アレクサンドロス大王と英雄達


アレクサンドロス大王の東征中、彼が自らを神話の英雄と同化して行動した事例がいくつか見られます。そのときに彼が自らをなぞらえ、 さらにそれを超えようとした英雄達を取り上げてみようと思います。

  • アキレウス等トロイア戦争の英雄達
  • アレクサンドロスは東征に出発して間もない頃、東征軍のヘレスポントス横断に際して本隊と別行動をとりケルソネソス南端から 船を出してトロイへ向かいます。そのときアレクサンドロスは船の舳先から槍を投げ真っ先に船を飛び降り、アジアを「槍で勝ち 取った領土」として神より与えられたと宣言した。そしてトロイでは自分の武具を奉納して代わりにトロイ戦争当時より伝わると される武具をもらい受け、アキレウスなどトロイア戦争の英雄達の墓に詣でました。この時の様々な行動については史料によって 扱い方が異なっており、史家によって伝承を肯定的にとるか全面否定するか異なるようですが、アレクサンドロスのアジア上陸の 故事はトロイア戦争の故事に習った物であり、また彼は自分とヘファイスティオンの関係をアキレウスとパトロクレスになぞらえ たという伝承も伝わっています。

    また、アキレウスについてはアレクサンドロスの母オリュンピアスはエペイロス王家はアキレウスと結びつける系譜が作られて いました。アリストテレスが家庭教師としてくるまでアレクサンドロスは母親オリュンピアスの強い影響下に置かれており、母親 からヘラクレスやアキレウスに関する話も色々と聞かされて育ったといわれ、後にアレクサンドロスが神話の英雄と張り合う 行動をとるのも母親の影響であったといわれています。

  • ペルセウス
  • 神話の世界ではそのような話はないため後で作られた話ではないかとも言われていますが、アレクサンドロスはシーワオアシスを ペルセウス、ヘラクレスが訪ねて神託をうかがったという伝説を聞き自らもシーワオアシスを訪ねたと言われています。ペルセウス はゼウスがアルゴスの王女ダナエとの間になした子でギリシア神話の系譜においてペルセウスはヘラクレスの母方の曾祖父にあたり、 メドゥーサの首を落としたことやアンドロメダを救ったという伝説で知られています。

  • ヘラクレス
  • マケドニアの王家であるアルゲアダイはその祖がヘラクレスであるため、アレクサンドロスが自らをヘラクレスの後裔と信じていた ことは知られています。ヘラクレスは十二の功業で有名な英雄ですが、アレクサンドロスが東征中に立ち寄ったり攻略した場所とも 関係がある英雄です。アオルノスの砦の攻略を3度試みたものの失敗したという話が伝わっており、アレクサンドロスはヘラクレス ですら落とせなかったこの砦を攻略しようとして大規模な攻撃を仕掛けて征服したのでした。また、ヘラクレスを模した姿をした アレクサンドロス像はアレクサンドロスの石棺やコインなど様々なところで見られるようになっていきます。


    アレクサンドロス大王の石棺(ヘラクレスをイメージしてか、ライオンを模した兜を被っている)
    世界史探訪より。大きさは元のサイズよ り少し縮めてい ます。)
  • ディオニュソス
  • ギリシア神話では酒の神として知られているディオニュソスですが、彼は各地を遍歴し、インドを征服したという話が伝わっています。 アレクサンドロスが東征中に立ち寄ったニュサの町はディオニュソスが建設したと言われている町であり、そこに到達したことを知っ たアレクサンドロスはディオニュソスよりも遠くへと遠征しようと考えるに至ります。

  • セミラミス、キュロス(大キュロス)
  • アレクサンドロスが張り合ったのは古代ギリシア神話の英雄のみならず、彼はオリエント世界のいにしえの王達をも乗り越えようと します。セミラミスは伝説的なアッシリアの女王であり、キュロスはアケメネス朝ペルシアの建国者ですが、彼らについてアレクサ ンドロスは気高さと名高き業績で群を抜いていると考えて賛美していたと言われています。その彼らが苦しんだのがガドロシアの砂漠 踏破であり、彼もそれに挑戦しようとしたために軍に大損害を与える砂漠の横断に乗り出すことになったと言われています。キュロス については砂漠横断に関する話の他にも彼がキュロスに敬意を抱いていたことを示す話は残されています。結局は攻め落として破壊 してしまうことになるのですが、キュロポリスというソグディアナの町を当初は差し止めさせようとしたのは彼がキュロスに対する 敬意が表れているといわれています。またインドから帰還した際にキュロスの墓が荒らされていることを知った彼は再び彼の遺体を 埋葬しなおし、墓を復しています。


