「二本角」とアレクサンドロス


  • コーランの「二本角」の話
  • イスラームの聖典「コーラン(クルアーン)」にムハンマドの元にユダヤ人達がやってきて「二本角」と呼ばれる者について尋ねると 言う伝承が伝えられている(第18章)。そこに登場する二本角とは神により「権能を地上にうちたて」られた者で、「いかなることでも 意のままになし得る手段」を与えられた人物であり、陽の没するところ(西)へいき、次に陽の昇るところ(東)へ、そしてそびえ立つ 二峰の間へといくことになる。そして山の間に巨大な壁を立てて蛮族を封じ込めたり、不義なす者たちを懲らしめて回る様子が書かれている。 この「二本角」の正体が何者かと言うことについてはイスラーム初期の段階から議論があり、古代イエメンの王とする説やペルシア太古の王 とする説のほか、2人の「二本角」がいたという説も出されてきた。

    「二本角」が何を表しているのか、何故そう呼ばれたのかという ことについても古くから議論があるが、最も有力な説はこの人物をアレクサンドロス大王であるとする説である。そして、現在広く支持さ れている説はネルデケという学者が19世紀末に唱えた説で、コーランの「二本角」はシリア語で書かれたアレクサンドロスに関するキリスト 教伝承にルーツがあるという。確かにコーランとシリア語のキリスト教伝説を比べると共通する要素が多数見られ、角に関してはキリスト 教伝承では神に二本の角を与えたもうとアレクサンドロスが願っていたり、ペルシアとの戦いの前に神がアレクサンドロスの前に現れて鉄 の角を2本生やしたと彼に言うシーンがあり、神から授かった力の象徴である鉄の二本の角というものがあり、これがコーランの記述では 「二本角」となっているというわけである。

    しかし、コーランの「二本角」をネルデケの言うようにシリア語キリスト教伝承によると考えるときに一つ難しい問題があるように思われる。 というのも、シリア語キリスト教伝承が作られた時期について、ネルデケが考えている時代より後であるという説が出されているためである。 ネルデケの論文では「二本角」はシリア語のアレクサンドロスに関するキリスト教伝承に依るという論が出され、ネルデケはこの伝承は 6世紀前半に成立したと考えた。しかしその後この伝承の成立年代はライニケと言う学者から628〜637年の間に成立したという説が出され ており、それによると、アレクサンドロスのペルシアに対する勝利をビザンツ皇帝ヘラクレイオスによるササン朝に対する勝利になぞらえ ているという。なおビザンツによるプロパガンダはアラブの大征服の後は少々変化し、アラブの大征服は神による懲罰と見なし、アレクサ ンドロスの再来である最後のビザンツ皇帝が勝利をもたらすという預言(偽メソディオスの預言書)となっているように、最後のキリスト 教皇帝による勝利に期待する方向に変わっていたと見なされている。

    ムハンマドの没年が632年、コーランの成立年代は650年であり、それまで口伝だったものが書物としてそのときにまとめられたものであり、 シリア語キリスト教伝承が成立した時期がライニケが言うように628〜637年の間とすると、ムハンマドが「二本角」のことを語っているコ ーラン第18章はムハンマドの生涯の中期に下された啓示がおさめられた章であり、その時点でこの伝承の存在を知って語ると言うことはか なり難しく、少なくとも完成された形でのシリア語キリスト教伝承を知っていたとは考えにくい。しかしシリア語キリスト教伝承に類似し たアレクサンドロス伝説がそれ以前に既に存在し、そこからコーランの「二本角」説話がとられた可能性はあり得るようである(シリア語 伝承が現在伝わる形になる前のヴァージョンがあるとすればだが)。また、アレクサンドロスの東征から約1000年が経過する間にオリエント 世界でアレクサンドロスに関する伝承が生まれており、コーランに伝わる「二本角」の伝承へ発展したものとシリア語キリスト教伝承へと 発展したものがあるという具合に、それぞれ別のアレクサンドロス伝承へと形を変えて発展したという可能性も指摘されている。

  • ユダヤ、キリスト教におけるアレクサンドロス
  • コーランの「二本角」伝承の内容はネルデケが言うようにシリア語キリスト教伝承に基づくと考えるか、それに似た内容の伝承をもと にしているか、それともアレクサンドロス伝承自体が色々ある中でシリア語伝承とコーランの「二本角」がそれぞれ別に成立していったと 考えるのかは難しいところである。それはさておきコーランではムハンマドをユダヤ教徒が「二本角」のことを尋ねにやって来たことが 書かれている。では、ユダヤ教ではアレクサンドロスはどのような扱いであったのだろうか。またキリスト教伝承との関係はどのような ものだったのだろうか。

