日々の雑感(2019年7月〜12月)

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12月30日
今年のベスト本はこのようなラインナップになりました。だいたい10冊程度に絞ることにしていますので、上半期と下半期を 足してそのままベストにすると言うことはしておりません。念のため。なお、ブログの方にも似た内容を掲載していますが、 そこから一寸文章を足したり変えたりしたところがあります。
    エリザベス・ドネリー・カーニー「アルシノエ二世」
    小池登・佐藤昇・木原志乃(編著)「『英雄伝』の挑戦」
    川島重成・古澤ゆう子・小林薫(編)「ホメロス『イリアス』への招待」
    丹羽宣子「〈僧侶らしさ〉と〈女性らしさ〉の宗教社会学」
    巽由樹子「ツァーリと大衆 」
    ユーディト・W・タシュラー「国語教師」
    アンナ・コムニニ「アレクシアス」
    リウトプランド「コンスタンティノープル使節記」
    パオロ・コニェッティ(他)「どこか、安心できる場所で」
    伊藤雅之「第一次マケドニア戦争とローマ・ヘレニズム諸国の外交」
    マイケル・ワート「明治維新の敗者たち」
    スティーブ・ブルサッテ「恐竜の世界史」
史料の翻訳ということではプルタルコスもよかったのですが、希少性(?)をとってビザンツから2冊を選びました。名前は聞くけれど どういう本なのかまではちゃんと読んだことは無く(人によっては英訳などで読んでいる人もいるようですが)、邦訳でたらなあと思って いたら、でました。おかげで読むことが出来たのですが、何故どちらも12月という大変な時期にでるのか、、。

専門書からも何冊か選んでいますが、個人手にこれを元に一般向けの本が出るといいなあと思うものを選んでみました。第1次マケドニア戦争 の本はローマの政治外交史の一般向け書籍(どこかの選書とかがちょうど良さそうです)が作れそうですし、ロシアの出版事情の本もそんな感じ 出だしてもらえるとありがたいなと。現代の女性僧侶の本も新書や選書のサイズで出してもらえると、結構需要がありそうな気がします。

今年の上旬に西洋古典学ってこんな感じなんだよということで読んでみて欲しい本が2冊も出ていました。プルタルコス「英雄伝」を題材に、 哲史文各方面の論者が切り込んでいく本と、ホメロス「イリアス」について、その歴史的背景や成立過程からメインプロットに関するテーマ および、そこに登場する様々な人物、そしてこの叙事詩に現れる様々なトピックをとりあげた論をまとめた本をとりあげてみました。特に、 「イリアス」に関する本は、イリアスを読みつつこれを読んでみるのも、イリアスを読む前に読むのも、あるいは読み終わった後にこれを 繙き、再び読み直してみるなど、色々な形で使える本だろうと思います。

一寸変わったところでは小栗上野介が明治から現代に至るまでの間にどのように語られてきたのか、そしてその過程で、彼を日本の歴史の 中でどのように位置づけようとしてきたのかを描いた「明治維新の敗者たち」はおもしろい本でした。小栗上野介というと、幕末ものだと どちらかというと悪役的な扱いをされるところもありますが、彼について語った人々がどのような形で彼の存在を歴史の流れに位置づけ ようとしたのか、また彼に関連する土地(横須賀等々)についても、彼の存在をどのように取り上げ、自分たちと結びつけようとしたのか が描かれています。歴史を誰がどのように書くのか、それを考えさせられる一冊でした。この本がたまたま群馬県に英語のTAで来ていた アメリカ人研究者の手で書かれ、それが翻訳という形で私たちが読みやすい形になっているという処も色々と考えさせられるところがあります。 (日本史の人物評伝シリーズでも小栗上野介はなかったりします。なぜだろう)

これも翻訳物になりますが、アルシノエ2世の本は、これがもっと昔に出ていたらサイト作成に間違いなく使っていただろうと思う内容です。 「クレオパトラのプロトタイプ」といってもいい人ですが、色々な人にこれは読んで欲しいなと思う本でした。なお、同じ著者がフィリポス2世 の母親エウリュディケの伝記も出しているのですが、それも邦訳が出たりしないかなあと、、、誰か頑張って。

