古代の書物事情
〜「ヒストリエ」第5話、第6話より〜

(第5話、第6話の概略)

奇策により、エウメネスたちはカルディアの町の中にはいることに成功します。そして町に入った エウメネスは 廃墟と化したヒエロニュモス邸の図書室跡にたたずみながら、奇妙な夢を繰り返し見ていた少年時代のことを思 い出します。物語は青年編から少年時代編へとはいっていきます。(第5話)
学校に通い、女の子とデートをしたりといった少年時代のエウメネスの日々が描かれていきます。そのような日々 を過ごしつつも、やはり奇妙な夢のことが気になるようです。(第6話)

第5話では、エウメネスがカルディアを離れている間に届いたクセノフォン「アナバシス」の話やヒエロニュモス邸にあった 図書室のことが登場し、第6話ではカルディアの町に本屋があり、アテネから本を輸入していたらしいことが語られています。 それでは、古代の書物事情はどのような感じだったのでしょうか。


  • 古代ギリシアの書物
  • 古代ギリシアでは文学、歴史などで数多くの著作が書き残され、書物という形で残されるようになりますが、当初の書物は 現在の本とはその形を異にしていました。現在の書籍は通常冊子の形ですが、古代ギリシアの書物は巻子になっていました。 当時の書籍は紙ではなくエジプトにおいてとれる水草の茎を切り貼りして作られるパピルスによってつくられていました。 パピルスは古代エジプトにおいて紙の代わりに使われていましたが、古代ギリシアの書籍にも用いられていました。ただし ギリシアではパピルスは作れないため、エジプトから輸入していました。また、かつては獣皮を用いていた時代も あったようです。イオニア人は昔からパピルスのことを「皮(デイテプラ)」と呼ぶが、パピルスの入手が難しく、 かわりに山羊や羊の皮を用いていたためであるということがヘロドトス(5巻58章)にかかれています。この箇所からは ヘロドトスが「歴史」を書いたときにはパピルスの使用が広まっていたことがうかがえます。紀元前5世紀の時点で主な 媒体はパピルスで、場合によっては獣皮も使っていた可能性があるといったところでしょうか。

    しかし、パピルスには様々な問題がありました。まず、パピルスは耐久性に問題がありました。パピルスに書かれた文書は エジプトのオクシュリンコスなどで出土していますが、乾燥した砂漠に埋もれていたために残ったようです。もしそれらの文書 が少しでも湿気のあるところに放置されていたならば、第5話において「アナバシス」最終巻が手に取ったとたんにだめになって しまったように、直ちに痛んでしまったことでしょう。また折りや曲げに弱いということも欠点としてあげられ、そのために 冊子が作りにくく、巻子になるようです。巻子にしないと本にならないということは、冊子と比べるとよけいに場所を取ると いう問題が生じますし、通常片面しか使わないため一枚のパピルスに残せる情報はあまり多くないようです。そして巻物のた めに参照したい箇所をすぐに見ることが出来ないといった取り扱いが面倒という問題もありましたし、機械的に印刷をすると いうこともできず手書きで移さないといけないなどの問題もありました。

    このような問題があったものの、古代ギリシア人達は書物を残すためにパピルスを使い続けました。ヘレニズム時代以降は 羊皮紙も用いられるようになりますが、それでも彼らはパピルスを用い続けます。そのため、古代ギリシア世界においては 書物は高価な品物であり、巻子1つが都市の職人の賃金数日分に相当しました。したがって、そのような物を多数買い集め て図書室を作ってしまったヒエロニュモスは、それだけの財力を持つカルディア市随一の実力者だったということになります。 実際に読む・読まないは別として、多数の本を持つと言うことが彼の威信を目に見える形で示していたのではないでしょうか。

    また、古代ギリシアにおいて書物を扱う書店がいつ頃から見られるようになるのかはあまり定かではありません。ただし、 紀元前5世紀のアテネの町では書籍を売るという行為が行われていたことはプラトンの「ソクラテスの弁明」にも書かれています。 ギリシアにおいては書籍は個人の間で貸し借りがなされ、そこで写字生を使うか、自分で書くなどして個人的に写本を作って いました。しかし、本を読むという習慣が広まってくると、それでは追いつかない状況が生じてきて、誰かが複数の写本を 作成して売るということも起こったようです。その際にはパピルス代と写字生の賃金がコストとしてかかります。そのような ときに、写本の供給は報酬が支払われるときにのみ行われるようになっていきます。そしてそれが紀元前5世紀後半頃に起こっ た事だったと考えられています。また、クセノフォン「アナバシス」には小アジア北岸のサルミュデッソス付近で難破した 船には多数の書籍が積み込まれていたということが書かれており、本がアテネ以外の所にも持ち込まれていたことがうかが えます。また、プラトンの弟子がシチリア島で師の著作の写本を作って販売していたという話もあり、アテネ以外の都市に おいても本屋活動のようなものがみられるようになってきます。こうしたことから、物語の舞台となる前4世紀半ば〜後半の 頃であれば、アテネ以外の町にアテネから本が持ち込まれて、それを扱う本屋が現れると言うことは充分にあったと考えて よいでしょう。

    (参考文献)
      箕輪成男「パピルスが伝えた文明」(出版ニュース社)
      ケニオン「古代の書物」(岩波新書)
      *(追記:2007年12/23)せっかく買ったので、これからこの2冊の内容をふまえて少し書き換えようかと思います。
      ホルスト・ブランク「ギリシア・ローマ時代の書物」朝文社
      カッソン「図書館の誕生」刀水書房

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