戦象の登場
〜ヘレニズム世界の新兵器〜


古今問わず戦場において、しばしば見慣れぬ巨大兵器や新兵器が投入されることがある。未だかつて見たことも ないような巨大兵器や珍しい兵器が敵を驚かせるという場面もしばしばみられる。アレクサンドロス大王の東征 のさなかに遭遇した戦象部隊はディアドコイ戦争、さらにはその後のヘレニズム諸王国の戦いに置いて数多く用 いられるようになる。戦象は通常4人の人間を上にのせていた。搭乗員は胸壁と呼ばれる搭乗席、あるいは裸の背 にじかに乗っていたという。搭乗員の構成は象使い1人と投げ槍その他の武器で武装した戦闘員であった。戦象 部隊は戦場に置いて、最前線に軽装歩兵と組み合わせて配置されることが多く、時として騎兵舞台の前面に置いて 突撃部隊として用いることもあった。しかし速度の遅い戦象部隊が果たしてどの程度突撃部隊として有効であった のかは定かでない。また、戦象はその大きさと体臭で相手方騎兵の乗馬を怖がらせ、戦列を乱す効果が期待できた という。

  • アレクサンドロス、象に出会う
  • アレクサンドロス大王が初めてゾウ部隊と戦ったのはガウガメラの戦いである。この戦いでペルシア王ダレイオス 3世は15頭のゾウを配置したという。象を用いた理由として、この合戦において用いられた鎌付き戦車同様、マケ ドニア軍を混乱させることが目的であったと思われる。しかしガウガメラの戦いにおいて象が活躍したという記述 は見られず、恐らく象を投入した効果はほとんど無かったと考えられる(あるいは象の配置は作戦としては決まって いたが、実際には使われなかったのかもしれない)。戦象たちは合戦後に捕獲されたが、その後は不明である。

    ガウガメラの戦いで初めて戦象部隊に遭遇したアレクサンドロスは象に対して強い関心を抱くようになったようで ある。インドに侵攻する前に各地を平定する過程でアッサケノイ人の土地に攻め込んだ際に象をかり集めさせている。 また、インダス川を越えてインドにはいると現地の支配者であったタクシレスから象を献上されている。このように 象を少しずつ集めていたアレクサンドロスであるが、実際に彼らを戦闘でどのように用いたのかについては不明である。 そしてアレクサンドロス大王の軍勢が大量の象部隊と初めて交戦したのはインド侵攻後にポロスとの間で戦われた ヒュダスペス河の戦いであった。戦いの展開を巡っては兵の動かし方や布陣を巡って諸説があるヒュダスペス河の 戦いだが、この戦いにおいてポロスの軍勢には戦象が200頭おり、この戦象部隊に対し、アレクサンドロス大王は 密集歩兵ではなくアグリアネス人やトラキア人の軽装歩兵部隊を中心に対抗した。戦象軍を囲み、投げ槍を使い弓を射掛け るという四方八方から飛び道具を浴びせる戦い方は軽装歩兵の戦い方であって密集歩兵のそれではない。マケドニア軍 は象に対して飛び道具を浴びせかけ、さらに斧や剣で象を攻撃した。しかし傷を負った象がマケドニア軍の陣中で 激しく暴れ回り、象に踏みつぶされたり牙で刺されたり鼻で持ち上げられて投げ飛ばされる兵が続出したという。

    その後、アレクサンドロスのもとにはアビサレス帰順時に贈り物として献上した戦象や、現地人に勝利して獲得した戦象 などがいたようである。ちなみに、ヒュパシス川から引き返す時には200頭の戦象がいたというアリアノスの記述もある。 戦象はその後、クラテロスの別働隊とともに進んでいったことや、インド人哲学者カラノスの葬儀の際に戦象がいたこと はしられているが、これらの戦象が戦いの場でどのように使われたのかは相変わらず不明である。

  • アレクサンドロス以後
  • ディアドコイ戦争では象の使用は多くの場面で見られるようになる。ディアドコイ戦争初期にはペルディッカスが エジプトのプトレマイオスを攻撃するときに象部隊を連れていたことが知られている。なお、その時に変わった用法と して、渡河の際に兵士たちを象の下流側を進ませたりしており、水流の力を弱めるために川の中に象を入れたこともあった。 前317〜316年にわたるアンティゴノスとエウメネスの戦いでは、アンティゴノス側に65頭、エウメネス側に114頭の戦象が 存在した。両軍において象部隊は軽装歩兵と 組み合わせて前線に配置されたり、半円形に並べて側面防御に用いた様子がうかがえるほか、パラエタケネの戦い ではエウメネスは象部隊を突撃部隊に組み込んで用いている。エウメネスは象部隊を様々な場面で用いているが、 自分の軍勢の中で象部隊にかなり信頼を寄せていたとも、象部隊の指揮官はエウメネスに金を貸していたため一生 懸命戦わねばならなかったとも言われる。なお、同時期のギリシア本土における戦いでも、ポリュペルコンが戦象を 使っている事例が見られる他、オリュンピアスのもとにも戦象がいたことがピュドナ包囲に関する記述から窺える

