日々の雑感(2011年1月〜3月)

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3月30日
久し振りに映画館で映画を見ました。見に行ったのは「アレクサンドリア(原題:AGORA)」です。時代は古代末期、場所はアレクサンドリア、 そして扱われているのは実在した天文学者・科学者のヒュパティアの悲劇的な生涯です。感想は後でまとめようかと思ったのですが、それを やるとわすれてしまうのである程度書いておこうかと。

映画は、アレクサンドリアにおいて、ヒュパティアが父テオンとともに学術研究にいそしみ、多くの若者を相手に講義をしていた(そのときの 教え子は後半になるとアレクサンドリアの長官になっていたりキュレネの主教になっていたりします)、その辺りの時代から始まります。そして セラペイオンとそれに附属する図書館がキリスト教徒によって破壊されるまでが前半部分(ヒュパティアの奴隷ダオスがキリスト教に転向する までの部分)となっています。後半はアレクサンドリアを舞台に主教キュリロスが権力を握ろうとしていく過程で研究活動にいそしむヒュパティア が権力闘争にまきこまれて死に至るまでを描いていきます。

ヒュパティアの悲劇的な死について、キリスト教による異教・学問の迫害と弾圧によって死んだというより、キュリロスとアレクサンドリアの長官 オレステスの権力闘争に巻き込まれたという解釈を取っていました。ヒュパティア関連の記述を色々と見ていると、そういう解釈の方が妥当なよう ですが、全体として彼女の悲劇をむやみやたらとドラマチックにしているという風には感じませんでした。

図書館の破壊のシーンではパピルスの巻物がゴミとして扱われていく様がうつされ、神々の像や彫刻が破壊され、研究道具がぞんざいに扱われる 場面などが次々と現れ、そういうシーンを見ると「人類の知的遺産を破壊するキリスト教徒は何て野蛮なんだろう」とか、「おまえらがそんな ことするから後の人間は困ってるんだ」といったことが頭の中に浮かんできました。ただ、一方で奴隷からするとどんなに頑張ってもまともに 認めてもらえない世界で生きるよりは、キリスト教のほうがよいと考え、そちらに転向するのも無理ないかなと思いました。

あと、この映画で時々挿入される衛星写真をみていて、地球上のちっぽけな一都市でこれほどの学問的成果が上げられていたのだなという感慨と、 それも所詮地球の長い歴史上のほんの一コマにすぎぬのだろうという何だか半端な悟りみたいなものが両方でてきてしまい、ちょっと頭の中の整理 に困ったりもしましたが。

この辺りの時代って、意外となじみがない人が多いと思うし、参考文献もあまりないのですが、パンフレットを買って読むといろいろわかって 良いと思います。

3月27日
今月号のアフタヌーン、「ヒストリエ」が掲載されていました。話は少し進んで3年がたち、フィリッポス2世がペリントス、そしてビュザンティオン を攻撃しようとするところにまでようやくきました。ペリントス包囲、ビュザンティオン包囲はフィリッポスによる攻囲戦というと良く出てくる戦い なので、攻城機や飛び道具などなどが大量に出てきて盛り上がるんだろうなあと期待しています。

もっとも、ペリントスとビュザンティオンを攻め落とすことはできず、マケドニアは撤退することになるわけですが、このへんにエウメネスがどの ように絡んでいくのか、それを楽しみに待つことにします。休載が多いので、話がなかなか進まないというのが読者としては辛いところですが、 その分、載っていたときには楽しみも多いですし、まあいいか。

3月20日
西洋美術館が25日まで休館になった。その他、東京国立博物館もおやすみに。ザ・ミュージアムも営業時間短縮、映画館も夜の回はやめたり、 休館になったりしています。電力事情、余震、原発事故と、色々な不確定要因はありますから、それも仕方ないかと。

そんななか、当初セントラルリーグがナイターで野球をやろうとしたというのは、球団が自分たちの利益だけを考えていて、何も周りを見ていない 集団だということを世に知らしめる結果に終わりましたね。だいたい、ナイターなんかでやったら、帰れない人出るかもしれないし、余計な電力を 使うことで予定外のところで停電が起こるかもしれないし。それに、被災地はテレビ見られるのか?

