日々の雑感(2018年7月〜12月)

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12月27日
うちのサイト及びブログで、色々な本を紹介してきましたが、うちのサイトの本の紹介の仕方で、真似しないほうがいいものがあります。 それはなにかというと、書名を「ヒストリエ」といった具合に書いていることです。このサイトを覗きに来るような奇特な方々のなかに、 レポートや論文などを書いている人もいるかもしれませんが、そういったところで書籍を紹介するときに「アレクサンドロスの征服と神話」 のような書き方をすると、「形式的なことがきちんととできていないのに内容は良いなんてことはありえない(よってだめ)」ということで ロクでもない評価をもらってしまうかもしれませんよ。形式が内容を決めるようですし。

もっとも、うちのサイトについては形をいじる気は無いですね。いまさら表記を変えろといっても、事故ってファイル自体が吹っ飛びそうで こわいです。最近もなぜかいくつかのファイルが消えていましたので慌ててアップし直したりしています。

12月25日
今年のベスト本については、次の本を選びました。
    ジョナサン・ハリス「ビザンツ帝国 生存戦略の一千年」
    ラーナー・ダスグプタ 「ソロ」
    ヨーゼフ・ロート「ラデツキー行進曲」
    メアリー・ビアード「SPQR ローマ帝国史」
    北村紗衣「シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち」
    張愛玲「傾城の恋/封鎖」
    蔀勇造「物語アラビアの歴史」
    ジョゼ・ルイス・ペイショット「ガルヴェイアスの犬」
    貴堂嘉之「移民国家アメリカの歴史」
    イヴォ・アンドリッチ「ドリナの橋」
    レオ・ペルッツ「どこに転がっていくの、林檎ちゃん」
    小笠原弘幸「オスマン帝国」
歴史系が6冊、文学研究が1冊、小説が5つ、あれ12冊ある。ま、いいか。なお、感想はどれもブログに書いてあるので、興味がありましたら 是非読んで見てほしいと思います。また、ベスト本約10冊からは外れていますが面白い本はもちろんたくさんあります。古い本ですが「侯景の乱 始末記」、アーサー・フェリル「戦争の起源」は非常に面白く読めましたし、「アレクサンドロス大王東征を掘る」も大王の遠征ルートを解明 しようという興味深い一冊でした。そのほかにもいろいろとありました。来年は果たしてどんな本が読めるのか楽しみです。

12月20日
つい最近までやっていたオスマン帝国のドラマがきっかけで、オスマン帝国史の本を少し読んでみたりしています。トプカプ宮殿など、 前近代のオスマン帝国の宮殿についてあつかった専門書をよんでみたり、新刊で出たオスマン帝国史の概説書を読んでみたりしています。

最近出た「オスマン帝国」(中公新書)は王位継承とか権力構造、正統性を与える理念といったものに注目して帝国の歴史をまとめて います。結構さらっと読みやすい本だと思います(感想は別のところに書きます)。オスマン帝国600年の歴史を読んでいると、 アナトリアの一君侯国時代はスルタンが有力者のなかの第一人者的な存在だったものが、集権化が進む中で他から抜きん出た存在と なろうとし、さらに権力を恣にする姿がみられるようになり、それに対して様々なファクターが君主を掣肘するような形で形成され、 それに対し近代化を進める君主が専制を志向したり、立憲制により制御しようとするなど、権力構造が色々と動いている様子が見られます。

恣意的な権力行使に対し、それをいかにコントロールするのかというは、どこの時代でも考えることのようですね。それがうまくいくか どうかは、いろいろな要因があるのでしょう。

それにしてもオスマン帝国にせよ隣接するサファヴィー朝にせよ、君主の継承に際してなかなか血なまぐさい事態が発生することがおおい なあと。生き残るにしても目を潰されたり、君主の地位を確保するため、他の男子は殺してしまったりという話が次々に出てきます。 日本や中国でこういうことはあまり聞きませんし、ヨーロッパの君主国でもこういうのってそんなにありましたかね。なぜそのような違い が出てくるのか不思議です。

