「トルコ至宝展」をみる


2019年3月20日より、六本木の国立新美術館にて「トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」という展覧会が開催 されています。トルコ関連の展覧会というと、2003年にヒッタイト、ビザンツ、オスマンをあつかう「トルコ三代文明展」が開かれ ていたり、2007年には「トプカプ宮殿の至宝展」が開催されるなど、少し前までは結構やっていたような気がしますが、あれから もう10年以上経っていたのかと驚いています(個人的にはもっと多く開催していると思っていました)。

今回の展覧会の特徴を和えてあげるとすると、「チューリップ」と「日本との関わり」でしょうか。まず、チューリップについて ですが、世界史でもオスマン帝国の歴史で「チューリップ時代」というヨーロッパから輸入したチューリップなど西洋の文物を 愛好する時代があったことは出てくることがあります。このチューリップですが、ついついオランダあたりが原産地なのかと 思ってしまうかもしれませんが、ルーツはむしろトルコからユーラシアのステップ地帯にあります。なぜチューリップが珍重 されるのかということについては、アラビア文字に数値が割り振られており、アラーとチューリップを意味する「ラーレ」は 合計した数字が同じになるため、非常にありがたい花として珍重されたということのようです。文字に数字が割り振ってあり その合計が、という話を聞くと、獣の数字こと666がヘブライ文字に転写した皇帝ネロを意味する云々の話を思い出してしまい ますが、それはまた別の話。

数値の話はさておき、チューリップがオスマン帝国の人々に好まれていたということは、様々なものからわかることでは あります。まずチューリップそのものを描いたり、チューリップをあしらった工芸品が作られ、それも意匠として図案が作られ て表現されているものから、かなりリアルな造形のものまでいろいろなタイプのチューリップ柄が表れています。スルタンを はじめとする王侯たちが身に待とう衣服や、彼らの日常生活に使われる品々、書道の手本や本の挿絵、そして色鮮やかなタイル までいろいろなところに使われています。それだけチューリップがオスマン帝国において愛好されていたというわけです。

もう一つの日本に関する事柄ですが、エルトゥールル号の沈没事故があり、その義捐金を渡すためにオスマン帝国を訪ねた 山田寅次郎という人物がいます。彼はオスマン帝国への旅の様子を書いた本を残していますし、彼についての本も出ていたりします。 トルコというと「親日的」な国という言説をしばしば目にしますが、その真偽はさておき日本との接点・交流の始まりはこのころ からになるようです。そして山田寅次郎がきた頃のオスマン帝国のスルタンはアブデュルハミト2世でした。

アブデュルハミト2世というと、専制政治をしいたとかパンイスラム主義を帝国統合のために利用した(エルトゥールル号の 事故もパンイスラム主義と関連があったりします)といったことで名前が上がる人物です。そんな彼の趣味が大工仕事であり、 相当な腕前であったらしく、日本の大工道具が明治天皇からの個人的贈り物としてスルタンに渡されていたということは 知りませんでした。それにしても昔の君主って妙な工芸とか手仕事とかに手を出す人がちらほら目につくのはなぜでしょう。

チューリップと日本に関係しないところで言うならば、オスマン帝国の工芸美術は豪華絢爛と言う言葉がぴったりと似合う というところでしょうか。特に「エメラルド・スプラッシュ!」と思わず言いたくなるようなエメラルドの豪快な使い方は一見の価値 があると思います。巨大なエメラルドをそのまま刀の柄に使おうなんて普通考えないでしょう。そのほかにも、中国の陶磁器の表面 に大量の宝石をちりばめて飾ってみたり、刀の装飾が隙間なく宝石類で埋め尽くされていたりと、スルタンの富を誇示するかのような 品々が展示されています。石のカットの仕方などはおそらく今の方が優れているような気がしますが、これだけの量の宝石をつかう だけの力を持っていると言うことが見ているこちらにも伝わってきました。


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