歴史物、と言うと一寸違う感じもするのですが、恐竜の世界史という本を入れてみました。地球上で決して強い生き物では無かった恐竜の祖先 が、どのような進化の過程を経て地上の覇者となり、それが急に滅んでいくまでの歴史がえがかれています。そして、恐竜の歴史を構築する上で 絶対必要なものは恐竜の化石ですが、化石の発掘及び調査に携わり日々新たな発見を積み重ねている、これまた個性的かつ興味深い研究者達の 話も面白いですね。そもそも、この著者からして相当強烈な個性の持ち主であることは、本書にちょこちょこ登場する著者にまつわるエピソード からも分かるかと思います(子どもの頃から行動力、バイタリティが半端じゃない)。

本年のベストに小説があまり入っていないですが、もちろんおもしろい本が多かったですが、色々選んでいく中で2冊に絞ろうと思い、その 結果こういう選書になっています。まず「国語教師」のほうはなんか不穏な気配を感じさせるところが結構あり、ミステリーっぽい展開で 進んでいき、これはどうなるのかと段々心配になってきました。ひょっとしてホラーみたいになるのかとも思いましたが、最後はなんとなく しみじみとする終わりを迎えるということで、ミステリーではあるのだけれど、二人の愛の物語と言った方がいい一冊でした。これは面白かった ですね。

短編集も色々ありましたが、今回は今のイタリアで作品を書いている人々の短編集を取り上げました。イタリア文学というとカルヴィーノ、タブッ キ 辺りは名前が挙がり、後はウンベルト・エーコなんかもいます。しかしどちらかというと扱う内容、テーマ的には少々昔の話になりがちな気もして いました。それと違うのは、本書に掲載された短篇はどれをみても「現代の」イタリアの姿が随所に現れています。移民や難民を巡る問題に関する 話 もあれば、セクシャリティに関連する話もありますし、現代社会の抱える問題なんかもサラッと触れている話もあります。「今の」イタリアと向き 合い ながら書かれた作品であり、この後この中で何人が後世にまで評価される作家となるのかは分からないところもありますが、読んでみると面白いと 思い、ベストに入れました。

12月29日
さて、下半期のベスト本はこのようになりました。
    アンナ・コムニニ「アレクシアス」
    リウトプランド「コンスタンティノープル使節記」
    パオロ・コニェッティ(他)「どこか、安心できる場所で」
    伊藤雅之「第一次マケドニア戦争とローマ・ヘレニズム諸国の外交」
    マイケル・ワート「明治維新の敗者たち」
    スティーブ・ブルサッテ「恐竜の世界史」
    プルタルコス「英雄伝5」
    ジェニファー・イーガン「マンハッタン・ビーチ」
    大木毅「独ソ戦」
    岩明均「ヒストリエ」第11巻
    チママンダ・ンゴズィ・アデーチェ「なにかが首のまわりに」
で、これと上半期を合わせた中から今年のベスト(約10冊くらいにしぼります)を選びます。結構大変だな、今年は。

12月20日
なんか、気がついたらハプスブルク展の感想を書かないまま終わりそうな感じになってきました。

それはさておき、先月は「ザ・プロファイラー」という番組でアレクサンドロス大王がとりあげられていたり、『歴史街道』で ちょこっとアレクサンドロス大王特集があったり、すこしだけではありますが大王関連の情報が一般向けに流れたりしています。 内容的にはまあ、こういうものかなあという感想をいだいたりはしましたが(執筆者をもう一寸選んで欲しいとか色々と)、 全く取り上げられないよりはましなのかなとも。

12月2日
ハプスブルク展の感想を書こうと思いながらなかなかまとまらず。もういっぺん見に行って、それで書こうかなと思う今日この頃です。 今年もあと1ヶ月を切りました。今月読んだ本もふまえながら、ベストを選ぼうかなと思いますが、はたしてどうなることやら。結構 ここに来て面白いと思う本に出会うことが増えてきたような気がします。11月はいそがしくてまともに読めなかったのですが、今月も 忙しいんだけどなあ、、、、。そんなときにおもしろい本が色々と重なるというのは困ったものです。まあ、年末年始に読む本には 困らないような感じがしますが。