12月11日
日本語で読める、アレクサンドロス大王についての本はそれなりに出ています。大牟田先生、森谷先生、澤田先生の本を読ん でいればまず大体のところはつかめるのではないかと思います。森谷先生はパキスタンの遠征路実地調査の報告を最近出して いましたが、いよいよ中央アジアとインドの東征路の研究にとりかかられたようです。しかし、パキスタンの調査報告を読むと、 政治情勢の影響はイランの時以上に大きいようです。タリバンのからみで外国人立ち入り禁止のエリアがあったり、調査で立ち寄った 場所が後日テロの現場になっていたりと、生々しい話が色々と報告記にも書かれていました。

また、アレクサンドロスの母親オリュンピアスについての本も、これまた森谷先生が本を出しています。最近ちくま学芸文庫 に収録されたので、ぜひどうぞ(ちなみに「ヒストリエ」のネタバレというか、エウメネスの末路が載っているため、エウメネス がどうなるのかとかそういう話をまだ知りたくない、というかたはちょっと避けたほうがいいかもしれません)。

しかし、アレクサンドロス大王の父親であるフィリポス2世については、44年前に書かれた原随園「アレクサンドロス大王の父」 (新潮選書)以来、単著では出ていません。澤田先生の本を読んだりすると、フィリポスが何をやったのかは色々と書かれては いますし、森谷先生の興亡の世界史でもマケドニアの台頭の話で1章くらい割いていたりはしますが、やはり彼一人をあつかった 単著として読みたいところです。

日本で誰かが書くも良し、翻訳でも良し、いずれの形であっても出たら買いますよ、私は。

12月7日
新聞を見ていたら、教員の仕事についての記事があり、授業準備なども業務とみなすとか、残業は月45時間までとか、そんな提言を 中教審が出したという事でした。まあ、昨今教員の労働環境が大変だという話は色々な方面から出ているので、その流れで出てきた のでしょう。

ただ、「授業準備」って、そんなに簡単に一定の時間できることができるようなものなのでしょうか。あれこれ考えて、思案している うちに時間なんてあっという間に経ってしまいそうな気がしますし、授業準備に直接役に立つかはわからないけれど、まわりまわって 役に立ちそうな本を読んでいたりするだけでも時間なんてすぐ無くなってしまうんじゃないかな。

結局、学校以外のところに仕事を持ち出して作業をするだけということで、あまり根本的なところの解決には繋がらないような気が してなりません。仕事を家に持ち帰って、それでなんとかやっているというのは今もそうなんじゃないかと。単純に就労時間で切りにくい 要素が教員の仕事って多い感じですし、そのあたりをうまく考えてもっとうまい方法はとれないんですかねえ。まずやるべきこととして、 無駄な会議(毎朝職員会議とか、メールで良くない?)と無駄な書類作りをしなくて済むようにすることあたりから減らして みてはどうでしょう。

そもそも、準備を徹底的にせずに授業に臨んで、それで生徒とうまくやっていけるのでしょうか。甚だ疑問です。準備時間がない ことを理由に手を抜いてもいいと思っている先生はいないと思いたいんですが(それを理由に手を抜いていい、という人には あまり教わりたくはないなあ、、、、)。

11月25日
最近、ウズベキスタン発掘報告会というのがあったらしく(「シルクロードの歴史・考古・美術」@立正大学)、仕事がなければ行きたかった と思う今日この頃。こうした報告会の講演がどこかで書籍化されるとありがたいのですが、果たしてどうなるか。

ウズベキスタンでの発掘というと、2年ほど前になくられれた加藤九祚先生が色々と著作を出されていたり、一時期は一人雑誌「アイ・ハヌム」で 現地の古代から現代までの色々なものを翻訳して紹介されていたのを思い出します。一般向けでも「シルクロードの古代都市」(岩波新書)がまだ 入手できます(面白い本だと思います。ブログの 感想はこちら)。日本 からは遠く離れたウズベキスタンの地での調査が加藤先生以後も続けられていますが、これからもこういう活動が続いて欲しいと思います。

