手に取ってみた本たち 〜サ行〜


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    佐伯真一「戦場の精神史 武士道という幻影」NHKブックス、 2004年
    映画「ラスト・サムライ」のヒットや、その影響で新渡戸稲造の「武士道」が売れるという具合で、最近武士道に関して 以前に比べると注目が集まっているようです。しかし、果たして武士道精神に乗っ取り、正々堂々と一騎打ちを行うという 武士像は真実なのか・・?古代から近世、近代まで、だまし討ちに対してどのように考えてきたのかをたどりながら、 謀略と虚偽を肯定する戦場の倫理の存在を明らかにし、初期の頃の「武士道」はそのようなものを肯定する論理であり、 近世にはいると儒教倫理に基づく「士道」の観点から「武士道」への批判が起こるという歴史があったことがわかります。 さらに明治時代にはいると全く異なる姿を持つ「武士道」が西洋と対峙する中で作られ、それが現在の武士道認識につなが っているということが示されます。

    斎藤慎一「戦国時代の終焉 「北条の夢」と秀吉の天下統一」中央公論新社 (中公新 書)、2005年
    羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と徳川家康が対決した小牧長久手の戦いと同じ頃、北関東では北条氏と佐竹など関東諸勢力による沼尻の戦い が起きていました。関東地方を舞台としたほとんど知られていないこの戦ですが、実は戦の展開が実は秀吉や家康の動きとも絡むとともに、 秀吉と北条氏の敵対関係はこの戦の頃から既に見て取ることができるといいます。本書では信長と友好関係を持ちながら「北条の夢」=関東統一 を目指そうとした北条氏が信長死後に独力での関東統一を目指し、家康と同盟を結び佐竹や宇都宮、佐野など関東諸勢力と激しい争いを繰り広げ た様子が書かれるとともに、北条も含めた関東諸大名の背後で秀吉や家康が動き、関東諸勢力が秀吉に助力を求める一方で北条氏も情勢の変化 に伴って秀吉と交渉を持つなど活発な外交が展開されていたことが明らかにされます。

    北条の目指すところが関東統一、それも当初は織田政権の 枠組みの中で関東の国主を目指すというものだったところからは戦国武将の皆が天下統一を目指していたわけではないことが窺えます。また、 滝川一益の上野入国以降、前述の形での「北条の夢」追求が難しくなった北条氏が信長死後には家康との同盟をバックに自力で関東統一を目指す ものの、すでに時代は天下統一に向けて進んでおり、やがて秀吉の圧力に抗しきれなくなり遂に対立して小田原合戦に至るまでの歴史をみると 中世から近世へという時代の転換がよりよく分かると思います。

    ハリー・サイドボトム(吉村忠典・澤田典子訳)「ギリシャ・ローマの戦争」 岩波書店 (一冊でわかる)、 2006年
    古代ギリシア・ローマ世界において戦争は社会や文化でも重要な地位を占める事柄であり、さらに思考の様式に影響を与えていました。 論者によってはこの時代に「戦争の西洋的流儀」が作られ、それが連綿と続いてきたと考えている事もあります。本書では正面からの 会戦により敵を殲滅する事を目指す「戦争の西洋的流儀」というものが古代ギリシア・ローマ世界において作られたイデオロギーである と捉え、さらに文化、ジェンダー、個人の性格と戦争の関係や「正当な戦争」の理論体系の有無、戦略や戦闘、将軍の役割といったもの から古代人の世界観や考え方を見ていく、戦争をキーテーマとしながら古代の社会や心性について見ていくという形を取っています。

    古典史料や考古・美術資料の性格や扱い方についても所々言及があり、戦争と社会を扱った章では通説と新説、そして新説に対する批判点 をあげながら歴史解釈の変化の問題を論じるなど、西洋古代史の入門書としての面もある本です。ただし、タイトルに惹かれて戦争の実態 とか個々の戦いの展開や武器の話がたくさんあると思って読むと、本書の内容はその期待とは少し方向性が違うため、なじめない方もいる かもしれませんが、古代世界に関心を持つ方にとってはなかなか興味深い本であると思います。

    ロバート・サーヴィス(中島毅訳)「ロシア革命1900-1927」岩波書 店、 2005年
    ロシア史の中でロシア革命がどのような意味を持つのか。本書では20世紀初頭のロマノフ朝末期の頃から話を始め、ロシアの経済、社会の状況に ついてかなり詳しく述べながらネップの頃までの時代をまとめていきます。世界史の中での位置づけではなく、ロシア史の中で革命を位置づけ ようとした作品で、政治のことも書いてありますが経済・社会面の話に重きが置かれている感じがする本です。

    坂井弘紀「中央アジアの英雄叙事詩 語り伝わる歴史」東洋書店(ユーラシ ア・ブック レット)、2002年
    中央アジアのテュルク系諸民族の間で語り継がれてきた様々な叙事詩は中央アジアの人々が残した貴重な文化的遺産で、現在も語り手たち によって語り継がれています。そこに伝えられる叙事詩の内容は史実をそのまま伝えているわけではありませんが、ある歴史的な出来事を 題材にしていたり、そこには彼ら自身の集団としての記憶や歴史観のような物もうかがい知ることができるという点で、中央アジアの歴史 をしる重要な史料となるようです。中央アジアの英雄叙事詩の話の展開、扱っているテーマ、モチーフは何かと言ったことを知りたい人に お薦めです。また、中央アジアの英雄叙事詩の内容の紹介やそれに関する歴史的な事柄の説明もあるため、この地域の歴史について興味が ある人が読んでも面白いと思います。

    阪倉篤秀「長城の中国史 中華VS遊牧六千キロの攻防」講談社(選書メチ エ) 、2004年
    中国の北方に走る巨大建造物、一時は宇宙から見えるとも言われていた建造物(昨年宇宙へ行った中国の宇宙飛行士はこの事を 聞かれたそうです。で、実際には見えなかったとのこと)、それが万里の長城です。二千年の長きにわたり、中華世界と遊牧世界 を隔てる壁として作られた万里の長城の歴史をたどっていきます。内容的には明代の万里の長城や北方防衛について詳しく述べ られています。秦の長城についても説明はされてますが、漢の時代の長城についてはほとんど説明はありません。軍事的な面に 関する説明では、講談社現代新書「万里の長城 攻防三千年史」の方が充実しているように感じました。とはいえ明代に関しては とても詳しいですし、データもついていますので、そのあたりの時代に関心がある人は是非読んでみた方がよいと思います。

    坂田美奈子「先住民アイヌはどんな歴史を歩んできたか」清水書院(歴史総合 パートナーズ5)、2018年
    北海道に暮らすアイヌと江戸幕府、明治政府はどのような関係を築いていたのか、また近代日本のあゆみのなかでアイヌに対しどのような 考えのもとで、どのような政策が実施されていったのか、そしてそのなかでアイヌはどのように対応したのか、それをコンパクトにまとめた 一冊です。前近代的な秩序の中で江戸幕府とアイヌの関係について、それぞれで独自の認識を形成していた時代から、明治にはいり、日本国民 としてアイヌを支配に組み込もうとするなかで、アイヌの近代化への対応が「同化」でなく「文化変容」であることなど、様々な話題が掲載 されています。また、「植民地」という言葉に対する我々のイメージについて、改めて考えるきっかけになる本だとも思います。

    サキ(深町悟訳)「ウィリアムが来た時」国書刊行会、2019年
    ドイツ帝国にあっさりと敗れ、帝国の支配下に置かれたイギリスという設定のもと、ドイツ支配のもとで何とかその状況にうまく 対応していくものもいれば、それにたいしてどうしても納得がいかないまま徐々になれていくもの、表だっては動かないものの、 何とかして抵抗を試みるもの、様々な人々の姿が描かれていきます。書かれたのが1913年、第一次世界大戦の前年という時期ですが、 戦争が短期間で決着がつくものという捉え方や、支配者となったドイツ人達が決して「おぞましい敵」としては描かれていないという ところは、血みどろの総力戦を経験していない時代ならではでしょうか。

    桜井邦朋「夏が来なかった時代 歴史を動かした気候変動」吉川弘文館、 2003年
    今年の夏は、関東地方や東北地方ではなかなかスッキリと晴れることが無く、曇りや雨の日が多かった夏でした。 そのため、10年ぶりの冷夏になってしまい、米や野菜のできが悪いそうです。歴史上、全世界的に寒かった時期があったり、 暑かった時期がありますが、フランス革命やナポレオンの時代は世界的に寒かったといわれています。気候の変動が歴史とどう 関係するのか、そういうことを当時の世相や博物誌、絵画や文学、風俗といったところからみていった上で関係を書いていきま す。

    著者は歴史学者ではなく、理系の研究者です。気候というのも通常の歴史書ではあまり扱われないことのようです。色々さ がしてみても歴史の本で気候と歴史の関係を扱っている本はみた記憶がないです。歴史的な事柄をすべて気候など自然現象によ って説明することは難しいと思いますが、自然も歴史に影響を与えていたのだと言うことを認識させられる本だと思います。

    桜井俊彰「イングランド王国前史」吉川弘文館、2010年
    ローマン・ブリテンとノルマン・コンクェストの間の七王国(ヘプターキー)時代についての一般向けの書籍です。 かなり砕けた調子で書かれているので、気軽に読めると思います。系図は付けて欲しかったなとは思いますが、 読みやすいです。

    桜井俊彰「消えたイングランド王国」集英社(集英社新書)、2015年
    ノルマン・コンクェストによってアングロ・サクソンのイングランド王国は消滅した。しかしおよそ1世紀半にわたるその歴史 はアングロ・サクソン諸王国の統一と、北欧から迫り来るデーン人との戦いとクヌートによる支配、そしてウィリアムによる ノルマン・コンクェストという激動の歴史でした。本書はその過程をまとめた一般向けの書籍です。ブリテン島に迫る外敵との 戦いの中に生きた戦士や王たちの挽歌というかんじの一冊です。

    桜井万里子「ヘロドトスとトゥキュディデス 歴史学の始まり」山川出版社、 2006年
    古代ギリシアの歴史家として広く知られているヘロドトスとトゥキュディデスをとりあげ、「歴史学」というジャンルがない 時代に歴史叙述を行い、後の歴史学の誕生を準備した2人の歴史家について叙述のしかたや彼らが生きた古代ギリシアの社会 について、そしてこれからの歴史学がどうあるべきかということをまとめた本です。

    彼ら2人の歴史家については「ヘロドトス は嘘つき」、「トゥキュディデスは厳密な史料批判をもとに叙述を行った」、「トゥキュディデスはヘロドトスに批判的だった」 といったよく見かける説についてかなり突っ込んだ記述がみられますし、彼らの生きた古代ギリシアの社会についてもクセニア関係、 イオニアの知的風土、アテナイ民主政治の一端、ポリスの内乱、ペロポネソス戦争後のギリシアなど多岐にわたる題材が盛り込ま れています。そう言ったことの他にヘロドトスについて、イオニアの知的風土との関連から色々と考察するような研究があることや、 テミストクレスの決議碑文の真贋を巡る学界の論争などなど結構面白い話題が盛りだくさんなので、かなりコストパフォーマンスの 良い本だと思います。

    桜井万里子・橋場弦(編)「古代オリンピック」岩波書店(岩波新書)、 2004年
    2004年の8月13日から2週間にわたってギリシャのアテネにおいてオリンピックが開かれるため、近代オリンピックの父 クーベルタンが理想とした古代オリンピックに関する様々な書籍がだされています。古代オリンピックが開かれたギリシア のオリュンピア遺跡の発掘と遺跡の概要、オリュンピア競技会の起源から競技会開催までのプロセス、そこに集う人々や 行われた競技、さらにそこで勝利することの意味などについてそれぞれ執筆者を変えつつまとめられています。また、屡々 オリュンピア競技会が選手のプロ化とアマチュア精神の喪失が進み衰退していった時代と見られるヘレニズム時代やローマ 帝国の時代のオリュンピア競技会の様子も類書と比べて詳しく書かれています。

    マケドニアやヘレニズム諸王国とオリュンピア 競技会の関係を扱った項目があり、そこを見るとオリュンピア競技会に関心を持ち、オリュンピア競技会に参加したという 逸話を残したアレクサンドロス1世や、これまたオリュンピア競技会に参加したという伝承をもつとともに自分の国でも似た ような祭典を開くことにしたアルケラオス、オリュンピア競技会に参加したのみならずオリュンピアの聖域にフィリッペイオン という建造物を残したフィリッポス2世に関する話が取り上げられています。オリンピックとマケドニア王国の関連については 本書を見ると大体のことは分かるのではないかと思われます。

    桜井万里子・師尾晶子(編)「古代地中海世界のダイナミズム 空間・ネット ワーク・ 文化の交錯」山川出版社、2010年
    日本で西洋古代史の研究が行われるようになってから、もうかなりの年月になりますが、その間に研究はより精緻なものとなっていますし、 対象となるテーマも広がってきてます。また、研究に携わる教員・学生も普通に海外に留学して研究に励んだり、海外の雑誌に投稿したり、 学会で報告したりといったことを行うようにもなっているようです。

    本書は「古代地中海世界」の形成を扱った第1部と、その内部の成熟を扱った第2部からなっていますが、扱われているテーマも結構幅広く、 前古典期のロドス島の遺跡や、シチリア島、マケドニア、ガリア、エジプト等々、かなり地域的な広がりもありますし、時代としても前古典期 から古代末期までがあつかわれています。かつてはアテナイ、ローマ中心だった西洋古代史の研究が、今はこれだけ色々な地域や時代、テーマ の研究が行われるようになったと言うことが分かる1冊です。

    櫻井康人「図説十字軍」河出書房新社、2019年
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    櫻井康人「十字軍国家の研究」名古屋大学出版会、2020年
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    櫻井康人「十字軍国家」筑摩書房(筑摩選書)、2023年
    十字軍運動の過程を通じ,地中海世界などにうまれた「十字軍国家」の興亡についてまとめた本が出ました。いわゆる十字軍が主に向かった地中海 東岸 世界に建国された十字軍国家だけでなく、その後キプロスやマルタに存続した国々、東欧に向かったドイツ騎士団領などもあつかわれています。諸 勢力 が並び立ち対立と交流が見られる世界で、決して規模が大きくない十字軍国家が如何にして生き残りを図っていったのかが描かれています。

    佐々木徹「慶長遣欧使節 伊達政宗が夢見た国際外交」吉川弘文館、2021 年
    奥州仙台藩の祖となる伊達政宗が藩士支倉常長を大使としてスペイン、そしてローマヘと使節団を派遣した話はよく知られています。しかし、 政宗がなぜ使節団を派遣したのか、そして使節団がどのような待遇を受けていたのか、禁教令が敷かれた日本への帰国後の状況はどうなったのか などを手堅く分かりやすくまとめた一般書というのは貴重でしょう。しばしば南蛮征伐や幕府転覆を考えて使節団を派遣したという少々怪しい 説がまかりとおり、さらに近年では東日本大震災の影響もあったのか震災復興説まで唱えられている慶長遣欧使節がどのようなものかを知りたい 時に手に取ると役に立つと思います。

    笹本正治「戦国大名の日常生活 信虎・信玄・勝頼」講談社(選書メチエ)、 2000 年
    戦国大名というと、NHKの大河ドラマや映画、小説、漫画、はてはビジネス書の世界にも良く登場する人々です。しかし、実際のところ 彼らはどのような存在だったのでしょうか。本書では戦国大名というと大体の人が思いつく武田氏を題材にして、戦国大名の姿を書いて いきます。まず、戦国大名とは戦争の勝利を常に考え続け、勝つことを宿命づけられている存在として本書で定義され、戦国大名がいか にして勝ち続けて家臣達に利益を分配するのかを考えて実行に移すことが求められていたという観点から家督相続や家臣団編成、主従関係 の構築、税制や法制、信仰の問題について論じていきます。

    武田氏というと父信虎を追放した信玄の家督相続や信玄の長男義信の自刃など 家督相続を巡るいざこざが絶えませんでしたが、そこには家臣たちの意向が色々と繁栄されていたことが明らかになりますし、家臣に 対する気遣いはかなり細かく行っていたことも明らかになります。税制に関しても山がちな領国のために棟別銭や関銭などの形で資金を 集める仕組みを発展させたことが語られています(その辺は同じ東国の大名でも北条とは違う)。領国統治に関して、よく言われている 信玄堤や金山については、信玄堤は継続的に慣習としてあった地方ごとの治水の追認にすぎなかったことや、金山に関しても武田氏が金山 経営をしていたと言うよりも金山衆に税を課したりしていたということが実像であることが明らかになります。家族については、当主以外 の武田一族は当主が勝ち抜くための持ち駒として使われる存在であったことが信玄の兄弟や子供達のあり方から分かりますが、それでも 身内に対する愛情のような物はかいま見えます。さらに能や連歌、茶の湯などの文化もそう言う物に通じていることが支配のためにも重要 な意味を持つことや、信仰までも戦争と結びつけていたことも示されます。とにかく家族から文化、経済等々、すべての事柄が戦乱の世で 勝ち残っていくためと言うことに結びつけられていくのが戦国大名の生活だったようです。

