「よみがえる黄金文明展」を見る。
〜古代トラキア王国の財宝〜

2009年2月2日、大丸ミュージアムにて開催中の「よみがえる黄金文明展 〜ブルガリアに眠る古代トラキアの秘宝」という展覧会を 見に行ってきました。デパートの中の展覧会と言うことで、果たしてどんな物なのか分からず、余り大したことはないんじゃないかと 思いながら見に行ってきましたが、これが予想以上に満足できる展覧会でした。

現在のブルガリアのあたりには、トラキア人がギリシア文明の影響も受けつつ、独自の文化を築いていました。いくつもの部族に分かれて いたトラキア人ですが、時にはオドリュサイ王国のような強力な国家が生まれたり、トリバッロイ人のようにフィリッポス2世やアレクサンドロス 大王と干戈を交えた集団がいたりしたことが知られています。また前4世紀後半のセウテス3世のもとで再び発展し、彼の墓も発掘されて様々な 遺物が発見されていたりもします。

トラキア人が栄えたブルガリアにおいて、近年、発掘が多く行われ、その際に多くの黄金製品や銀製品が発見されています。今回の展覧会では 発掘を通じて発見された黄金製品や銀製品のほか、トラキアの武器や馬具、ギリシア文明の影響を窺わせる様々な遺物が展示されていました。 会場はそれ程広くはないものの、展示品がかなり見栄えの良いものが多く、じっくり見ると小一時間程かかると思います。

内容としては、トラキア人の残した様々な遺物が展示され、その中にはアケメネス朝ペルシアの影響を受けたとおぼしきものがあったり(動物 の姿がそれっぽい)、ギリシア文化の影響を受けたものがあったり(赤絵式陶器にはギリシア神話をモチーフとした図案があったり、ギリシア 文字で書かれた遺物があったりします)、騎馬戦士として名高いトラキア人の武具や馬具(その中には「ヒストリエ」や「アレキサンダー」で 見かけたような形の兜や剣がありましたし、サリッサかと思うような長い槍の穂先が展示してありました)、トラキアの墳墓から発掘された 豪華な副葬品、そして何らかの事情で土の中に埋められた財宝といったものが数多く並べられ、トラキアが様々な文明の影響を受けながら独自の 文化をはぐくんでたことを窺わせる展示になっています。

今回は墳墓の発掘によって発見された遺物が来ていましたが、トラキア人は自分たちで歴史書を書き残したりしていないため、分からないことも 色々あります。発掘によって遺物が色々発見されても、それだけではトラキア人の文化や社会についてはっきりとした姿を描くことはできず、 ギリシア人などが書き残した文献資料に結構頼らないといけないところがあります。なぜそのような遺物がそこにあったのかと言うことについて も、文献資料を基に推測をしていったりするようですが、今回来ている遺物の一つロゴゼン遺跡出土の銀器については、次のような説明がなされて います。

ロゴゼン遺跡の遺物のなかにはギリシア文字で人名や地名が書かれた物があり、そこにはオドリュサイ王コテュスやケルセブレプテスの名前が 書かれており、その遺物はかつてはオドリュサイ王の持ち物だったと推測されています。一方遺物の見つかった場所はトリバッロイ人の勢力圏 であることから、この遺物は前339年にトリバッロイ人がフィリッポス2世を負かしたときにぶんどった戦利品で、それが埋められたのは彼らが 即位して間もないアレクサンドロス大王の侵攻をうけ、遺物を隠しておくために埋め、それがそのまま残ったという説明がなされています。 実際にそうだったのかは分かりませんが、色々な想像がふくらみそうな財宝は結構出てきているようです。

トラキアの黄金や銀製品の展覧会は時々日本にも来ていますが(私が見たことがあるのは15年くらい前のもの)、今回の展覧期は規模はかなり 小さかったですが、余り告知されていないのか開催場所が大丸ミュージアムだからなのか、あまりこんでおらず、じっくりと見たいだけ見る ことができました。展覧会というと、最近はやたらと混雑していることが多いのですが、意外な穴場という感じの展覧会でした。「ヒストリエ」 を読んでマケドニアに興味を持った人も見てみることをお薦めします。直接関係があるわけではありませんが、こんな兜や武器が使われていた んだと言うことを知ってもらう良い機会かと思われます。


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