11月4日
一昔前はマルクス主義的な歴史理論が流行し、それを反映してか社会経済史の研究が盛んだったことがあります。社会経済史に 非ずんば歴史学にあらずとでも言わんばかりの状態だったとか。今の状態からすると正直想像がしにくいところではあります。 まあ、いまはマルクス主義じゃなくて別のものが何かあるんでしょう。まあ、最近流行の思想というか理論というとあれですかね、 どんなのがあるのか見てみた限りではあれかな、あれ、、、

おや、だれかがきたようだ。
プスッ、、、
どさっ、、、

それはさておき、流行に乗っかって仲間内に受けることを優先して社会通念上おかしいこと、倫理的に許されないようなことを言いだす 人というのは一定数いるようです。世の中には色々な人がいるので、そういう箸にも棒にもかからないような駄目な人がいてもおかしく はないよなと思いますが、問題は仲間内でそれを諫めたりする人がいなくなっていくことが往々にして見受けられるというところですね。 自浄作用は全く期待できなくなると言いますか。

部外者から見たら、一体この人は何なのか、どっかおかしいんじゃないか、と思うようなことを言ったりやったりすることにもためらい がなくなっていくうえ、どう見てもまともな判断力があると思えない有様になっていく者もいたりします。厄介なことに、そういう人は 自分は正しくて周りが間違っている、自分は正常であり周りが異常であるということを平気で言うし、行動にもそれが現れてくるんで、 困ったものです。

どんな分野であっても、困った人、どうしようも無い人というのはいると思うので、そういう人にたいしてそれなりに ちゃんとした対応をとっていかないと、その分野や団体に対する信頼もなくなっていくんじゃないかな。まあ、その団体 や分野に属しているからといって、その構成員すべてがまともなわけではないのですがね。

11月3日
1ヶ月半に渡って続いたラグビーワールドカップもおわりました。ラグビーというと、子どもの頃父親が大学ラグビーを家のテレビで よくみていて、なんだかもっさりのっそりして面白くないなあと文句を言っていたのを思い出します。なんか反則があったって言う けれどなんだかよく分からないし、動きもないし、、、。

しかし、4年前のワールドカップ以降、南半球諸国中心のスーパーラグビーに日本からチームが参加し、その試合のテレビ放送が 流れるようになってからときどきみてみると、昔父親が見ていたあれは一体何なのか、別競技だろうと思うくらい面白っかた です。尋常じゃ無い体格の選手が凄まじい勢いでぶつかり合う、スピードとテクニックで「肉の壁」を抜けていく、パスが面白い ぐらいつながっていく、全く異質なスポーツを見ているようでした。

そして、今回のワールドカップは家庭の事情で家のテレビで見ることはかなわず(寝かさなくてはいけない人がいるので、、、)、 やむなく外のパブリックビューイングで見ていたり、外でやっているところで見ていたりしましたが、実に面白い試合が多かった です。日本代表の試合だけでなく、外国のチーム同士の試合でも結構色々な人が見て楽しんでいたような気がします。

また、ワールドカップ観戦のために多くの人が日本に来て、色々な物を楽しんでいるように見えました。たまたま日本戦のパブリック ビューイングに通りかかり、それを見てきたときがあったのですが、その試合と関係の無いチームのユニフォームを着た外国の方も 日本人も皆一生に見て楽しんでいる姿を見て、こういう楽しみ方もあるんだなということを肌で感じられたのはよかったなと思います。 また、ラグビーを中継する店で国籍とかも特に関係なくそこにいる皆で一緒に飲みながらプレーを見て盛り上がるというのもいいもの ですね(普段は、マイペースで好きに飲んでいる事が多いです)。

色々と面倒なことはあるけれど、こういう楽しみがあると、一寸は気が紛れますね。

10月30日
ハプスブルク展の感想はしばしお待ちください。なかなか時間が無くて。ただ、レオポルド1世の宮中仮想晩餐会の画のなかに、 なんとなく清朝の官服(でよかったのかな)に似たような服装の人がいたのが今でも気になっています。画が描かれたのは1660年代、 イエズス会宣教師がすでに清朝の宮廷にもいたりする時代なので、それを介して情報が言っていてもおかしくはない時期ではあるの ですが、清朝の官服なんかも伝わったりしていたのでしょうか。アイヌの交易品に「蝦夷錦」として清朝の官服が扱われていたり する事例もありますし。