    コーランではユダヤ教徒がムハンマドに二本角のことを訪ねに来ることになっているが、「二本角」はムハンマドの時代のユダヤ教の伝承 では救世主を表すものであり、自分が真の預言者であることを示すため救世主「二本角」についてユダヤ人に語ったという。フラウィウス・ ヨセフス「ユダヤ古代史」や初期のタルムード、γ系アレクサンドロス物語(偽カリステネス)に書かれているように、ユダヤ教では アレクサンドロスがエルサレムを訪問し大司祭に敬意を示し、神殿に犠牲を捧げ、ユダヤ人に特権を認めたという伝承(実際にはアレクサン ドロスはエルサレムに入っていないようであるが・・・)が存在する。また、「ユダヤ戦記」(ヨセフス)にはアレクサンドロスにより作ら れたスキタイ人を防ぐ鉄の門の話があり、「ユダヤ古代史」ではスキタイ人がゴグとマゴグであるとされている。このようにユダヤ人・ユダヤ 教関係の著作の中でかなり早くからアレクサンドロスを自らの宗教を擁護する英雄として取り込んでいたという。そしてこれらの伝説は ヘレニズム時代のアレクサンドリアにいたユダヤ人達がその発祥地であったと推測されている。

    「二本角」がユダヤの救世主文学の重要なファクターであり、ヘレニズム時代の頃からユダヤの英雄としてのアレクサンドロス伝説が現れる ことはわかるものの、「二本角」とアレクサンドロスと結びつける最古の文学はシリア語キリスト教伝説のようである(それ以前のものは 分からない)。ユダヤ教の伝承とキリスト教の伝承の関係について、キリスト教伝承がユダヤ教の伝承の影響をうけているとも考えられるが、 両者が同じような伝承を持っていた可能性を指摘する考え方もある。彼らが持っていた同じような伝承がやがて改編されて、ユダヤ教では 神の国をもたらす救世主であったものがキリスト教ではイエス・キリストの先駆者か最後のビザンチン皇帝の先駆者としてとらえられるよう になっていったのであろう。生前から神格化されていたアレクサンドロスは一神教では神とするわけにいかず敬虔な信者にして彼らの宗教の 擁護者として組み込まれていったようである。そしてイスラーム教でもそのような存在としてアレクサンドロスを説話の中に取り込んで いったようである。

  • 征服者にして預言者
  • イスラーム教でも神の加護のもとで西から東まで旅をして教えを広め、終末の時より前に野蛮人が暴れ出さないように封じ込める役割を 担った者として「二本角」アレクサンドロスを取り入れ、コーランではアレクサンドロスの名前が消え、彼に関する歴史的コンテクストは 捨象されていった。しかしコーランでは歴史的なコンテクストは抜け落ちているが、それより後の「二本角」に関する著作をみると、 「二本角」とアレクサンドロスの関係はかなり密接なものとなっており、歴史的人物アレクサンドロスと「二本角」は一緒の物として みられているようである。例えば、預言者「二本角」の伝記(サアラビー著)にアレクサンドロスに関する歴史的な情報もかなり盛り込み ながら書かれていたり、歴史家ディーナワリーの著作ではアレクサンドロスが一神教に改宗し、東の果てから西の果てまで教えを広める 王として書かれている。ニザーミーに至っては「二本角」がアレクサンドロスと同じということ、「二本角」を預言者と見なす伝承を ふまえたうえで、アレクサンドロスが遠征からいったん祖国に戻って再び預言者として再出発するという斬新なストーリー展開を打ち出し ている。

    イスラームの場合、実際にアレクサンドロスの征服と重なる地域の征服を行っており、ユダヤ・キリスト教世界でのいつかくる理想の世界 の救世主ではなく、現実世界の世界征服者の原型としてアレクサンドロスをみており、大征服を行いながらイスラームの教えを広めていく 自らの聖戦と西へ東へと征服活動を行い神の教えを広めるアレクサンドロスを重ねていたようである。またアレクサンドロスはイスラム教の 布教者・信者共同体を護る守護者とされるとともにその野心は教訓の対象とされたが、中世のキリスト教神学者と比べるとあまり否定的 ではないようである。例えばアレクサンドロスが天に昇っていく話があるが、キリスト教神学者は傲慢さの表れと見なすがイスラーム世界の 伝承では天使に導かれて天に昇ったとする話が伝えられている。また、神から強大な力を与えられ、征服者、預言者として西へ東へと旅を するアレクサンドロスがある町で非常に優れた生き方をする敬虔な人々に出会って己の限界を悟らされるという話も伝えられており、そこに はかなり教訓的な要素が込められている。イスラーム教ではアレクサンドロスは征服者にして宗教の擁護者、布教者、預言者「二本角」とし て受け入れられたが、神聖化された「二本角」と征服者アレクサンドロスは分けて考えられない存在として人々に伝えられていったようである。

    (参考文献)
    蔀勇造「古代文明とイスラーム」(板垣雄三編『講座イスラーム世界2 文明としてのイスラーム』栄光教育文化研究所、1994年)
    山中由里子「アラブ・ペルシア文学におけるアレクサンドロス大王の神聖化」(『国立民族学博物館研究報告』27巻(2003年))
    山中由里子「二本角が表す物 西アジアにおけるアレクサンドロス大王の神聖化」(同志社大学一神教学際研究センター講演)
    (URL: http://www.cismor.jp/jp/research/lectures/051217.htmlで当日の講演が見られます (要WindowsMediaPlayer))

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