大地は丸い
〜「ヒストリエ」第1話〜


(第1話の概略)

紀元前343年、ペルシア帝国の一都市アッソスから逃げてきたアリストテレス一行はトロイの遺跡付近の沿岸部で船をいじくる 一人のバルバロイと出会います。その人物こそこの漫画の主人公であるエウメネスであり、エウメネスはアリストテレスと一晩 様々なことを語り合います。その翌日にエウメエネスはペルシア帝国の追っ手から逃れようとするアリストテレス一行とともに 船で海を渡り、ここから物語が始まるのです。

アリストテレスとであったエウメネスは一晩中語り明かしますが、その場でアリストテレスが地球儀を取り出します。そして エウメネスに対して大地が球体であることを説明していくのですが、当時世界はどのような物と考えられていたのでしょうか。


  • 古代ギリシアの世界観
  • まず、古代ギリシアの人々がどのような世界観を持っていたのかをまとめてみようと思います。古代ギリシアというとさけては 通れないホメロスではどのように見られていたのかというと、世界は平らでありオケアノス(大洋)に囲まれ、天空が大地を覆って いるというものでした。やがてギリシア人が植民活動などを通じて各地に広がっていくとともに地理的な知識も蓄積されていった ようで、世界地図の作成も自然哲学にその名を残すアナクシマンドロスが作り、ミレトスの史家ヘカタイオスが紀元前500年頃にそれを 書き改めたと言われています。そして、紀元前5世紀初めにイオニア反乱が勃発し、それがペルシア戦争の原因にもつながるのですが 反乱を起こしたイオニア諸都市の一つミレトスの僭主アリスタゴラスは反乱の助力を得ようとしてスパルタを訪問した際に世界地図 を持参しますが、その地図はおそらくヘカタイオスの影響がかなりあったのではないかと推測されています。

    ヘカタイオスの頃になると地中海に関してはかなり知識の蓄積が進み、そのほかインドについても存在が知られるようになってきて いますが、まだオケアノスに囲まれているというイメージがのこっていたようです。その後ヘロドトスではオケアノスの存在は否定 されるようになり、彼自身が各地を回って集積してきた情報をもとに世界の構造について「歴史」で色々と書き残しています(第4巻 の36節〜45節)。ヘカタイオスの頃と比べるとより情報量も増えてきていますが、、北アフリカやアジアの情報がかなり豊富になって 来ているのに対して、ヨーロッパに関してはまだあまり情報が無いような感じですし、アフリカとアジアは一カ所だけでつながった陸地 であること等も知られていましたがまだ不十分な点もありました。アレクサンドロスの東征によってギリシア人の地理学に関する知識は さらに広がっていき、ヘレニズム時代にはエラトステネスなどによりさらに地理学が発展することにつながるのです。そしてそのような ギリシア人による知識の蓄積はローマ時代にも引き継がれ、2世紀のアレクサンドリアで活躍したプトレマイオスの手によって作られた 世界地図の登場へと至るわけです。

  • 球形の大地
  • ギリシアにおいてヘロドトスの頃までは世界は平らであると信じられていましたが、世界が球体であるという考えが生まれたのはギリシア人 の中からでした。まず、ピタゴラス派の哲学者の間で地球が球体であるという説が早くから唱えられていましたし、その後プラトンなども地球 が球体であるという考えを持つようになります。しかし彼らの地球球体説はきわめて思弁的な物で客観的な観察などに基づく物ではありません でした。

    それと異なり、客観的な観察を元に大地が球形をしているという説を提示したのがアリストテレスだったのです。彼は月食のとき月に 映る地球の影は丸いことや、同じ星が南北に移動しただけで見えたり見えなかったりすることから、地球は平らではなく球形をしているのでは 無いかという結論に至りました。その後アレクサンドレイアのエラトステネスが当時としては非常に緻密な計算のもと(太陽の角度を測り、 そこから距離を計算していった)地球の円周が25万スタディア(約44,000キロメートル)という数字を出しています。また、世界地図を作った プトレマイオスも地球を球体であると考えていましたが、彼は地球の大きさについてエラトステネスの後に円周を計算したポセイドニオスに したがい18万スタディアであると信じていました。実際の地球より2割ほど小さい数値を採用した結果、彼の地図は東西に長くのびることに なりました。このように地球が球体であると言うことを前提にした計算が行われた地図の作成が行われるように、地球が球体であるということ が当時の人々の一部には知られるようになっていました。

    このように地球が球体であることが知識人の間では知られるようになっていると、それをもとにして世界がどのようになっているのかを実際に 表そうとする事もあったのではないかと思われます。プトレマイオスの世界地図は一応地球が球体であるという説を前提として作られた物では ありますが、実際に地球を球体としてつくって表現しようとする試みはいつ頃からあったのでしょうか。「ヒストリエ」では紀元前4世紀後半の 時点で既に「地球儀」が作られてしまってすが、実際には最古の地球儀は紀元前160年頃に作られたと言われています。それ以前に世界を球体で 表そうとする試みはあったのかもしれませんが定かでないのが実情です。

      (参考文献)
      アリストテレス、「天について」京都大学学術出版会、1997年
        (同)  、「気象論:宇宙論」岩波書店(アリストテレス全集 第5巻)、1969年
      織田武雄、「地図の歴史 世界篇」講談社(現代新書)、1974年
      千田稔、「地球儀の社会史」ナカニシヤ出版、2005年

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