そんなにやりたいんだったら、全試合西日本でやるとか、そうでもしないとむりだろう。

読書の方は、「マゼラン 最初の世界一周航海」岩波文庫をよんだり、隠岐さや香「科学アカデミーと「有用な科学」」をパラ見しています。 あ、マキアヴェッリ「ディスコルシ」もちまちまとつまんでます。

3月17日
地震がまだまだ続いていますし、原発もなんだかよく分からない状態になってきています。

こんなときに、何故か読書は結構はかどってしまい、ミネルヴァ書房の武田勝頼の評伝を読み終わってしまいました。彼の伝記を読んで いて、なんとなくマケドニア王フィリッポス5世のことを思い出してしまいました。

両者の似ている点としては、当主となった後に戦勝を重ね、やがて大敗北を喫し、領国再建に取り組んだ所などはかなり似ているような 気がします。しかし、違う点もあり、先代以来の家臣との関係(勝頼は彼らを取り込むことに細心の注意を払い、フィリッポスは邪魔な 家臣を粛清している)、領国再建の取り組みの成果(フィリッポス5世のマケドニアはローマに敗れた後王国再建が進み、軍事力と経済力 をかなり高めることに成功しましたが、勝頼の領国支配強化はその成果が現れる前に織田氏に攻められて滅んでしまった)、このあたり が特に目立っています。

両者の違いがなぜこのような形で現れたのか、ぱっと見た印象では、マケドニアはローマに負けた後、ローマの同盟国という関係となり、 周辺諸国との争いもとくに目立った物は起こさずにいられたことや国内で彼に反抗する勢力が特にいたというわけでもなかったのにたいし、 武田の場合は長篠合戦で敗れた後も隣国の徳川、北条、上杉がどのような動きを取るのか常に警戒しなくてはいけないうえ、国内の領主たち をなんとか支配に組み込むべく腐心しなくてはいけなかったといったところが関係しているのかなと。この辺は史料の量のせいで差がついて いるところもあるのかもしれませんが、王国再建にかなり専念できたフィリッポスと、領国支配強化と同時進行で対外関係や家臣団との関係 に気を遣わねばならない勝頼の違いはあるんじゃないかなあ。

以上、地震のなかでふとおもいついた妄想を綴ってみました。個人的に、マケドニアと甲斐武田氏って何か被る物を感じるんだよな…。 フィリッポス2世の治績をみていると武田信玄が思い浮かんでしまうし。

3月16日
東北、長野、静岡、茨城、いろいろなところで大きな地震が起き、さらに原発が大変なことになったりしています。自分の先輩たちに も、こういった地域の出身だったり、現在勤めていたりする人がいるので、果たしてどのように過ごされているのか心配です…。

いやはや、「平凡な日常生活」というのがどれほど大切な物なのかということが身にしみて分かりましたよ。イベント発生、ガラガラ ポンなんてことは期待しない方が良いと思うんだよな、うん。あと、16日の時点では東京にはそんなに深刻なダメージがあるわけでは ないので、とにかく、可能な限り日常と同じような生活をするように努めよう。あとは、被災地支援のために義援金贈ってみるとか(被災地に乗り込むのは却っ て迷惑になる)、ちょっとでも金を使って 日本経済にお金を流してみるとか、それくらいしか思いつかないのですが。

3月12日
こんなに長く揺れた地震ははじめてだ。そして、職場でとまる事になろうとは思わなかった。

しかし、今回の地震に伴う津波の被害はあまりにもひどいものがありますね。ライブ映像で見た、家や船が流されていく光景は衝撃的でした。 そして、そのあとに広がる光景の凄惨さには言葉もありません。町が壊滅したところもあると聞いています。しかも、そんなときに原発まで 壊れる始末。果たしてどうなるんでしょうか…。もはやここまで行くと、我々にはどうしようもない。

原発が壊れ、風向きによっては東京および首都圏にもかなり深刻な被害が出るんだろうなあ。最近世界的に原発回帰の流れがあるようですが、 原発について、もうちょっと我々も考えた方がよいんじゃないかなあと思う今日この頃です。