  • 英雄を超える
  • アレクサンドロスの東征中、彼は上記のような英雄達の伝承を聞き、彼自身を英雄達と同化させるだけではなく、彼らを乗り越え ようとしています。現代の私たちは神話の世界は虚構であり、そこに現れる英雄達の行為も虚構の世界であって現実と別であると考え る事がふつうであると思います。古代ギリシアでも、確かにトゥキュディデスのように歴史記述にいっさい神話的要素を入れずに書く 者や、ソクラテス以前の哲学者クセノファネスのように神話を信じない者がいました。しかし一般人がそこまでギリシア神話を虚構と して認識していたのかどうかは疑わしく、古代ギリシアおよびアレクサンドロスが生きた時代のマケドニアでは神話の世界は実際の歴史 とは明確に区別されずに信じられていたと見なしてよいようです。

    神話と歴史が明確に分けられていない世界にうまれ、母親オリュンピアスが繰り返し語るヘラクレスやアキレウスといったギリシア 神話の英雄達の物語を聞いて育ったアレクサンドロスは成長した後にそれらの英雄達と張り合い、自らを英雄と同化させるようになり ますが彼がそのような行動をとったのは母親の影響がかなりあるようです。古代ギリシア世界において神話の英雄達の生き方や神々に よる懲罰といった物事は人々の生きる指針となるものであり、神話は教訓的な役割を果たすものとして語り継がれていったようです。 まして、正直なところ文化水準では南のポリス世界と比べると発展途上であったマケドニアではより強く信じられていたことでしょう。 神話の英雄は人々のロールモデルとしての機能を果たしており、母親から英雄の話を繰り返し聞かされたアレクサンドロスもまた英雄 達と同じように生きようと望んだ事は想像するに難くないことでしょう。

    しかし単にロールモデルとしての英雄の生き方にあこがれ、それと同化するだけではなく、アレクサンドロスの場合には英雄と 張り合いそれを乗り越えようとするところが見られます。英雄をロールモデルとして生き方の手本とするのみならずそれを乗り越え ようとしたのはなぜなのでしょうか。最近の研究ではアレクサンドロスの時代は古代地中海世界における君主崇拝の分水嶺であった とされています。

    アレクサンドロスは母親から繰り返し神話の英雄の話を聞かされる中で自らが神々の血統に連なるという意識を持っていたようです。 父方のマケドニア王家はヘラクレスを祖先とし、母方のエペイロス王家はアキレウスの子孫であり、どちらもゼウスにつながっていき ます。そのような血統に生まれた彼はかなり早い段階から自分がゼウスの子であると信じていたようで、それはシーワオアシスを訪ねて アモン神の神託を受けてから後にさらに強まっていきます。この時に神官から神の子と呼びかけられ、それをもってアレクサンドロスが 「ゼウスの子」であると認知されたという宣伝がなされて君主崇拝へとつながるのですが、自らが神の子であるという意識をさらに強め たことは確かでしょう。ゼウスの子であるという意識を持つようになると、同じくゼウスの子であるヘラクレスやディオニュソスといった 神話の英雄と自分は同じであり、それゆえに英雄達を超えようとしたのだといわれています。

    そして遠征がさらに続く中で彼はギリシア世界のみならずオリエント世界の英雄とも張り合おうとしたというわけです。自らが神の子で あるという意識の元、同じく神の子である英雄達よりも上に行こうとする意志が彼を東へと駆り立てた原動力となっていったようです。 しかし一人の男が英雄と張り合いその功業を超えようとするためには多大な犠牲を払うこととなり、10年にわたる遠征で彼は多くの町を 破壊し、人々を殺したのみならず、彼に付き従う将兵達の多くも帰らぬ人となっていったのです。


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