日々の雑感(2013年1月〜3月)

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3月31日
今年は桜の花はえらいはやく開花してしまいました。しかしそのわりには長い間持っているような気がします。いいものですね。 桜の咲く季節が年度の変わり目というのがなんとなくしっくりきます。最近秋入学というのがさも素晴らしいことのように語られて いますが、日本の9月って残暑のまっただ中です。学校でうだるような暑さの中で入学を祝うというのはどうなんだろう。外国と同じ にすることのメリットをあれこれと語っていますが、それで何かが変わるのか、一寸よく分からないです。どなたか教えてください、 そのような結論にいたるのか。

3月20日
あいもかわらず冒険の旅を続けています。ついつい色々な特技を覚えさせようとしたり、色々なモンスターをなつかせようとして いたらはまり込んでしまいました。その甲斐あってか、いろいろな技能が身についていたりします。昔とは設定が変わり、転職する と前の職の技能を忘れてしまうようになったので、そこはなかなか面倒ではありますが。

で、町の中で3DSをもちだしてみたところ、すれちがい通信という機能で大量の石版をひろうことができました。ただ拾っては みたものの、あまりにも大量にありすぎて、泣く泣く捨てざるを得なかった石版もあります。もうちょっと保存できる枚数を多く してくれれば良かったのになと思っていますが、どうしようもないですね。

これ以外の事柄については、仕事が予想外に忙しく、王羲之展を見逃してしまったのは悔やまれます。なにゆえに王羲之の書を あれほどまでに人々が愛好したのか、それがなぜなのかを考えるためにも見に行きたかったのですが。このままだと、ラファエロ やエル・グレコも見逃してしまいそうな予感がするので、早いところ見に行ってこよう。

2月27日
いやはや、えらく間が開いてしまいましたが、理由は至って簡単です。

ふしぎな石版をのぞきこみ、冒険の旅に出ています。

久し振りというか、プレイステーションをもっていないのでやったことがなかったのですが、これはなかなか大変ですね。メインのストーリー だけに専念していたら、多分もっと早くクリアできたと思うのですが、いろいろと横道にそれる要素が多くて…。

このゲームにはNintendo 3DSのすれ違い通信をいかした機能があるのですが、相手からはお金や経験値を稼げる石版が送られてきたのに、自分 からは、何かとんでもなく強力なモンスターがはいった石版を送ってしまい、申し訳ないなあと思う時もあります。さすがにあれはまずいだろう とおもうくら危険なモンスターだからなあ…、れんごくまちょう…。

それ以外だと、出光美術館のオリエントの美術を見に行ってきました。古代からオスマン時代まで色々な時代のものがみられてよかったです。 講演会も聞きに行こうと思って申し込んだのですが、こちらは仕事が忙しくなってしまったので残念ながら諦めるしかなさそうです。

2月5日
レ スターの駐車場から発見された遺骨が 科学的な鑑定の結果リチャード3世の物であろうという結論がでたようです。埋葬された教会が取り壊され、どこに行ったのか分からなくなって しまっていましたが、地図を元にそこであろうという場所に当たりをつけて掘り出し、さらに出土した遺骨のDNA鑑定やC14を調べるなどの 調査を経て、この遺骨がリチャードの物であるという結論が今年になって出されたということです。

それにしても、良くリチャード3世の遺骨が残っていたなともいますね。土に埋もれたらそのまま土に還ってしまうとおもうのですが、土壌 の成分が遺骨の保存に適していたのでしょうか(先月のニュースで新宿区から縄文人の骨が出てきたというニュースがありましたが、武蔵野 台地の土壌成分が酸性であることから、遺骨が残るのは極めて珍しいことだったようです)。

リチャード3世というと、背中が曲がっているというイメージがシェイクスピアの戯曲等々を通じてすり込まれています。今回の遺骨の鑑定に ついての別のニュース記事で遺骨を見ると、確かに背骨がゆがんでいることはわかります。ただ、横に曲がっているんですよね。そのあたり は微妙に違うようですが、文献を書き残した人の認識と実際の背中のゆがみが違ったのでしょう。

今回の発掘では頭蓋骨も発見されています。頭蓋骨があるとなると、当然気になるのは復元したらどのような顔になるのかと言うことです。 リチャード3世は肖像画も残されていますが、はたして肖像画と今回の頭蓋骨の復元(予定)は似ているのか、それともまるっきり違うもの になるのか、早くみたいものです。

2月2日
図書館にて、水戸黄門漫遊記にまつわる本を借りてきました。ぱらぱらとながめていると、水戸黄門のように正体を隠して 市井をまわり、そこに巣くう悪を裁くキャラクターがよそにもいるということが取り上げられていました。例えば隣の韓国 だと「春香伝」でも登場する暗行御史という役職があったりします。そういえば中国史やっていると御史台という役職が監察 帰還として登場しますが、その御史とおなじものでしょうか?