    また、セレウコスは属州インドを引き渡す代わりにマウルヤ朝のチャンドラグプタから象500頭を受け取り、前301年のイプソス の戦いではそのうち400頭が投入され、敵を深追いしたデメトリオスとアンティゴノスのあいだに象を割り込ませて両者を分 断してアンティゴノスを破ったという事例もある。その後もヘレニズム諸王国の軍勢には多数の象が配置されていた ことが窺える。とくにインドから象を入手できるセレウコス朝は多数の象を戦象として用いていたという。セレウコス 朝の象たちはアパメイアに集められていたようであるが、そこで象を増やすと言うことはうまくいかなかったようで、 イプソス直前にインドから手に入れた象たちはその数を減らしていき、必要なときはバクトリアを経由してインド象 をつれてこなくてはいけなかったようである。またプトレマイオス朝はインドから象を獲得することができぬため、 アフリカにおいて象を捕獲しようとした。その結果紅海西岸部に港や都市が造られ、この地域の開発が進むこととなった。

    セレウコス朝はインド象を集め、プトレマイオス朝はアフリカ象を集めて象部隊を編成していたが、それではどちら の象部隊の方が強力だったのであろうか。現存する象の種類から考えるとアフリカ象の方がインド象より大きいため、 プトレマイオス朝の象部隊の方が強力であるように思うかもしれない。しかし実際両王朝が前217年に戦ったラフィア の戦いではインド象がアフリカ象をあっさりと打ち負かしている。何故かと言えば、当日飼われたアフリカ象は我々 がイメージするものとは異なり、かなり小型であったためである。当時北アフリカ沿岸の森林地帯にいた象たちは マルミミ象と呼ばれる種類に属し、インド象より小型の象で編成されたプトレマイオス朝の象部隊はセレウコス朝の 象部隊にあえなく敗退したのであった。

  • 象の長所と短所
  • 象部隊はセレウコス朝、プトレマイオス朝以外の古代世界でも用いられ、エペイロス王ピュロスが南イタリアのギリシア人 植民市の要請を受けてローマと戦うべくイタリアへ渡ったときにも戦象部隊がいたほか、ハンニバル率いるカルタゴ軍 にも戦象部隊がいたという。このようにヘレニズム世界始め各地で用いられるようになった象部隊であるが、彼らは 戦いにおいて実際に期待したとおりの戦果を上げたのであろうか。

    象の巨体や叫び声は敵に対する威嚇の効果はかなりのものがあったであろう。戦場といういつ自分が死ぬか分からない 極限状態に置かれた人間は大声や見た目を大きく見せただけでも恐れおののき隊列を乱して逃げ出してしまうことが 多々あるという。また象の鳴き声や体臭は馬にとってきわめて不快なものでありそれによって騎兵部隊が隊列を乱し てしまうこともあったという。前275年頃にアンティオコス1世が小アジアに侵入してきたガリア人を打ち破った戦いは 「象の戦い」と呼ばれているが、アンティオコスは16頭の象を側面や正面に配置した。ガリア人達は未だかつて見たこと の無い象に遭遇して隊列を乱し、そのために敗北を喫することになったという。ガリア人と彼らの戦車や騎兵の馬たちは 象になれていなかったことがそのような結果をもたらしたのである。しかしこうしたことはデメトリオスが馬と象を隣り 合わせで飼って慣らしたように(*この箇所、典拠失念につき、後日要調査)、訓練を通じてある程 度克服可能である。実際問題として、象にある程度ならしておかなければ、自軍の騎兵や歩兵がまともに機能しなくなって しまったであろうから、訓練は必要なことであった。一方で訓練を施しならすことが出来るということは、裏を返せば 象になれてしまえば象部隊に対して容易に対処することができるようになるとも言えるであろう。

    また突撃部隊として用いるには少々速度にかけるところがある一方で、高い場所から攻撃ができるため、弓兵にとっては 広い視野と長い射程距離が得られるという優位点もあった。また象自体の体格の大きさによって敵を阻止するということも 可能であり、また敵を踏みつぶしたりすることもできたであろう。前301年のイプソスの戦いではセレウコスがインドから つれてきた象部隊がデメトリオスとアンティゴノスを分断してセレウコス、リュシマコス軍が勝利している。

    ただし、象部隊を使う上で危険なことは戦闘中に混乱状態に陥ったり、御者がいなくなった場合に制御不能となると、 象たちは敵味方関係なく陣地を荒らし回ってしまうことであった。象を使うことははその巨躯などの優位点もあるが、 混乱状態に陥った場合にはたちどころに自軍をも危機に陥らせる諸刃の剣であった。また、後継者戦争中にはポリュペルコン がメガロポリス包囲戦において都市を攻撃するために象を用いたという記録があるがこれは成果を上げておらず、他にも 攻城戦で象が活躍したという話はほとんど見あたらず、攻城戦では象を使う意味はあまり無いことはかなり早い段階で知られ るようになったと見られる。


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