勝利の後
〜セッラシアの戦い、その後〜


  • セッラシアへの道
  • 同盟軍総司令官となったアンティゴノスは春の訪れとともに行動を開始しテゲアを攻撃した。マケドニア軍は地下道など の様々な攻城作戦を駆使して攻め続け、テゲアは降伏した。テゲアを確保したアンティゴノスはさらにオルコメノスを急襲し て占領し、さらにマンティネイアを包囲してこれも攻め落とした。その後、ヘライアとテルプサの2都市はアンティゴノスに 自発的に降伏し、これも支配下に納めた。これらの活動は前223年春から秋にかけて起こったことで、前223/2年の冬を過ごす ためにマケドニア人兵士をいったん故国へ帰し、アンティゴノス自身はアカイア同盟との協議を行い、今後の作戦活動について 話し合ったという。アンティゴノスはアカイア同盟と協議するためにアカイア同盟の会議が開かれていたアイギオンにはいり、 そこに滞在することとなった。

    一方のクレオメネスはこの間どのような活動をしていたのだろうか。アカイア同盟がアンティゴノスと同盟を結んだことをしった クレオメネスは当初コリントス地峡の側に陣を移して備えたが、アルゴスの反乱以後スパルタへと帰り、ラコニア地方の防備を 固めていた。そして、前223年春にはメガロポリス奪取を試みたが失敗に終わった。しかし彼はあきらめることなく同じ年の秋に なると再びメガロポリス奪取をもくろんだ。当時のメガロポリスは戦いが続く中で兵役につく市民の数が減っていたこと、この 地域では大きなポリスであるメガロポリスは人口不足とその広さ故に防衛が難しいこと、メガロポリスはアンティゴノスがいる ことで油断していたことがクレオメネスにメガロポリス奪取を試みさせた要因である。ヘイロータイのなかで5ムナを納付した者 を自由の身として500タラントンをかき集め、その金で2000人の兵士をマケドニア風の装備で武装させた。このようにして軍備を 強化したクレオネメスは再びメガロポリスを攻撃し、市民の激しい抵抗に遭ってクレオメネスは追い返されるどころか全滅寸前に 追いやられつつも、兵力を十分用意し重要拠点を押さえておいたことが功を奏して、メガロポリスを征服して支配下に置き、 市民を追い出し都市を略奪して破壊した。このときメガロポリスを略奪してスパルタは多額の財貨を得たという。その額は史料 によって異なり、6000タラントンとするものと300タラントンとする説があるが、クレオメネスが軍資金に窮していたことを 伺わせる史料があることから後者の方が事実に近いと思われる。

    メガロポリス占領後、クレオメネスは前222年春の到来とともに軍隊を招集してアルゴス領内へと侵入した。アルゴスには前223/2 年冬にアンティゴノスが滞在して冬を過ごしていたが、当時彼がマケドニア人兵士たちをマケドニア本国へと帰していたため、傭兵 部隊が残されているだけであった。そのためクレオメネスはアルゴスへ侵攻してもマケドニア軍の反撃を受ける心配をする必要は さほどなかった。アルゴス領へと侵入したクレオメネスは略奪を行ったが、これはアルゴス市民の間でアンティゴノスに対する非難 を引き起こしたがアンティゴノスはそれに動じず出撃することはなかった。結局クレオメネスは領土を荒らし回るとスパルタへと 帰っていったのであった。そして前222年夏の初めにアンティゴノスは軍勢を終結させてラコニアへ進軍、クレオメネスもそれに 備えて軍勢を送り、両軍はセッラシアにて対峙した。

  • セッラシアの戦い
  • 前222年初夏にアンティゴノスが率いていた軍勢は次のような兵力から構成されていた。まず、マケドニア密集歩兵部隊が1万人、 軽装歩兵が3000人、騎兵300騎、アグリアネス人1000人、ガリア人1000人、これに傭兵(歩兵3000人、騎兵300騎)が加わ る。 さらにアカイアからは歩兵3000人と騎兵300騎が選抜され、さらにクレオメネスにより故国を追われたメガロポリス人1000人が マケドニア式の装備を与えられて加わった。ボイオティアからは歩兵2000人、騎兵200騎、エペイロスからは歩兵1000と騎兵50騎、 アカルナニアもエペイロスと同数の兵力を提供した。さらにイリュリアからは歩兵1600人が参加した。これを合計すると歩兵27600人、 騎兵1200騎となる。フィリッポス2世やアレクサンドロス大王の時代と比べると騎兵の数がかなり少ないが、かなりの大軍である。 これに対するクレオネメス軍は進入路に防衛軍を置きつつ2万に達する軍勢を率いてセッラシアに布陣した。セッラシアはエウアスと オリュンポスと呼ばれる2つの丘に挟まれ、その間を道が川に沿って抜けてスパルタに至るっている。クレオメネスは丘にも壕と 柵を備えて防備を固め、エウアス丘にはペリオイコイの軍勢と同盟諸国の軍勢を配置して弟のエウクレイダスに任せ、自らは傭兵と ラケダイモン兵を率いてオリュンポス丘に陣取り、平地には騎兵を道の両側に配した。

