マケドニア人と狩猟


アレクサンドロスの遠征に関する様々な史料にはアレクサンドロスがマケドニア貴族達と狩猟を楽しむ場面が多く見られる。 また、アレクサンドロスが貴族達とライオン狩りをする場面を扱った美術もディアドコイ戦争の頃に数多く残されている。 マケドニア人が狩猟の成功に高い価値を置いていたということは、しばしばマケドニア人貴族の慣習として取り上げられる。 マケドニアではイノシシを網を使わずに槍で刺して捕らえることができた者以外は、宴会で横になることを許さなかったという。 それを成し遂げるまでは椅子に座って食事をさせられ、たとえ武勇に優れた人物であってもこの条件を満たさねばならな かった。このような故事から、マケドニアでは狩りの際に網を使っていたことが窺える。彼らの狩りは徒歩で行うこともあれば 馬に乗って行うこともあり、猟犬を使うこともあった。ギリシアと異なりマケドニアでは馬が多かったために馬上から狩りを おこなうこともあったのであろう。実際の所、マケドニアの王や貴族達にとって狩猟はどのような意味をもっていたのであろうか。

  • 貨幣の図像と狩猟
  • マケドニア王アレクサンドロス1世が作った貨幣には騎馬像が刻まれているが、その騎馬像は実は狩人の姿を現していると いわれている。騎馬像は投槍や槍で武装しているが鎧をつけておらず、兵士としてよりもむしろ狩人にふさわしい姿をしている。 また騎馬像と共に犬の姿も銘刻されているが、これは単なる愛玩動物ではなく猟犬であると考えられている。貨幣にこのような 図像を刻むということは、貨幣を使う人々は貨幣の図像とそれを造る政府を結びつけて考えたであろうから、人々はこの騎馬像 を君主や政治・社会・宗教的秩序、さらには特定の支配者と結びつけたであろう。また、ヘラクレスの頭部を刻んだ貨幣も数多く マケドニアから出土している。このヘラクレスは狩猟の獲物であるネメアのライオンの皮をかぶっている。マケドニアでは 「狩人たるヘラクレス」を祀る王家の祭儀がヘレニズム時代まで続いており、貨幣の図像と併せて王権とヘラクレスのライオン 狩りを結びつけたであろう。その他、騎馬像の図の裏にライオンが槍を咬む図が刻まれた貨幣もあり、王権とライオン狩りを 結びつきが窺える。おそらく騎馬像は狩人としてみなされたであろう。

  • 狩猟と競争
  • アレクサンドロス大王の遠征に関する史料には狩猟のシーンがよく見られるが、マケドニアにおいて王と貴族による狩猟は 王と貴族の間での競争の場であった。近習たちがアレクサンドロスを暗殺しようとする陰謀が東征中に起きたが、きっかけ は近習の一人が狩猟の場で王より先に投げ槍で獲物をしとめたために王の怒りを買って激しく罰せられたことにあった。この 場ではアレクサンドロスは個人的な怒りから近習を罰したということがかかれており、マケドニアではペルシアのように王 より先に獲物を捕ってはならないというルールがあったわけではないことがうかがえる。また、狩猟で首尾良く獲物をしと めることが重要視されていたため貴族同士でもはげしい争いがあり、しばしばけが人や死者が出たという。それは王との間 でも起こりうることであった。先述の近習のケースはまさにそれに当たる。アレクサンドロス自身も誰よりも先に獲物をしとめ て名誉を得たいと思っていたところをじゃまされたために怒って罰したのであった。

    また王が猛獣におそわれて危ないと考えて助けることも時と場合によっては王の怒りを買うことになる。王を助けることと 王の狩りを妨害することの間に境目を引くことは難しい。クラテロスはアレクサンドロスがライオン狩りを行ったときに彼 を助けて何事もなかったが、リュシマコスがアレクサンドロスを助けようとしたときには手助け無用ということで退けられ 叱責された。王を助けた者はそのことにより名声を得られるが、助けられた王にとってはかなり落胆させられることであった。 そのことは、ギリシア人が競争の文化を持つことと関係するようである。