話は変わりますが、神保町の古本祭に向かうとき、明治大学でホームカミングデーなる催しがあるという告知が掲示されていたのを 先日みました。他の大学でもやっているようですし、自分の出身校でもそういうイベントを今はやっているようです。要は同窓会的 な集まりのことのようですね。

同窓会に出たいという気持ちは、最近は全くありませんね。まあ、昔は一寸は気になり、小学校時代の同窓会に出てみたことは あります。その時は楽しかったんですが、色々迷惑かけてしまったなと、あとになってから後悔と反省をすることに、、、。それ 以降小学校で同窓会的な集まりは特に無い模様です。また、中学や高校に関して近況を伝えたことすらないため、おそらく住所 とかも古いままだと思いますが、どうなっているかわかりませんがまあいいかと思い放置しています。そして、大学に関しては そもそも同窓会の登録自体をしていないはずです(少なくとも自分でそういう登録手続きをした覚えが無いし、大学がらみのもの はなにもこないし。今後もするつもりは全くないです)。

自分から参加したいと思わない、関わろうと思わないのは、何だかんだといって同窓会って在校時にいい思い出に満ち満ちた 人たちが集まる場のような印象が強いからなんですよね。いいこともあったけれど不愉快なことも多かった小中高大の時期を 思い出すと(特に人間関係)なんか出にくいですし、関わろうと言う気持ちにもなれなかったりします。満足のいく学校生活を 送り、後はそれなりに功成り名を遂げた人たちが、旧友や恩師との交流のついでに自分たちの現在の立ち位置を改めて確認する ための場のように見えるので、私みたいな人間はそういう場に足を踏み入れるのは遠慮しておこうと思います。

10月22日
隙を見て、上野の博物館や美術館巡りをしてきたここ数日。

東京国立博物館では、正倉院展をやっていたりします。ふつう正倉院展というと秋の限られた時期に奈良でやっていて、大勢の人がおしよせる という感じなのですが、今回は即位式が近日中(10月22日)にあり、それを記念してと言うことで東京でも開催していました。メインは螺鈿細 工 が施された琵琶でしょうかね。レプリカと本物が両方来ていました。そういった展示品以外で印象に残った物というと、非常に長大な目録(収蔵 しているものの数から言ったらこうなるのでしょう)、それと鳥の羽を使って書いた書(本物の鳥の羽を貼り合わせて作ってある、なんとも不思議 な作品)ですかね。また今も宝物の保管と調査が続いている正倉院ですが、当然残されたものの中にはボロボロになったり、バラバラになったもの もあるようです。しかし、普通の家であれば「ゴミ」として捨ててしまうようなものも、その状態によってより分けて丁寧に保管してあるようで す。 それらの調査を通じて、また分かってくることもあるのでしょう。

もう一つは、西洋美術館で開催されているハプスブルク展です。こちらの方は一寸長文の感想を書きたいので、後日に改めて。

10月4日
草原考古学研究会(編)「ユーラシアの大草原を掘る」を読む。この辺りの考古学について、どのような問題が研究されてきたのか、そし てどのような成果があり、今後の課題は何があるのかと言ったことを分かりやすくまとめています。いいですね、こういうふうに研究動向 を分かりやすくまとめている本というのは。日本史、東洋史関係では最近そういう本を一般向けに色々出しているような気がします。 新書サイズであったり、一寸厚めの雑誌だったり、形は色々ですが。

こういった類の読み物、古代ギリシア史とかでも出ないかなあ、、、、。

9月24日
サイトの読書コーナーを更新したつもりでうっかり忘れていました。やれやれ。

最近、こういった、やったつもりで忘れていたという事例が増えてきたような気がします。危うく仕事でリミットまでに出さなきゃいけな い ものを出し忘れそうになるということもありました。耄碌してきたんでしょうか、私、、、。

9月7日
一雨降るごとに冷え込み、そして秋の日は釣瓶落としというように日没がどんどんと早くなっているのが分かる今日この頃、皆様はいかがお過ごし でしょうか。しかしここ2日ほどは暑いような、そして週明け朝は台風の影響がありそうです。秋は台風が結構くるからどうなることか。