3月6日
「アレクサンドリア」という映画がはじまっています。紀元後5世紀前半におきた出来事を題材にしている映画です。主人公のヒュパティア は実在した学者で、キリスト教徒によって虐殺された人物です。ヒュパティア関係で何か記事を書こうかなと思い、本は読んでいたりします が、記事を書く前に映画の上映が始まってしまい、恐らく記事を書き終わる頃には上映が終わってしまうんじゃないかという気がしてきま した。やれやれ洋書に手を出すべきじゃなかったかな。

それはさておき、ヒュパティアについては18世紀の啓蒙時代の作家たちが描いたイメージがそれほどかわらず今に至るまで引き継がれている ところもあるようですね。そう言った人々もいちおう史料をもとに話を組み立ててはいるわけですが、当時の時代状況なども色々と反映され ているんだろうなあ、きっと。とりあえず、最近買ったヒュパティアについての本はとっとと読んでしまいたいところ。洋書ですが分量も少ないし。

3月5日
3日は東京国立博物館にいってきましたが、特に何かを書こうという気にはならず。展示物の半分くらいが平山郁夫画伯の絵だったので、 流し見ですませてしまったからなあ。

BSのドキュメンタリーで、アレクサンドロス等々古代文明の特集をやっていたため、録画しておきました。それをこれからちまちまと見る 予定です。とりあえず、アレクサンドロス大王の回から見ているところです。映像は結構現代の物が多く、CG使いまくりとか再現ドラマとか ははいっていません。また、アレクサンドロスに対する評価も意外と辛いかな。むしろその後のヘレニズム諸国の方に高い評価がなされて いました。解説の翻訳が妙な生なのかどうかは分かりませんが、一寸妙なことを言っていたり(プトレマイオスって毒味役だったっけ?)、 ヘレニズム世界についてちょっと美化しすぎ、といいますか、ちょっとやりすぎな感じもしましたが。

BBCのドキュメンタリーとNHKスペシャルの違いかなあという感じもしますが、結構語り口がシビアというか辛口ですねえ。変に甘ったるく ないし、しっかりしたつくりだとおもいます。ただ、サリッサの再現に関してはNHKスペシャルの方が上だろうと思います。なんかこの番組 で再現されたサリッサは凄い細いんだよなあ…。

2月27日
ここ数年の読書傾向を見ると、外国文学の翻訳物だったり、外国の歴史の本だったり、一般受けはあまりしないものを多く読んでいる ことに気がつきます。色々と変わった物を読むことで、色々な発見や出会いがあり、それが面白い物だからついついそういう方向に流れ ています。

しかし、気をつけたいと思うこともあります。世間の主流から外れた事柄に興味を持つこと自体は何ら問題はないと思うのですが、 時として、その事柄が好きなのではなく、その事柄がすきな自分が好き、という風になってしまう人がいます。色々なことに興味を 持ち、それを掘り下げていく過程で、妙な優越感のような物に浸り、そこにどっぷりつかって出てこられなくなる、あるいは出てこよう としなくなる、そんな風にはならないようにしたいけれど、そうなっているかも。

うちのサイト、扱っている中身をみると、ギリシア史のなかではマイナーなマケドニアとかヘレニズム時代だし、読書傾向も著しく 偏っているし、上記のようなことに少し気をつけた方が良いような気がしています。そうしないと、単なるうっとうしいヲタクと化す だけでしょうから(すでにヲタクかもしれませんが)。

とりあえず、これから気をつけようと思うのは、「所詮マイナーだし」というような自虐的な言葉は発しないようにしようと思います。 自虐のふりをして優越感に浸っているような要素も含まれますし。

2月25日
ふと思ったのですが、アッタロスって本当に大貴族なんでしょうか?マケドニア史関係の記述で、アッタロスをマケドニアの大貴族と して扱っているものを良く見かけますし、フィリッポス2世の最後の結婚についても政治的意図をもってのこととしている記述が多い のですが、どうなんだろう。