    笹本正治「武田勝頼 日本にかくれなき弓取」ミネルヴァ書房、 2011年
    武田勝頼というと、信玄亡き後の武田氏をつぶした張本人ということでかなり低く評価されている人物です。しかし彼が発給した文書や 手紙、さらに様々な文献をもとに描き出された武田勝頼像は、従来言われたような猪突猛進型の武将といったものではなく、家臣団や領民 との関係に心を配り、軍役や領国統治に細心の注意を払い、文化水準も高い優れた武将といったものだというのが本書での主張です。 少々勝頼びいきな感じがする箇所もあるのですが、行きすぎた物ではなく、バランスはそれなりにとれている本です。

    指昭博「イギリス発見の旅」刀水書房、2010年
    「イギリス」の地誌情報の編纂、「イギリス」の地図作成といった学者の活動や、女性旅行家が各地を旅して周りながら残した記録、 そして「ピクチャレスク」な自然を求める画家の活動、そういったものから、人々が「イギリス」とはどういう物かを見いだしていく 家庭を書いている本だとおもいます。結構手軽に読めますよ。

    指昭博「キリスト教と死」中央公論新社(中公新書)、2019年
    人がいつか必ず迎える死、それに対し人々はどのように向き合ってきたのか。本書ではイギリスの事例を中心としながら、死後の世界や 最後の審判、幽霊や死体、墓といったものをめぐるキリスト教での扱いについてまとめています。死にまつわる諸々の話題を盛り込んだ といった感じの本ですが、ところどころに興味深い指摘が見られます。

    指昭博(編)「ヘンリ8世の迷宮」昭和堂、2012年
    ヘンリ8世というと、良くも悪くも存在感があるというか、目立つ王様のひとりです。では、彼の時代のイギリスはどうだった のか、そもそもヘンリ8世はどのようにして国を治めていたのか、よその国との関係はどうだったのか、そういうことは意外と 知らない人が多いのではないでしょうか。そんなヘンリ8世についてに入門書です。

    佐竹靖彦「劉邦」中央公論新社、2005年
    秦末の動乱期に一介の貧民からのしあがり、漢の建国者となった劉邦、彼については「史記」などの記述などを元にして多くの本が 書かれています。しかし、そこに書かれている事ははたしてありのままを伝えているのか?本書では「史記」などの記述を検討し、 任侠的つながり、任侠的社会のなかで劉邦が台頭し、秦末の群雄の一人としてのし上がっていくまで、項羽とともに秦と戦いいち早く 関中に乗り込むも結局追い落とされるまで、そして韓信の活躍などにより項羽を攻め滅ぼし劉邦が皇帝になるまでを描いていきます。

    劉邦一家は魏の大梁からの移民、呂雉の一族が呂不意の末裔等々、著者の推測がどこまで信用できるのかはわかりませんが、項羽と 劉邦に関して一通りの知識がある人が読むと、色々と面白く読めるのではないかと思います。初めて読む本としてはちょっとどうか とおもいますが。

    薩摩秀登「物語 チェコの歴史 森と高原と古城の国」中央公論新社 (中公新 書)、 2006年
    ヨーロッパの内陸国の一つチェコの歴史を、その時代を代表すると思われる人物をピックアップしながらたどっていく本です。紹介されて いる人にはカレル1世(神聖ローマ皇帝カール4世)とかフス、キュリロスとメトディオス兄弟のように世界史でもその名前がちょこっと 出てくる人もいれば、アネシュカやペルンシュテイン一族などチェコ史に興味がなければまず目にすることがないであろう人々についても 紹介されています。

    一方、後半では個人ではなく複数の人を取り上げ、プラハ大学の管轄をめぐる皇帝、イエズス会、プラハ大司教の 対立やプラハにおける音楽家の活動、民族主義が高揚する中での博覧会開催、チェコスロヴァキア共和国の成立から解体および国内の民族 に関する事柄を扱うような形に変わっていきます。チェコ民族の国家の歴史としてではなく、現在のチェコのある場所に生きた人々の目を 通して歴史を書きながらチェコという国の歴史を追いかけていくという形を取り、見慣れない固有名詞がかなり出てくるので読みにくい 処もありますが、全体を通して読んでみると結構読みやすい本だと思います。

    佐藤亜紀「ミノタウロス」講談社、2007年
    第一次大戦からロシア革命に伴う内乱の時代を舞台に、ちょっと教養があってひねていて悪童的要素をもつ「ぼく」がその状況に放りこま れて転落して…という話が書かれています。その時の視点が、下っ端で略奪・殺人・暴行に従事する側の視点でかかれていきます。誰かに 感情移入して読む話ではなく、何となく遠巻きに眺めるような感じで読む話のような気がします。

    佐藤賢一「英仏百年戦争」集英社(集英社新書)、2003年
    イギリスとフランスが100年の長きにわたって戦った戦争、それが百年戦争だというイメージがあります。しかし中世の ヨーロッパには「イギリス」も「フランス」も現在のような形では存在していません。イングランド王、フランス王と 国王の位に違いこそあれイングランド王はフランス貴族であり、両者とも“フランス人”の王であり、王国というものも 無数の封建領主の所領の集合体にすぎませんでした。そのような状態がこの100年間に及ぶ戦争を通じて変化し、無数の 領土の集合体から一つの国家へ、さらにイングランド王国、フランス王国と言ったまとまりが生まれ、独自の文化を育み、 ひいては国民国家イギリス、フランスの出発点になっていったということも考えられるようです。いきなり国民国家の 話に飛ぶところは少々結論を急ぎすぎのように感じられるところもありますが、百年戦争の歴史をかなり分かりやすく まとめている本であると思います。

    佐藤賢一「ヴァロア朝」講談社(現代新書)、2014年
    ヴァロア朝、と言われても一体いつ頃のことだろうと思う人は多いと思います。では、こう付け加えると分かる人もいるかも しれません。「百年戦争があったころ」「レオナルド・ダ・ヴィンチが「モナ・リザ」抱えてフランスに行った頃」、あとは 「神聖ローマ皇帝カール5世と争った頃」「マキャヴェリが「君主論」を書いた頃」等々もありますが。あと、「アルカサル」 読者もわかるかもしれません。

    そんな出来事があった頃、フランスでは中央集権化、領域の一円的支配の進展がみられました。そんなヴァロア朝について、 王様達の伝記をつなげていく形で王朝の歴史を描き出していきます。

    佐藤彰一「カール大帝 ヨーロッパの父」山川出版社(世界史リブ レット 人)、2013年
    カール大帝というと、フランク王国の国王で、ローマ教皇からローマ帝国の皇帝位を授かったことと西ヨーロッパ世界の成立、 カロリング・ルネサンス、死後の王国の分裂、こういったあたりは世界史の教科書レベルでも出てきます。本書ではヨーロッパ という枠を越え、「ユーラシア世界」の歴史の中でフランク王国の発展、カール大帝の時代というものをとらえようとしています。 ページ数は少ないですが、位置づけようとする世界は非常に広い、そんな一冊です。ピレンヌテーゼとは逆の意味で「ムハンマド 無くしてシャルルマーニュ無し」と言えるということも指摘されており、面白く読むことができました。

    佐藤彰一「禁欲のヨーロッパ 修道院の起源」中央公論新社(中公新 書)、 2014年
    中世ヨーロッパで修道院が数多く作られていましたが、俗世間から隔離されたところで修道士達が過ごすという形態の出現は いつ頃から出現したのか。本書では古代世界における禁欲と修道院成立の関係についてまとめていきます。

    佐藤彰一「贖罪のヨーロッパ 中西修道院の祈りと書物」中央公論新 社(中公 新書)、2016年
    5世紀の西ローマ帝国の崩壊から、クリュニー修道院やシトー会の活動といったあたりまでの時代を扱った一冊。ガリアやイベリア半島、 アイルランド、それぞれに修道制が形成されていた時代があること、ベネディクト戒律が有名だがそれ以外にもコロンバヌス戒律や東方の 別の戒律が存在したことなどが扱われています。写本の作成など西洋の知の拠点としての修道院の側面にも触れていますが、巻物が冊子に 変わる過程で消滅していったものがいろいろとあるのですね。

    佐藤信弥「周 理想化された古代王朝」中央公論新社(中公新書)、 2016 年
    世界史では封建制の関係で登場し、儒家の文献では理想の王朝として描かれ、のちの時代においては小説、漫画の題材にもなる ことがある周、特に西周についての記述を中心に、周王朝の歴史をまとめています。その際に、金文や甲骨文、竹簡など、出土 文献の成果を大いに採用しながら書かれており、これからの周についての標準的な概説書になるのではないかと思います。

    佐藤信弥「戦争の中国古代史」講談社(講談社現代新書)、2021年
    新石器時代頃の話から触れ始め、殷、周、秦、そして前漢武帝のころまでの中国の戦争とそれが「中国」の形成にはたした役割に ついて扱った本です。最近の研究成果を盛りこみながら分かりやすくまとまっています。 

    佐藤猛「百年戦争 中世ヨーロッパ最後の戦い」中央公論新社(中公新書)、 2020 年
    ジャンヌ・ダルクなどでその名は知っている人もいるけれど、具体的にどういう経緯で始まり展開がどうなったのかを理解しようと するとなかなかややこしい百年戦争についての新書が出ました。イングランド王とフランス王の戦争から、「イングランド人」と 「フランス人」の戦争へと変わっていく過程について、複雑な外交交渉や同盟関係、貴族同士の対立抗争、戦争を遂行するための しくみやフランスの政治・社会構造に言及しながらまとめています。

    佐藤岳詩「心とからだの倫理学 エンハンスメントから考える」筑摩書房(ち くまプリマー新書)、 2021年
    整形手術やドーピング、サイボーグといった身体改造から、スマートドラッグ、遺伝子操作、トランスジェンダーなどまでをあつかい、 心身増進を意図した介入であるエンハンスメントという観点から、倫理学的に考えることの入門書。論点が多岐にわたることはわかります。 これについてどう考えるかは人それぞれですし、論の立て方を見ていると著者のスタンスも分かってきます。今をより良く生きるか、 未来への選択を考えるのか、色々な点から見ていくべき事かなと思います。

    佐藤唯行「英国ユダヤ人 強制を目指した流転の民の苦闘」講談社 (選書メチ エ)、 1995年
    ユダヤ人というと、各地で金融業を営みながら富を蓄えるいっぽうで様々な差別や迫害を受け、ゲットーに隔離されて生活して いるという印象があります。しかし一口にユダヤ人と言っても住んでいる国によって扱いはかなり異なるようで、本書で扱われる 英国(イングランド、連合王国)におけるユダヤ人の扱いには時として他の大陸諸国と異なる点もあるようです。ノルマン・コンクェスト とともにブリテン島へと渡り、金融業に従事しながらも13世紀に国外追放になり、その後17世紀半ばに再び戻ることを許され、英国 社会との共生を諮りつつも反ユダヤ主義の脅威にさらされ苦闘するユダヤ人の歴史という普通のイギリス史ではあまり扱われないテーマ を追いかけていきます。

    恣意税の対象として国王の貴重な財源と見られているときもあれば、小諸侯や騎士からは借金が原因で憎まれる 一方土地を集めている大諸侯が彼らを利用した中世、一説にはスペインとの戦いのためイベリア半島のユダヤ人を招いたとも言われる テューダー朝時代、千年王国思想が高揚する中でユダヤ人再入国を認めたピューリタンたち、そして東欧系ユダヤ人が流入する中で 反ユダヤ主義が高まる過程などをみつつ、英国とそれ以外の地域でのユダヤ人の扱いの違いについて知ることができる一冊。また、 異文化・異民族交流について考えてみたい人も一寸読んでみると良いのではないかと思われます。

    佐藤千登勢「チェブラーシカ」東洋書林(ユーラシアブックレッ ト)、 2010年
    大きな耳と、ずんぐりとした二頭身、一寸下がり気味の太い眉、丸くくりっとした目、もこもことした茶色い毛…、チェブラーシカはロシア 出身のなんとも可愛らしいキャラクターです。本書はチェブラーシカ誕生秘話から始まり、現在までに公開された4話のあらすじ、チェブ ラーシカ とソ連社会についての考察、そして現在のロシア、日本における展開と、チェブラーシカについて一寸まじめに知ってみたいと言う人にお勧めした い1冊となっています。

    佐藤次高「イスラームの『英雄』サラディン 十字軍と戦った 男」 講談社(講談社選書メチエ)、1996年
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    佐藤次高「イスラームの生活と技術」山川出版社(世界史リブレット)、 1999年
    一括紹介その5に掲載

    佐藤次高「イスラームの国家と王権」 岩波書店(世界歴史選書)、2004年
    イスラム世界の国家とはそもそもどの様なものなのか。初期の頃のカリフの時代の場合であれば、カリフとはどの様な 存在であるかが問題になり、さらに新しく生まれてくるスルタンの称号なども問題になってくる。またシーア派とスンナ派 で指導者をどう見るのかも異なり、イスラム法にも様々な学派が存在する。国家の中の社会がどの様な仕組みなのか、 イクター制導入以前と以後の変化など様々な問題があります。それら基本的な問題について説明を加えつつイスラム世界 の国家とは何かについて論じようとしている本です。一部著者が過去に書いた本と内容が重なる箇所がありますが、 イスラムの国家や君主についての概説書として一読するとよりイスラム史が分かりやすくなるのではないかと思われます。

    佐藤次高「砂糖のイスラーム生活史」岩波書店、2008年
    イスラーム世界における砂糖の製造や販売、さらに社会でどのような形で砂糖が消費されているのかを資料を基に追いかけて いき、砂糖を通じてイスラーム世界の生活の歴史の一端を描き出していきます。かつて「イスラームの生活と技術」で取り上げた 内容をよりふくらませた形になっています。従来、砂糖の研究というと中国における製糖業や、新大陸やカリブ海のプランテーションと ヨーロッパの関係などは本があっても、その間にあるイスラーム世界については手薄であり、砂糖の歴史とそれにまつわる研究の空白を 埋めてくれる1冊となっています。

    佐藤昇「民主政アテナイの賄賂言説」山川出版社、2008年
    アテナイ民主政においても賄賂という問題は存在していましたが、一般の公職者よりも国内外の政治活動に従事する「政治家」に対する 贈収賄の非難や懸念があったようです。本書では民主政アテナイの賄賂に関する言説を手がかりに、アテナイ市民の権力観やそれを生み 出した政治・社会・文化的背景を探る本です。アテナイ民主政では市民が政策決定を下すにあたり、「政治家」の発言に依拠していた事 から、政治家が不正な発言をするのではという懸念がつきまとっていたことや、一方で民主政は政治家たちが国内外に持つ私的な結びつ きに依拠している一面もあり、それが従属的関係と見なされて収賄の上で政治活動をしていると見なされたことなど、紀元前4世紀のアテ ナイ民主政の状況を賄賂を切り口に描き出している本です。成年男子市民であれば誰もが参加できる民主政の制度を補完するものとして、 政治家が私的に有する人と人の結びつきがかなり重要であったことがよく分かると思います。

    佐藤真理恵「仮象のオリュンポス:古代ギリシアにおけるプロソポンの概 念と イメージ変奏 」月曜社、2018年
    古代ギリシア語の「プロソポン」という言葉の多義性、さらにこの言葉から派生して現れた言葉や関連する概念などを追いかけていく一冊。 多義的な言葉で、顔と仮面の両方の意味が含まれていたり、やがてそこから分かれていったりといったことの過程が興味深いです。

    ローズマリ・サトクリフ(猪熊葉子訳)「第九軍団のワシ」岩波書店(岩 波少 年文庫)、2007年
    2世紀のブリテン島で、第9軍団ヒスパナが忽然と姿を消した。それから時は流れ、かつて第9軍団で指揮官をしていたマーカスは第9軍団のワシ の 軍旗が北方にあると言うことを聞き、ワシを持ち帰るべく冒険の旅に出ます。はたして鷲の軍旗は取り返せるのか、そして第9軍団を復活させる ことはできるのか。

    舞台となるブリテン島の社会や当時の様子を可能な限り書き込みつつ、主人公の人間的成長と冒険を描き出しています。大人になってからでも 良いですが、子どものうちに読んでみて欲しい一冊です。

    佐山和夫「大リーグを超えた草野球 サッチとジョシュの往くところ」彩 流 社、 2008年
    かつて、アメリカ大リーグでは黒人選手はプレイすることが出来ず、彼らは独自にニグロリーグ(黒人野球)を結成し、独自に試合を行い、 黒人だけでなく白人も試合を見に行くなど、大いに人気がありました。あまたの黒人野球の選手たちの中で、特に優れていたとされる選手 サチェル・ペイジとジョシュ・ギブソンのすごさについては様々な逸話が残されています。曰く、「ギブソンの打球は「死の谷」と呼ばれる ヤンキースタジアム左中間を軽々超え、場外へ飛んだ」「ペイジの速球を目にした大リーグの名投手ボブ・フェラーが『自分より早い』とい った」…。こういった逸話が残されている彼らをはじめ、黒人野球の世界には大リーガーを遙かに凌駕する実力者が集まっていたと言われて います。本書は、アメリカ黒人野球について、ジョシュ・ギブソンとサチェル・ペイジを取り上げつつ、黒人野球のはじまりから発展、そして 衰退までをまとめています。これを読んで、大リーグだけがアメリカの野球ではないということを知っておくのは有益だと思われます。