これとは別ですが、池袋の古代オリエント博物館の展示を早いところ見に行かないといけないと思いながらもうすぐ会期が終わってしまいそうで す。 今年はこういうパターンで色々な展覧会を見逃しているような、、、、。

11月15日
気がつくと、サイトを開設してからもう15年が経ちました。この間に、昔観に言っていたけれどなくなったサイトも増えましたし、 更新がストップしているところも増えています。そして、サイト開設サービスもどんどん減ってきています(ジオシティーズも サービスをやめるということです)。

ここも、いつまで残しておけるかわかりませんが、細々と続けられるといいなあとは思っています。最も最近は読書関係のところ しかいじくっていません。歴史の記事は書こうと思っても、以前にもまして時間が確保できなくなってきています。

10月4日
なんか、おとといあたりから妙にサイトへのアクセスが多いのですが、一体何があったのだろう。どこから来ているかアクセス解析をみると、 短縮URLから来ているのですが、どこかにうちのサイトのトップが貼ってあるんでしょうか。なんだろう?最近まともに更新していないのにね え。

何がきっかけで人が来るかいまだによくわからないです。

このサイトも、最初は別のホームページ作成サービスを使って作り始め、そこが無料ホームペジサービスをやめたため有料に仕方なくしたら、 そっちもなくなり、そして現在のところに落ち着いています。個人のホームページというものがすっかり廃れたいま、果たしてこの形を いつまで続けられるのかはわかりませんが(最近もジオシティーズがサービスを来年に終了するという記事を見ました。どうするんだろう、 結構色々なサイトがある気がするのですが)、ここのサービスが終わる時はまあなんか考えないといけないでしょうね。

うちのサイトも、記事によってはもう12、3年前の内容で今の動向をそんなに取り込めていない、内容がだいぶ古くなって来ているところが あるとおもいます。アレクサンドロス大王関係やマケドニア史関係でも、色々な本がここ数年の間に出ています。その辺りを追いかけるのは ちょっと無理ですね。時間とお金がないし、、、、。

8月18日
書店にて、「ペルペトゥアの殉教」(白水社)という本を見かけて買って読んでみていますが、途中でちょっと読むのを止めてしまって います。紀元3世紀初頭、カルタゴの闘技場で殉教したキリスト教徒女性のことを扱った本で、彼女がそのような事態に至った経緯や背景 を掘り下げているような感じです。

第1章のローマの思想や宗教、文化に関する部分はローマ史の本で色々と出てくる話だなと思いながら読み進め、第2章のカルタゴに入り、 そこで止まってしまっています。なかなかそこから読書を再開しようという気分になれずにいます。

何が原因かというと、カルタゴの歴史的背景の説明があり、そこに人身御供の話も当然のように登場します。そこの部分で、自分の子供を なんとか怖がらせないように生贄にするっていうくだりがあり、その部分を読んでいる時に、どうも心苦しくなり、とてもではないが平静 を保ちながら読むのはできそうにないと思い放り出してしまいました。自分の子供を生贄にする、という内容も、昔なら、そういう文化も あったんだなあなどと思いながら読めたのですが、今の私にはこの部分は心穏やかに読むのは無理です。ここで文句を言ってもしょうがない ですし、著者は全く悪くないのですが、自分がそういう状況に置かれたらと少しでも思ってしまうと、今の私にはもうダメですね。

2000年以上前の北アフリカの一都市と現代日本では、そこで生きる人々の価値観に違いがあるのはもちろん分かりますし、地球上には様々 な文化があるということも承知してはいますが、本書の当該部分については正直読むのはしんどすぎます。他の部分で非常に興味深い内容 があったり(ヘレニズム文学が女性のロールモデルを提供していたという指摘なんかは、そういうこともあるのかと)、この後の部分で 読んでみたいところはありますが、今は読み進めるのはやめておこうと思います。

というわけで、読了断念本もたまにはあるということをちょっとだけ書いてみました。色々読んでいると、これは無理と思う本も出てきます。

8月8日
正しいことのために戦うことは罪ではない…話し合いなど通用しない相手もいるのだ…精神を怒りのまま自由に解 放してやるのだ…」(人 造人間16号)