アッタロス大貴族説の根拠になりそうなことと言ったら、宴会の席でアレクサンドロスに暴言吐いた時のフィリッポスの対応とか、陵辱 されたパウサニアスに対するフィリッポスの対応なんかがあるようですが、そのへんって、アッタロス個人を大物としなくても説明が かのうなんじゃないかなあ。だって、彼はパルメニオンの娘婿だし。

また、彼がパルメニオンの娘婿って段階で、マケドニア宮廷内での力のバランスってかなり崩れそうな気もするんだよなあ。パルメニオン に近い人々や彼の親族のほうが強くなりそうですし。わざわざそれを崩す可能性がある結婚を、政治的意図をもって行ったとみるのは、 なんか違和感を覚えるんだよなあ。大まじめに考えてそれを行ったのだとすると、フィリッポス2世はとんでもない悪手を打ってしまった ということかな。

やはり、この辺は年甲斐喪もなくフィリッポスが若い女の子に惚れちゃった、と言うほうが話としてはまとまるとおもうなあ、うん。 姪がフィリッポスに嫁ぐことになり、パルメニオンとのつながりに王家とのつながりもできるってことで調子に乗っちゃった結果が、 悲劇的な結末をもたらしたってところじゃないかなと。


アッタロスについてのつぶやきから、話は変わりますが、一寸外出して本屋を見て回ってきました。本屋で「歴史学研究」3月号をぱらぱらと 見ると、無理して全部にコメント付けなくても良いのにとおもう「古代地中海世界のダイナミズム」の書評があったり、まあ、なんだ、あれだな、 うん。何と言ったらよいのやら。

当該書評は掲載論文すべてについてちまちまとコメントを付けていく形を取っているのですが、文体が嫌味とかそんなことしかかけないなら、 無理しなきゃ良いのに。あと、評者は何か問題が発生したときに、それに対処しなくても良いお仕事をしているのかなと思いたくなるコメント も見かけました。全体として、「古典古代史」じゃない「古代地中海世界」がどの程度かけているのか、そして課題は何か、そっちに関して もっといっぱい書いた方が良かったんじゃないかなあ(終わりの方にまとめみたいにあるけれど、あれだけじゃ一寸少ない)。評者だって専門家なんだから そういうことくらいやって欲しいな。

2月20日
前回の更新から1週間、中東世界の状況はますます大変な事になっている今日この頃です。事態が収束に向かうにはまだまだかかる んじゃないかなあ。報道されているような事態が起きてしまったとなると、簡単には収まるまい。チュニジアで始まり、エジプトに 波及し、そしてリビア、バーレーン、イエメンなどでも大変なことになっているというこの展開、まるで1989年の東欧のようですね。 あのときよりも流血量は多いような気がしますが、今回の中東の動きは果たしてこの後どのような結果をもたらすのか?

もっとも、外のことばかり気にしている場合でもないか。日本は日本でなんか国政・地方どちらもぐちゃぐちゃになってますから。 これはこれで、何が起こるのか分からないというスリルはあるのですが、色々見ているとなんかげんなりする事の方が多くてねえ。 どいつもこいつも、自分が一番好きなんだね、きっと。「@@している自分って凄い」「**な俺ってかっこいい」とか、そんな 次元で国や日本のことをいじくるのは辞めて頂きたいんですが、無駄なんだよなあ…。

読書の方は、ボードマン「ノスタルジアの考古学」をもうすぐ読み終わります。意外と時間がかかってしまったな。はじめは神話 とかそういう話で、あれっと思ったりもしたのですが、読み終えつつある今、最初に思ったことは撤回します。やはりちゃんと 読んでみないと分からないことっておおいですね。あ、それ以外だと、石牟礼道子「苦海浄土」をよんでいます。すぐには終わらない とおもうけど。

2月13日
時の経つのははやいもので、あっというまに2月も半ばまで来てしまいました。自分がやろうと思ったことは全くできていないです。 これではいかん。

サイト更新は、2月1日の雑感で書いたように、現在停滞中です。いや、ネタがない訳じゃないし、3月になるとヒュパティアの映画 もあるので、それに関連することでも書こうかと思って資料を集めているところだったりします。ただ、資料を読む余裕がないので 全然進んでいませんが。

