「サリッサ」考


フィリッポス2世が鍛え上げ、アレクサンドロス大王が率いたマケドニア軍は軽装歩兵がいたり、敵陣の側面や背後、前線 に切れ目ができればそこに突撃するヘタイロイ騎兵など色々な兵科が用いられていますが、やはりフィリッポスの作り上げた軍 隊で重要な役割を果たしたのははサリッサで武装したマケドニア密集歩兵隊でしょう。既に別のページでマケドニアの軍制につ いてはまとめたり、マケドニア史に関する参考文献にも色々と書かれている事が多いので、今回はサリッサの使用とマケドニア 軍の強さの関係について少し考えてみようと思います。

  • サリッサを持った兵士たち
  • サリッサは全長5.5〜6メートルの長い槍で、穂先も出土品のなかには刃渡り60センチ近いものがあり、石突きをつけること でバランスをとれるようになっていました。また、サリッサは2つに分かれていて、ソケットでつないで使っていたとも言われ 艇ますし、実際にそれとおぼしき出土品も発見されています。全長が5メートル超と長いために片手で持つことは困難であり、 両手でもって使っていたと考えられています。両手が槍をつかむために使われていることから大型の盾は使えず、直径60センチ ほどの小型の盾を肩からかけていました。またマケドニアの密集歩兵は臑当ては用いても胸当てはあまり用いていなかったと考え られています。フィリッポスが軍隊を訓練する際に完全装備で長期間の行軍訓練をやったことを伝える史料に胸当てを使ってい たという記述が見られないことや、時代は下ってフィリッポス5世の時代にも一般兵卒の必須の装備として胸当ては見なされて いなかったことをしめす碑文が存在しています。フィリッポス5世の頃になるとサリッサの長さが昔より長くなり、密集歩兵同 士の押し合いがかなり重要になっていたことが窺えますが、それでも標準装備に胸当てがないということから、胸当てはマケド ニアでは密集歩兵の標準装備ではなかったと言って良いと思われます。

    また、マケドニア軍は王を頂点に指揮系統・階層構造ができあがっており兵士たちは命令に服して働くよう訓練されていました。 フィリッポス2世は兵士たちを集めて長期間にわたる訓練を行ったことが知られていますが、そのような訓練を通じて密集隊形を 組んだまま様々な動きができるようになっていたからこそ力を発揮できたという面もあります。カイロネイアの戦いではわざと 後退し、追ってくるアテナイ軍の隊列が乱れてくると反転してこれを迎撃しています。また、アレクサンドロス即位直後に行わ れた北方遠征中に、彼の命令に従って密集歩兵隊が自在に隊形を変えたり、楔形隊型をつくって突撃させたりした様子が描かれ ています。

    胸当ても特に使わず、盾も小型の物を使っていたマケドニアの密集歩兵たちは集団で密集隊形を組んでサリッサを水平に構えて いてこそその力を発揮できる兵士であり、単身で武器を振るって敵陣に切り込んで戦うような兵種ではありませんでした。 マケドニア密集歩兵はサリッサの他にも剣を装備していたりしますし、一説にはサリッサ以外の槍も持っていたとも言われてい ますが(ただし典拠はカラカラ時代の復元だったり、クルティウスの修辞ではないかと思われる文章にみられるのですが)、 盾が小型であること、ギリシアの剣とローマの剣の性能の差という、個々人の兵士としての戦闘力の差が後にローマ軍と戦った 際に隊列の乱れをつかれて敗北する一因となったのではないかと思われます。

  • 心理的側面
  • 一方でマケドニア密集歩兵はギリシアの重装歩兵やアジアの兵士たちと比べるとサリッサを使える分だけ敵と距離がとれるため、 このことは恐怖の克服という点でも大きなメリットになったのではないかと思われます。映画「アレキサンダー」でガウガメラ の会戦を前にした兵士を前に“Conquer your fear!”と叫んでいましたが、古代の戦闘の場合、戦闘での勝ち負けは兵士たちが 恐怖に襲われて隊列を乱したり潰走したりしないようにする事につきるのではないかと思われます。

    古代ギリシアについて密集隊形を組んで戦うことで共同体意識が形成されたというような説明が良くされていますが、密集隊形 を組んで戦うことの連帯感は集団免責のような形で殺人への心理的ハードルを下げることを容易にしたでしょう。いっぽうで恐怖 に駆られて隊列を乱すことは密集歩兵隊にとり致命的であり、そう言うことからも敵と向かい合う際にわき起こる恐怖心を抑える 事が何よりも必要であったと考えられます。

    そういったことに関して、サリッサによって得られる物理的距離が人が人を殺す事に対して抱く嫌悪感や敵と相対する恐怖心といった ものを多少なりとも和らげていたのではないかと思われます。そして、東征の場合は戦う相手はアジアの人々であり、自分たちとは 別の劣った人々であるという意識を植え付けたり、ペルシア戦争の報復やギリシアの解放といった大義名分を掲げることで、同じ人 間と戦うという意識もあまり持たずにすむようになっていたのではないかと思われます。こうしたことが日々の訓練と組み合わさる ことで恐怖を克服し、マケドニアの農民・牧人たちはアレクサンドロスの意のままに動く「戦争機械」へと変貌したのではないかと 思われます。