芸術の秋、と言いますが、秋は色々時になる展覧会もありますね。西洋美術館のハプスブルク展、国立博物館で1ヶ月くらい限定で開かれ る正倉院 展、科学博物館のミイラ展などは行ける時に行っておきたいです。遠征は難しいですが、大阪の民博でやっている展覧会がなかなか面白そうなので 気にはなっています。どれだけ見にいく時間が取れるかはわかりませんが、いけるものはいっておきたい。

8月24日
本がらみで、天地がひっくり返っても起こることはないだろうと思うものをあげろといわれると、塩野七生著『ドイツ人の物語』なんて 物はまず書かれることは無いような気がします。大体、興味関心の持ち方からして、アルプスの北の方に向かうことは無かったでしょう。 ただ、もし仮に書いたとしたら、「ローマ人の物語の時」とは比べものにならない研究者サイドからの批判を浴びる可能性は高かった ような気もします。特に現代ドイツ史という業界は、私のような暇人が「ローマ人の物語」「ギリシア人の物語」に対して文句をつぶやく のとは比べものにならないレベルで研究者の方が突っ込みを入れてくるであろう業界のようで、トラVSゾウとかタランチュラVSスズメ バチ みたいな異種格闘戦のようなものが見られたかもしれないと思うと、惜しいなあと。

いえ、ねえ、先月の中公新書に関して、こういうことがあり、 どうもドイツ史 研究者の方でいろいろと調べ上げて出版社に直せと言ったみたいで(ついでにいうと、出版社の対応に不服なところがあるらしく、対応協 議 中だとか)。さすがにA4で2枚分もの訂正表が出るほど色々あるというのは、本の作り方としてまずいところはありますがね。 改訂版を出した「昭和史論争」の時みたいな対応をした方がいいんじゃないかなあ。読む側としてはいちいちこの訂正表を見返しながら 読むというのは正直しんどい、、、、。

それにしても、現代ドイツ史の人たちは真面目というか何というか。『ローマ人の物語』『十字軍物語』『皇帝フリードリヒ2世の生涯』 『ギリシア人の物語』に対して、古代史や中世史の方でこういう感じの動きがあったかというとみたことはないし、その他歴史の専門じゃ ない人が書いた読み物に対してここまで熱心に突っ込みを入れる動きというのを見たことはないのですが(私が単に知らないだけか)、 どうなんでしょう。

8月10日
世の中色々な意見がありますが、現場であれネット上であれ誰でも好きなことがいえるようになってくると、どの意見を聞きどの 意見はスルーするか、うまいこと付き合い方を考えないとやってられないですね。特に消費者と生産者の間の交流が昔と比べて 容易になるいっぽう、なんとなく勘違いをしているような人たちも見られるようになってきました。妙な馴れ合いや口出しも目に つきます。アマチュアはコスト度外視で好き勝手にやれる部分もあるわけで、それを恒常的に続けていく事を考えないでよい、 いってみれば無責任な立場にいるのだと言うことをもう一寸自覚しないといけないと思うんですよね。「〜というビールを置け」 とか「なんで〜を置いているのか」何てことを客が言って、それに振り回されるとろくなことにならないと思います。その客は 店が潰れても責任取ってくれるわけじゃないし。

同じようなことは、本の感想を書いている私のような人間についてもいえるわけで、SNSの発達により、著者にダイレクトに色々な ことを言いやすくなったり、出版社に何か聞いてみたりしやすくはなってきている分、それなりに節度は持った方が良いと思う 場面もあります。まあ、「そろそろ新しいフィリッポス2世の伝記だそうよ」程度のこだわりは勘弁して欲しいところですが、、、。 阪神ファンが「最下位断固阻止」という位のものと思っていただければ幸いです(絶対優勝とか金メダルとかいうのとちがって、 ビリ回避くらいは大目に見ようよ)。

7月28日
ヒストリエの新刊が出て、当然それは買って読んでいます。その後でまたこういうことだったのかなと何となく思ったことをブログの方に ちょこちょこと追加して書いたりしていますが、次の巻が出るのがまた2年半から3年くらい後になるのかと思うと、辛いな。で、まだま だ フィリポス2世存命中、アレクサンドロスの東征が始まる気配がないので、この間にフィリポス2世についての本でも出るといいなあと。 古い本なら原隋園「アレクサンドロス大王の父」(新潮選書)がありますが、今から45年前の本なので、その間の研究成果を反映した本 を誰か書いて欲しいなあと思ったり。多分次の単行本の出る直前くらいに本が出るとタイミング(何のだ?)的にちょうどいい気がする。

