日々の雑感(2012年7月〜9月)

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9月30日
気がついたら、今年も残り3ヶ月。はやいものです。

去年の今頃は色々と訳わからん事態が発生し、非常に大変だった記憶があります。今年はそれよりはましですが、 忙しい日々が続いています。そのせいでここの更新ペースも著しく低下していますが…。

そういえば、西洋古典叢書からアイスキネスが近いうちにでるらしいと言う情報を見かけました。出たら早速買おう と思います。これとセットでデモステネスもよむと面白そうです。専門家の研究ならともかく、一般読者なら日本語 訳で読んで楽しむというのは有りだろうと思うので、じっくり両者を読み比べてみようかなと思います。

西洋古典叢書、ポリュビオスが後1巻出ると完結するんだよなあ、はやくでないかな。あとはリウィウスももうちょい おねがいします。それとプルタルコスも。「モラリア」「英雄伝」の訳がまだまだ出てくれる事を期待しています。

前にもなんか書いたような気がしますが、「ヒストリエ」が手塚治虫漫画大賞受賞したんだっけ。連載ペースがかなり おちていますし、話の展開も今のところあまり進んでいない感じですが、どこかで一気に動き出すんじゃないかなあと 期待して待つ事にします。物語の4割くらいまでもう進んでいるそうなので、どこかでざっくりと歴史の流れを省略して 進めるんじゃないかと思いますがどうでしょう。

9月17日
最終日ということで、上野の芸大美術館の「契丹展」を見に行ってきました。上野で現在開催中の他の展覧会と比べると、 一般人の認知度のせいもあってか、ほどほどに人がいると言うくらいでした(それでもそこそこ人ははいっていましたが)。 まあ、マウリッツハイスとツタンカーメンが込みすぎなんだよね、どう考えても。

契丹関連の遺跡は戦前に日本の調査隊が色々と調べた事があったようですが(その時に見つかったもの(壁画)が京大に あります)、最近も調査・発掘が続いているようで、しかも盗掘を受けていない貴人の墓が発見され、かなり豪華な副葬品 が発見されていたりします。今回の展覧会でも黄金の仮面や琥珀の装身具等々がきていましたし、独特な形の棺が展示され ていたりしました。

個人的には、豪快、雄渾と言う言葉が思い浮かぶ展覧会でした。まるで月餅のような琥珀がつけられた装身具などをみていると、 精緻、繊細といったものとはまるっきり違う何かを感じさせる、色々な物の使い方でした。人によっては大味、つまらんとなり そうなかんじですが、文化の系統としては唐、さらには鮮卑系の文化や、西域の文化のようなものがかんじられる、そんなモノが 多かったです。もうちょっと早く見に行くべきだったな。

9月6日
本屋にて、ミシェル・フーコー「知の考古学」が新訳で出ているのを発見して購入してきました。フーコーというと、 学生時代に読んでみようと思って手に取ったものの、正直なところ読んでも理解できずにあまり進まず、さらに他に 読まなくてはならない本が多数あったため、それを読む方を優先しなくてはならなくなったので放置してしまいました。 それ以降、全く読まないままできたのですが、この機会に読んでみようかなと思いました。

学生時代にはどうも思想系の本は敬遠していたところがあるので、あまりよんでいません。その本の言い回しや内容が 何となくしっくり来なくて読書意欲が低下してた事もありますし、それを読んでいる人達の言動に何かしっくりこない ものがあったという事もあります。前者はともかく後者は本そのものの価値とは違うわけで、それを理由に読まずにいた のはなんかもったいなかったなあと、いまになって思います。

まあ、さいきんはフーコーなんかとっくにはやりではなくなっているようで、いわゆる「ゼロ年代批評」というのがあり、 そこからさらに何だかよく分からない方向に向かっているみたいで、私にはフォロー不能ですが…。

