都市の建設


マケドニア王国がエーゲ海北岸の一小国からギリシアの覇権を握る強国となり、さらにギリシアからインドに至る広大な 領域を持つに至る過程で、フィリッポス2世やアレクサンドロス大王による都市の建設が頻繁に行われていたことがわかっ ている。ただし、そこで行われた都市建設には時代によって意味がかなり異なっているように思われる。ここではフィリッポス 2世とアレクサンドロス大王の元で行われた都市建設についてまとめてみることにしたい。

  • フィリッポス2世の都市建設
  • アッリアノス「アレクサンドロス大王東征記」には、オピス騒擾事件の時にアレクサンドロスが行ったと言われる演説が 掲載され、そこにはフィリッポス2世の時代にマケドニアが飛躍的に発展した様子が書かれているが、そこには都市の建設 についてふれた箇所もある。

    「フィリッポスは君たちが放浪し,日々の生活にも事欠く様を見た。君たちの多くは羊の皮を身にまとい,わずかな羊の群 を山地で放牧し,それを守るためにイリュリア人やトリバロイ人,隣のトラキア人と苦しい戦いをしていた。フィリッポス は君たちに羊の皮の代わりに身につけるよう外衣を与え,山地から平地へと連れだし,もう地の利に頼るのではなく, むしろ個人の勇気を頼みとして近隣の蛮族と互角に戦えるようにした。また君たちを都市の住民とし,立派な法や慣習を 整えてやったのだ。

    この箇所ではフィリッポスが山岳地にいたマケドニア人を平地に移住させ、都市の住民としたということが述べられている。 山地から平地への移住については、おそらくイリュリア人との戦争に勝利した後、上部マケドニアを領土にしたときにフィリ ッポスが上部マケドニアの人々を移住させた物と考えられる。リュンケスティスやエオルダイア等の上部マケドニアにおいて フィリッポスが建設した都市の住民は上部マケドニアの山岳地帯で移牧を行っていた人々が都市の住民として移住させられたり、 王国の他の部分から移住させられたようである。また、前351〜350年頃にイリュリア人に対する防備を固めるためにこの地域に 砦を築いたとも言われている。

    一方、マケドニア王国東部の方ではどのようなことがおこっていたのか。まず、フィリッポスに よる創建ではないが、フィリッポスが都市の開発・発展に関わった事例としてフィリッポイの町が挙げられる。もともとは クレニデスと呼ばれた都市をトラキア人から守った後、フィリッポスは都市名をフィリッポイと改名させた。そしてフィリッポイ の周辺の湿地を干拓して耕地を広げたり、近郊にマケドニア人を入植させた。さらに前346年頃にフィリッポスは国内の住民の 大規模な移住を行い、この時に各地の都市の住民をさらに増やしていったようである。前342〜340年のトラキア遠征でフィリッポス はトラキアを征服し、各地に都市を建設した。カビュレ、ベロイアなどの都市が建設されたほか、フィリッポポリスという 自らの名前を冠した都市も造ったという。これらの新しい都市はトラキア支配の拠点として重要な役割を担うとともに、 新しく作られた都市に王国各地から住民を移住させ、この地域の開発が進んでいった。フィリッポスによる都市建設、都市 の開発によりマケドニアの国土は開発されていくとともに、都市は王国支配の拠点やフィリッポスの軍隊を支える人材供給源と なったのであった。

  • アレクサンドロス大王の都市建設
  • アレクサンドロス大王による都市建設というと、征服地各地に建設されたアレクサンドレイア(アレクサンドリア)が有名で ある。しかしアレクサンドロスが自らの名前を冠した都市を建設したのは、フィリッポス治下の時代にすでに行われたことである。 前342年にフィリッポスのトラキア遠征がスタートするが、この時に摂政となったアレクサンドロスは山岳民族マイドイ人の反乱を 鎮圧し、その地にアレクサンドロポリスという都市を造りギリシア人を入植させたという。アレクサンドレイア建設の前に 父親の都市建設事業や自らの経験があり、それをふまえてアレクサンドレイアを各地に建設していったのであった。そして前332年、 エジプトに入ったアレクサンドロスはこの地にアレクサンドレイアという町を建設し始め、これが征服地各地に作られていく アレクサンドレイアの始まりとなった。

    アレクサンドロスが征服地にアレクサンドレイアという町を作ったことは知られているが、アレクサンドレイアは一体いくつくらい 作られたのであろうか。史料によっては70ほどとするものもあり、実際それに基づいて書かれた本や歴史地図も存在する。しかし 実際にアレクサンドロスが作った物ではないにもかかわらず後になってからアレクサンドロスが作ったということを主張するという こともあったらしい。また最近の研究でも10〜20程度ということが言われるが、結論は出ていないようである。