  • 結論
  • 結論としては、マケドニア密集歩兵の強さは単にサリッサを使用していたからと言うことには求められないと考えられます。そも そもサリッサがそれを用いることで戦場で圧倒的優位に立てるような「超強力兵器」であると考えることにはかなり問題があるよ うに思われます。フィリッポス2世がサリッサを採用してからギリシア世界でサリッサを採用したのは前227年のスパルタであり、 それまでサリッサがギリシアの戦争で使われたことをうかわせる史料は見あたりません。また、サリッサを前にしたギリシアの重装歩兵が 必ずしも一方的に潰走するわけではなく、イッソスの戦いではギリシア人傭兵とマケドニア密集歩兵が激突し、ギリシア人傭兵に 押される場面もありました。また、サリッサを持っていても、密集隊形がくめないと力を発揮できず、また、サリッサの使用により 武具に色々な制限が付いてしまうことから、個々の兵士の戦闘力はあまり期待できないというところがあり、後にローマ軍との戦闘 でマケドニア密集歩兵の弱さを露呈してしまうことになります。とりあえず言えることは、確かにサリッサは強力な武器ではあります が、サリッサを使えば即強くなると言う物ではなく、それを巧みに運用できるように訓練を積むことや恐怖心を克服していく必要が あったのでしょう。

    (追記:2019年5月1日)

    サリッサの形状について、上記の記述とは違う見解もあります。ギリシアの重装歩兵について、実験考古学的手法や力学、運動生理学 等々も駆使して重装歩兵の槍の構造や操作方法、隊形の組み方について論じたChristopher Matthewがマケドニア密集歩兵について著した An Invincible Beast,Pen and Sword Military,2015において、従来サリッサの穂先とされていたものは構造上ありえないもので あり、サリッサの穂先は決してそこまで大きくなく、通常の重装歩兵の槍の穂先と違いは無いとする見解を提示しています(一昨年や昨年、 今年の初め頃に出た軍事史やマケドニア史関係の著作でもMatthewの見解はあまり参考にはされていないようですが、個人的にはサリッサの 構造についてはMattew説に魅力を感じます。ちなみにMatthew自身は長大な穂先状のものはマケドニアの騎兵用槍の石突き部分だった と 考えているようです(壁画等々を見ると、確かに騎兵の槍の石突きはかなり大きいです))。

    前方に長大な穂先を付けて突き出すには、サリッサを構える位置が後ろ過ぎると、武器としてまともに使えなくなるような気もするなあとは 思っていたので(発掘された遺物をそのまま組み合わせると、石突きより穂先の方が重くなると言うのはさすがに無理があるだろう)、重い 石突きと軽めの穂先という組み合わせは極めて妥当と考えられます。また、ソケットで二分割にしたパーツを繋ぐ構造は極めて合理的である ことや、サリッサについても材質は決してミズキの木にこだわっていたともいえないことも指摘されています。

    また、サリッサの構え方(左半身を前に出し斜めに構える。槍の位置は下段(槍をぶら下げて構える感じ))、サリッサによる攻撃(大体 敵の盾の辺りを狙って突き出し、押しつけていく。狙える標的がうまい具合にあればそこを突く(顔や首筋、胸など)。なお、サリッサで 突いた時の衝撃力は結構ある(薄い鉄板なら貫通する))、密集歩兵の隊列の組み方(前方4人ないし5人が槍を前に構えたとき、盾を構え ている部分に出来るスペースをどうやってカバーするのかについて2列目以降が傾斜を付ける、斜めに突き出す等の可能性を提示。実際に サリッサを自由に使えるのは最前列くらいのようである)、サリッサ導入時期(アレクサンドロス2世かアミュンタス3世の頃と想定。 フィリッポス2世より前と考えている(なお、フィリッポス2世のテーバイ人質時代の経験を過大に見積もる事には否定的))などについて の指摘も興味深いものがありました。そして、サリッサを装備したマケドニア密集歩兵については敵の前進を食い止める事が主目的であり、 密集歩兵が敵を押さえている間に騎兵等を駆使して敵をたたく事がマケドニア及びヘレニズム諸国の戦い方であったという結論になって います。サリッサ自体は、積極的に相手を攻撃するために用いる武器という感じではないと言うことでしょう。

    なお、Matthewの著作については、マケドニア密集歩兵の隊列の組み方などを分析するにあたり、古代の軍事書(帝政期ローマの頃に書かれ た 諸々の著作)の記述を結構参考にしており、それらの史料がどの程度信頼できるのかと言う問題もありそうですが、なかなか興味深い著作です。 (なお、上記の内容については、本自体を改めて見直したら書き加えたり直したりするところもあると思いますが、大体こういうことを書いて あったと記憶しています(いや、手許にあると思ったらどこかにやってしまったみたいで、、、))。

    (参考文献)
    デーヴ・グロスマン(安原和見訳)「戦争における『人殺し』の心理学」筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2004年
    また、マケドニア史の参考文献に掲載されている本に多 くを負っ ています。追記についてはMatthew,C.An Invincible Beast,Pen and Sword Military,2015を参照しました。

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