9月3日
「セカイ系」と言う言葉の意味が未だによく分からない今日この頃。誰か教えて。

8月31日
8月がおわっていく…。さあ、これから秋だ。8月下旬はミルトン「失楽園」、アレイヘム「牛乳屋テヴィエ」を読んでいました。 ミルトンの作品については、大昔高校世界史の授業でピューリタン文学というカテゴリーでミルトンとバニヤンが紹介されていた ため、そういう作品がある事は知っていましたが、ピューリタンという言葉が着くからには相当辛気くさくまじめくさった話なの だろうと以後長い間思い込み続け、本屋で見かけても読んでみようと思った事はありませんでした。

しかし、最近読む機会があり、最初から最後まで読んでみると結構面白かったです。要はアダムとイブがエデンの園を追い出される までの話なのですが、天地創造とかサタンと神の戦争、惑星の運行について語った箇所があったりします。さらに聖書、ギリシア・ ローマ古典の知識だけでなく、彼が生きていた頃の天文学についての知識が語られた箇所も見受けられます。天文学関係で言うと、 ミルトンはガリレオと同時代人であり、この作品の中にもガリレオの名前が出てきますし、ガリレオと会った事もあるようです。 そこで色々と考えた事もこの作品に取り込んということなのでしょう。


8月26日
8月ももうすぐおわり、展覧会に何か行こうかとも思いましたが、なにがいいですかねえ。ツタンカーメン展はどっか平日の夜にでも 行けるときに言った方が良さそうですし、契丹展は早く行かないとおわってしまいそうです。国立博物館はもう行ってしまったし、 マウリッツハイス展もすでに見たからなあ…。

8月18日

史実とフィクションということで、毎度おなじみの争いをネット上で目にしました。う〜ん、やはり不毛だ。 創作側には、自分達が扱っている人やモノがかつて実際にあった(まあ、たまに実在が疑われる人とかいますが)、 そういうものであるから、もっと敬意を持とうよと思う時もあるし、研究者側にはストーリーの展開にまで あれこれ文句言うのは野暮だろうと思う所もあるし。今回の場合だと、研究者側の積もり積もったモノをバースト させてるだけのようなきもするんだよな。


8月12日
最近本屋で見かけたある本の著者経歴を見ていて、戦前の頃はムッソリーニやヒトラーの伝記をかいていた人が、 戦後にはアイゼンハワーの伝記を書いていたりするところに、何となく微妙な感じを抱くのは気のせいでしょうか。 で、その本の序文を見ていたら怪傑ムッソリーニと言う表現が。時代を感じるなあ、こう言うのって。今こんな事 書いたら、多分大変なことになってしまうのではないかと、書いた人のことを心配してしまいます。

それはさておき、怪傑ムッソリーニなんてかかれると、怪傑ゾロを思い出してしまいます。黒ずくめ(黒服、黒マント、 黒いソンブレロ、覆面)で弱きを助け強きをくじくゾロと彼が重なるというわけではありませんが、ムッソリーニも 黒シャツ隊なんて私兵集団をもっていたりしますから、まあいいのかな(笑)。

8月10日
遅くなりましたが、ようやくエジプト展の感想アップしました。 こちら をどうぞ。

8月7日
国立博物館で開催されている書家の特別展を見てきました。エジプト展の感想を書いていないのですが、それはまた後で。 展覧会の構成は、中国の書をとりあげ、それからその書家の作品、さらに書に関係する小物色々が展示されていました。

私自身は書については全くよく分からないのですが、一見すると、何か適当に書いたんじゃないのと言いたくなるような 書であっても、そこに何かが込められているのでしょうか。まあ、鉛筆とかと違って、書の場合だと簡単に書いたり消し たりできないですし、バランスや墨の濃淡等々も考えなくてはいけないように見えます。まさか墨が足りなくなったから と言って、二度書きするわけにもいかないし。


7月27日
先週末はものすごい寒い日が続いたのに、今度は猛暑。これでは体が持ちません。

こんな日は、冷たい物が食べたくなります。特に冷たい麺類はお昼ご飯にちょうど良いなとおもってよく食べています。 そうめん、蕎麦、うどん等々ありますが、たまに無性に食べたくなるのが冷やし中華です。

