日々の雑感(2016年10月〜12月)

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12月28日
さて、そろそろベストテンを決定しよう。

結論としては、入れ替わり、というかベスト10ではなくベスト11にしてしまいました。

藤澤房俊「ガリバルディ」中央公論新社(中公新書)
ジム・シェパード「わかっていただけますかねえ」白水社
ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史(上下)」河出書房新社
佐藤信弥「周」中央公論新社(中公新書)
Kostas Vlassopoulos Greeks and Barbarians,Cambridge Univ. Press
マーカス・レディカー「奴隷船の歴史」みすず書房
オルハン・パムク「黒い本」藤原書店
中谷功治「テマ反乱とビザンツ帝国」大阪大学出版会
ジュリー・オオツカ「屋根裏の仏さま」新潮社
良知力「青きドナウの乱痴気」平凡社(平凡社ライブラリー)
橋場弦「民主主義の源流 古代アテネの実験」講談社(学術文庫)

この11冊ですかね。多分、これで決定でいいはず。今日から31日の間に面白い本に遭遇してしまったら、その時にまた考えます。 10冊に絞るのがめんどくさくなったというわけではなく、絞るに絞れなかったというのが正しいところですが。来年も面白い本が 読めますように。

12月22日
ベスト10候補を早速入れ替えたい一冊が。中公新書の歴史ものは最近あたりが多いなあ。ガリバル ディ

ガリバルディの良いところもダメなところも余すところなくまとめた一冊です。抑圧からの解放を目指す旗頭としては良い人材ですが、 平和な世界で安定した暮らしを営むことができるタイプではなさそうな人だなとは思います。欠点はありますが、英雄としての資質は ある人ですね。

こんな具合に面白い本に遭遇してしまうこともあるので、ベスト10決定はもう少し後に伸ばすことにします。

12月18日
「哲学=フィロソフィア=知を愛する」という意味だけど、東洋思想に知を愛する思想、愛するという主体的行為なんてなかったという 言説を目にする。そして、それに対して賛意を示す人々もいる。まあ、いろいろな人がいますね。東洋思想、というところで、どこまでを 範囲に入れて考えているのか知りませんが。

それはさておき、そろそろ今年読んだ本のベスト10を選ぼうかと思います。正式決定はまだ後ですが。とりあえずおもしろかったもの現時点 での10作品を挙げておきます。

ジム・シェパード「わかっていただけますかねえ」白水社
ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史(上下)」河出書房新社
佐藤信弥「周」中央公論新社(中公新書)
Kostas Vlassopoulos Greeks and Barbarians,Cambridge Univ. Press
マーカス・レディカー「奴隷船の歴史」みすず書房
オルハン・パムク「黒い本」藤原書店
中谷功治「テマ反乱とビザンツ帝国」大阪大学出版会
ジュリー・オオツカ「屋根裏の仏さま」新潮社
良知力「青きドナウの乱痴気」平凡社(平凡社ライブラリー)
橋場弦「民主主義の源流 古代アテネの実験」講談社(学術文庫)

今年読んだ本では、現時点ではこの10作品です。他にも面白い本はあり、ブログで幾つか紹介しています。そこの「今月のお勧め」のなか にも強く勧めるものから、読んでみてもいいんじゃないかというくらいのものもありますが、この10冊が現時点での今年のベストですね。

12月11日
本日、「五日物語」という映画を見てきました。ちくま文庫にはいっている「ペンタメローネ」のなかから、3つの話をベースにして、 それを翻案しながら描かれていく物語です。見終わったあとは、なんとも重い雰囲気になる話でしたが、ノミをよく作ったなあと思い ます。

話としては3つの王国が舞台となり、それぞれ別々に話が展開していきます。子供ができないことに悩み、それをなんとかするため 海の怪物の心臓を調理して食べた王妃と、それを調理していた女性がどちらも妊娠してそっくりな子供がうまれるが、、、という部分、 歌声を聞いた女好きな国王の猛アタックと闇夜での逢瀬により老姉妹の運命がわかれていく部分、そして大事に育てたノミの皮をあて た者に姫を嫁がせるという命令を出してしまったことからおきる数奇な物語、の3本です。

この3つの物語が映画の最後で交差するのですが、3人の女性の過酷な運命、なんとも残酷な物語が描かれていきます。それと、ノミ の造形はかなり頑張ったなあと。あんな大きなノミをほんとうにつくらなくてもよかったんじゃないかともおもいますが、昔話を映像 にすると、こういう感じなんだろうなあと思いながら見てきました。万人向けかというとそうではないと思いますが、是非。

12月10日
やんごとなき文人が政治に関わるとむしろディストピアになるんじゃないかと思う今日この頃。脳内の理想郷は現実には地獄 みたいなことになることの方が多そうなきがするのは気のせいでしょうか。一個人の脳内妄想を現実社会にぶちまけられても、 しょうじきなところ困るんだよなあ、、、、。

やれやれ、なんとかならんものかなあ。

12月4日
上野の科学博物館へラスコーの壁画に関する展覧会を見に行ってきました。一部展示は写真撮影が可能ということでしたが、 なかなか興味深い展示が結構ある一方で、体験型のコーナーは混雑していて、参加できる余地が残されておらず、そのまま 素通りしてきました。ああいうコーナーは混むんだよな、、、。