    ジョゼ・サラマーゴ(木下眞穂訳)「象の旅」書肆侃侃房、2021年
    16世紀、ポルトガル国王からオーストリア大公への贈り物としてインド象が贈られた、そのことをもとにしてポルトガルからオーストリアまでの 旅の様子を描きつつ、その合間に旅に関わった人々や出来事に関する話、さらには突如として乱入する現代に生きる作者のコメントを挟みながら すすんでいきます。筋は至ってシンプルなのですが、合間の話であっちへこっちへとふらふらしながら散歩しているような感じで読み進んだ一冊で した。 

    コンスタンチ・サルキソフ(鈴木康雄訳)「もうひとつの日露戦争 新発 見・ バルチッ ク艦隊提督の手紙から」朝日新聞出版(朝日選書)、2009年
    日露戦争開戦から100年後、東郷平八郎と闘ったバルチック艦隊を率いた司令長官ロジェストヴェンスキーが妻と娘に宛てたプライベートな 手紙が発見されました。その手紙をもとに200日にわたる大航海の様子を描き出していきます。ロジェストヴェンスキーの人間像にせまりつ つ、 バルチック艦隊の航海の実態について明らかにしていきます。

    ロマン・サルドゥ(山口羊子訳)「我らの罪を許したまえ」エンジンルー ム/ 河出書房 新社、2010年
    1284年の冬、南フランスのドラガン司教区で、アカン司教が何者かに惨殺された。アカン殺害の真相を探るべくシュケ助祭は司教の残していた 書簡 などわずかな手がかりを手にパリへ向かった。同じ頃、新任司祭アンノ・ギはドラガン司教区の知る人もない村に入り、村人に教えを説こうとす る。 いっぽう、己の名誉と引き替えに不祥事を起こした息子を救うため、高名な騎士アンゲランがローマ教皇庁を訪れる。一見すると全く関係のなさそ う な3つの話が、実は一つにまとまっていくことになり、それが何とも陰惨な出来事を引き起こすことになるのです。

    中世ヨーロッパを舞台として、キリスト教がからむというと、ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」を思い出す人が多いかと思います。しかし 「薔薇の名前」とちがって、かなり軽く読み進めることが出来る話です。軽くさくさくと読み進められる文章ですが、最後の結末はなんとも 嫌な読後感を残します。こうして真相は葬り去られていくんだな、うん。

    佐良土茂樹「コーチングの哲学 スポーツと美徳」青土社、2021年
    善いコーチとは何か、技術指導がうまい、チームを勝たせる、それだけが善いコーチの条件なのか。スポーツ指導者にとって、こういうことは 色々と悩むところがおおいでしょう。本書はアリストテレス倫理学の考え方と、実際のバスケットボールの名コーチの実践や考え方を手がかり として、「善いコーチ」とはなにか、コーチングとはなにかについてさぐっていきます。アリストテレス哲学の別分野への応用という感じで、 なかなか興味深い一冊です。

    澤井一彰「オスマン朝の食糧危機と穀物供給」山川出版社、2015年
    6世紀後半、最盛期を迎えていたオスマン帝国ですが、帝国領内では食糧不安、食糧危機が度々起こっていました。そして 食糧不安や危機はオスマン帝国に限ったことでなくイタリアやスペインなど当時の地中海世界では度々見られた現象でした。

    本書では16世紀のオスマン帝国で度々食糧危機が発生したのはなぜか、その背景にある機構など環境要因をさぐり、 さらにオスマン帝国で巨大な消費都市イスタンブルへの食糧供給システムとイタリア諸都市なども絡んでくる東地中海世界に おける穀物争奪戦を究明し、帝国の社会・経済そして食糧をめぐる問題の解明をめざす一冊です。

    沢田勲「冒頓単于」山川出版社(世界史リブレット人)、2015年
    騎馬遊牧民の歴史を扱う時、現在のモンゴル高原を中心に強大な勢力を誇った匈奴に関しては必ず触れられます。特に匈奴 の勢力を強めた冒頓単于については単于の地位につくまでの物語や、攻め込んできた劉邦を包囲し追い詰めた話は世界史で も小話的な形で触れられることもあるかと思います。

    本書では、冒頓単于の登場以前から冒頓の時代までを扱い、クーデタによる権力簒奪、隣接する東胡との戦い、そして漢の 高祖劉邦を包囲し、漢との間に匈奴優位な関係を樹立したこと、彼の生涯について触れつつ、匈奴の国家体制や匈奴遊牧国家 を発展させた冒頓が目指したところは何だったのかといったことをコンパクトにまとめています。

    澤田謙「プリューターク英雄伝」講談社(文芸文庫)、2012年
    プルタルコス英雄伝をかなり大胆に翻案した作品です。なかには、プルタルコスには伝が立てられていないのに、この人が 英雄伝の色々なところから記事を引っ張りつぎはぎして作ってしまったプラトンとハンニバルの伝もあったりします。 なんかプルタルコスというより三国志演義でも読んでいるような感じです。

    澤田典子「アテネ最期の輝き」岩波書店、2008年(講談社学術文庫版 2024年)
    紀元前4世紀のアテネの歴史については、カイロネイアの戦い以降どうなったのかはほとんど知られていないというのが現状です。 前4世紀後半というとマケドニアの台頭、アレクサンドロス大王の東征と後継者戦争といったことに焦点が当てられる一方でそれまで 栄えてきたアテネについてはほとんどふれられなくなってしまいますが、その頃のアテネがどのような状況にあったのかというと、 アテネ民主政が栄えた最後の時代であり、民主政治への傾倒が見られた時代(デモクラティアへの崇拝や民主政治転覆罪などがあります )でした。本書ではマケドニアの台頭から後継者戦争勃発のころアテネで活躍したでも捨て値巣の生涯をたどりつつ、彼と同時代に活躍 した他の政治家の経歴や当時のアテネの状況についてもまとめていきます。アテネの話が中心ですが、マケドニアの台頭の様子について もふれていたりしますので、「ヒストリエ」でこの時代に興味を持った方は是非読んでみてはどうでしょうか。

    澤田典子「アテネ民主政 命をかけた八人の政治家」講談社(選書メチ エ)、 2010 年
    アテネ民主政が確立してから、それが終焉を迎えるまでの間の歴史を、ミルティアデス、テミストクレスあたりからはじまり、デモステネスで終わ る、 人物中心に描いた一冊です。政治家が民衆を説得する手段が時代によって貴族の威信だったり、将軍としての武功だったり、弁論術だったりと、 色々と変わっていく様子がうかがえます。

    澤田典子「アレクサンドロス大王 今に生きつづける「偉大なる王」」山 川出 版社(世界史リブレット人5)、2013年
    一括紹介その1に掲載

    澤田典子「よみがえる天才4 アレクサンドロス大王」筑摩書房(ちくまプリ マー新書)、2020年
    一括紹介その1に掲載
    澤田典子「古代マケドニア王国史研究」東京大学出版会、2022年
    古代マケドニア史研究に関わる研究者で、特にフィリッポス2世より前となると澤田先生しかいません。そんな澤田先生の長年の論攷を 最近の発掘成果(考古資料や貨幣、碑文など)ももちいながらまとめたのが本書です。マケドニア史研究の歴史と近年のテーマをまとめた 序章は卒論や修論で役に立ちそうですし、フィリッポス2世以前のマケドニア及びフィリッポス2世の覇権確立の歩みを知りたいと思ったら 是非四で欲しい一冊です。(感想はブログに長文のものがあります。そちらをご参照下さい)。

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    エリック・ジェイガー(栗木さつき訳)「最後の決闘裁判」早川書房(ハヤカ ワ文庫)、2021年
    ヨーロッパで神判の一つとして行われてきた決闘裁判、それが段々と行われなくなってきていた14世紀後半に、フランスで最後の決闘裁判 が行われました。この裁判の真相をめぐっては実際に事件があったのか、狂言なのか、その後も見解が割れています。それはさておき、名誉 と恥辱が大きな意味を持つ世界において、あえて告発することを選んだ妻と、妻の訴えに耳を傾け決闘裁判に持ち込んだ夫、この二人の関係性 に興味がわいてきます。

    ウィリアム・シェイクスピア(福田恆存訳)「オセロー」新潮社(新潮文 庫)、1951年
    シェイクスピア四大悲劇の一つに挙げられる「オセロ」、イアーゴーの策謀によりオセロとデズデモーナは破滅に追い込まれていく までの過程が無駄なところ無くまとめられていると思います。オセロもヴェネツィアで決して盤石とは言い難い立場にいるような 感じですし、そういう人を煽って破滅させるのって意外と簡単なようですね。そして、イアーゴーの扱いというのは純然たる悪なの でしょうか。ここで彼の背景とか状況についてはほとんど情報を出さず、ただただ彼の策謀を書いていくというところからは、同情 の余地のない悪として意図的に作ったように感じました。

    ウィリアム・シェイクスピア(安西徹雄訳)「ハムレットQ1」光文社 (古典 新訳文 庫)、2010年
    シェイクスピアの代表作の一つ「ハムレット」はクオート版(Q)とフォリオ版(F)があり、死後に出た全集のFにたいし、Qは生前に 出された海賊版のQ1とシェイクスピア自身の筆によるQ2があると言った具合に、どの版を使うのかという問題が常にあります。日本だと、 Q2やFを元にし、両方を混ぜ合わせたような訳が多く、Q1は価値がないような扱われ方をしています。

    それに対し、本書がQ1を選択したのは、シェイクスピアが「ハムレット」を作り上げていく過渡期の作品としてQ1を位置づけるためで、 他のほんと読み比べると、有名な"To be or not to be, that is a question."という台詞が登場する場所が随分前だったり、ハムレットの 復讐を母である王妃が知っていて、それを支持するような発言をしていたりします。全体的に話の流れはスムーズ、台詞の表現もかなりシンプル な感じです。これはこれで、「簡易版ハムレット」といったかんじで、読みやすく、話の流れがつかみやすいという点で良いのかなと思いま す。 同時に、他の版も読んでみることをお薦めします。

    ハンス=ヨアヒム・シェートリヒ(松永美穂訳)「ヴォルテール、ただい ま参上!」新潮社、2015年
    思想家ヴォルテールとプロイセン王フリードリヒ2世の文通から始まった交流と、ヴォルテールがプロイセン宮廷に滞在するようになり、 やがてフリードリヒとも衝突していく過程を扱った本です。それを彼らが残した膨大な書簡などをもとに描き出しています。淡々とした 文章で、彼らの意外な(いや、むしろ人間らしい)一面が描かれていきます。

    ジム・シェパード(小竹由美子訳)「わかっていただけますかねえ」白水 社、 2016年
    チェルノブイリ原発の事故、ハドリアヌスの長城、マラトンの戦いといった出来事から、サマーキャンプや高校アメフト部など、 様々な時代の出来事を舞台に、あたかもそこにいるかのような感覚を味わえる描写と、兄弟関係など身近な人間を主にした微妙な 人間関係と心理描写が混在した短編集です。

    ジェフリー・オヴ・モンマス(瀬谷幸男訳)「ブリタニア列王史 アー サー王 伝説原拠 の書」南雲堂フェニックス、2007年
    中世ラテン語で書かれたブリタニアの歴史書です。しかしこの本を有名にしているのは「アーサー王伝説」の原典となった話にかなりの頁を 割いているということではないでしょうか。もちろん、アーサー王伝説以外にも興味深い話は書かれているので、じっくり読んでみることを おすすめします。

    ヘンリク・シェンキェヴィチ(森田草平訳)「十字軍の騎士」改造社、 1930年
    ドイツ騎士団とヤギェウォ朝が対峙する時代のポーランドを舞台に、血気盛んな騎士ツヴィシュコと、彼が恋に落ち、やがて結婚する ダヌーシャ、彼の幼なじみ的存在のヤギェンカ、その他彼と関わる多くの人々がおりなす騎士の冒険活劇的な小説です。実はこの訳で 終わったところからもう少し続きがあるらしいので、是非完訳を出して欲しいところです。

    塩川伸明「民族とネイション ナショナリズムという難問」岩波書店(岩 波新 書)、 2008年
    冷戦終結後、世界各地で民族紛争が頻発しています。また、グローバル化が進む一方で、ナショナリズムの高まりも見ら れま す。 そんな なか、日本語で「民族」「国民」「ネイション」といった言葉がつかわれるとき、色々な意味が含まれ、それが原因でどうもうまく理解 出来ない、そんな人もいると思います。また、しばしば「よいナショナリズム」と「悪いナショナリズム」ということが言われることも あります。本書では、まず最初に「民族」「国民」「エスニシティ」「ネイション」といった概念の確認から始め、その後はヨーロッパ やアメリカの事例を中心にアジアも扱いつつ、国民国家、民族自決、ナショナリズムと言ったことについて、歴史的な話が続きます。 著者がロシア研究者のため、ロシアや東欧、中央アジアの事例が結構盛り込まれている点は類書と違うとおもいます。結構堅実に 歴史的事実に基づいた記述を連ねているので、ややもすると抽象論に向かいがちな傾向のあるナショナリズム論の書物だと取っつきにくい と思う人でも読みやすいと思います。

    塩野七生「十字軍物語」新潮社、2010年〜2011年
    一括紹介その3に掲載。

    塩野七生「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」新潮社、2013年
    シチリア王国国王にして神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世というと、エルサレムを戦争ではなく外交によって取り返したと言うことが よくでてきます。また、彼については「世界の驚異」「最初の近代人」といった評価がなされることもあります。そんなフリードリヒ 二世の評伝です。どちらかというと、彼の行ったことの“明るい”面に焦点をあてたような記述になっていますが、読み物としては 面白いです。

    塩野七生「ギリシア人の物語」新潮社、2015年〜2017年(全3 巻)
    ローマ人の物語に先立つ、ギリシア人の世界について、アテネの民主政が成立してからペルシア戦争の終結にいたるまでの 時期をまずまとめた一冊です。物語としては、前までの作品と比べるといささか面白さが落ちたような気がするのですが、 格好の良い男の生き様を描くということではテミストクレスとペイシストラトスについては描けているのかなという気もします。

    第2巻目ではペリクレスの時代とペロポネソス戦争、第3巻では紀元前4世紀のギリシアとアレクサンドロス大王を扱っています。 とりあえず、アレクサンドロスについて知りたいと思ってこのシリーズを読んではいけないということだけは強く言いたいと思います。 建材に問題のあるタワーマンションを買って住むのと同じくらい危険だとおもいます。

    ミハイル・シーシキン(奈倉有里訳)「手紙」新潮社、2012年
    ワロージャとサーシャという2人の恋人の手紙のやりとりによって構成される小説です。しかし読んでいると不思議な感じ がしてくるのは、ワロージャとサーシャが一緒にいたことを書いた手紙が出てきたあとで、この二人が時代も場所も全く 違うことが明らかになってきてからです。義和団事件において派遣されたロシア軍の一兵士と現代ロシアに生きる女性が 手紙のやりとりをしているうえ、彼が戦死したあとにも手紙のやりとりが続いていくという、時を越え、さらに生と死も 越えた不思議なラブストーリーになっています。