冷やし中華は、かつては某料理漫画にて酷い扱いをされ、近年のラーメン屋では冷やしラーメンやらつけ麺やら変わった 物を出すようになり、前と比べて見かけることが減ってきたような気がします。しかし、甘酸っぱい汁をかけ、麺の上に 卵やキュウリ、肉を適度に盛りつけた昔よく見た冷やし中華もまだまだ残っています。

で、いわゆる冷やし中華が何時どこで出てきたのかということについては、仙台説、神保町説などがあり、はっきりしない ようです。今度、神保町に行ったら元祖?冷やし中華を食べてこようかなと思います。なんとなく高そうな雰囲気ですが、 どうなんでしょう。

7月14日
どうやら、うちのマシンではMac OS10.8は使えないらしいことが判明しました。確かに5年前に買い換えたマシンで、 そろそろ買い換えは必要だなとは思っていました。ちょうどいい機会なので、これは買い換えた方がいいかもしれないですね。ただ、新しく買う と、光学ドライブ別に買わないとなあ。ほしいマシンに光学ドライブついてないので。

ついでに、モニタも買い換えた方がいいかもしれないけれど、ちょっと大きいからなあ。純正品じゃないモニタで何とか するしかないですね。なんで純正品はみんなバカみたいにでかいモニタなんだろう。こまるよなあ、こういうの。

7月8日
2つの展覧会をハシゴしてきました。一つはリニューアルされた都美術館で開催されている「マウリッツハイス美術館展」、 もう一つは六本木ヒルズでやっている「大英博物館古代エジプト展」です。で、個人的にはエジプトの方がおもしろかった です。なので、後でエジプトの方の感想はまとめて書きます。

マウリッツハイス展のほうもそれなりによかったのですが、「真珠の耳飾りの少女」がきているので滅茶苦茶混んでいました。 あんなに並ぶのは辛いですね。

7月4日
先日の日曜日、NHKスペシャルで古代ギリシアを扱った番組をやっていました。ギリシア彫刻には色が塗ってあったという 話は結構前に聞いたのですが、つい最近新発見されたかのような放送にはかなり違和感を覚えました。あと、ギリシア文明と 東地中海の他の文明との関係を考えることは意味があると思いますが、アフリカに行った傭兵がエジプトで学んで帰ってきた という説明はずいぶんと思い切った事をやったなあと。そりゃ、たしかにアブシンベル神殿に落書きして帰ってきた人たちも いましたが…。

どこかに行って落書きをするというと、修学旅行先でなんかやらかしてくる人がいたり、旅行先でなんかやってしまう人が いたりして、それがニュースで話題になることもあります。そういう落書きが数千年後に何かの史料として残されることは あるんでしょうか。まあ、日本人だと、アンコールワットを祇園精舎だと思って落書きして帰った人がいたような記憶が あります。いわゆる鎖国政策により海外渡航ができなくなってしまう前、日本人が東南アジア各地へと出かけていた頃の お話です。

16世紀後半から17世紀前半、アジアで交易が活発化していた時代、日本からも多くの人々が海外へ渡航し、アジア各地に 日本人町ができていました。中にはアユタヤ朝のようにどうも日本人を傭兵としてつかっていた国もあるようです(当時 アユタヤ朝はビルマと争っており、それに備えるために日本人傭兵を使っていたようです)。アユタヤ朝の他にも東インド 会社で日本人が傭兵として使われていたという話もありますが、戦国の世が終わりに向かう中で仕事のない浪人達にとって は、人やモノの流れが活発化していた当時のアジア各地は絶好の仕官先と見えたのかもしれません。

職を求めて日本を飛び出し、アジアの各地で傭兵として使われ、やがて異国の地で骨を埋める、そのような一生をおくった 浪人達は日本から遠く離れた異国の地で何を考えながら生きていたのでしょう。月を見ながら三笠山の月を思い起こした 阿倍仲麻呂のように、日本のことに思いをはせることはあったのでしょうか。それとも、現地社会に溶け込んでいき、 完全に同化していったのでしょうか。今となってはそれを知る術はありませんが。

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