それはさておき、猛暑つづきのなか、みなさん体も頭も心もお疲れのようです。やはりサマータイムよりシエスタを導入すべきだと思うのですが。 (個人的にはシエスタの習慣がそこでもやっているという事前情報を仕入れていなかったせいではあるのですが、現地で大変な目にあった経験が あるので、シエスタもやめて欲しいと思ってしまいますが、サマータイムよりはまだ許せます)。

昨日、今日は比較的涼しいですが、明日は午後はまた暑くなるようです。いったいいつまでこの暑さが続くのやら。どう考えても昔よりも暑く なっているし、暑い時期が長くなっているような気がします。

8月2日
間が空いてしまいましたが、私はとりあえず生きています。暑すぎて熱中症になるかと思った時もありましたし、実際危ないかなと思ったこと もありましたが、なんとかなったようで。

夏休み、上野の博物館に行くと色々な展覧会がやっています。国立博物館では縄文に関する展覧会(ただ、それぞれのものの文脈から切り離され、 ものそのものを見て楽しめという感じを受ける展覧会でした)、西洋美術館ではミケランジェロに関する展覧会(ただし、個人的には古代美術 関連の展示物が多くてそれが楽しかったです。なお、アレクサンドロス大王の小像もありました)といった具合に色々とやっています。

個人的にはそれらも良いのですが、科学博物館の昆虫展が見たかったりしますが、まだいっていません。この展覧会を見るのも含め、この夏は みなで昆活にいそしむというのもよいのではないでしょうか。ジャポニカ学習帳の表紙に昆虫写真が復活するその日まで。

7月12日
「李下に冠を正さず」「瓜田に履を納れず」という言葉はすっかり死語になったということでいいんでしょうかね、最近の世の中では。 何かあったら、全部回りが悪い、ということですますような感じになりつつあるようです。「自衛」というのも同じく最近では流行らない ようですね。

なんというか、世の中そんなに死にたがりが多いんですかねえ。それか、自分の行く末を他者に全面的に依存して生きるのが流行りなの でしょうか(こないだのサッカーみたいに)。

7月6日
京都大学学術出版会より西洋古典学叢書というシリーズが出ています。もうではじめてから20年くらいは経ったでしょうか。 色々な古典の邦訳がだされており、アレクサンドロスやマケドニア関係の内容を含む文献も結構翻訳されています。そして、 先月下旬、プルタルコス「モラリア4」がでて、これによりプルタルコス「モラリア」は全巻完結ということになりましたが、 そこには「アレクサンドロス大王の運あるいは徳について」という演示弁論が掲載されています。

演示弁論ということで本来技巧などを見せる為のものだったのでしょうが、内容としてはアレクサンドロス礼賛の内容になって います。彼によって文明化されたなどなど、今でもその手のことをという人はいるなあと思う内容ですが、アレクサンドロス がオリエントでこれだけすごいことをやって文明化したんだということをこれでもかとばかりに書き続けています。アレクサンドリア が70くらい作られたというように世間一般では伝わっているようですが、そこの元ネタにもなっているようです。アレクサンドロス の業績が運によるのか徳によるのかという議論については、途中からはほとんど無関係になり、ひたすらアレクサンドロスが 賞賛される内容が続きます。

ただ、ここで描かれているアレクサンドロス大王のイメージって、歴史書では見かけなくなりましたが、一般向け読み物のせかいとか フィクションの世界についていうと、プルタルコスの頃からそんなに変わっていないような気がします。といいますか、プルタルコスの 作品で書かれているイメージがそのまま引き継がれているといいますかなんというか。

7月5日
サッカーのワールドカップも決勝トーナメントがすすみ、ベスト8まで来ています。日本はベスト16にて終了。あの試合の終わり方を みて、わずかな時間でも残っていれば何が起きるかわからないという状況下で、己の運命を全て他人に委ねるという愚行をしたり顔で 肯定していた人たちはどう思うんでしょうね。どうせ何も変わらないんでしょうけど。

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