    施耐庵(駒田信二訳)「水滸伝」筑摩文庫(筑摩書房)、2005年
    第1巻
    百二十回本の個人全訳版水滸伝の第1巻は、伏魔殿をあけてしまって108の妖魔がばらまかれたところからはじまります。 そこでばらまかれたものが108人の英雄豪傑となっていきます。まだまだ話は始まったばかりですが、花和尚魯智深の大暴れ の様子が特に目立っています。その他林冲や史進や柴進、楊志なども登場します。これから暫く梁山泊に集う英雄豪傑たちが 続々と出てくることになります。
    第2巻
    第2巻では呉用や公孫勝らが計略を以て宝物を奪取し、そのことが原因で罪を着せられてしまった楊志が逃げる途中で魯智深 と出会うことが書かれます。さらに呉用たちのやったことと絡んで宋江が登場します。そして第2巻の大半を占める武松の活躍 (トラ退治など)が書かれています。まだ梁山泊は呉用や公孫勝、林冲たちがいるくらいですが、これから大勢の豪傑達が集ま ることになるわけです。
    第3巻
    武松の活躍から一転、この巻では宋江が色々な豪傑たちと出会う話が多くなります。黒旋風の李逵等々、強烈なキャラクターが 続々と登場していますが、108人の仲間の数あわせみたいな感じです。しかし、この巻に出てくる宋江は結構えげつない計略を 考えたりしていて、この人が仁義に篤い人だとはちょっと今の感覚では理解できないのではないかと思われます。あと、食事中 には余り読まない方がいいのではないかと思われる話が多いような気がします。
    第4巻
    梁山泊に次々と仲間が集まっていく巻。一方で政府も梁山泊を討伐しようとして軍隊を送り込んできます。この巻のあたりから、 個々の豪傑が活躍する話のほかに、宋江ほか複数の豪傑たちが軍事行動を行っている場面が増えてきます。火器を使う部隊も 出てきたりしますが、この辺は後の時代になって色々と追加されてきたのだろうと思われ、水滸伝が宋から明の時代にかけて できあがってきた物語であることを伺わせます。
    第5巻
    いよいよこの巻で108人の豪傑がそろい、朝廷との戦いが本格化します。この巻で梁山泊序列第2位になる廬俊義が登場しますが、 いきなりでてきてどじをかさねているのに彼が第2位に位置づけられることに違和感を感じるのですが、そのあたりの経緯に ついても解説で結構詳しく触れられています。
    第6巻
    朝廷との戦いも本格化し、枢密使の童カンや大尉の高キュウといった宋王朝を牛耳る佞臣たちが大軍を率いて攻めてきます。 しかし梁山泊の軍勢は彼らを大いに打ち破り、やがて彼らは宋王朝から招安をうけて宋のために北方の遼と戦うことになります。 宋王朝と遼王朝をくらべると遼のほうがましにみえますが、はたしてどうなることか。
    第7巻
    宋王朝のために戦うようになった梁山泊の人々は遼や国内の反乱軍を相手に活躍しています。でも何となく今までと比べて すっきりしないと言いますか何というか・・・・。後半に出てくる王慶が反乱を起こすまでの話を見た上で王慶の反乱をみると、 この人達も梁山泊の好漢と同じじゃないかと。それを討伐しに行く梁山泊がなんとなく政府の犬のように見えてしまいます。 で、政府のほうからは遠ざけられていくわけで、後の悲劇的な最後につながっていくのでしょう。
    第8巻
    いよいよ最終話までを扱った巻が登場。方ロウの乱鎮圧に宋江はじめ梁山泊の豪傑達が参加して次々に死んでいくのですが、 ものすごい勢いで豪傑達が死んでいきます。108人のうち生き残ったのは三分の一でしたが、その残りの人々も病気で死んだり 村に帰ってしまったりしますし、みなばらばらになっていきます。そして宋江にも最後の時が訪れます。こうして物語が終わって いくことになります。

    設樂國廣「ケマル・アタテュルク」山川出版社(世界史リブレット人)、 2016年
    トルコ共和国の建国者ケマル・アタテュルクの伝記です。第一次世界大戦の敗北からトルコ共和国建設までの錯綜した状況が コンパクトにまとめられていますし、建国後のトルコ共和国の国内外の状況、そしてトルコの近代化についても説明があります。

    設樂國廣「アブドュルハミド二世」清水書院(新・人と歴史41)、2021 年
    アブデュルハミト2世というと、タンジマート改革の集大成として作られたミドハト憲法を停止し、長きにわたる専制政治を敷いたこと、 帝国の維持のためにパン・イスラム主義思想を利用したこと、そして青年トルコ革命の発生と言ったことが世界史ではしられています。 本書ではそんなアブデュルハミト2世の生涯をまとめ、彼が列強に対抗しながら近代化路線を推進していったということが主に語られて います。彼以前のオスマン帝国の状況についてのまとめ、ミドハト憲法のもとでの政治と専制政治のありようについても結構頁をさいて います。

    蔀勇造「歴史意識の芽生えと歴史記述の始まり」山川出版社(世界史リブ レッ ト)、 2004年
    個人の記憶を記録に残して後世に伝えたり、過去について知りたがるということは、全ての民族に共通してみられる 現象ではないようです。過去の記録を整理し順序づけるということが何故行われたのか、過去との関係の中で自己の 存在を確認しようとする意識はいつ頃から芽生えたのか、そしてそこから集団的記憶としての歴史記述がどのように 始まったのか。このようなことを、古代オリエントの事例からまず考えていきます。

    まずは出来事の記録が整理されて 王権の正統性を主張するための王名表が作られるようになり、やがて実務的用途や王の正統性を示す道具としてでは なく過去について記録編纂する歴史叙述が登場したことがまとめられています。そして、イスラエル人のもとで、 資料を解釈し、歴史の過程を説明する姿勢がみられるようになるなかで歴史が民族のアイデンティティのよりどころ としての性格を強く帯び、民族の集団的記憶として歴史が継承されるとともに、始点と終点の間で不可逆的な流れと して時間をとらえる意識がうまれ、それがキリスト教、イスラムにも影響を与えていくというわけです。またそれとは 別の流れとして、人間の実践を通じてこの世に秩序を作るという信念の下独自の歴史記述を発展させた中国の歴史記述 についても触れています。

    やはり著者の専門が古代オリエントに近いこともあり、そちらの話が中心になっており、中国 に関しては食い足りないと思う人もいるかもしれません。しかし何故歴史を書くのか、これからどのような歴史を書いて 行けばよいのかを考えるヒントくらいにはなると思います。

    蔀勇造「シェバの女王」山川出版社、2006年
    旧約聖書に登場するシェバ(シバ)の女王の伝説についての本。史実についてはさておき、その物語が各地に伝播してその状況に 応じて独自の変化を遂げていくことについてまとめていきます。ユダヤ、イスラーム、キリストの3宗教でシェバの女王に関する 説話は伝えられていますが、ユダヤ教では魔女のイメージで書かれ、かなり否定的な書かれ方をするシェバの女王がイスラームや キリスト教ではプラスイメージを持って書いているところが見られるという違いがあること、シェバの女王の故郷がイエメンなのか エチオピアなのかは実の処不明であるけれども観光資源としてフルに活用されているのみならず、近代以降のヨーロッパやアメリカ では東洋的でエキゾチックなイメージを喚起するものとして扱われてきたことなどものべられています。

    またエチオピアでは女王伝説 が王朝の正統性や民族のアイデンティティのよりどころとしての地位を獲得していくことになったこと、そしてラスタファリズムに まで話が進んでいきますが、終わりのほうで少々唐突な形でキリスト教世界に伝わるアレクサンドロス大王の伝説(イラクリオス帝 の時代に作られたらしい)の話が出てくるところや、著者がかなり映画好きであることが随所に窺えることが個人的には非常に興味 深かったです。

    蔀勇造「物語アラビアの歴史」中央公論新社(中公新書)、2018年
    ムハンマドによるイスラム教創設以前のアラビアについては、ジャーヒリーヤ時代というくくりでちょこっとイスラム史のはじめで扱われる 程度の扱いにとどまっている本が多い中、本書はムハンマド登場以前のアラビア史に半分以上のページを割いています。イスラム登場以前の アラビアがについて、東西交易の歴史や周辺の大国との関わりの中で諸国興亡の歴史が詳しく、非常に面白い一冊です。

    蔀勇造「ケブラ・ナガスト 聖櫃の将来とエチオピアの栄光」平凡社(東洋文 庫)、2020年
    ソロモン王とシェバの女王の伝説の元となるような話からスタートし、エチオピアにモーゼの十戒がおさめられた聖櫃(アーク)がもたらされるに 至った経緯を物語として描き出した一冊です。聖書に出てくる話に色々なアレンジを加えながら、エチオピア王国建国神話を描き出したという感じ の内容です。

    篠崎三男「黒海沿岸の古代ギリシア植民市」東海大学出版会、2013年
    日本の古代ギリシア史研究者というと、最近でこそ一寸違う所をやっている人も増えてきているようですが、やはり古代のアテナイのこと をやっている人が多いのではないでしょうか。そのような状況下で、かなり前から黒海世界のギリシア人の事を研究きた篠崎先生の既出 論文をまとめた物が本書です。このサイトの別のコーナーの記事を書くときに参照にした論文も収録されていました。中を見ると、かなり 昔に書かれた論文もあれば、それを修正する内容を含む新しい物も掲載されていますし、古い論文についても、補遺においてその後の話に 少し触れているところもあります。黒海沿岸のギリシア人のことについて知りたい人にお勧めしてもいいかなと思います。

    篠原道法「古代アテナイ社会と外国人」関西学院大学出版会、2020年
    古代アテネというと、徹底した民主政治を実現したポリスとしてその名を歴史に刻んでいます。そして市民は平等な政治参加が可能となり、 等しく政治に関わっていたことも知られています。他方で市民権については極めて閉鎖的な対応を取ったということも指摘されています。 しかしアテネを構成するのは市民だけでなく外国人もいました。アテネにおいて市民と外国人はどのような関係にあったのか、外国人も含む 住民としてのまとまりはどのようなものだったのかを考えていく本です。

    芝修身「真説 レコンキスタ 〈イスラームvsキリスト教〉史観を越え て」 書肆心 水、2007年
    イベリア半島で8世紀の長きにわたって展開された「レコンキスタ」というと、「聖戦」というイメージがかなり強く、宗教的要因が レコンキスタにおいて最も重要であったと思われていますし、そのような方向で書かれている本も多いです。しかし著者によると、ここ 最近20年程の間にレコンキスタ研究においては領土獲得や掠奪と言った世俗的動機が大きな要因であったと見なされるようになってきて いるとのことです。本書は前半でグラナダを覗くアンダルシアのほぼ全土を征服した13世紀半ばまでを「レコンキスタ」の時期と見なし (その時点で実質的にレコンキスタは完了したとみています)、イスラムの征服からそれに至までの時期の戦いの経過をまとめるととも に、後半ではレコンキスタの理念がどのように作られてきたのかと言うことに迫っていきます。通常レコンキスタの終了というとコロン ブスが出航したのと同じ1492年であると本にも書かれていたり、そのように教えられている中で、13世紀半ばで実質的にレコンキスタが 終結したとする本書は初めはちょっとびっくりするかもしれませんが、レコンキスタについての最近の研究動向にふれてみようと思う人や、 最近の研究を元にレコンキスタを書くとどうなるかを知りたい人は読んでみましょう。

    芝健介「ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌」中央公論 新社 (中 公新 書)、2008年
    ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)というとナチス・ドイツの蛮行として今もなお語り継がれている大惨事です。しか し、そ れに ついて 果たしてどのようなことが行われていたのかというと、アウシュビッツのことくらいしか出てこないという人が多いのではないでしょうか。 本書では、ホロコーストの背景にあるヨーロッパの反ユダヤ主義から話を説き起こし、ナチス政権の当初の方針としてはドイツ国家から ユダヤ人を追放することであり、そのために差別的な法律の制定や暴力の行使をおこなっていたが、それがユダヤ人のゲットーへの隔離、 そして虐殺(銃殺、そして後に収容所でのガス殺へ)へと向かっていく過程をまとめていきます。

    ナチス政権下のドイツが当初ユダヤ人の国外追放をもくろんでいたものの、オーストリアやチェコスロヴァキアを併合し、ポーランドを侵略 すると行った過程でさらに多くのユダヤ人を抱え込むようになり、国外追放が難しくなっていく様子がまとめられています。さらにゲットー を作って隔離する政策を実施するもやがて行き詰まっていったこと、追放先として考えたソ連にいたユダヤ人を「行動部隊」を用いて虐殺 したが、それも独ソ戦膠着とともに行き詰まり、最終的に絶滅収容所での虐殺(ラインハルト作戦、アウシュヴィッツ収容所)へと至るの ですが、以上のようなナチス政権によるユダヤ人政策は政権を取り巻く状況によって大きく変わっていたことがかなり分かりやすくまとめられ ています。最後にホロコースト研究の流れ、研究史上の対立などのまとめがついています。この辺の歴史について初めて読む人におすすめか と。

    柴裕之「徳川家康」平凡社、2017年
    徳川家康が初めから天下人たる力量を持ち、虎視眈々と機会をうかがって天下を取ったように思う人もいるかもしれません。しかし、 三河の一国衆からスタートし、三河の支配者となり、やがて領土を拡大していく一方で、今川や武田、織田といった周辺の戦国大名 の境界にいた家康はその時々でどのように振舞って行ったのか、そして豊臣政権との関わり方はどのようなものだったのかといった ことを近年の戦国時代研究の成果をもとにまとめているのが本書です。その時々で下した判断が上手く行ったり行かなかったりしつつ、 江戸に幕府を開くまでの家康の姿がわかる一冊です。

    芝川治「『ギリシア貴族政』論」晃洋書房、2003年
    古代ギリシア史というと、ポリスの成立・貴族政から民主政へといった感じで説明されることが多いです。これま での研究でも前古典期の研究ではそのような観点から論が立てられたものが多かったかな、という印象があります。そうした通 説に真っ向からケンカを売ってる(笑)論文をまとめたものが本書です。ギリシアにおいて「貴族」が厳然と存在したわけでは なく、そもそもギリシアにおいて「貴族」による支配が成立したのかということが主張されています。

    芝崎みゆき「古代ギリシアがんちく図鑑」バジリコ、2006年
    古代ギリシアの神話や歴史、そしてギリシア旅行について、非常にゆるい感じの絵と、ざっくりと分かりやすい文章を駆 使し なが ら 書いています。絵の緩さと説明文の感じとはうらはらに、中身は結構しっかりしていると思います。古代ギリシアについて興味がある けれど、難しい本はちょっとと思う人にお薦めです。

    ステイシー・シフ(仁木めぐみ訳・近藤二郎監修)「クレオパトラ」早川 書 房、2012年
    プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラについての評伝です。有名な割には邦語で読める伝記や評伝はあまりないので、結構貴重かもしれませ ん。 妖婦、毒婦イメージ全開というわけではなく、ヘレニズム時代末期の一君主として彼女がどのようなことをやってきたのかということに結構重きを 置いた本だと思います。

    ミゲル・シフーコ(中野学而訳)「イルストラード」白水社、2011年
    ニューヨークで、亡命中のフィリピン人作家が死亡し、彼が書きためていた原稿が行方不明になりました。彼の弟子はフィリピンへと 旅立ちます。

    様々な視点から事象が語られる、色々な文体が混ざる、そういうテクニックって最近の流行なのでしょう、きっと。一見関係なさそうな 色々な話が組み合わさって、最後一つにまとまっていくという形ですが、本作の場合はどんでん返しって感じです。、なんかこのような 話はよそでもあったような気がします。

    島田竜登(編)「1789年 自由を求める時代」山川出版社(歴史の転 換 期)、2018年
    1789年というとフランス革命、とすぐに思い出せる人は多いと思います。しかし本書はそれにとどまらず、広域にわたる交易の諸相を描き出す かたちで、人々が「自由」を求めた時代として18世紀から19世紀前半を描き出していきます。非常に面白い本です。

    清水和宏(他)「NHKスペシャル文明の道(4) イスラムと十字軍」 NHK出版、2004年
    一括紹介(その3)へ移しました

    清水克行「喧嘩両成敗の誕生」講談社(選書メチエ)、2006年
    喧嘩両成敗という言葉はほとんどの人は知っているでしょうし、ちょっとネット上で検索を書けてみただけでも子供の喧 嘩か ら 政界での権力闘争に至るまで幅広いジャンルでこの言葉が使われています。しかし多くの場合戦国時代にこの法が成立したという ことにはふれていても、喧嘩両成敗が誕生する背景などを深く追求して考えると言うことはあまり無いようです。本書では喧嘩両成敗 の原則が作られていく過程をいくつかの段階に分けて説明していきます。

    まず、室町時代の人々が身分の上下にかかわらず強烈な名誉 意識を持つことが度々争い事をおこす原因となり、その結果生じる復讐については積極的に勧めたりはしないが黙認・公認されていた と言うことが示されます。つぎに、このような自力救済型の社会において自律的な様々な集団に属することが身を守るため必要でした が、集団に対して行われたことを我が事のように捉える集団に対する強烈な帰属意識の存在が紛争を長引かせることもあったことがのべ られていきます。そして室町幕府は自力救済社会に存在する様々なルール(失脚者や落ち武者、流刑者など法のらち外にある者に対し何を しても構わない等々)に依存して成り立っていたことが示されます。

    そのような前提をふまえた後、喧嘩両成敗原則の成立へ話が進み、 様々な道理が併存(全く対立するものもある)する社会において紛争解決法はいろいろあり、その中の一つとして喧嘩両成敗が生まれて来 ることが述べられます。加害者と被害者の損害を等価にしようとする室町時代の人々の考え方が法思想として折中の法をうみ、また現実の 紛争に対して中人制や解死人制といった紛争解決の手段が講じられたこと、室町幕府による自力救済型社会から一歩先に進もうという試み (本人切腹、故戦防戦原則)にふれつつも、中人制や解死人制はきわめて不安定な仕組みであり(ルールを破る者が後を絶たなかった)、 室町幕府のやり方は当時の人々の感覚とのずれから機能せず、結局衡平感覚・相殺主義にのっかって判断を下す方向に流れていきます。

    そのような状況下で中世人の感覚の延長上に喧嘩両成敗が成立し、(裁判による紛争解決の過渡期の現象としてですが)戦国大名の分国法 に盛り込まれていきますが、戦国大名および織豊政権、江戸幕府に至るまで喧嘩両成敗と公平な裁判実現という2つの道の間でつねに揺れ があり、その揺れの中で喧嘩両成敗が「日本的風土に根付いた伝統」として残っていったというわけです。

    清水宏祐「イスラーム農書の世界」山川出版社(世界史リブレット)、 2007年
    一括紹介その5に掲載

    清水和裕「イスラーム史のなかの奴隷」山川出版社(世界史リブレッ ト)、 2015年
    一括紹介その5に掲載

    清水稔「曾国藩」山川出版社(世界史リブレット人)、2021年
    太平天国の乱の鎮圧や洋務運動への関わりで有名な曽国藩のコンパクトな伝記です。倹約と勤勉、勤労を旨とし、きわめて 真面目に生きた男の伝記と言うことでいいのかなと。

