トラクエアとジャコバイトの反乱


スコットランドのビールの銘柄の一つに「トラクエア」というものがあります。1107年には既に存在していたトラクエア城の一角で 醸造を行っているビールなのですが、かつてはスコットランド王の狩猟用の館として用いられた事がある由緒ある城で、ビール醸造 もかなり古くから行われていたようです(一説には、1566年にメアリ=スチュアートがきたときには既にビールを作っていたと言われていま す)。 その後、トラクエア城でのエールビール醸造は廃れていたものの、1965年に未使用の醸造室や古い醸造器具を見つけてビール醸造を 再開して現在に至っています。なお、2009年時点では女性の21代目当主がトラクエア城に住み、領地の切り盛りからビール工場 の経営までやっているそうです(トラクエア城の紹介記事と、トラクエア城21代目当主のインタビュー記事がAll Aboutのイギリスガイドの ところに掲載されています。城 の紹介イ ンタビュー前編イ ンタビュー後編)。

このトラクエアのビールに「ジャコバイトエール」という物があり、そのラベルには1745という年号が入っています。この1745年です が、 スコットランドでジャコバイトが大規模な反乱を起こした年で、フランスにいてスチュアート王家の正統を唱えているチャールズ=エドワード =スチュアートがスコットランドに上陸すると次々と支持者が集結し、一時はロンドンまで200キロのダービーまで迫りました。しかし、 そこから退却してしまい、結局カローデン=ムアの戦いでイングランド軍に大敗を喫し、反乱は失敗に終わりました。

まず、ジャコバイトとは何者かというと、名誉革命によって国外に亡命したジェイムズ2世とその直系男子を正統な王家として支持する人々の ことです。名誉革命により、議会によって迎えられたウィリアム3世、メアリ2世が王となりますが、世襲こそ望ましいとする人々もそれなりの 数が存在し、そのような人々がジェイムズとその家系を支持するようになっていきました。ジャコバイトの活動は、イングランド国外、スコット ランドやアイルランドと言ったところで活発になるとともに、ジェイムズ2世の亡命先フランスもこの活動を利用していくことになります。

ジャコバイトの活動としては、名誉革命から間もない時期に、ルイ14世から軍を借りたジェイムズが攻撃を仕掛けてきたという出来事や、 ウィリアム3世暗殺の陰謀、さらにはハノーヴァー朝に変わったあとには老僭称者(ジェームズ=フランシス=スチュアート)がスコット ランドでおきた反乱に呼応してイングランド上陸をくわだてたり、イングランド国内のジャコバイトがクーデタ未遂事件を起こすなど、 大小さまざまな事件を起こします。そして1745年、チャールズ=エドワード=スチュアート(若僭称者)がフランスの助力を得てスコット ランドに上陸し、反乱を起こしました。以上の出来事はすべて敗北と失敗に終わり、特に1745年の反乱が失敗してから後は、ジャコバイトに よる組織的な活動はほぼなくなり、名誉革命によってできあがった体制がようやく安定していくことになります。

そして、このビールと何が関係あるのかと言いますと、あくまで伝説ですが、この時にチャールズ=エドワード=スチュアートがトラクエア 城にも立ち寄ったといわれ、トラクエアの5代目当主チャールズは1738年に正門として作ったThe Bear Gatesをスチュアート家の復辟まで 閉じることを決意し、それゆえにスチュアート家が断絶した今となっては、永久に閉ざされたままになっていると言われています。ただし、 別の説では、7代目当主が1796年に妻を亡くしたときに門を閉ざし、次の妻を迎えるまで閉じると言うことにして以降それっきりという話も あります。こちらはこちらで違うロマンを感じる話ではありますが。(こ ちらを参考。また、こうした情報のもとになったト ラクエアの項目もあります)。

肝心のジャコバイトエールですが、1995年にジャコバイトの乱勃発250周年を記念して作られはじめたものです。当時の政府に対して反乱を 起こ した人物に絡め、それを記念してビールを作ったわけですが、日本で同じようなパターンで作るとしたら、平将門挙兵1060年記念とかそんな感 じ でしょうか。通常のトラクエア・ハウスエールも濃厚な味わいで、甘み、苦み、酸味がじわじわとくる、じっくりと腰を落ち着けながら飲みたい ビールです。ジャコバイトエールですが、地中海産のコリアンダーを使用していることに由来する柑橘系っぽい香りが強く感じられます。値段は 少々張りますが、こういう麦酒もあるのだと言うことで、是非一度飲んでみてほしいとおもいます。


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