無敵艦隊とその実像(艦隊の規模)


スペイン無敵艦隊の敗北は、その後の歴史においてイングランドの興隆とスペインの没落の転換点となる 出来事として広く知られています。そしてそのイメージはダヴィデとゴリアテの戦いのような力の差がある と見られていたこともある。小型で動きの速いイングランド艦隊が、大艦巨砲のスペイン艦隊に勝利した という印象がありますが、無敵艦隊とはそもそもどの様なものであったのでしょうか。
(以下の記事はマイケル・ルイス「アルマダの戦い」(新評論)をもとにまとめてみたものです)。

  • 艦隊の編成
  • まず、スペインの無敵艦隊は当初はガレー船中心で構想されていました。かつて、スペインは地中海でオスマン 帝国と戦ったレパントの戦い(1571)ではガレー船により勝利を収めました。無敵艦隊の計画立案者で、レパン ト海戦の時の指揮官の一人として活躍したサンタクルス侯爵はガレー船の優位を信じ、ガレー船を多数用い ることを考えていたようです。またスペインでは帆船を軍船にする動きは大西洋貿易の警備のために必要になってき ていたとはいえ、まだ進んでいなかったことも関係するようです。

    しかし、ガレー船が実はイングランドとの戦いで は向いていないという事が徐々に理解されてくると、艦隊編成の変化がみられるようになります。その転機となった 出来事は1587年におこります。この年、イングランドのドレイクが無敵艦隊の準備を妨害するためにカディスの港を 襲撃したとき、スペイン軍はガレー船12隻を使って対抗したのですが、追いつくことができずにドレイクの船にあっ さりと逃げられたということがありました。

    ガレー船は相手の船に体当たりして戦うように作られている船であり、 大砲はわずかに5門しかついていないのに対し、一方ドレイクの船は一隻で32門、そのうち28門は一発でガレー船を沈める ことが出来るほどの威力があったといわれています。襲撃してきた敵をあっさりと取り逃がしたということから、 ガレー船ではイングランド海軍に対抗できないことが明らかになったのでした。

    そこでスペインは時代遅れのガレー船にかわり、新たにガレオン船など大型船を集めて無敵艦隊を編成する方針へと計画を変更し、 船を集め始めます。この時、スペインがポルトガルを併合したときにポルトガルが持っていた船や、西インド防衛隊の船が艦隊に 集められました。さらに私掠船や海賊に対抗するために大西洋に出たときにガレー船では波と風に対応できないことが分かったため、 急遽商船保護のために作られた帆船による艦隊をスペインは持っていましたが、その艦隊の一部を流用しました。

    こうして様々なところから集められた24隻は海戦専用の帆船でしたが、それだけでは十分でないと考えたためでしょうか、 その他の船は商船を集めてなんとか軍船に仕立て上げて使えるようにしました。その他にガレアス船4隻、ガレー船は4隻、という 編成になり、これにより戦艦は73隻となりました。その他に小型船が32隻存在しましたが、この小型船は帆船と櫓櫂船の混合型軽量船 で、数門の小型の大砲を備えていました。そのほかに運送船も含ま、これらの船を合計すると131隻の船からなる艦隊ができあがりま した。実際にイギリスにたどり着いた船は125隻ですがガレー船は結局そこまでたどり着くことはありませんでした。実際の戦闘に 参加した船はそこから軽量船32隻と運送船25隻をのぞく68隻、うち24隻がガレオン船を含む大型戦艦、さらに40隻の補助船と ガレアス船が加わりました。

  • ガレアス船とは・・・
  • ここで登場するガレアス船とはガレオン船とガレー船の長所を集めて作ろうとしたある種の妥協の産物といってもよい船 であったといわれています。スペインでは細長い船(ガレー船)と丸い船(商業用のものがおおい)を併用しようとしました。 一方イングランドは帆船を大幅に改良して対応していきます。丸い船を長くし、帆を増やし、はらみ綱をつけたほか、大砲を 進行方向に向かって垂直に撃てるようにしたといわれています。大砲を扱いやすくするような改造を施したイングランドに 対して、スペインも大砲の導入は進めたようですが、大砲よりも船の扱いやすさの方を優先したようです。

    スペインの導入した ガレアス船はまさにガレー船と大型船の長所を取り入れようとした船でしたが、けっきょくそれは失敗に終わることになります。 ガレアス船はガレー船よりは堅固で多くの物資、大砲を運べましたが、それでも大型船には及びませんでした。また帆と櫂を同時に 使うことで機動性を確保しようとしても実際は安定性は悪く、航行能力もたいしたことはなく、さらに帆の重みで操作が難しく、 喫水線よりかなり高い位置に大砲を並べたために重心が高くバランスが悪くなり、天候が悪化すると危険である、というきわめて 扱いにくい船になってしまったようです。

  • 船の大きさについて
  • イングランドとスペインの艦隊に配備された船の大きさに関しては、イメージからするとスペイン艦隊のほうが大きな船を揃えて いるような感じがしますが、実際の所はほとんど同じか無敵艦隊よりもイングランド艦隊のほうがおおきい船を備えていたと考え られます。特に両艦隊の主力艦に関してはイングランド艦隊の方がスペイン艦隊よりも大型の船を持っていました。両軍通じて 最大の船はイングランド艦隊の船でその排水量は1100トンでした。

    2番目、3番目がスペインの船で1050トン、1000トン、となって います。その他にも大型船はありますが、実はスペインのトン数計算はイングランドの基準よりも25%以上も多い数え方をして いたとされ、その部分を割り引くと必ずしも実際にはスペインの船は大きくなかったと考えられます。トン数計算の違いなど も、スペイン艦隊が大型艦をそろえているという印象を与える原因となったのでしょう。またスペインの船にはイングランド の船にはもう無くなっている船楼がついていたこともスペインの船を大きく見せる要因となっていたとされます。これらのことから、 必ずしもスペインが大型船をイングランドより多く持っていたとあっさり結論づけることは難しいと考えられます。