    清水亮「中世武士 畠山重忠」吉川弘文館、2018年
    平安後期から鎌倉時代初期、秩父平氏の有力武士として源頼朝につかえ、この時代の武士の代表的存在として扱われる畠山重忠についての 一冊です。秩父平氏の成り立ちとその後の発展、畠山氏の成立、そして重忠の生涯をえがきつつ、中世の在地領主としての重忠および東国 武士のあり方をしめしていきます。交通の要所をおさえ、京都と結びつきも持つ在地領主という東国武士のあり方を重忠の生涯を通じ示し ています。

    下田淳「居酒屋の世界史」講談社(現代新書)、2011年
    ヨーロッパ世界を中心に、各地の「居酒屋(金銭と引き替えに酒を提供する場)」の歴史をまとめた本です。中国の農村の見方などなど、 本当にそうなのかとおもう箇所もありますが、居酒屋とそれにまつわる話題をつまみ食いのように読むにはちょうど良いのではないでしょうか。

    下村寅太郎「ルネッサンス的人間像 ウルビーノの宮廷をめぐって」岩波 書店 (岩波新 書(青版)、1975年
    イタリアの一都市ウルビーノは、ルネサンス期にはフェデリゴとグイドバルドの父子2代にわたって宮廷文化が栄えたことで知られています。 文化人が宮廷の保護を受けながら活発な活動を展開し、一時ウルビーノにやってきたカスティリオーネの著作「宮廷人」において理想の宮廷 として書かれ、この本がその後も上流階級の人々の振る舞いを規定するに至ったといわれています。本書では、ウルビーノの宮廷とそれに関 わる人々の評伝、そして、ウルビーノに滞在し、レオナルド・ダ・ヴィンチとも関わりのあったジュリアーノ・デ・メディチの評伝、さらに イタリアにおける傭兵隊長のありかたと、フェデリゴとジギスモンドと言う2人の傭兵隊長の話がまとめられています。

    ジャウメ1世(尾崎明夫、ビセント・バイダル訳・解説)「征服王ジャウ メ一 世勲功録  レコンキスタ軍記を読む」京都大学学術出版会、2010年
    13世紀のイベリア半島では、カスティーリャ、アラゴンといったキリスト教国によるレコンキスタが進められていまし た。 その 当時のアラゴン 連合王国(アラゴン、カタルーニャ等のまとまり)の国王ジャウメ一世という国王が自ら残した著作です。ジャウメの生い立ちから、マヨルカ 島などの征服、そして本書の中心となっているバレンシア王国の征服などの内容を中心に書かれた著作であり、解説を読むとジャウメが意図的 に 省いた箇所(彼にとってあまり都合の良くない出来事)があるようですが、この時代の事を理解する上では読んでおいて損はないと思う一冊です。 また、中世の軍事に興味がある人は、どのような戦い方をしていたのかを知ることも出来て良いと思います。

    ダニエル・ジャカール(吉村作治監修、遠藤ゆかり訳)「アラビア科学の 歴 史」創元社 (知の再発見双書)、 2006年
    世界史の授業などでイスラムの文化について扱うと、イスラムの文化が先行する諸文明の様々な成果を取り込み、自然科 学を 発展 させたと いうことや、イスラムを介してヨーロッパは古典古代の文明を摂取したと言うことは教えられていることです。しかし、肝心のイスラム世界 の科学について、具体的にどのような物があったのかと言うことについてまではあまり触れられていないところですし、どうしてもイメージが つかめないと言うことも多いようです。

    本書では、まずアッバース朝からティムール朝まで(オスマン帝国は入らず)のイスラム世界における 科学に関する活動を概観し、その後にギリシア科学が文献翻訳を通じてアラビア科学に取り込まれたことにふれて、アリストテレス、プトレ マイオス、エウクレイデス、ヒポクラテスとガレノスの著作の翻訳と受容についてまとめたり、数学と天文学、光学のように計算や計測を要 する学問の発展、力学や医学、そして錬金術と言った自然の物質や生命に関わる学問についてのまとめがあり、最後にアラビアの科学が ヨーロッパに伝わり(その際に、ユダヤ教徒の学者が果たした役割にも言及してます)、ヨーロッパにおける科学の発展に寄与したことを 述べ、その後のヨーロッパの科学とアラビアの科学のそれぞれの歩みに違いが生じたことについても軽く触れています。図版も多数収録され ており、内容も大まかに全体がまとめられた形になっているため、アラビア科学についての入門書として良い本だと思います。

    フィリップ・ジャカン(増田義郎監修、後藤淳一・及川美枝訳)「海賊の 歴史  〜カリ ブ海、地中海から、アジアの海まで〜」 創元社(知の再発見双書)、2003年
    人々が海を通じて貿易や交流を行ってきた歴史には常に海賊の存在がつきまとう、と言っても過言ではないと思います。 古代ギリシア、ローマ時代、中世、近世にいたる地中海における海賊活動や、世間一般の海賊のイメージは大部分この地域での 活動に依るのではと思われるカリブ海の海賊たち、そして倭寇などにみられるアジア方面の海賊の存在は、海賊が獲物として狙う ことができる船舶や港湾都市がそれだけ発達していたからではないでしょうか。それら海賊の歴史について古代から18世紀頃 までを中心に扱い、さらに海賊集団の社会について、おもに西洋の海賊がどのような集団であったのかということを詳しく説明 しています。図版が多数載せられているので興味を持って読みやすい仕上がりになっています。

    マーク・シャッカー(野口深雪訳)「ステーキ! 世界一の牛肉を探す 旅」中 央公論新社、2011年
    ステーキというと、何か特別な食べ物のような響きがあります。とくにビーフステーキ何て言うと、頻繁には食べさせてもらえない、 ごちそうというイメージが強いのではないでしょうか。本書は、最高のステーキとは何かを求める探求の旅をえがいたものです。 単にこの肉は旨いとかまずいとか、そういうレベルではなく、ステーキとそれにまつわる様々な知識を知ることができます。

    セバスチアン・ジャプリゾ「長い日曜日」創元社(創元推理文庫)、 2005 年
    第一次大戦中のある日、5人のフランス兵が処刑された。それにより婚約者を失ったマチルドは事の真相を探ろうとして関係者 のところを訪ねたり、情報を集めはじめます。マチルドの調査によってそのときに何があったのかが徐々に明らかになっていき ます。会話や手紙によって分かってきた断片的な出来事が徐々に組み合わさって真実が明らかになっていくところがとても面白 かったです。戦争を扱っているのですがさほど暗さは感じない作品でした。ちなみに映画「ロング・エンゲージメント」の原作 ですが、映画とは人間関係や登場人物の登場頻度などに違いがあります。

    フランソワ・シャムー(桐村泰次訳)「ギリシア文明」論創社、2010 年
    民主政治、哲学、芸術、悲劇や喜劇など、現代世界にも伝わるものの源流の一つとなった古代ギリシア文明について、ミケーネ文明 からマケドニアの覇権にいたるまでの歴史をまとめ、後半にはギリシア世界の様々なテーマについて触れていく一冊です。本書では 通史的な前半のあと、テーマの最初には戦争にまつわることを取り上げています。古代ギリシアの戦争および、戦乱相次ぐ通史部分 と合わせて、古代ギリシア世界が争乱にみちた世界であることを示しつつ、そのような世界での人々の実践の積み重ねがポリスの ありかた、政治や宗教、学問や芸術となって現れたということを示そうとしているように感じました。

    フランソワ・シャムー(桐村泰次訳)「ヘレニズム文明」論創社、 2011年
    アレクサンドロス大王の東征からクレオパトラ7世の死までの約300年間をヘレニズム時代と呼んでいます。長い時代であるけれども、 その扱いについては、ギリシアのポリス中心の文明が衰退していく時代としてみられたり、イタリア半島から勃興したローマが地中海世界 を制圧していく時代としてみられたりと、どうもギリシア文明、ローマ文明の説明をするときのおまけのような感じを受けるときが あります。

    本書では、ヘレニズム時代をギリシア文明、ローマ文明のおまけのようなものではなく、ヘレニズム文明という一つの文明として扱い、 都市、君主制、人々の生活、芸術や学問など様々な部門について論じていきます。そして、古い文明の遺産をもつギリシア人が、それを 保持しつつ、創意工夫をこらし、後の時代にまで残る物を築きあげていったのがヘレニズム文明であるということを述べていきます。 前半部分でヘレニズム時代の概説をまとめ、後半はテーマ別の編成になっているので、とりあえず概略を掴みたいなら前半を、もうちょっと 突っ込んで色々知りたい場合は後半も読む、そのような感じで読むと役に立ちそうです。

    シャン・サ(平岡敦訳)「碁を打つ女」早川書房、2004年
    満洲のある都市で学校や両親、日常から逃れるかのように広場で囲碁をうつ少女と、その町にやってきて抗日分子を探るために 中国人になりすまし広場を訪ねた日本人士官が互いに名も名乗ることなく碁を打ち続けます。両者の日常が交わることは無いの ですが、終盤に唐突な形での別れと、非常に重苦しい場面での再会の場面があります。日本人士官の「私」と満洲の娘の「わたし」 の語りが交互につづき、同じ出来事がそれぞれの視点から全く違う形で語られつつ、囲碁の対局を通じて色々な思いを巡らせる 様子が書かれています。「恋愛とは美しき誤解」と言った人がいますが、なんとなく日本人士官の方を見ているとその言葉をつい 思い出してしまったりもします。

    山颯(シャン・サ)(吉田良子訳)「女帝 わが名は則天武后」草思社、 2006 年
    則天武后を主人公として書かれた小説ですが、三人称の語りではなく、「私=則天武后」が誕生から死、そしてその後までを語る スタイルで書かれています。則天武后というと権力奪取のためには自分の子供、自分の親族ですら殺す残虐な女性、冷酷無比な 悪女、そのようなイメージが流布してますが、本書では、反対勢力に対する粛清・弾圧の場面は確かに出てきます。しかし、全体 として後ろ盾など持たない一人の女性が自分の才覚だけを頼りに宮廷で重きをなすようになり、ついに皇帝に即位し最高権力者と して帝国を取り仕切るようになる一方、その過程で、どんなに自分が愛しても自分の親族や子供、寵臣たちは自分の元を去り、 敵対することからくる孤独感や絶望のようなものが感じられます。

    シャン・サ(吉田良子訳)「美しき傷」ポプラ社、2007年
    東征を続けるマケドニア王アレクサンドロスと、彼が戦場でであったアマゾネスの女王アレストリアの愛の物語が流麗な文章で綴られて いきます。物語の語り手がアレクサンドロス、アレストリア、侍女の3人で、時々語り手が入れ替わっていくという形で、時として同じ 出来事が違う語り手によって語られていたり(アレクサンドロスとアレストリアの出会い)するところは面白いなと思います。周囲の人々 を自分の思うように動かしてきたアレクサンドロスと、男を愛してはいけない宿命にあるアレストリアの2人がであってから互いに愛し合う ようになるなかで、最後のような展開は有りなのかなという気がします。

    マルセル・シュウォッブ(多田智満子訳)「少年十字軍」王国社、 1990年
    皆が仮面を着けている国で自分の顔を見た王をかいた「黄金仮面の王」、世界の終末と少年少女を描く「大地炎上」、様々な人に 語らせながら描かれる「少年十字軍」などを収録した短篇です。その無垢さが他人の信じるもの、思い込みを揺さぶる「少年十字軍」 の他の作品も興味深いです。誌的な文章で、幻想的な光景や強烈な光景が描き出されています。

    クリスティアン=ジョルジュ・シュエンツェル(北野徹訳)「クレオパト ラ」 白水社 (文庫クセジュ)、2007年
    プトレマイオス朝エジプト最後の女王クレオパトラ7世についてコンパクトにまとめた1冊です。クレオパトラというと、「絶世の 美女」とか言われたり、「鼻が低かったら歴史が変わっただろう」などと後の世に言った人がいたり、とかく実像以上に後世にふくらんだ 様々なイメージの方が伝えられています。そんなクレオパトラについて、限られた文献資料、碑文、コイン、美術品等々を駆使して、 彼女の歴史的な実像について迫っていこうというのが本書のスタイルですが、それだけではありません。プトレマイオス朝の君主崇拝や、 アレクサンドレイアの様子、政治の仕組みや軍隊についても簡潔にまとめられていたり、後世に彼女がどのようなイメージで伝えられ、 表現されてきたのかと言うことにまで踏み込んでいます(エリザベス・テーラーの映画もちらっと出てきます)。

    トレイシー・シュバリエ(木下哲夫訳)「真珠の耳飾りの少女」 白水社(白水Uブックス)、2004年
    17世紀オランダの名匠フェルメールが書き残した、現存する数少ない作品の一つに「青いターバンの女」(真珠の耳飾りの 少女)という作品があります。そのモデルについては今のところわかっていません。そのモデルとなった少女はフェルメールの 家の女中だったという設定のもと、「青いターバンの女」がかかれるまでの背景を描き出していきます。主人公のフリートは この小説のために作られた人物ですが、実在の人物も登場し、さらにフェルメールの家の間取りなども実際の家と同じようです。 一応恋愛小説のようですが、そっちの話よりむしろフェルメール家のクソガキの一人のいやらしさとか、市場の描写や、アトリエ で絵の具を練っているときのシーンのほうが印象に残っています・・・。

    トレイシー・シュバリエ(木下哲夫訳)「貴婦人と一角獣」白水社(白水 U ブックス)、2013年
    中世ヨーロッパ美術の傑作といってもよい「貴婦人と一角獣」のタピストリーについて、それが作られた背景を虚実をない交ぜながら 描き出していきます。章ごとに物語を語る人物の視点がかわりながら展開していくのですが、同じ著者の「真珠の耳飾りの少女」と同じ ようなスタイルの物語になっています。過去作の方が面白さはあったような気がしますが、これはこれでエンターテイメントとしては 良いと思います。ちょっと直截的な描写も目につきますが、それはまあしかたないか。

    イアン・ショー(近藤二郎・河合望訳)「古代エジプト」岩波書店(1冊 でわ かる)、 2007年
    古代エジプトというと、ミイラ、ピラミッド、ツタンカーメン王等々、一般に広く知られて事柄がある一方で、古代エジプトの社会や経済、 政治がどうだったのかと聞かれると意外とわからないところがあるのではないでしょうか。本書では古代エジプトについての研究史から スタートし、古代エジプトの王権、宗教、死と埋葬等々、個別の事柄についてまとめていきます。この本は入門書という位置づけですが、 内容はしっかり詰まっているように感じました。王朝物語のようなモノを期待すると、それとはかなり違うのでとまどうかもしれませんが、 これを読んでから古代エジプトに関するほかの著作を読むと、エジプトについてよくわかるのではないでしょうか。

    庄子大亮「アトランティス・ミステリー」PHP出版(PHP新書)、 2009年
    プラトンが「ティマイオス」「クリティアス」において語っている謎の古代文明アトランティス…、というとたいていの場合は 「アトランティスはどこにあったのか」ということに関心は集中し、様々な説が唱えられています。

    しかし、本書は「アトランティスはどこにあったのか」と言うことではなく、「なぜプラトンはアトランティスについて語ったのか」 と言うことに焦点が当てられていきます。前半では実在説を逐次紹介しながら、その問題点を論じ、後半でアトランティス伝説を切り 口に、古代ギリシアで神話を物語ることの意味についてまとめていきます。アトランティスの実在については、それは虚構ということに なるようですが、神話や物語の力というものについて考える入り口になる1冊だとおもいます。

    将基面貴巳「反「暴君」の思想史」平凡社(平凡社新書)、2002年
    現代日本の政治、経済、社会全般にわたる危機的状況というものは様々な人が認識し、その人の数だけ意見が出されて いるといって過言ではない状態です。その中には「日本的な」ものを捨てろというものもあれば、「日本的な物」への 回帰を訴える物もありますが、著者に依ればいずれの立場の論者にも欠落している視点があると言います。それは「共通善」 思想であり、「共通善」に反する政治が「暴政」であり、それを行うのが「暴君」であると規定します。さらにそのような 「暴政」「暴君」に抗するすべを中世西欧と江戸時代の日本を比較考察していきながら現代日本の抱える問題に切り込んで いきます。単なる過去の政治思想のおさらいにとどまらず昨今の日本の政治について考える手がかりになりそうな1冊です。

    将基面貴巳「政治診断学への招待」講談社(選書メチエ)、2006年
    かなり後の時代になってから、ある時代のことを「暴政だった」とか「ひどい時代だった」と認識し、それが多くの人に受け入れ られると言うことは良くあることです。しかし後に「暴政」「ひどい時代」として認識されるまさにその時代に生きていた人たち が自分たちの生きた時代について判断を下すことは難しいことです。自分たちの生きている今現在の政治が果たしてまともなのか それとも異常なのかを見つけ出し、それを正していくにはどうすればよいのか。その問題に関して著者は医療における臨床診断の 発想を政治思想・政治理論にも応用して、現在の政治について異常を見つけて正していく「政治診断学」の確立が必要であると主張 します。

