大鎌つき戦車の利用について


ガウガメラの戦いにおいて、ペルシア王ダレイオス3世は彼の支配下にある帝国全土から兵士を動員し、さらに戦場もガウガメラという 平地を選択するなど、準備万端整えてアレクサンドロス大王率いるマケドニア・ギリシア連合軍を迎え撃とうとしました。その時にダレ イオス3世が新たに投入した戦力として、計200台の大鎌つき戦車というものがありました。なお、この時動員された大鎌つき戦車がガ ウガメラの戦いではたいした戦果を挙げられなかったと言う記述も残されています。

大鎌つき戦車はクセノフォン「キュロスの教育」第6巻(6.1.27-30)においてキュロスによって作られたと言うことが書かれています。 そしてリュディアとの戦いにおいて戦車隊が用いられ、大いに活躍したという話も第7巻に見られます。その一方で、「キュロスの教育」 で大鎌つき戦車が優れた兵器であるという事を描いているクセノフォン自身が「アナバシス」においてクナクサの戦いでは戦車によるギ リシア人密集隊への攻撃が不発に終わったと言うことを書いています。

クセノフォン自身は、「キュロスの教育」の終わりの方で(8巻8章24〜25節)、彼の生きた時代には御者が戦列に入る前に降りてしま っており、戦車をキュロスの時代と同じように用いていないという判断を下しています。このいささか奇妙な物言いについては、クナク サの戦いで彼が見た戦車がそのような戦い方をしていたためであるとする説があります。クナクサの戦いではギリシアの密集隊によって 戦車はやり過ごされてしまい、全く損害を与えられなかったと言うことが「アナバシス」に書かれています。そこに駆者を失った状態の 戦車ということが書かれており、これをそのようなものとして理解した事による解釈と思われます。

ただし、クセノフォンの「キュロスの教育」における記述は、かつては強力だったペルシアの堕落ぶりを書くという感じの記述が続く第 8巻終盤の記述のなかのもので、御者が戦列に入る前に降りるという戦車の利用法も、現在のペルシアが惰弱であると言うことを言うた めに書かれたもので、実際の戦闘とは異なるとみたほうが良いと思われます。実際はギリシア側の攻撃により駆者を失っていたか、ギリ シア軍が突撃の際に威嚇音をあげたことに恐れを感じて逃げてしまったといったところでしょう。

一方で、戦車はどのような場面で戦果を挙げていたのかということも確認しておく必要があると思われます。戦車は他の戦力と連動して 用いられたときに戦果を挙げていると言うことは、「キュロスの教育」に書かれたペルシアとリディアの戦いでも戦車隊の後にペルシア 軍の兵士たちが続いて勝利したことや、「ギリシア史」において700人のギリシア密集歩兵に対して戦車2両に続いて騎兵200騎が突撃 して損害を与えたことからもうかがい知ることができます。しかし、クナクサの戦いやガウガメラの戦いでは戦車隊が単独で敵に突撃す るような形となってしまっています。これらの会戦での戦い方を史料で見る限り、ペルシア軍の密集隊や陣の前面に並べられた戦車隊が 他の戦力と連動して動いているようには見えず、どうも単独で使われたようです。戦車を投入して戦列を乱し、他の兵力(騎兵など)に より敵を破ると言う形で利用することができたと見ても良いと思われます。


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