鉄炮と日本
〜「歴史の中の鉄炮伝来」を見る〜


10月より佐倉の歴史民俗博物館にて開催されている「歴史の中の鉄炮伝来 種子島から戊辰戦争まで」を見に行ってきました。 佐倉の歴史民俗博物館はその立地のせいもあってなかなか見に行けなかった博物館なのですが、今回運良く平日に時間がとれた ため、早速見に行ってきました。それにしても東京から千葉県佐倉へ行くのは一寸した旅行ですね。しかも佐倉に向かう途中の 風景はまさしく田園そのものであり、都市から田園部への旅のような感じでした。そして、佐倉についてから佐倉の歴史民俗博物館 へ行くまでの間も結構距離がありました。

博物館の展示の構成は(1)鉄炮伝来から鉄炮が定着するまで、(2)鉄炮製造の技術の発展について、(3)幕末の動乱と軍事技術 と言った内容に分かれます。まず、始めの部分では鉄炮の伝来について、通常言われている種子島に伝わってそれから急速に広まり、 築城技術と戦闘方法を急激に変化させたという見解を真っ向から否定していきます。かいつまんでまとめると、鉄炮は種子島を含めた 西日本の広い範囲につたえられたということ、そしてその形状からヨーロッパからではなく東南アジアから伝わったものであること、 そして鉄炮を伝えた主な勢力は倭寇であったことを示すような展示になっています。そして、鉄炮は贈答品や狩猟の道具として用いられ、 それが砲術史の活動を通じて色々なところへと広まり、そして鉄炮衆が戦国大名の許で組織されるようになって戦場で鉄炮が本格的に 用いられるようになり、天下統一のために大いに活用されるようになった、そして鉄炮が戦争の道具として用いられるようになった頂点 を示す物が大型鉄炮、石火矢の登場であるということです。

その後、鉄砲の呼び名や種類、鉄砲の構造、鉄砲を使うために必要な付属品などの鉄砲に関する細々とした事柄をしめし、さらに国友鉄炮 鍛冶をとりあげ、鍛冶の組織や鉄炮の作り方などを紹介していきます。さらに鉄炮がどのくらいの威力があったのかを実際に見せるコーナー もあり、それを見る限りではそう簡単に防げるような代物じゃないと言うことがよく分かると思います。絵巻などに出てくる竹の垣などでは とうてい防げるような物ではなく、檜の板や鉄板も何枚も重ねないと鉄炮には対抗できないということがよく分かります。そして最後に幕末 から戊辰戦争の頃にかけて、西洋の軍事技術を取り入れながら軍事の革新がはかられていく様子が当時の銃や兵学関係の著作などの展示に よって示される形で展示は終わっています。

一口に鉄炮と言っても、銃身が丸かったり八角形だったり、鉄製であったり真鍮であったりと、様々な形状・材質の鉄炮が存在し、 さらに炮術の流派によってもちがいがあるようですが、確かにその形・大きさは色々です。展示品の中には一体こんな鉄炮を誰が持ち運 びするのだろうと思うくらいの長さの銃や、非常に巨大なものもあります。また、異風物という日本で南蛮渡来の鉄砲をまねて作った鉄砲 がすでに鉄炮伝来から数年も経たぬうちに作られていることもしめされており、こうしたことから、種子島一カ所のみに伝わった物がこれ 程急激に広まって色々な形になると考えるのは難しく、やはり西日本一帯に広く様々な鉄炮が入ってきていたのだろうなあと思わされる、 そんな展示になっています。昔の情報や文化の伝播のスピードがどの程度なのかを押さえておかないと何となく危ないような気もしますが、 鉄砲の多様性については十分分かると思われます。


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