  • 大砲の導入
  • 次に大砲に関して、結論から言ってしまうと、スペインはこの分野でも改革が遅れていました。彼らは無敵艦隊 に大砲を採用したものの、海上での戦闘における決定的な要因は肉弾戦であると信じ、敵船に接近して乗り込んで戦おうとして いました。そのため、乗り込んでいる人員の数を見てみると、歩兵隊の数が船員よりも多くなっていました。しかしそれなりの 見直しはしていたようで、当初1586年に計画された段階とくらべると大砲の数を増やし、艦隊を構成する船の数が減少した一方で 大砲の数が増加し、平均すると1隻あたり大砲19門、もっとも整えられた軍船であれば40門の大砲を備えていた計算になります。

    スペイン艦隊の変化のきっかけは1587年のカディス襲撃で、イングランド軍の大砲の発射速度の速さ、大砲の大きさがスペイン にも大砲の必要性を理解させることになります。スペイン側は大砲をそろえるためにあらゆる手を駆使して大砲を集めましたが、 大砲は集めたもののそれを扱う人間の側の意識は変わっていませんでした。結局スペインの艦隊には歩兵隊が多数乗りこんでおり、 従来と同じような海上での肉弾戦を戦うつもりだったのでしょう。大砲の性能に関して、スペインの艦隊は大型の大砲の装備と 能力ではイングランドを上回ていたといわれます。

    スペイン艦隊はキャノン型、ペリエ型という大砲に関してはイングランドより 多く備えていました。ただしキャノン型、ペリエ型大砲は重量の重い砲弾を撃ち出せる代わりに射程が短いタイプでした。一方、 イングランド艦隊の大砲はほとんどがカルバリン型であり、これは弾丸が軽い代わりに射程距離が長い砲でした。砲弾重量が 重い分威力は大きいが射程の短い大砲が多いスペイン軍と、射程が長い代わりに砲弾が軽く威力が弱いイングランド軍という対比 がここからみてとれます。そろえた大砲の種類の違いも両者の作戦の違いと関係があったようで、イングランド艦隊はスペイン 艦隊から距離を取りながら戦おうとしたが、スペイン艦隊は敵の動きを奪いそこに乗り込んで戦おうとしていたと考えられます。

  • 船上の人々
  • また、これに関わった人々として参戦人員の比率はどのようなものだったのでしょうか。人員合計ではスペイン艦隊が合計約 30000人ほど、イングランド艦隊が約16000人ほどでありスペインのほうが多くなっています。しかし、その内訳を見ると、 イングランド艦隊は兵士が1500人ほどいるのを除いてすべて操舵に関わる船員で占められています。一方スペイン艦隊では兵士 が19000人ほど、操舵に関わる船員は8000人ほど、という配分になっています。

    また志願兵(冒険貴族や無任将校が一攫千金を 夢見て乗ってきた、従者(志願兵についてくる)、砲兵隊(ドイツ人やフランドル人が多く独立した部隊を作って隔離していた)、 非戦闘員(主計官、司法官といった役人や医者、さらには修道士)を含んでいたスペイン艦隊に対し、イングランド艦隊には このようなある種お荷物のような存在はみられませn。また、船員の質量ともにイングランド艦隊のほうがスペイン艦隊より 優れていたようです。北大西洋の荒波にもまれてきたイングランドと比較的航海が容易な三角貿易航海や地中海の航海の経験 しかないスペインではその質に違いが生まれるのは当然のことではありますが・・・・。


    このようにしてみてみると、スペインの無敵艦隊は艦隊規模としてはイングランド艦隊とそれほど変わらぬ、とくに主力艦の 大きさに関してはほとんど差がない、あるいはイングランド側のほうが大きかったようです。また大砲に関しては威力は 大きいが射程が短い大砲を無敵艦隊は備えていました。艦隊のもつ船の大きさがイメージと比べてそれほど大きくないことや、 射程が短い代わりに威力のある大砲をそろえたことは、伝統的にスペインの艦隊がとってきた戦法と関係すると思われます。

    長年ガレー船による戦闘になれていたスペインにとり、櫂により船を動かせるガレー船の操作性を活かし、敵船にぶつけて 船を沈めたり、敵船に乗り込んで戦うという戦闘に関しては長年の蓄積と経験がありました。そして長年培われた伝統ゆえに 大型大砲の登場という新たな問題が発生したときにも、あくまで船の使いやすさという点にこだわったのです。スペイン艦隊 にとり、大砲はあくまでも敵船の足を止めるためのものと考えていた武器だったと思われます。その点はガレアス船という ガレー船と大型船の長所を組み合わせようとした(そして実際には単なる中途半端な代物に終わった)船を採用した点からも 明らかだと思われます。

    一方のイングランド艦隊では、ガレー船に比べれば操作はしにくいものの、帆を増やし、はらみ綱を つけ、船体を長くしたことで航行能力が大幅に増した帆船を中心にすえ、船体内部に大砲を取り付けて“横からの攻撃”を 可能にしていきました。櫓櫂船のもつ操作性は望めないものの、航行能力を向上させ、さらに大砲による攻撃で敵船を沈める 戦闘法を採用したのです。大型船や大砲の登場にたいし、全く異なる対応をしたスペインとイングランド。それがアルマダの 戦いで両者の明暗を分ける大きな要素となっていったのです。同じような道具を手にしたとき、道具を手にした人間の思考 によって使い方も左右されるということは人間生活の様々な場面で見られることですが、この場合も使う人間の側の問題が かなりあったのではないでしょうか。


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