あとは、読書、雑感関係を適当に更新することくらいですが、読書は何冊かを同時並行で読んでいて、あまり進んでいないという 状態です。ボードマン「ノスタルジアの考古学」はいい加減読み終えたいのですが。あと、小河浩「紀元前4世紀ギリシア世界における 傭兵の研究」は読み終わりました。ギリシアの傭兵に関する本ってあまりないので、その辺りについて知りたい人は読んでみても良いかと 思います。あと、マケドニア史とか後継者戦争に興味がある人も読んでみると良いのかなと。その辺りの事例も色々と出てきます。ただ、 贈与については、バルカン半島北部だけじゃなく、ギリシア世界でも伝統として存在していたんじゃないのかなあというところで一寸 引っかかってみたり(贈与と人的結合について、他地域のことも比較して考えて方が…)、扱う史料の性質について序論である程度まとめ てくれた方が良かったなあとか(決まり文句の如く、ポリュアイノスやテオポンポス、エフォロスといった作家の史料の性質について繰り 返し出てくると、一寸あきてくる。註に回しても良いんじゃないかと思ってしまった…)、何か日本語が読みにくいと思う箇所があったり するので、是非とも買って読めとまでは言わないけれど、興味があったらどうぞ。ただ問題は、地方出版社の本のため、現物がなかなか 都内書店では見られないということですね(2月13日時点で池袋ジュンク堂でしかみていない)。

2月1日
いや〜、タネ本はちょこちょこと仕入れているのですが、いかんせん読む暇がない…。
そんなわけで、読書コーナーと雑感しか更新できていないです。
更新を期待して見に来て下さる方には申し訳ないなあと思います。

マケドニア史、エウメネス関係のコーナー、あとは歴史関係の記事の更新ができず、読書と雑感ばかり増えているという状態を何とか したいとは思っているのですが、なかなか難しいものですね。

1月28日
山内進「北の十字軍」を読み終える。あ、そういえばこれは前にメチエで読んで、感想はその時書いたからいいやと思ったら、どうやら サイトを作る前に読んだため、感想は書かなかったらしい。というわけで、北の十字軍の感想を載せてみました。アマゾンのレビューに 何か妙なことが書いてあるのですが、原書後書きのほうをみても特にそれらしき記述は見当たらず。ありゃなんだ?まあアマゾンだから良いか。 あ、文庫版だと、解説が新たに追加されています(書いているのは「野蛮から秩序へ」(名古屋大学出版会)を書いた人。エピローグの内容 からすると、この人が解説を書くというのはありなんだろうなと思う。本書の大部分とはあまり関係はない気がするけど)。

それはさておき、山内進と山内昌之が兄弟って本当なのかなあ?

1月23日
アレクサンドリアのヒュパティアを主人公にした映画が3月に公開されるらしい。久し振りの古代史ものなので、時間を見つけて何とか見に 行きたいと思います。最近、まともに映画を見に行けてないので、実際に見られるかどうかは分かりませんが。

この際なので、何かまた調べてみようかなと思う今日この頃です。そのまえにマケドニア史の本を読んで、また色々記事をかくほうが先か ともおもいますが。

1月21日
世を騒がせた大事件、国際情勢、ものから、ゲーム、漫画、映画、文学等々、歴史に興味を持つ入り口はいろいろありますが、そこから 歴史学の研究者になりたいという方向に向かう人はそんなにいるのかなあとおもう今日この頃。史学科にきても、そこで研究は非常に大変 であると言うことに、たいがいの人は気がつきそうです…。何カ国語も使えるようにならないといけなかったり、過去数十年から100年くらい の研究動向も調べないといけなかったりしますし、そのうえで、過去に誰も言っていないオリジナルの見解を、単なる思いつきではなく史料的 裏付けや論理的整合性をもったかたちで出さなくてはいけない、しかもそれを1回こっきりではなく、コンスタントに行わなくてはいけない …。