    本書はいってみれば著者の構想する「政治診断学」をいかにして確立するのかを述べている本です。診断学の発想をもとに 政治理論を実際の政治的実践に役立てられるようにすることは果たして可能なのか、これからどのような方向で著者が「政治診断学」 を作り上げていくのか、これから先の活動に期待してみたいところです。医学と政治思想の関連についてかなりのページ数を割いて いるので、そのあたりで飽きてしまう人もいるかもしれませんが…。

    承志「ダイチン・グルンとその時代」名古屋大学出版会、2009年
    東アジアの広大な領域を支配したダイチン・グルン(清朝)の版図の大部分は現代の中国に引き継がれ、中国のみならず現代のアジアの情勢 にも大きな影響を与えています。従来は中国王朝の一つとして漢語史料を中心に清朝史研究が行われてきましたが、マンジュ(満洲族)が 作ったダイチン・グルンは中国史という枠に収まる存在ではなく、内陸ユーラシアの歴史として改めて見直す必要があるようです。本書は 自らもマンジュ語を用いるシベ族である著者が、近年公開が進んでいるマンジュ語(満洲語)の史料や地図を手がかりにして、従来の中国史 の一部としての清朝史ではなく、モンゴル帝国以降のユーラシア史としてのダイチン・グルン史を描き出そうとしています。

    著者の構想ではダイチン・グルン(清朝)研究の序説にあたる内容とのことで、史料の公開状況(未公開の書物や地図が多数あるらしい…) も含めて、これからに期待といった感じがします。第1部と第2部からなり、ダイチン・グルンを支えた八旗や旗人の生活について色々まとま っている第2部は著者の思い入れが強く感じられ、扱っている題材も含めて面白く読めました。

    庄子大亮「世界を読み解くためのギリシア・ローマ神話入門」河出書房 (河出 ブックス)、2016年
    古代ギリシア・ローマ神話というと、西洋世界の美術のモチーフとしてよくもちいられているだけでなく、様々な物の名前の 由来にも関係していることがしられています。

    本書では、そんなギリシア・ローマ神話の神々や英雄、有名な出来事を色々と紹介し、それが現代にもいろいろなところに 残されていることを示していきます。巻末の一覧表は圧巻です。

    尚樹啓太郎「ビザンツ帝国の政治制度」東海大学出版会(東海大学文学部 叢 書)、 2005年
    1000年にわたって続いたビザンツ帝国を支えた政治制度はどのような物だったのか、そしてそれは時代の流れの中でどのように 変わっていったのかについてまとめた本です。4世紀から7世紀初めまでの初期ビザンツと、13世紀初めまでの中期ビザンツの 時期の中央官制・爵位・首都コンスタンティノープル・地方のそれぞれについて様々な官職や用語についての説明があり、後期 ビザンツ時代としてニケア帝国、パレオロゴス朝が分けられ、それぞれにおいてそれに対応する章がもうけられており、それを 丁寧に読んでいくとどのように変わったのかが分かるのではないかと思いますが、ビザンツ帝国の政治制度について色々な官職 についての説明が多く書かれているので、とりあえずこの官職は何だろうと思ったときにぱらぱらと見るような辞書的な使い方 ができる本です。

    城地孝「長城と北京の朝政」京都大学学術出版会、2012年
    中国の明朝というと、皇帝独裁体制を確立したということで歴史の教科書では扱われています。行政、軍事、監察を全て皇帝直属 とし、皇帝が全てを決裁する体制となりますが、現実には非常に負担が重く、内閣大学士が補佐をするようになりました。その 内閣大学士が単なる補佐役でなく、行政を担い、内閣大学士が事実上宰相のような存在となっていったと言われますが、それは どのような経緯を経て成立するのか。本書では対モンゴルへの対応を通じ、内閣大学士が事実上宰相のような存在となり、行政を 司るようになっていったのかを示していきます。

    アンドリュー・ジョティシュキー(森田安一訳)「十字軍の歴史」刀水書 房、 2013年
    一括紹介(その3)へ移しました

    パオロ・ジョルダーノ(飯田亮介訳)「素数たちの孤独」早川書房(ハヤ カワ epi文庫)、2013年
    成績は優秀ながらも、妹を巡るトラウマを抱え、自傷行為にはしり転校を繰り返すマッティアと、スキーで大けがを負い、 その後左足が不自由になったアリーチェ(ついでに、彼女の場合は拒食症にもなっています)、互いに心に傷を抱えた2人 が高校時代に出会い、ふとしたことから惹かれ合うようになります。しかし、マッティアの大学卒業の際にちょっとした ことがきっかけで離れていき、互いに別々の道を歩むのですが…。

    同じ時、同じ空間で暮らし、親しくなって近づくことはあっても、決して交わることも一つになることもない登場人物達の 姿を見ていると、確かに「素数」になぞらえるというのは有りなのかなという気がします。

    ジャン・ド・ジョワンヴィル(伊藤敏樹訳)「聖王ルイ」筑摩書房(ちく ま学 芸文 庫)、2006年
    フランス国王ルイ9世というと、十字軍を率いた王様として世界史でも出てきますし、フランス王権の伸張という点でも触れられる 事がある人物です。本書はそんなルイ9世に仕えたジョワンヴィルの領主ジャンがルイ9世死後40年ほどたった頃に残したルイ9世 の伝記です。当然その内容には実際のルイなのか彼の目を通して写ったルイなのかちょっとわかりにくいところもありますし、ルイ の信任厚き自分を書こうとしたのかもしれませんが、ルイ9世に仕えた人物が書き残したルイ9世について知ることができる貴重な 資料です。またルイ9世が十字軍を行った頃はちょうどイスラム世界ではマムルーク朝が勃興し、さらに東からモンゴル勢力がやって 来るところでしたが、そういった勢力とルイの関わりについても書かれており、中世ヨーロッパにおけるモンゴルについての認識の 一端も窺えます。

    デニス・ジョンソン(柴田元幸訳)「ジーザス・サン」白水社、2009 年
    酒、ドラッグに浸りながら社会の底辺で暮らす人々を登場人物として取り上げながら描かれた短編集です。底辺に暮らしている人を 題材に選んだというと、そこからの上昇を目指していたり、まっとうな人生を送ろうとしている人を取り上げている作品だと思う人が いるかもしれませんが、この本に出てくる人々にそんな人はまず出てきません。そこにいるのは、自分の置かれた状況に流されるまま に生きている人々ばかりで、「普通の」人生を送ることがどれだけ大変なのかを考えさせられると思います。
    ポール・ジョンソン(富永佐知子訳)「ルネサンスに生きた人々」ランダ ムハ ウス 講談社(クロノス叢書)、2006年
    イタリアのルネサンスについての入門書的な本です。まず最初にルネサンスの経済的・社会的背景(動力源として風力を利用、 航海技術の発展、印刷術の発展など)について結構纏まった記述があった後で文学と学問、彫刻、建築、絵画、音楽などそれぞれ の部門に触れ、それぞれの分野の有名な人物を数名取り上げながら進んでいきます。イタリアのルネサンスについてコンパクトに まとまっていつつ、それでいてイタリア以外の地域のことにも目配りができているので、ルネサンスについての入門書として大い に役立つのではないかと思われます。個々の芸術家について結構纏まった記述があり、人物伝的な要素もあります。もう少し図面 が多ければよいのにと思うところもありますが、全体的に分かりやすい本です。

    デニス・ジョンソン(藤井光訳)「煙の樹」白水社(エクス・リブリ ス)、 2010年
    ベトナム戦争下、元米軍大佐サンズが考案し、実行しようとした情報作戦「煙の樹」に関わった様々な人々の姿、そして戦争の様子を 淡々と描いていきます。派手な戦闘シーンは少なく(テト攻勢の場面くらい)、兵士達のスラング満載の下卑た会話や、どん底という 感じがする戦地の描写がこれでもかとばかりにもりこまれています。フランシス・サンズ大佐が考案した情報戦作戦「煙の樹」は一体 何か、それは正直なところよく分かりません。

    非日常的で、何かの祭りのような高揚感を与えてくれる戦争の姿を期待して本書を読むと、そのような期待は完全に裏切られることでしょう。 ここに書かれている戦争は、まるで平凡な日常を過ごしているようで、けだるさすら感じさせます。

    トム・ジョーンズ(岸本佐知子訳)「拳闘士の休息」河出書房新社(河出 文 庫)、 2009年
    ヴェトナム戦争に従軍した後にてんかんを発症し、ロボトミー手術を受けることになるボクサー、末期癌に犯された女性等々、肉体 ないし精神を損なった人々を主人公としつつ、なお生きたいという意志や希望を感じさせる話が集められた短編集です。読んでいると、 同じ人じゃないかと思う登場人物が複数の話にまたがって登場するため(ジャガーV12に乗る医者とか、ヘヴィー級ランキング5位になった ボクサー)、少しつながりがあるのかとも思いましたが、良く読むとそうでもないように読め、つながっているのかばらばらなのか、 その辺りはちょっと分かりかねます。

    全体的にかなり重い話が多いため、調子がよいときに一気に読み進めることをお薦めします。それ程読みにくさを感じる文章ではない のですが、やはり痛みや苦痛をかなり感じさせる内容・表現の作品なので。

    ロイド・ジョーンズ(大友りお訳)「ミスター・ピップ」白水社、 2009年
    政府軍と革命軍の内戦の舞台となり、政府軍に封鎖されたブーゲンビル島で、ディケンズ「大いなる遺産」を1章ずつ朗読するという授業が 行われ始めました。はじめはとまどった子ども達もやがて物語の世界の中で想像をふくらませ、物語の主人公ピップが生きているように感じ はじめます。そんなさなか浜辺に島の少女が書いた「ピップ」という文字が引き金となり、悲劇が引き起こされることになります…。

    子ども達を相手に「大いなる遺産」を朗読する授業を行ったミスター・ワッツという人物や、「大いなる遺産」そのものの扱いをみていて、 語られることの不確かさを感じた小説でした。

    白石典之「チンギス・カン “蒼き狼”の実像」中央公論新社(中公新 書)、 2006年
    13世紀に興り、瞬く間にユーラシア大陸を制圧していったモンゴル帝国。モンゴル帝国を建国したチンギス・カンについては その生涯(特に前半生)については不明な点も非常に多い人物です。本書では文献史料や近年進んだモンゴル史の研究成果を いかしつつ、著者の専門であるモンゴルの考古学の成果を盛り込みながら謎に満ちたチンギス・カンの生涯を描き出していき ます。著者が発掘に関わっているアウラガ遺跡の調査結果(チンギス・カンの霊廟発見のニュースが一時流れたことがあります が、その場所です)や、草原の中に巨大な鉄工所があったこと、チンギス・カンの季節営地、后妃の役割などの話はなかなか 興味深いものがあります。

    白石典之「モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る」講談社(選書 メチ エ)、 2017年
    チンギス・カンについて文献史料だけでなく、考古学調査の成果をもちいながら新書を書いた著者が、従来から続けてきたモンゴル のアウラガ遺跡の調査成果に加え、チンギス・カンが生きた時代の自然環境についての分析も合わせて書き上げた一冊です。文理融合 型とでもいうべき歴史研究をもとに、なぜチンギス・カンのモンゴルが強大化できたのかを明らかにしていきます。各地方で育つ草 の種類やら自然環境、馬の生育などが色々関係している様子が伺えます。

    白幡俊輔「軍事技術者のイタリア・ルネサンス 築城・大砲・理想都市」 思文 閣出版、2012年
    中世ヨーロッパにおける火器の発展が、騎士の没落を招き、さらに対抗するための築城術の発展をもたらし、そのような変化は国家のあり方 にまで影響を与えたと言うことはしばしば言われています。本書はイタリアにおける築城術の発展の過程を当時の建築家達が残した書物や実際 の城塞をとりあげ、それがルネサンスの「理想都市」的な軍事以外の要素を取り込んだものから軍事に特化したような要塞に変化する過程を おい、さらにその過程で一都市国家単位の防衛のみを考えていた技術者達に国家の防衛というものを考える姿勢も現れ始めたことにも触れて いる内容となっています。

    イタリアにおける築城術の発展を見ると、単純に現代人の目から見た合理的な解決法がすぐさま採用されたというわけではなく、建築家たち が生きた時代に規定される部分がかなりあり、直線的な変化が起きたわけではないことが良く分かります。古典の再解釈と取捨選択から、新 しい築城術ができあがる過程が丁寧に書かれているなと思いました。

    アラン・シリトー(丸谷才一、河野一郎訳)「長距離走者の孤独」新潮社 (新 潮文庫)、1973年
    盗みを働き感化院に入れられた主人公は、感化院の院長からクロスカントリー走者として期待をかけられるようになっていきます。 しかしレースにおいて彼がとった行動は、意図的にその期待を裏切ろうとすることでした。諸般の事情により表題作のみを読んだ だけのままになっているのですが、若い人達には読んで欲しいと思いますし、教育者もこれを読んで我が身を振り返ってみて欲しい とおもいます。この作品の感化院院長のようなタイプの教育者は間違いなくいるはずです。

    シルレル(シラー)(渡辺格司訳)「三十年戦史(全2部)」岩波書店 (岩波 文庫)、 2007年(初版1943年)
    ヨーロッパ史上初の「ヨーロッパ大戦」となり、ドイツ一帯を荒廃させ、さらに戦後には主権国家体制をヨーロッパにもたらした三十年 戦争の歴史を劇作家として有名なシラーが描き出したのが本書です。彼は「ヴァレンシュタイン」三部作を書き上げるために三十年戦争 について研究し、三十年戦争について大学で講義したところ学生が潮の如く押し寄せたと言います。それをまとめたのがこの本で、内容 は三十年戦争の原因となるヨーロッパの宗教対立(カトリックとプロテスタント)の話から、三十年戦争終結までをあつかっています。 しかし読んでみると、彼が最も力を入れて書いていると思われるのは傭兵隊長ヴァレンシュタインとスウェーデン王グスタフ=アドルフ の活躍とその死に至るまでの話であり、ヴァレンシュタイン死後の話は分量、筆致からはあたかも後日談の様相を呈しています。前述 2名の他の武人(マンスフェルト、ティリー、ベルンハルト等々)についても著者による人物評、作戦行動等々が詳しく書き込まれて おり、三十年戦争という悲惨な戦争を舞台に活躍する軍人たちの英雄譚と言った感じがします。

    フリードリヒ・シラー(本田博之訳)「シラー戯曲傑作選 ヴィルヘルム・テ ル」幻戯書房(ルリユール叢書)、2021年
    息子の頭の上に乗せたリンゴを撃ち抜いたという話でしっているひともいれば、80年代の某お笑い番組のオープニングでおなじみロッシーニの序 曲 でしっているなど、ヴィルヘルム・テル(ウィリアム・テル)というキャラクターの名前はどこかで見にしたことがあるのではないでしょうか。 テル自体は実在人物ではないのですが、そんなテルの名を冠した戯曲が本書です。スイスの独立に向けた動きの中で、テル自身はリーダーシップを 取って人々を導くとかそういう役回りかというとそういう感じではなく、でも色々と悩み葛藤しながらも進んでいく人物といったところでしょう か。

    真道洋子「イスラームの美術工芸」山川出版社(世界史リブレット)、 2004年
    一括紹介その5に掲載

    陣内秀信「イタリア海洋都市の精神」講談社(興亡の世界史第8巻)、 2008年
    一括紹介その4に掲載

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    グレアム・スウィフト(真野泰訳)「マザリング・サンデー」新潮社、 2018年
    貴族の館で働く使用人が年に一度帰郷できる日、「マザリング・サンデー」。1924年のその日、ニヴン家のメイドであるジェーンは シェリンガム家の御曹司ポールと過ごしていました。誰もいない家での情事というと、何やらよくある設定のようですが、この日の 出来事がジェーンの将来に決定的な影響を与えることになるのです。

    何かの終わりと何かの始まりの日となったマザリング・サンデーに起きたことと、様々な時点でのジェーンの語りの組み合わせで 展開され、気がつくと引き込まれている中編でした。

    菅豊「鷹将軍と鶴の味噌汁」講談社(選書メチエ)、2021年
    現代では鳥というと鶏肉、あるいは合鴨などのかもの肉、そういったものが食べられる鳥として認識されているかと思います。しかし、 かつての日本では野鳥も食されており、特に江戸時代には野鳥料理の技法の発展と洗練が極まりました。鳥料理を食べさせる料理屋も江戸の 町の中で営まれ、野鳥がそれぞれの格におうじて贈答品として用いられ、野鳥を流通に乗せる商人や鳥を供給する人々(密漁も含む)が 活発に活動した、そういう物が見られました。それ程までに栄えた野鳥を食する文化が急速に衰退し、今はほとんど伝わっていないのは何故 七日、そこまで考えて書かれており、なかなか面白い事柄が詰め込まれた一冊です。

    菅野瑞治也「実録ドイツで決闘した日本人」集英社(集英社新書)、 2013 年
    タイトル及びイントロダクションの著者が実際に行った決闘の話のインパクトが強い一冊ですが、ドイツにおける学生結社について扱った 本です。それにしてもいまだに決闘を行っている大学生がいるとは思いませんでした。

