手に取った本たち
    読書の記録
    トップへ戻る

    inserted by FC2 system