    古代ギリシア人は様々な事柄で常に競争を行っていたことでしられている。オリンピア競技会しかり、アテナイにおける悲劇 の上演しかり、いずれも競争文化の中からおこってきたものである。そのため、常に他の人々より先んじていたいと考える 傾向がつよかったようである。集団での狩猟の場で、他に先んじて真っ先に獲物をしとめることで、己の技量を示して他の 参加者より優位に立つことができる。一方で狩猟の場で他人に助けられるということは、他の者に先んじられるということに なり、狩人としての技量が劣ると見られかねない。それ故に貴族達は狩猟において激しく争い、仲間の投げ槍で負傷すると いう出来事も起きている。

    また、王にとっても狩猟の場で先に獲物をしとめることはきわめて重要であった。マケドニア王は戦争であれ狩猟であれ常に 卓越した存在であると考えられていた。そしてアレクサンドロスは遠征中の戦闘や狩猟の場面を見る限りでは、王は戦場や 狩猟といった場で、常に卓越性を示さねばならず、危険なところに自ら入って行くことも辞さないという考えていたのでは ないかと思われる。それ故に他人に先んじられたり、他人に助けられることは彼の自尊心を痛く傷つけることだったであろう。

    一方でマケドニア人貴族達は、王との狩猟の場面で活躍したり王を助けたことを記念して様々な記念碑を残したようである。 ライオン狩りにおいてアレクサンドロスを助けたクラテロスはデルフォイにその場面をモチーフにした青銅像を造って 納めたという。また、王と共に貴族達がライオン狩りをする場面がディアドコイ戦争の時期などにしばしばかかれるよう になる。クラテロスの奉納にせよ、ディアドコイ達の行動にせよ、自分たちをアレクサンドロスの偉業と結びつけ、その なかで自らが活躍したということを多くの人々に分からせるために様々な美術を残したようである。また、アレクサンドロス とともに活躍したことを示すことは、自らの支配の正当性を主張するためにも役立ったようである。ちなみに王と貴族達が ライオン狩りをする場面を描いた美術は余り長く続かなかったが、ある程度支配が安定してくると上記のようなことを示す必要 が無くなったためだと考えられている。アンティゴノス朝マケドニアでも王が狩猟を重視していた様子が窺えるが、そこで は王は他の貴族などと競っている様子は見られなくなっているという。アンティゴノス朝ではヘラクレス・キュナギダス (狩人たるヘラクレス)への王室の祭儀が行われて、王によるヘラクレスへの奉献も行われている。また王の狩りの腕前を たたえる際にヘラクレスが競争相手として取り上げられる詩がのこされている。

    古代のマケドニアにおいて、狩猟はマケドニア人の王や貴族にとり、自らの卓越性を示す絶好の機会であり、それ故に高い 価値が置かれていたと考えられているようである。また狩猟を描いた美術を通じて、後継者戦争時代のライオン狩りの場合 は王との関係や、狩りにおける自らの卓越性を目に見える形で示すことで自らの権力の正統性を示したり、支配者として ふさわしい力を持つことを示そうとしたようである。そして後継者戦争の混乱を経て支、王権が以前より絶対的な方向へと進 んでいくアンティゴノス朝では王の卓越性は、大勢の人間と狩りをする中で王が活躍した事を示すのではなく、王と神話の 英雄との関係のなかで示されるようになっていくのである。


    *(本稿はCarney,E. "Hunting and the Macedonian elite" in The Hellenistic World(Ogden,D.ed. 2002)の紹介をかねて、その内容をまとめたものです。)
    雑多な項目へ戻る
    歴史の頁へ戻る
    トップへ戻る

    inserted by FC2 system