    アンティゴノスはその様子を見て取ると敵陣から少し離れたところに陣営を築き、敵の様子を探りつつ小競り合いを続けていた。 しかしその後の展開について、「その結果とうとう双方の思惑が一致して、2人の司令官は戦いによって命運を決するしかない と覚悟を決めた」という史料の記述がみられる。無理に攻めあぐねるのは得策でないと判断して様子を見ていたアンティゴノスと 防備を固めアンティゴノスが打つ手がない状態に持ち込んでいたクレオメネスの2人がなぜ突如として決戦に打って出ることを 選んだのか。クレオメネスの側ではおそらく資金や物資の点で問題が生じていたためだと考えられる。クレオメネス戦争開始当初、 彼はプトレマイオス3世の資金援助を受けていたが、アンティゴノスがエジプトと交渉し、その結果エジプトが資金援助をやめて しまったようであるし、クレオメネスが金策に窮している様子は史料からもうかがえる。一方のアンティゴノスの場合は資金面では 問題はなかったようだが、北方のイリュリア人が不穏な動きを見せており、長期間本国を留守にし、兵力を割くことが難しくなっ ていたのではないかと思われる。

    アンティゴノスはエウアス丘には「青銅盾兵士」とイリュリア人を配置し、その後ろにアカルナイとエペイロスの兵、その後ろの 補充部隊にアカイア軍の2000人を配置した。オイヌス河畔に騎兵をおいて敵の騎兵と向かわせ、その横にアカイア歩兵とメガロポリス 歩兵、そしてアンティゴノスは傭兵の後ろに倍の厚みの隊形にしたマケドニア兵を並べてクレオメネスの部隊と向かい合った。 戦いはイリュリア人が丘に向けて突撃し、クレオメネス軍の傭兵がイリュリア人の背後に回ろうとした。そのときフィロポイメン という一人の若者が敵騎兵隊に突進した。彼は騎兵隊に配されていたが命令が下る前に危機を察知して敵側面へと突撃したのである。 フィロポイメンは自らも両足を負傷しつつ前線で奮戦した。エウアス丘ではエウクレイダスの軍勢が敗北し、騎兵同士の戦いも 勝利した。オリュンポス丘一帯ではアンティゴノスとクレオメネスが激突して激戦を繰り広げたが、ついに2倍に厚くしたマケドニア 密集歩兵部隊がその力を発揮してクレオメネス軍は敗走した。こうしてセッラシアの戦いはアンティゴノスが勝利し、敗れたクレオ メネスはスパルタへ帰りさらにエジプトへと逃走した(彼は前219年にエジプトで反乱を起こして失敗し自殺した)。

  • アンティゴノスの死
  • セッラシアの戦いに勝利したアンティゴノスはそのままスパルタへ向けて進軍し、抵抗を受けることなくスパルタを占領した。 クレオメネスが逃亡前にアンティゴノスを受け入れるように勧告していたこともあって、スパルタ市民の間でアンティゴノスに 抵抗する動きは見られなかった。しかしこれによってスパルタはその歴史上はじめて外国の軍隊にポリスを占領されたのであった。 スパルタを占領したアンティゴノスはクレオメネスが廃止していたエフォロイ職を復活させるなど、伝統的な国制を復活させた。 しかしスパルタはアンティゴノスを盟主とする同盟に加盟させられ、王位はしばらく空位となった。追放されていた人々がスパルタ へと復帰していることからクレオメネスの改革は覆されるたとおもわれる。アンティゴノスはボイオティアのブラキュッレスを支配者 に任命したり、スパルタからデンタリアティスを奪ってメッセニアに与えた。

    しかしアンティゴノスのスパルタ滞在はわずか3日間であった。マケドニア本国よりイリュリア人がマケドニアに侵入して国を 荒らしているという知らせが伝わったためである。その知らせを聞いてアンティゴノスはマケドニアへと帰還したのであるが、 帰還の道のりは彼が置かれた状況の割にはゆっくりとしていた。まず彼はテゲアに立ち寄り伝統的な国政を復活させ、さらに ネメア競技会が開催されているアルゴスに立ち寄って彼の栄光をたたえる名誉を奉献された後にマケドニアへと帰還した。 帰国後のアンティゴノスはイリュリア人との戦闘をおこないこれを打ち破った。しかし勝利した直後に彼は病に倒れて死んで しまった。彼は前々から病を患っていたが、このころには肺病が進行し喀血も激しくなっていたようである。そしてイリュリア 人との戦いに勝利したもののその直後に血を吐いて倒れ、そのまま世を去った。前229年よりマケドニアを支配したアンティゴノス のもとでマケドニアは再びギリシア世界において盟主の座に返り咲いた。しかし同じ時代に西のほうで力を伸ばしていたある勢力 については何ら手を打つことはなかった。西で力を伸ばしていたローマとの激突は彼の跡を継いだフィリッポス5世の時代のこと である。


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