個人的には、研究者としてやっていくというのは技術の粋を尽くした最高級品を1つ作って終わりというものではなく、安価な大量生産品を 作り出すことでもなく、最高級品をコンスタントに生産するということなんじゃないかというイメージを持っています。ガンダム1体作った からもういいじゃんとか、GMとボールを大量生産しているんだからそれでオッケーだろうというのではなく、ガンダムを10体、20体と作り 続けていくような感じかなとも。まあ、中には「ガンダムもどき」をガンダムと言い張って売りつけてくる人もいるかもしれませんが…。

自分はどうかって?それはむりだなあ…。ガンダムは作れないから、ガンプラでも作るか。

1月17日
大学入試センター試験がおわりました。まだ今年の世界史の問題を見ていませんが、問題文を読まなくても解答できるような問題が多い んだろうなあ…。問題文は、新課程を反映した内容をあれこれ書いているけれども、肝心の問題はほとんど反映されてないような気がする。 だから、問題を解く側はほとんど問題文を読まないで問題だけ解いてしまう(で、それで点が取れてしまう)。

それでいいのか?まあ、それでいいという人が多いんだろう(その方が楽だし…)。

1月10日
国立博物館東洋館が耐震工事のため、展示が大幅に縮小されているせいか、宋の青磁や白磁の展示が激減しているのが寂しい今日この頃、 皆様いかがお過ごしでしょうか。宋の磁器と比べて、染付、赤絵、唐三彩って、申し訳ないけれどあまり興味がわかないんですよね。

デモステネスの弁論の邦訳をよんでいて、弁論の解説を読んでいてなんとなく釈然としないものを抱きつつ(デモステネスへの関心が薄れ、 フィリッポス2世やマケドニアについての研究に重点が置かれつつあるように見えるという話を、ちょっとネガティブなニュアンスを込めて 配置するのはどうなんだか…)、連休最終日を過ごしています。

あ、デモステネスを愛国者として称揚する解説の方は適当に流し読みにすることにして、デモステネス自身が残した弁論の方はまじめに 読もうと思っています。デモステネスについて知りたかったら、澤田典子「アテネ最期の輝き」「アテネ民主政」を読めばいいんだし。 うちのサイトの更新にデモステネスの言っていることはそのままは使えないと思いますが、読み物としては面白いのは確かだと思うので (「冠について」は以前邦訳で読んでいるので、その辺はなんとなく)。

1月4日
三が日があっという間に終わり、仕事が始まっています。

さて、今月の読書はマリオ・バルガス・リョサ「世界終末戦争」でも読もうかな。ノーベル賞を取ったおかげで復刊され、バカ高い値段の古本を 買わずにすむようになりましたし。ただ、表紙のデザインが一寸なあ…。なんのひねりもないというか、目立たないというか、「ノーベル文学賞 のリョサだから、別にわざわざいわなくてもいいよね」という感じの表紙です。新潮社も、クレストブックスの装丁は結構頑張っているのだから、 リョサももうちょっとかっこいい表紙、普段翻訳ものを読まないような人でもちょっと手に取ってみようかなと言う気にさせるような表紙にする べきだと思うのですが…。

本の装丁というと、北海道大学出版会の専門書がやけにモダン、と言うか一寸アヴァンギャルドな方向を目指したかのようなデザインで専門書の 表紙を作っていたことがあり、はじめ見たときはびっくりしました。ちなみに こんなかんじです

講談社現代新書みたいな味気ない表紙もつまらないが、あまりごてごてしていても一寸手に取りにくい、じゃあいったいどんな物がいいんだと 言われると困るのですが、もうちょっと表紙に気を遣った方がいいと思うんだな、うん。

1月1日
明けましておめでとうございます。

とりあえず、新年の挨拶はしておくべきかとおもい、雑感を更新しました。バックナンバーを一番下の方に移動してみた程度ですが。 これでも、前とは一寸違う感じになるかなと。やはり、過去の記録が増えてくると、どんどんそこで取るスペースが増えてしまうので、 そのまま放置しておくと記事が読みにくくなりそうだったので変更した次第です。

さて、明日は買い物三昧な一日になりそうです。福袋買わないと。読書の方は、フラバルを読み終えたので、じきにサイト・ブログの方に アップします。今すぐにはアップできないので。

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