    数や現在地の同定は さておき、各地に作られたアレクサンドレイアとはどのような町だったのであろうか。まず、前332年にエジプトに入ったアレクサ ンドロスが建設を開始したアレクサンドレイアがある。この都市はプトレマイオス朝の首都として繁栄し、地中海随一の大都会と なっていく。ただし、この年に軍隊を残したという形跡はなく、軍隊駐留地ではなかったようである。このような点でエジプトの アレクサンドレイアは遠征中に各地に建設される都市とはかなり異なる例外的性格を持っていたようである。

    その後、遠征は さらに続き、東方へと進軍するが、その過程でいくつもの都市を建設した。アレイアのアレクサンドレイア(現在のヘラート)、 ドランギアナのアレクサンドレイア(現在のファラー)、アラコシアのアレクサンドレイア(現在のカンダハル)、コーカサスの アレクサンドレイア(現在のベグラム?)、オクサスのアレクサンドレイア(アイ=ハヌム?)、最果てのアレクサンドレイア (現在のレニナバード)が建設された。これらの都市が建設された時期はイラン高原からアフガニスタン、さらに中央アジア へと進軍していた時期であり、さらにスピタメネスが地元住民と結んで蜂起し、それに苦戦していた時期でもある。これらの アレクサンドレイアには駐留軍が置かれ、治安維持や補給拠点、後方との連絡といった任務に当たった。

    さらに前326年に インドに侵攻するが、ヒュパシス河畔で兵士たちがそれ以上の進軍を拒否し、結局引き返すことになった。インダス川に戻る途中、 アケシネス川(今のチュナブ川)のほとりにアレクサンドレイアを建て、前325年にインダス川河口から西へと帰る途中で オレイタイ地方の都市を拡充してアレクサンドレイアとした。そして困難な行軍のすえにメソポタミア地方へと戻ってきた あと、ティグリス川とユーフラテス川の合流地点にアレクサンドレイアを建てたという。また、アレクサンドレイアという 名前を付けてはいないようだが、ヒュダスペス川の戦いの後、ニカイアとブケパラという都市を造ったという。この都市は遠征の 記念碑のような性格を持っていたのであろう。

    アレクサンドロスによって作られた都市の住民たちはどのような人々だったのであろうか。中央アジアで最果てのアレクサンドレ イアを作るときの事例は史料にも詳しく伝えられているが、最果てのアレクサンドレイアの住民はアレクサンドロスに反抗して 戦い敗れたソグディアナの都市を壊して移住させたという。そのほかにも都市を壊して住民を新都市に移住させるという事例が みられ、新都市建設が征服地平定と平行して行われていた様子が窺える。

    また、新都市への入植者には数多くのギリシア人がいた という。アレクサンドロスは遠征軍の増援部隊として数多くのギリシア人傭兵を受け取っているが、彼らはアレクサンドレイアなど の都市に入植させられた。しかし東方に送られてくるギリシア人傭兵のなかにはアギス蜂起に参加した兵士やペルシア軍で戦って いた傭兵がおり、ギリシア人傭兵の入植はギリシアから不穏分子を追放する意味合いもあった。しかしこれらの入植者たちは常に 不満を持ち続けており、アレクサンドロス死亡の噂が流れると植民者が蜂起してギリシアへ帰国しようとした。また、前323年に 大王が死ぬとついに大反乱を起こしている。エジプトのアレクサンドレイア以外の都市は常に不安定な状態に在ったと考えてよい であろう。

    故にアレクサンドロスが各地に建設した都市は直ちにこれらの地域の都市化につながったというわけではなく、その後 の時代の都市化のきっかけを作ったという程度に考えておいたほうが良いというのが最近の研究動向のようである。少なくとも 彼が都市を造ってギリシア文明を東に伝えたという通俗的理解にはかなり無理があるようである。


    以上のようなフィリッポス、アレクサンドロスによる都市建設は後継者たちに大きな影響を与えた。ディアドコイ戦争中、最有力で あったアンティゴノスは支配領域内に数多くの都市を建設するが、アンティゴノスはフィリッポス2世と同年であり、フィリッポス 治下のマケドニアの興隆を肌で感じながら成長した人物である。そのため彼の領国経営にはフィリッポスの政策の影響が色濃く 見られ、都市の建設もそれによるものであると考えられている。さらに、セレウコス朝はアンティゴノスの進めた政策を引き継ぎ、 都市建設を積極的に進めるが、セレウコス朝の時代の都市建設や都市の復興によりギリシア人の植民が進み、東方世界における ヘレニズム諸都市の繁栄がみられるようになっていったのである。


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