ゴルディオンの結び目


アレクサンドロスは前333年春にプリュギアの都市ゴルディオンに到着したとき、ゴルディオンのゼウス神殿 に奉納されている荷車の伝説に関心を示した。そして神殿に奉納された荷車の轅と軛を結んでいる結び目の謎 解きに意欲を見せ、結び目を解こうとした。広く伝えられているところでは結び目を解いたものはアジアの支 配者になると言う伝説であったという。

伝説その物は小アジア、プリュギア地方の伝説にすぎず、マケドニア とのつながりはなかったが、アレクサンドロスにとり東征の正否を占う意図や難題に挑戦しようとする意志と ともにプリュギアの伝説的な王である「ミダス王」の名を巡り、プリュギア人とマケドニア人との歴史的つな がりが想起されるものであったことも関係すると思われる。

小アジアのプリュギアとマケドニアの歴史的つながりというと奇妙な感じを受けるかもしれないが、当時のマ ケドニア人にとってはそうではなかった。なぜならば、アルゲアダイによる支配が始まる前プリュギア人の王 ミダスがマケドニアを支配していたという伝承が古くから存在し、前4世紀当時のマケドニアでは広く伝えら れていたためである。そしてマケドニアには「ミダスの園」というプリュギア人たちの故地であるとされた場 所もあり、アレクサンドロスの学問所はそこにあった。こうしたことから「ミダス王」の名は彼にとって親し いものであった。

プリュギア人はかつてはブリゲス人と呼ばれ、マケドニアを支配していた。彼らはエマティ ア地方の丘陵地を中心にエデッサを拠点として交易(エグナティア道による交易)やベルミオン山中の鉱山採 掘により栄えていたと考えられる。やがてブリゲス人はマケドニアから小アジアへ集団移動し、プリュギア人 と呼ばれるようになる。彼らが東に移住して行ってから約150年後、前650年頃にマケドニア王国が成立するの である。

ではゴルディオンのゼウス神殿の荷車には、どの様な伝説があるのであろうか。伝説では、ミダスの父ゴルデ ィオスは貧しい農民で2頭の牛の一頭は農耕に用い、もう一頭は荷車をひかせていた。ある日ゴルディオスが 荷車を見ると荷車の轅に一羽の鷲が止まっていたという。この光景を占い師に相談したところ、ゼウスに犠牲 を捧げることを勧められ、彼は犠牲を捧げた。その後彼は結婚して子供をもうけ、ミダスと名付けた。

ミダス が成人に達した頃、プリュギアは内戦が続いていた。プリュギア人達は神託を伺い、下された神託は荷車が王 を連れて来るという内容で、その人物が内戦を鎮めるというものであった。ちょうどそのことを評議している 頃にミダスが荷車にのってやってきたのであった。プリュギアの人々は神託に従いミダスを王とし、ミダスは 内戦を鎮めるとともに荷車を神殿に奉納したのであった。やがてこの荷車の轅の結び目を解いたものはアジア を支配するものとなると言う伝説が語り伝えられるようになったのである。

以上の話がゴルディオンの荷車に関する伝説である。ここで荷車の結び目を解くと「アジアの支配者」になる という伝承が登場するが「アジア」はどこのことをさしているのであろうか。アレクサンドロスに関する様々 な史料を見ていくと、ここに見られる「アジア」というものはペルシア帝国全体を示しているような印象を受 ける。しかし元来の伝説は果たしてペルシア全体まで含んでいたのであろうか。

ゴルディオンの荷車に関する 伝説がミダスがプリュギア王となったことを伝えているものである以上、そこからペルシア帝国領全体を支配 するものが表れるという伝説がいきなり生み出されるとは考えにくい。もともとの伝説は小アジア一帯、また はプリュギア地方のみだったと考えた方がよいと思われる。それが大幅に誇張された形で書き残されたのは、 おそらくアレクサンドロスの業績を武勲詩のようなスタイルの史書として書き残した従軍史家カリステネスの 筆によるものであろう。

地元の住民がアジアの支配者となると言う伝説を言いふらしているという記述もある が、アレクサンドロスが小アジアを制圧しつつあるとはいえなおペルシア帝国の力が強大な時期にペルシアが 征服されるかのような話を流布させるとは考えがたい。アジアの支配者という部分は元来は小アジア・プリュ ギア地方の支配者と言うことに限定されていたが、アレクサンドロスの業績を書き残す際にそれがペルシア帝 国征服という誇張された形で書き残されたり後世になってから付け加えられたのであろう。

この荷車の結び目をアレクサンドロスは解こうとしたが、結び目を解きほぐすすべが見つからなかった。しかし 彼は何らかの方法を用いて紐を解いたという。衆人環視のもとで行われたことであるが、結び目をどの様に解い たのかと言うことでは2つの説がある。まず第一に、こちらが一般的には有名であるが出典不明の記述に(アリ アノスも「一説によれば」と言っているのみ)「剣で斬りつけた」という方法が挙げられている。一方でアリア ノスなどの記述にはアリストブロスを引用して「轅を貫通して結び目を固定している止め釘の木片を抜き、轅か ら軛を外した」というきわめて合理的な方法をとった記述が見られる。

また、アリアノスが記述の際に参照した 史料のなかにはプトレマイオスによる書が用いられているが、ここでプトレマイオスが典拠として用いられた形 跡はないことから、彼はゴルディオンの結び目に関してそれほど詳しく言及していないようである。大王の側近 であり、この出来事を側で見ていたであろうプトレマイオスらにとって、実際のところゴルディオンの結び目の 伝説は出来事自体は重要ではなかったであろう。東征中の出来事としてはゴルディオンの結び目というものがあり、 アレクサンドロスがそれを解いたと言うこと以上の意味はなかったようである。

本来は東征中の出来事としてはそれほどたいしたものではなかったゴルディオンの結び目の伝説であるが、 その後大幅な誇張がなされて広められることになる。アレクサンドロス自身がゴルディオンの結び目に関する 伝説をどの様に取ったのかは分からない。もしかすると単に小アジアでの支配権のみを指す伝説であるという 事を理解していたかもしれない。

しかし彼は意図的に誇張された形でこの伝説とそれにまつわる出来事をを宣伝 した。彼および側近達にとって、ゴルディオンの結び目に関する実際の予言の意味や、彼が実際にどの様に結び 目を解いたのかと言ったことはそれほど大事なことではなかった。古来の予言に新しい意味としてペルシア帝国 の征服という意味を与え、アレクサンドロスが託宣の要求を満たした選ばれた人であることを力ずくであっても 実証できたということにこそ意味があった。マケドニア人やギリシア人に対して、ペルシア帝国を征服する東征 を神も認めたのだと言うことを示すためにマケドニアと関連があるプリュギアの伝説を利用したほうが宣伝の効果 もより大きなものとなるであろう。そして、それによって東征開始から2年目に入った兵士達にさらに先に進もう という意欲を起こさせようとしたのであろうと思われる。

グラニコス河畔で勝利したことでマケドニア軍将兵は 恐らく自信を持ったであろう。その兵士達に対して自分たちの王にして指揮官が将来ペルシアを征服するという 事を神からも認められたと宣伝すれば、彼らはますます自信を持ってこの先の遠征についてくるようになるに違い ない。このような意図のもとにアレクサンドロスはゴルディオンの結び目の伝説をカリステネスの筆により大仰な 形に書き換えて広めたのだと考えられる。


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