そのあと、場所を変えて両国の江戸東京博物館の戦国時代に関する展覧会へ。こちらは思ったほど混雑はしていないなと思い ましたが、刀剣コーナーには長蛇の列が、、、、。別にそこまで刀剣をみたいわけではなかったので、遠目に見て先へと進んで きました。会期が変わると展示品がかなり変わるようなので、また見に行くしかなさそうです。

11月21日
クーリエ・ジャポンの 「アレクサンドロス大王東 征記」紹介」

アッリアノスの「アレクサンドロス大王東征記」を紹介している記事をネット上で見かけました。いわゆる読書人の書評とかではなく、 ビジネスの現場で頑張っている人がこの本をどのように読んだのか気になり読んでみましたが、なるほどなあと思うところも色々と。 「ダイヤモンドのような精神力」とは言い得て妙ですね。

いわゆる「古典」というものは、時代がたっても、読んだ人が色々な読み方をして其処から何かを汲み取ることができる本なのだろうと 思う今日この頃です。今流行っている本のどれだけが「古典」として残ることになるんでしょうかね。

11月13日
当初は午前中に用事をすませるはずが、ダラダラとしていたら午後、夕刻に。こういう生活ばかりを続けてはいけない。

11月6日
上野の国立博物館の禅に関する展示を見てきました。禅にまつわる様々な画像や彫像、書などが数多く展示されており、 なかなかに見ごたえはありました。後半に展示が入れ替わりますが、そっちも見に行きたいところです。

10月31日
すっかり冷え込んできました。秋も深まってきたという感じがします。

主語が大きすぎる話については、それがいいことを言っているとしても、少しは疑ったほうが良いのではないかと思います。特に、 教育がらみの話になると、皆自分の経験・自分の身の回りのことを全てに適用していこうとするところがあります。例えば、昨今 話題の部活動問題も、「部活動強制加入」がさも全て学校の事のように語られているのですが、そういう環境でない学校も普通に あるでしょうに。個人的には、この雑な話の進め方に対して、頭を使っている系統の職業の人たち(研究者とか)が何も疑問を 抱かずに賛同する姿勢を取っているところは何故なのかと。個人的にそういうものに良い思い出がないがゆえに、無条件に賛同 しているのであれば、それはそれで「頭を使っていない」のではないかと。

「自分の興味のない部活を持たされるのが苦痛で、顧問やりたくない」と思いながら顧問する姿を見せるのは、何かを嫌々、 渋々でもやらざるを得ないことがあることを生徒にわかりやすく伝えるにはうってつけなのかもしれません。「自分の興味 のない授業を聞かされるのが苦痛で、授業聞きたくない」という生徒を従わせることもできるかもしれませんし。

個人的な感想ですが、自分の興味ない事は一切したくないという姿勢が前面に出ている教員から何か教わりたいかというと、正直 いやだなあ。人生、可能な限りいろいろな事に挑戦してみればいいのにねえ。面白く仕事をする方法を身につけるのは必要だと思う んだけどな。

10月14日
タイの国王が亡くなられたというニュースが入ってきました。在位年数70年、これを超える人というと、フランス王ルイ14世の72年とか、 年の数え方が怪しいのですがエジプトのペピ2世の94年といったあたりは思いつきますが、なかなかいないですね。

そして、前の雑感で書いたノーベル文学賞の件ですが、ボブ・ディランが受賞しました。これについて、賛否両論があるようですが、 個人的にはノーベル文学賞は歴史家や哲学者、さらに物書きとしての業績ですが政治家にも与えられていますし、昨年はノンフィクション作家 ですから、ミュージシャンに与えられてもおかしくないでしょう。

詩、そして歌は小説よりはるかに古い言語を使った芸術でもありますし、「文学」の歴史を考えると、また原点に戻ったような雰囲気も あります。そもそも、「文学」は小説だけではないというのはごくごく当たり前のことではないかと。そういったこともあり、 「文学賞」を歌手がとっても非難するようなことではないとおもいます。吟遊詩人ってしってる?

今回の件は、「文学」とは何かということについて、文学=小説となっている人が多いということが改めて良くわかりました。なんか、 こう、もっと広く見ていこうよ、その方が面白いんじゃないのと思うのですが、どうやらそうではないらしい。さらに、詩を小説より 低く見ているような人もちらほらと見受けられますが、それはさすがにまずかろうと。

10月4日
そういえば、ノーベル賞受賞者がぼちぼち発表され始めていますね。今回文学賞はどうなるんでしょう。 村上春樹さんは 今回イギリスの賭屋の予想では結構高い確率のようですが、なんとなくなさそうな気がしています。おそらく、日本人の大部分が 馴染みのない作家さんがもらうのではないかと思っています。個人的にはそれでも何も問題はないと思いますが。

今回、医学賞で受賞者が出ていますが、これはかなり昔の成果(30年くらい?)にたいしてのものなので、おそらくこれから数十年間、 日本人で日本の大学に所属して研究していてノーベル賞をもらうような人というのはなかなかでなくなるんじゃないかなあと。研究環境 がどんどんと悪化してきているようなので(お金がない、人手も足りない、、、短期間に成果を出すことが求められ、じっくり取り組み にくい等)。それとも、ノーベル賞もらうようなひとは海外の大学で学べば良いと。

そして、今回のノーベル賞受賞の件および関連する事柄をみて、「庶民感覚」ほどあてにならぬものはないということを改めて実感しました。 というかこの言葉を使う人たちの言動はとりあえず流しておいた方がよさそうだという感想を抱きました。信用できん。

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