    杉田英明「浴場から見たイスラーム文化」山川出版社(世界史リブレッ ト)、 1999 年
    一括紹介その5に掲載

    杉本陽奈子「古代ギリシアと商業ネットワーク」京都大学学術出版会、 2023年
    古代ギリシア、アテネの海上交易商人を中心に扱いながら、商人たちの地位やイメージなどをさぐりつつ、彼らの活動を支えた諸制度と それらの精度を補い、機能させてきたものは何かを明らかにしていきます。人と人のつながりが非常に重要であったということがわかる 一冊です。

    杉山清彦「大清帝国の形成と八旗制」名古屋大学出版会、2015年
    現在の中国東北部から興り、ユーラシア大陸東部に広がる領土を支配した大清帝国(清朝)、その中核に存在した八旗と呼ばれる 軍事・政治の制度があったことはしられています。本書では八旗がどのように編成されていたのか、八旗の構成員と位階や官職の 関係、八旗の旗王とそこに編入された人々の人間関係、側近として支える人々の調達、そして支配下に置いた人々をどのように八旗 に組み込んでいたのかといったことを詳しく検討しつつ、清朝の性格を明らかにしようとしています。

    氏族の話や婚姻関係などなど、人的結びつきをかなり詳しく解明しようとしており、その部分は決して容易ではありません。しかし、 ヌルハチによるマンジュ・グルン建国から山海関を超えて中国内地に入る直前の頃の大清帝国(マンジュ・グルン)のことを知りたい ならば、まずこれは読んでおくべき本だろうと思います。八旗への編入のような「マンジュ化」を通じ、様々な民族が支配層に組み込 まれる可能性を有する体制が中核にある帝国が大清帝国であるという理解で良いのかなとおもいいます。また清と同時代に存在した オスマン、サファヴィー、ムガルとの比較を通じ、世界史のなかで大清帝国がどのような位置を占めるのか位置付けようとしている ところは非常に興味深い試みだと思います。

    杉山正明「モンゴル帝国と長いその後」講談社(興亡の世界史第9巻)、 2008 年
    一括紹介その4に掲載

    ウォルター・スコット(菊池武一訳)「アイヴァンホー」(上・下)岩波 書店 (岩波文 庫)、1974年
    征服者ノルマン人とそれ以前に住んでいたサクソン人の対立がなお続くリチャード1世時代のイングランド。しかし当の国王はオーストリア でとらえられて不在、王弟ジョンがそれに取って代わろうと企んでいた頃、アシュビーにて行われた騎士の試合で優勝した「勘当の騎士」 が栄冠を受けることになります。その騎士の正体はサクソン人セドリックの息子で十字軍に参加していたアイヴァンホーでした。この アイヴァンホーとサクソンの姫ロウィーナのロマンスがあったり、リチャードが変装した黒騎士、ロビン・フッドなどが活躍する歴史小説 で、最後は大団円を迎えることになります。活劇ありロマンスありの中世にどっぷり浸ってみたいときに読むといいかもしれません。

    図師宣忠「エーコ『薔薇の名前』:迷宮をめぐる〈はてしない物語〉」慶應義 塾大学出版会、2021年
    ウンベルト・エーコが中世の修道院を舞台に描いた「薔薇の名前」は、刊行後大ヒットとなり、映画化もされ、様々な解説書が出るなど非常に広く 人気を得た作品です。しかしなかなかに複雑で難解な作りという感じもあります。本書は中世ヨーロッパ研究者がこの作品について分析、解説を 行い、エーコがどのようにして「中世」を作り上げたのか、それを作るためにどのような要素を組み合わせていったのかということがわかる作り となっています。エーコが何をどのように使って彼の「中世」を作ったのか、それは読んでみてのお楽しみという所でしょうか。また「薔薇の名 前」 に挑戦してみてもいいかなと言う気になる一冊です。

    鈴木董「食はイスタンブルにあり 君府名物考」講談社(学術文庫)、 2020年
    日本では、「世界三大料理」のひとつだなどともいわれるトルコ料理ですが、オスマン帝国ではどのような料理を食べていたのか、 その立地や文化的伝統を背景にした様々な料理の発展が見られたことが本書で語られていきます。オスマン帝国の宮廷の食事や宴会 から、庶民の食事に至るまで、様々な事柄が次々と取り上げられています。少々羅列的な感がなきにしもあらずですが、興味深い 話題が多く、楽しく読めるかと思います。

    鈴木恒之「スカルノ」山川出版社(世界史リブレット人)、2019年
    インドネシア独立運動を担い、大統領となったスカルノの伝記です。「教科書では教えきれないスカルノ」という感じの一冊です。 

    鈴木成宗「発酵野郎 世界一のビールを野生酵母でつくる」新潮社、2019 年
    三重県の伊勢角屋ビールというと、ビールが好きな人であればどこかで見たことがある、飲んだことがあると言う人が多いかと 思います。海外のコンテストでも金賞を取ったり、評価の高いビールも色々と作っています。そこの社長がここまでの半生を ふりかえりながら、ビール造りにかける思いや働き方について語っています。サイエンスを土台に、後は根性と情熱、それが ふつうでない麦酒を造る上で大事なのかなと思う一冊です。

    オーレル・スタインほか(前田龍彦訳)「アレクサンドロス古道」同朋社、 1985年
    中央アジア探検活動で名高いスタインが、インダス川上流域やスワート渓谷のあたりで探検調査を行った、その時の記録を中心とした 一冊です。アレクサンドロスがバクトリアからインドへと侵入するルートの同定に関わる調査ですが、地理や考古学だけでなく、現地 の政治情勢や社会経済の様子、そして西洋の東洋観猛火が得る、非常に情報量の多い一冊です。

    ジェイムズ・スタヴリディス(北川知子訳)「海の地政学 海軍提督が語 る歴 史と戦略」早川書房(ハヤカワ文庫NF)、2018年
    著者はNATO軍最高司令官を務めたこともある、もとアメリカ海軍の提督です。そんな著者の海軍軍人として各地を巡った時の経験と、太平洋や 地中海、インド洋から北極海まで各地の海の歴史、そしてアメリカがとるべき戦略をまとめて書いた一冊です。扱われている海のなかでは、 インド洋や北極海が重要であるというところがなかなか興味深いと思いました。そして著者の体験談は気軽に読める息抜きのような感じで 面白いです。翻訳にやや難があるという話もありますが、その分を差し引いたとしても面白いと思います。

    サーシャ・スタニシチ(浅井晶子訳)「兵士はどうやってグラモフォンを 修理 するか」 白水社、2011年
    ボスニアの一都市ヴィシェグラードに生まれたアレクサンダル少年が、故郷や家庭、周りの人々について色々な物語を語っていきます。 しかし1992年におきたボスニア紛争により町はセルビア勢力の手に落ち、アレクサンダルたちは地下室へと退避し、その後ドイツへと 逃げていきます。そして大人になったアレクサンダルは本を書き、やがて再びヴィシェグラードを訪れ、そこで現実を知ることに…。

    著者も体験したボスニア紛争を題材に、過酷な現実に抗すべく、人が想像力を働かせ、物語を語るという事について考えさせられる作品 となっているとおもいます。

    ドメニコ・スタルノーネ(関口英子訳)「靴ひも」新潮社、2019年
    イタリアの、一見すると特に変わったところはなさそうだったある4人家族の肖像を描き出した作品です。しかし、家族の姿を複数の眼で描き出す と、平穏無事に見える家族の中では不穏な気配、衝突が色々と起きていたようです。まず家族に大きな影響を与えた出来事とその後に関して妻が 夫に書き送った手紙と、その出来事から数十年の歩みを夫が回想しながら語る話、そして子ども達の眼から父親と母親がどう見えていたのかと 言ったことが描かれていきます。家族にたいし決定的な影響を与えたのは父親の行動ではありますが、その後のひずみはそれだけではないでしょ う。 駄目男な夫と現代であれば問題のある親と見なされてもおかしくない妻、そして不安定な環境で育ったことがその後の歩みにも大きく影響している 子ども達、それぞれの眼からみた「家族」の物語です。最後のシーンは一寸救いがありそうな気もしますが、全体的に重く辛い読書になりました。

    スティーヴンスン(村上博基訳)「宝島」光文社(古典新訳文庫)、 2008 年
    港の宿「ベンボウ提督亭」で働くジムが泊まり客のビリー・ボーンズから宝のありかを示した地図を手に入れます。そしてトリローニ、 リヴジーたちとともに船に乗り込んで宝探しに出発するのですが、船のクルーの一人、片足のジョン・シルヴァーはコックではなく 悪名高き海賊で、船の乗っ取りと宝の獲得を狙って行動を開始します。はたして宝はどうなっているのか、ジムの運命はいかに…、と いった冒険物語です。

    周藤芳幸「物語 古代ギリシア人の歴史 ユートピア史観を問い直す」光 文社 (光文社 新書)、2004年
    エジプト王の傭兵としてロドス島からエジプトに渡って活躍したテレフォス、「僭主殺し」のアリストゲイトンと ハルモディオス、オリュンピア等数多くの大会で優勝した拳闘家で後に政界に転出したテアゲネス、アテナイ市民 殺害犯として告発されたエウクシテオス、ソクラテスの裁判に臨席した陪審員、姦通事件の当事者たる夫と妻、 歴史家ポリュビオス。これらの人々をとりあげ、彼らに語らせるというスタイルをとりながら、古代ギリシアの 歴史の一面を書き出していきます。

    ギリシア人が残した史料を基にしつつ、所々史料から話をふくらませて書かれた 文章を読むと、古代のギリシア人というものがどのような人々だったのかイメージが湧いてくるのではないでしょうか。 「ギリシアでは政治の仕組みが〜で、法律が・・・で」といったことが書いてある本をいきなり読むと頭が混乱して くるという方でも、この本のように人を中心に書いてあれば、古代ギリシア人というものに少しは親しみを感じながら 読めるのではないかと思います。

    周藤芳幸・澤田典子「古代ギリシア遺跡事典」東京堂出版、2004年
    古代ギリシアの歴史を知るうえで、ギリシャ各地で発掘された遺跡というものがかなり重要な役割を果たしています。 数多くの遺跡の中から古代ギリシアの歴史を知る上できわめて重要な14の遺跡について、その遺跡にまつわる歴史、 遺跡の様子をまとめた本です。個々の遺跡について名前は聞いたことがあっても、その遺跡がどのようなものなのか ということについて手軽に読める本はありませんでした。14の遺跡の紹介で「事典」というと少々少ないようにも思 いますが、本書はそのような欲求に充分こたえられる本だと思います。なお、本サイトの内容と関連するヴェルギナやペラ についてもかなり詳しく書かれています。

    周藤芳幸「古代ギリシア 地中海への展開」京都大学学術出版会(学術選 書)、 2006年
    古代ギリシア文明というと、ルネサンスの時期に古代ギリシアの古典が人文主義者によって読まれるようになって以降、ヨーロッパ文明の 起源として位置づけられるようになり、そう言った点からも他の古代文明と比較して現代に強い影響を与えていると見なすことができる文明 です。しかし、ヨーロッパ文明の起源としてギリシアを扱う一方でギリシア世界とオリエント世界を全く交流のない対置される世界としてみ てしまう見方も生じ、それもまた現在にまで至っています。また古代ギリシア史というと古典期(前5世紀〜前4世紀後半)の歴史が中心に なり、それ以前の時代やそれ以後の時代については古典期と比べると扱いがあまり良くなかったりします(史料上の問題もあるのですが)。

    それに対して著者の取ろうとする立場はミケーネ時代からヘレニズム期までの構造転換の動態としてギリシア史を把握する「長いギリシア史」 であり、目指すところは地中海を取り巻く様々な文明(エジプトなど)との交流を通じて形成された文明としての古代ギリシア文明像構築で す。 そしてミケーネ文明からヘレニズム期までの間で重要そうなトピックを取り上げながら古代ギリシア文明の辿った歴史を描き出していきますが、 近年の研究動向を数多く盛り込み、さらに著者の専門である古代ギリシア考古学の成果がふんだんに用いられています。

    一般的な概説書を一度 読んでから本書を読むと、今の古代ギリシア研究でどのようなことが行われているのか、どんなことが問題になっているのか、その一端に触れ る事ができると思われます。一般向け概説書より半歩ほど専門書の方に踏み込んだギリシア史の本というのはあまり見かけませんが、一般書と 専門書の間の橋渡しのような役目を果たしてくれそうな本です。

    周藤芳幸「図説ギリシア エーゲ海文明の歴史を尋ねて」河出書房新社、 2007年
    古代ギリシアの歴史について書かれた本は多数ありますが、この本は図版を多数掲載しながら旧石器時代からカイロネイアの戦いまでの時期 を扱っている本で、エーゲ海文明やミケーネ文化、暗黒時代の話、ポリスについて、そしてアテネの政治や社会についてかなりページ数を割い て 説明しています。また最近の考古学の成果を多数盛り込みながら書かれていると言うことも特徴の一つだと言えます。図版が多いので、字だけ ではわかりにくいところも分かりやすくなっていますし、みていて飽きることなく読めると思われます。

    周藤芳幸「ナイル世界のヘレニズム エジプトとギリシアの遭遇」名古屋 大学 出版会、2014年
    アレクサンドロス大王の東征により拓かれたヘレニズム時代は、西洋史では最古の「グローバリゼーション」といえる時代なのかも しれません。ギリシア系の国家により東地中海世界が支配されるようになり、ギリシア人が各地へと移動、さらにギリシア語も使われる と言った具合です。どの程度までギリシア文化が浸透したのかを巡っては議論が色々とありますが、本書ではエジプトにおける考古学 資料の成果を活かしながら、エジプトとギリシアという2つの高度に発展した文化の遭遇の様子について触れつつ、プトレマイオス 朝の歴史を書いていきます。あくまで一地方の事例なので全体に一般化するのは過去の研究同様の危険があると思いますが、 興味深い話が色々と載っています。

    周藤芳幸(編)「古代地中海世界と文化的記憶」山川出版社、2022年
    ある時代に造られたものが別の時代にはまた別の意味を持って捉えられたり、ある出来事に関係する記念碑を残すことで 過去の記憶が語り継がれていく、またある過去の記憶を意図的に残し広めようとしたり、有力者への忖度から過去の改変 に力を貸す者がいる、色々な形で過去の出来事が語り伝えられていく。こういった様子を、ギリシアとローマ、エジプトや フェニキアに目を向けた古代地中海世界でどのように表れているのかを扱った論文が集められています。

    アルカージイ・ストルガツキイ&ボリス・ストルガツキイ(太田多耕訳) 「神 様はつらい」 早川書房(世界SF全集24所収)、1970年
    地球人の研究者がが他所の惑星へいき、現地の人々を監察し、その様子を地球に伝えるという任務を当初遂行していたのが、 やがて現地の社会に入り込み、そこで社会をより良いものへと発展させようという方向へと向かっていきます。主人公ドン・ ルマータはアルカナルにおいて知識人の排除を何とか食い止めようとします。

    しかし地球人には中世ヨーロッパレベルの文明しかないアルカナルで起きている知識人排除や暴力的な集団の野蛮な振る舞い、 クーデタといったことを止める力はありながら、一時的にそれを止めても結局歴史発展の法則どおりに事態は進展するから意味 はないのではないかと、悩んでいる様子も見受けられます。過酷な社会をどうしようもなくみているだけというのは確かに辛い ところですね。

    アルカージイ・ストルガツキイ&ボリス・ストルガツキイ(佐藤祥子訳) 「滅 びの都」 群像社、1997年
    地球外のどこかにある「都市」、そこでは国籍や人種に関係なくすべての人間が同じ目標に向けて頑張るようにし向けられていました。 そのような異世界では、ナチスの将校が大統領となり、その補佐官をソ連の若者が務めるという事態も発生しますし、突然サルの暴動が おきたり、どこにでも出現する赤い館に人が入って出られなくなったりと、奇妙な出来事も発生します。何も知らずに読むと奇妙な物語 程度の感想やナチズムもスターリニズムも全体主義は通底するものがある程度のコメントで終わるのですが、これがかつてのソ連で書かれ、 しかも著者がその内容の危険性ゆえに信頼できる一部の人間に原稿のコピーを託し、長年公開されてこなかったという事をしると、そこに 書かれたこと(暴動を起こすサル、スターリンとチェスをすることになる赤い館等々)にどのような意味が込められているのかを考えねば ならず、かなりハードな読書になることは確実でしょう。

    蘇童(スー・トン)「河・岸」白水社、2012年
    中国のある町を舞台に、主人公が革命烈士の子とされながら、後にその血統を否定された主人公の父とともに水上生活者として過ごした13年の物 語です。 父とともに過ごした日々や途中から水上生活を共に送ることになった少女に対する主人公の恋、性への目覚めを主人公の視点から描いていくのです が、 何とも不思議な雰囲気の物語です。内容からして、恐らく文革の頃に近いとは思うのですが、文革の様子などは特に描かれずに幻想的な雰囲気も感 じる ような話が描かれています。