この暗行御史には、馬のかかれた牌が渡されていたようです。それを見せると馬、駅卒を動員できたと言うことですが、各地 に移動する際に、駅を利用し、馬を使えるというしくみは、なんとなくモンゴル時代の名残なのではないかと想像してしまい ます。モンゴル帝国というと、帝国支配下の地域で駅伝制(ジャムチ)を整備し、帝国領内を旅する人々は牌符をもっている と宿駅を利用できるということになっていました。また持ち主の身分や重要性によって材質や形に違いがありました。朝鮮半島 も高麗の時代はモンゴル帝国の支配下に入っていたこともあるので、その時に駅伝制のしくみも入ってきました。そして、高麗 の次の朝鮮王朝にも宿駅は存在していますが、それは高麗時代、さらに言うとモンゴル支配の名残なのかもしれません。

それにしても、馬や駅卒を動員するための馬牌が、暗行御史が水戸黄門の印籠のように物語の世界で使用するようになっている ところをみると、物語世界で暗行御史が登場して悪を懲らしめるようになっている頃には、宿駅の制度は一般民衆にはかなり 縁遠い仕組みになっていたのかなと思う所があります。実際に宿駅や駅伝制がきっちり機能していて、色々な人がそれを利用 していたのだとすれば、暗行御史だけがことさら取り上げられたりはしないのではないかと思います。   

1月29日
最近見に行った展覧会としては、江戸東京博物館の尾張徳川家の展覧会でした。ただ、途中から疲れがたまり、眠くなってしまい、 ソファーでうとうとと。物は相当いい物が来ていましたが、残念ながら源氏物語絵巻は展示入れ替えの端境期で見られずに終了。

他に見に行きたい物はいくつもあります。王羲之の書、白陰、オリエントの美術、エル=グレコ、いきたい物の数と動ける日が一致しない から、なかなか絞りきれません。終了までの期限をかんがえて選ばないといけないところがつらいところ。

その前に、王羲之の展覧会を見る前に予習しておかないと。岩波現代文庫の王羲之を読んでから見に行こう。何か勉強してから見に行った 方が絶対によいですし。他の展覧会も本当はそうした方がいいんだろうとおもいます。

1月24日
なんかわからないけれど、読書感想ブログのアクセスが突然ふえていました。何があったのだろう。昔は「ヒストリエ」が新刊でると そこでアクセスが増えたり、なぜかヤフーのマケドニア情勢のニュースにリンクされたときにアクセスが一瞬跳ね上がったりしたこと はありましたが、なんだったんだろう?ジュリアン・バーンズ「終わりの感覚」の記事にアクセスが集中していますが、特にこちらに コメントがあるわけでもなく…。

「歴史とは不完全な記憶と文書の不備から生まれる確信である」という言葉が「終わりの感覚」の序盤に登場します。確かにそのよう に言われる要素はあると思います。オーラル・ヒストリーということで色々な証言をあつめても、やはり年月の経過とともに記憶は 曖昧になり、不正確な部分も現れ、虚実が入り交じるといいうこともあります。また、文書にしても、そこに書かれたことが本当の ことではない(今読んでいる小川剛生「足利義満」(中公新書)で二条良基の妄想日記の話が出てきますが、これなんかまさにそう ですね)、文章の残存状況はいろいろである、そういうことからどうしても情報が欠落する部分も出てきます。

しかし、そこでどうせ不完全なんだから適当でいいじゃないか、という方向でとらえてしまうことは「歴史を書く」という行為を ずいぶんと軽く見ているような気がします。砂を掴むような、気の遠くなるような作業ではあると思いますが、書き手の思い込み や妄想、作り話をするのではなく、可能な限り厳密にやって欲しいなあと思います。単体では不完全な記憶や文書であっても、 複数の典拠を吟味しながら、少しでも「事実」に近づけることはできるのではないかと。

1月14日
またえらく間が開いてしまったような気がしますが、気にしない気にしない。

東京では初雪となったようですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。こういう日にはほぼ必ずと言って良いほど、転倒して怪我をした という人が結構でますし、そのことが報道もされています。人によっては、何人怪我したとかそういうことをいうより、用がなければ 外に出るなと報道すべきだなんて人もいますが、用がある・ないというのは結局の所その人にしか分からないわけで、あまり意味はない んじゃないかなと。ましてや今回の場合ははじめは雨で、途中から変わった雪が予想外に積もったというものなので、なおさら意味がない んじゃないかと。天候が変わったら休むって、ハメハメハ大王の家族でもなければ無理ですって。

読書コーナーの更新で、すっかり忘れていた物がありました。オルハン・パムク「雪」を年末に読み終わっていたんだった。雪が降ると ぱっと見たところではいろいろなものが雪で隠されてしまうけれど、そのへんの描写でいいなと思う表現が序盤にでてきました。ただ、 翻訳のせいでそういう風になっている、と言う話もあるようで、そういう話を聞いてしまうとどう反応したらよいか困りますが。


1月2日
上野の東京国立博物館へ。2日から開館していて、新年は干支にちなんだ展示が行われています。それを見ると言うことが目的の 一つ。その他には、東洋館が耐震工事を終えてリニューアルオープンしたため、それを見ると言うことも目的でした。もちろん、 普通の常設展示も見てきました。

感想はこちら。

1月1日
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

新年早々、仕事で一寸外に出るなど、何だか分かりませんが忙しいです。もう少し暇なはずだったんだけれどなあ…。

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