7月27日
「歴史学」を他と分けるものって何だろうね。

文学研究者が歴史の本をかいたりすると、歴史研究者から色々と突っ込みがあることがあります。明らかな誤りとか、参照している研究が 20年くらい前で止まっているとか、そういう理由で突っ込まれることはわかります。ただ、文学研究と歴史研究ってそんなに厳密に分け られる のかなあと言うところで引っかかりを覚えたり。いや、まあ、最近そういう物言いを目にしたものですから、ちょっとだけ。厳密に分けなくてはい けないなんて言われたら、古代ギリシアとかローマとかやってられないような気がするんですが、近世以降、現代史あたりの人たちには関 係 ないんだろうね。古代とか中世はロマンの世界で歴史研究の主戦場ではないそうですから。

7月25日
ここまで2年以上、ずっとまっていました。「ヒストリエ」の11巻が刊行されました。いやはや、これが出るのをどれだけ待ったか。 ようやく重大事件に関わる人物が物語に登場しますが、果たしてこの後どう展開するのか、と言うところで単行本が終了。この続き をまとめて読むにはまた2年以上かかるんだろうなあ。感 想はこ ちら。

7月15日
最近読んだ「前田利家・利長」は秀吉の書状や利家の遺言状が後世に作られたものであることを解き明かしていきます。原本がなく、 複数の史書に引用された文書を比較していくと、どうやらこれらが後世に作られたもの、いってみれば偽作・ねつ造の類であるという 事が示されていきます。さらに家康の北国征伐という出来事もよくいろいろなところでとりあげられますが、この出来事自体が創作 であるという事も示していきます。一般書ではありますが非常に刺激的な本でした。

近年、戦国時代にかんしては今までの通説が塗り替えられていく場面が結構見られるようになっています。ただ、加賀の前田クラスに なると、通説を塗り替える、いままで「史実」として伝えられてきたことが創作であると示すということが学術研究とは関係の無い 所にまで影響してきそうなところではあります。利家、利長を「加賀百万石」の開祖と2代目としてみなし、「加賀百万石」の城下町 金沢、加賀百万石の文化等々のキャッチコピーのもと、積極的にこのあたりの人物の歴史も利用しているのは目にしますが、それに 対して異を唱えるような研究が果たしてどこまで受け入れられるのか、少々心配なところもあります。以前、幕末の人物に関しては なんかそれでもめた事例もあるので(こちらとか昨 年の大河ドラマ批評のページとか

7月14日
一体どれだけ待ったことか。出版社のサイトで、発売と表示されたのが7月1日、それから連日のように本屋を探し回り、在庫検索を 繰り返しながらも、どこにも見当たらない状態がずっと続いていました。出版社には在庫があるというのに、なぜ都内の大型書店 旗艦店のほとんどで見当たらないのだろうかと思いながら、ずっとさがしていましたが、アマゾンで見たら「在庫あり」になっている ではありませんか。

あるのを見つけたら、当然購入するわけで、頼んで2日でアマゾンから届いていました。さて、原書で一度読んではいるけれど、碑文 の翻訳がついていたり、章ごとにまとめがついていたり、邦語で読める参考文献リストまで追加されていたりと、ずいぶん読者に親切な 作りになっているので、これは買って正解だったなあ。

あ、ヒュー・ ボーデン「アレクサンドロス大王」の話です。

7月9日
6月までの雑感をバックナンバーに回しました。上半期ベストはそっちに掲載しています。

最近見た物としては唐三彩の展覧会を見てきました。出光美術館に唐三彩登場以前の陶器から展示を並べ始め、唐三彩の最盛期の作品が つづき、そしてそれ以後の彩色磁器や唐三彩となんとなく煮ているが関連性はあまりない契丹やペルシアの三彩まで展示されていました。 決してそれ程広い会場ではないですが、じっくりと眺めるにはちょうどよかったかなと思います。それにしても、唐三彩の最盛期はまさに 安史の乱の頃までで、それでほぼ終わったと言うことは知りませんでした。また、副葬品となるものだったということも。道理で普通の 器とかがないわけだ、、、。

さて、今日から三国志展が始まりましたが、いつ見に行こうかな。

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