    ティモシー・スナイダー(池田年穂訳)「赤い大公 ハプスブルク家と東 欧の 20世紀」慶應義塾大学出版会、2014年
    民族主義が活発化した19世紀後半から20世紀のヨーロッパ、そこにはハプスブルク君主国という多民族帝国が中欧に存在していました。 ハプスブルク家の皇族の中には帝国内諸民族の民族自決を進めつつ、そこをハプスブルク皇族をおくりこんで君主として支配するという 事を考えている者もいました。その流れの中でヴィルヘルムは帝国領内最貧民族とされていたウクライナ人の自由と独立を支援すること を選びます。彼はやがて自らの名もウクライナ語で「ヴァシル・ヴィシヴァニ」と名乗り、ウクライナの民族国家を作らせ自らをウクラ イナ王とする国家の建設を目指していきます。

    民族主義や全体主義におおわれたヨーロッパにおいて、ウクライナに国家を作ろうとした王族の夢と挫折、そしてウクライナにおける 「オレンジ革命」までを射程に入れた現代ヨーロッパの歴史の流れを読みやすい文章でまとめています。

    砂野幸稔「ンクルマ」山川出版社(世界史リブレット人)、2015年
    アフリカ諸国の独立というと、必ず出てくるのがンクルマ(エンクルマ)です。ンクルマの姿を通し、アフリカにおける脱植民地化、 アフリカという地域の統合のうごきについて、コンパクトにまとめています。

    ミュリエル・スパーク(木村政則訳)「ブロディ先生の青春」河出書房新 社、 2015年
    20世紀前半のイギリスのとある女子校で、型破りな授業をするブロディ先生と彼女が選抜したお気に入り生徒「ブロディ隊」 の生徒達のかわりゆく姿を描く学園もの小説です。それと同時にブロディ先生を裏切り学校から追い出したのは誰か、それは なぜかというミステリーっぽい要素も扱われています。

    サンジャイ・スブラフマニヤム(三田昌彦・太田信宏訳)「接続された歴 史  インドと ヨーロッパ」名古屋大学出版会、2009年
    近世インド洋世界を舞台に、ムガル帝国(大体アクバルやジャハンギールの時代と重なる)のインドとヨーロッパ勢力(ポルトガル中心、あとは イギリスの話が出てくる)の遭遇について扱った論文をまとめた本です。個別の事件と、それに関わる当事者の動向などをまとめながら、実際 に どのようなことが起こり、どのような行動が取られたのかと言うことから明らかにしていきながら、近世のインド洋世界全体の構造を描こうと しているような感じです。かなり難しい本ですし、一読してすぐに理解できるような本ではないと思います。個人的には訳者の方がちょっと余 計な 事をしてしまったかなと言う感は否めない一冊ですが…。

    アリ・スミス(木原善彦訳)「両方になる」新潮社、2018年
    15世紀イタリアを生きた画家フランチェスコ・デル・コッサの視点で語られるパートと、21世紀のティーンエイジャーのイギリス人ジョージの 視点で 語られるパート、一見するとまったく関係なさそうなこの2つのものがたりが、二重らせん状に絡み合い、一度読み通してから読み直すと、そうな のか と納得させられる構成になっている。フランチェスコの物語が、実際にそうだったのか、あるいは現代の視点で再構築されたのかはわからないけれ ど、 両者の話の繋がりが面白かった一冊。でも2度読んでも本当のところどういうことなのかを理解したかというとちょっと微妙だったりする。

    アリ・スミス(木原善彦訳)「秋」新潮社、2020年
    ブレグジットを巡る国民投票でEU離脱が決定した直後のイギリス、寝ていることが多くなった101歳のダニエルのかたわらには30代のエリサ ベスが 付き添う。彼女は子どもの頃ダニエルと交流があり、彼から藝術について色々な話を聞き、大学では美術の研究を行うようになった。ダニエルや エリサベスの過去の回想、現在の状況が度々入れ替わりながら、分断の進むイギリスの状況や、そんなことは無かったことのように扱われていた事 柄 が発掘されていく過程、「普通」とはなにかを考えさせられるようなテーマがはさみこまれている。ダニエルとエリサベスを結びつけるある要素が 明 らかになっていくところなどが分かってくると、なんかすっきりする。

    諏訪哲史「アサッテの人」講談社、2007年
    吃音がなくなった叔父さんが代わりにポンパとか何やら怪しいフレーズを連発するようになり、やがて疾走するという過程を叔父の日記や小説の 草稿などを並べて構成したものと言う設定でかかれています。「アサッテ」というのは「定型」「日常」と対置される物のようで、叔父さんは 奇妙な言葉を使うことで「定型」「日常」にからめとられないようにしていたようです。一応ネタとして軽く読む分には良いんじゃないかと思 い ます。

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    瀬川拓郎「アイヌの歴史 海と宝のノマド」講談社(選書メチエ)、 2007 年
    アイヌというと、最近では縄文人の流れを汲む人々であると見られるようになり、彼らの社会もまた縄文時代のような自然と共生し、平等で 平和な生活を送っていたと思われています。しかし考古学の成果をもとに示される、日本の古代から中世にあたる時期の歴史を見ると、丁度 そのころに近世のアイヌ社会に見られた格差の大きい階層社会や特定の交易産品の獲得に特化した狩猟漁労が営まれるシステムが出現した事 が示されていきます。また、そのころの北海道が千島列島やサハリンなど北ユーラシア世界の動向ともかなり深い関係があったことが示され ていきます。タイトルを見ると「アイヌの歴史」となっていますが、話の中心は続縄文文化の時代から中世について詳しくあつかっています。 通説としてる伏しているアイヌイメージとはかなり異なりますが、アイヌの社会も常に時代に応じて変化していることがよく分かる1冊です。

    関幸彦「刀伊の入寇 平安時代最大の対外危機」中央公論新社(中公新書)、 2021年
    東北アジアを活動の場とし、のちに金国を建国する女真族、その女真族がかつて日本に来襲したことがありました。「刀伊の入寇」としてその なが一応知られている事件ですが、本書は刀伊の入寇をとりあげつつ、それ以前の新羅の海賊が来襲した時にどのように対応したのか、さらに 刀伊の入寇の際にはどのような形で武力が発動されたのか、そういったことを多く扱います。刀伊そのものについて何か掘り下げるというより、 この出来事に際して外交や国防、軍制がどのような形で対応していったのか、当時の国際情勢はどうだったのか、これがどのようにその後語り 嗣がれていったのか、そういったことに重きが置かれている一冊です。何故藤原隆家の子孫が軍事貴族化しなかったのは不思議ですが、武士の 成長にも関わる出来事と言うことで、そちらの方に頁が割かれているかと思います。

    関哲行「スペイン巡礼史」講談社(現代新書)、2006年
    中世ヨーロッパでは王侯貴族から庶民に至るまで聖地巡礼の旅をすることが流行していたことが知られています。十字軍もそのような 巡礼としての性格を持ち合わせていますが、中世のイベリア半島北部にあるサンチャゴ・デ・コンポステラには現世利益や魂の救済を 求めて数多くの人がやってきたと言うことも知られています。エルサレムやローマと比べると歴史が浅いにもかかわらず中世ヨーロッパ 有数の巡礼地として栄えたサンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼の歴史や巡礼と観光、巡礼はどのように行われ、実態はどのようなもので あったのかを述べつつ、巡礼路にあった都市の発展と衰退、巡礼と慈善行為の関係などについても取り上げています。

    ローベルト・ゼーターラー(浅井晶子訳)「ある一生」新潮社(新潮クレスト ブックス)、2019年
    山地の農家に引き取られた主人公が、山と共に生きた一生を描く一冊です。しかし主人公エッガーがなにか凄いことを成し遂げて人々から称賛 されたり、とんでもない悪事を働いたりといった事があるわけではありません。自然や社会の不条理にみまわれたりしながらも山とともに長い年月 を 過ごし、そこで一生を終えるという、波瀾万丈であったり劇的な展開があったりということとはあまり縁が無い生涯にじわじわと引き込まれていく ような作品でした。

    アルド・A.・セッティア(白幡俊輔訳)「戦場の中世史 中世ヨーロッパの 戦場観」八坂書房、2019年
    中世ヨーロッパにおいて大規模な軍勢同士のぶつかり合いよりも多かったとされる包囲戦や略奪の実情について、主にイタリアの事例を用いなが ら示していく一冊です。さらに、戦場での食糧や水の調達の問題や、戦いを始める季節や戦闘の時間、負傷への対処や死者の扱いといったことも 豊富な事例をもとに説明していきます。中世ヨーロッパの戦場の現実の一端が窺える一冊です。
    ブログ の 感想はこちら。

    トーマス・セドラチェク(村井章子訳)「善と悪の経済学」東洋経済新報 社、 2015年
    「神の見えざる手」(ただし実際は彼が創始したわけではない)で有名なアダム・スミスは古典派経済学の父とされています。 しかし彼が書いた別の著作は「道徳感情論」という本であるということは意外と忘れられているのではないでしょうか。現在 の主流派経済学は倫理学的な要素からは分離された、客観的で価値中立的な実証科学のようなものになっています。しかし本書 では、主流派経済学は果たしてそうなのか?

    本書ではギルガメシュ叙事詩、旧約聖書、ギリシア哲学、トマス・アクィナスの思想などなど、一見すると経済学とは無関係な 様々な思想の中に経済的活動や思想の痕跡を探り、そのうえで現代の経済学のあり方について、幸福を求める手段、価値判断を 下すためのとして経済学はどうあるべきなのかを模索しています。

    メシャ・セリモヴィッチ(三谷恵子訳)「修道師と死」松籟社、2013 年
    オスマン帝国支配下のボスニアのとある町、修道師アフメド・ヌルディンは弟が突如捕らえられたことを知ります。弟を何とか救おうと して彼は奔走するのですが、この過程で修道師として生きる彼の内面は大きく変化していくことになるのです。平凡な一修道師としての 生活が一変していく過程が膨大な彼自身の語りと内面の描写を通じて描かれていきます。読後感は心の奥底になんとなくずしりと残る物 がある一冊です。

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    草原考古研究会(編)「ユーラシアの大草原を掘る」勉誠出版、2019年
    ユーラシアの草原地帯はスキタイや匈奴、突厥、ウイグル、モンゴルといった集団が栄え、また東西の文物交流や人の移動において 重要なルートとなった「草原の道」があります。草原地帯を舞台に様々な歴史が展開された痕跡が残され、それの調査が進められて います。本書は、この地域における考古学研究について、問題の所在や現状の成果と今後の課題を分かりやすくまとめています。
    惣領冬実「チェーザレ」(1〜13巻)講談社、2006年〜2022年
    ルネサンス期のイタリアに現れた風雲児チェーザレ・ボルジアの伝記漫画です。漫画を書くにあたって様々な文献を参考にしながら 納得のいくチェーザレ像を描き出そうとしている作者の姿勢は非常に素晴らしいと思います。連載の方は、文献・資料集めをしっかり やって調べてから書き上げるためかなりのスローペース(「ヒストリエ」よりゆっくりしてるのでは)なのですが、果たしてこれから 「乱世の英雄」チェーザレをどのように描いていくのか楽しみです。その他、コロンブス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ジョヴァンニ・ デ・メディチ(のちの教皇レオ10世)など様々な人物が登場しますが、かれらとチェーザレのこの後の関係はどうなっていくのか。 そう言ったところも気になります。8巻ではロレンツォ・デ・メディチが出ていたり、レコンキスタが完結したりと、色々と動きが出始め 手いるところですが、まだまだ全体の流れは分かりませんでしたが、完結巻ではコンクラーベの結果アレクサンデル6世が誕生したあたりで 話が終わりました。チェーザレの青春といいますか、ヤング・チェーザレといいますか、そういう所で完結しております。「俺たちの戦いはこれか らだ!」

    ソーマデーヴァ(上村勝彦訳)「屍鬼二十五話 インド伝奇集」平凡社 (東洋 文庫)、 1978年
    屍体にとりついた屍鬼が色々な話をして、その物語の最後に王に対し内容と関係する問いを発し、王がそれに答える、すると屍鬼が屍体と 一緒にまた消えて王はそれを拾いに行く…それを延々繰り返していくという形をとって面白い話が語られていきます。一人の娘に婿候補が 3人来た場合どうすべきかとか、息子を犠牲にした忠臣の話、父親の供養に医ったら3人の男の手が出てきた話などなど、話の内容は多岐に わたりますが、屍鬼の問いに対する国王の答えを聞いていると、当時のインドでは身分制は絶対、王は絶対、人々は己の分をわきまえて本 来いあるべき行動をとるべき、そういった考え方が普通になっていたように感じられます。

    曽田長人「スパルタを夢見た第三帝国 二〇世紀ドイツの人文主義」講談社 (選書メチエ)、2021年
    最近、古代史が近現代の世界でどのように受容されたのかを問う本がみられるようになっています。直近の時代の状況のものもありますが、 これは第三帝国と古典学の関係を、「パイデイア」の著者イェーガーなど3人の学者が第三帝国とどのように関わっていたのかをみていきます。 そして第三帝国の政策や物の見方と、彼らが模範として仰いだスパルタがどのように関係しているのか、どのようにスパルタが20世紀ドイツで 受容されていったのか似も踏み込んでいきます。読んでいて、実学志向と古典学の関係や、人文主義者のナチに対する妙な期待など、今の時代 にもこれと似たようなことはあるよなと思うことも見られます。現代と関係なさそうなことを対象としている研究者であっても、自分が生きて いる時代の政治や社会とどのように向き合うのかは常に意識しないといけないのでしょう。

    園田英弘「世界一周の誕生 グローバリズムの起源」 文藝春秋(文春新書)、2003年
    現在では、飛行機にのって海外に行ったり、インターネットを通じて海外の友人とやりとりしたりといった具合に、 距離的には遠く離れていてもそれを感じさせぬ交流が可能になってきています。しかしそのような「世界は小さい」 というような状況はいつ頃から生まれてきたのかというと、近代に入ってからのことです。19世紀の蒸気船、鉄道、 電信の発展から、世界の一体化、「グローバリゼーション」について書き上げた一冊です。久米邦武やアメリカの 国務長官、濃尾大地震に遭遇したイギリス人女性などの同時代人の証言を交えながら、世界が一つに結びつく様が 書き出されています。

    染田秀藤「インカ帝国の虚像と実像」講談社(選書メチエ)、1998年
    約1000万ともいわれる膨大な人口をかかえる南北4000キロにわたる総面積98万平方キロの広大な領土、「太陽の御子」 を称する絶対的な王のもと、強固な政治・経済・社会を作っている大帝国インカ。しかしそのイメージは様々な虚構を 含んでいることが最近の研究で指摘されているようです。

    本書では、「クロニカ」とよばれる探検家、征服者、植民地官吏、 聖職者など様々な立場の人が書き残した文献をさぐり、「帝国」としてのインカのイメージがいつ頃からできあがったのか を探り、インカ帝国の実像についても探っていこうとした本です。主史料たるクロニカには著者の価値判断や政治的意図から 虚構やねつ造が含まれることや、被征服民族出身のインディオの書いたクロニカもあるもののクロニカの主な情報源がクスコ の旧インカ貴族であったことから、旧支配者の視点によってのみかかれているといった問題があることなどが本書を通じて 述べられています。そして、「インカ帝国」像については実際に1530年代のペルー征服に従事した者たちが自らの従軍記録 をまとめたクロニカにおいてペルーに強大な王が支配する広域国家が存在したような記述が見られはじめ、1540年代〜1550 年代にかかれたクロニカにおいて「インカ帝国」像が確立していったということが示されていきます。

    そして、そのような インカ帝国のイメージを覆すには考古学や人類学の成果の採用やかつてインカに組み込まれていた被征服民の有力者が植民地 当局に提出してきた報告書や訴状の活用といった新しい史資料の活用もさることながら、主要な史料として用いられてきた クロニカの読み直しが必要であると説きます。内容の大半はインカ帝国に関するクロニカとクロニカ著者についての記述が 占めており、インカ帝国の実像については最終章で触れられる形になっており、インカ帝国について何かを知りたいと思う 人には不満かもしれませんが、通俗的な「インカ帝国」のイメージの原型の形成過程について知ることができる一冊だと思い ます。

    エティエンヌ・ソレル(吉川昌造・鎌田博夫訳)「乗馬の歴史 起源と馬 術論 の変遷」 恒星社厚生閣、2005年
    人が馬という生き物を単なる狩りの獲物としてではなく自分たちが乗りこなすものと認識して交通手段として用いたり軍馬として 用いるようになってから今日まで、人がいかにして馬を乗りこなそうとしてきたのか。馬の家畜化から説き起こしてヒッタイトの 粘土板や中国の「史記」にみられる馬の扱い方の記述、さらには西洋では最古の馬術書を著したクセノフォンとその著作について の説明などをしつつ、近世以後のヨーロッパにおける馬術の発展の歴史をたどっていく本書を読みながら、人が馬という生き物に対して どれほどの情熱を注いできたのかを考えてみてはどうでしょうか。取り上げている事柄の多さからいってもヨーロッパにおける馬術発展 の歴史を知りたい時には非常に参考になる西洋馬術に関する基本文献になるのではないかと思われます。



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