もう一人のアレクサンドロス
〜モロッソイ王アレクサンドロス〜


前334年にマケドニア王アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)がペルシア遠征に出発した頃と時を同じくして、もう一人 のアレクサンドロスが祖国を離れて他国へと遠征していきました。もう一人のアレクサンドロスとは、アレクサンドロス大王の母 オリュンピアスの弟にして、フィリッポス2世とオリュンピアスの娘(アレクサンドロス大王の実の妹)クレオパトラの夫となった モロッソイ(エペイロスの一部族)の王アレクサンドロスのことです。

彼は前362年頃に生まれたとされ、前350年にマケドニアに 反抗しようとしたモロッソイ王アリュバスをフィリッポス2世が攻撃したときに人質という形でマケドニアへとつれてこられ、その 後マケドニアの宮廷で成長していきます。そして前343/2年にフィリッポスはアリュバスを追放してアレクサンドロスを王位につけ ます。追放されたアリュバスはアテナイへと亡命し、アテナイで市民権を付与された事を記録した碑文があります(また、アリュバス をアテナイが支援すると言うことも約束されています)。

アテナイと手を組んでマケドニアに反抗するアリュバスと異なり、長年マケ ドニアで育ったアレクサンドロスはマケドニアに従順に従うようになっており、彼を送り込んでモロッソイ王国とエペイロスをコント ロールしようとしたのでしょう。アレクサンドロスが王となって間もない時期にフィリッポス2世がアンブラキア湾方面に勢力を伸ばし ていますが、この時アレクサンドロスがフィリッポス2世を助けたようです。

その後フィリッポス2世とオリュンピアスが不仲になり、オリュンピアスがマケドニアを出奔してエペイロスへとさりますが、それ によりモロッソイとマケドニアの関係は少々おかしくなりかけたようです。一説にはオリュンピアスはアレクサンドロスにマケドニア を攻撃するように迫ったとも言われますが、突然姉が送り返されてきたということがマケドニアに対する不信感を持たせるには十分で あったでしょう。

しかしモロッソイとの関係を緊密にしておくことはイリュリア人対策などを考えると必要なことであり、両国の関係 を強化するためにフィリッポス2世は娘のクレオパトラをアレクサンドロスに嫁がせる事を考え、実行に移します。そして前336年に、 アレクサンドロスはクレオパトラ(自分にとって姪に当たる)と結婚しますが、その婚礼の祝典の場でフィリッポス2世が暗殺されます。 ただしフィリッポス暗殺が両国関係に悪い影響を与えるようなことはなく、マケドニアとモロッソイの関係はより強化されたようです。 アレクサンドロスとクレオパトラの間には2人の子供が生まれ、そして結婚してから2年たった前334年、アレクサンドロス大王とは 反対方向のイタリア半島へと遠征することになるのです。

遠征に向かったイタリア半島は当時はまだローマによる統一が達成される前であり、南部にはギリシア人植民市が多数存在していました。 数多くのギリシア人植民市の一つタレントゥムがイタリア半島に住むルカニア人やブルッティ人から圧力を受け、彼らはモロッソイ王に 救援を求めてきました。それに応えてアレクサンドロスは遠征しますが、彼が率いていた軍隊はモロッソイ王国およびその同盟者である エペイロス諸部族の軍隊であったといわれています。

軍を率いてイタリア半島南部に上陸し、敵対するルカニア人、ブルッティ人に勝利 して都市をいくつか獲得した彼は、それからローマとも友好関係を結びます。しかし彼とタレントゥムの関係が悪化し、タレントゥムの 植民市であったヘラクレアを彼が奪い取ったことも知られています。その後の彼の状況はあまりはっきりとしたことは分かっていないよう ですが、再び力を強めたルカニア人やブルッティ人と戦い、前331/0年、戦闘の最中に戦死したと言うことが知られています。

二人のアレクサンドロスの関係ですが、両者は伯父と甥の関係であるとともに義理の兄弟でもありました。モロッソイのアレクサンドロス とアレクサンドロス大王の関係については大王とクレオパトラが密接な関係を持っていることは知られていましたが、夫であるアレクサン ドロスと大王の間で手紙をやりとりしたとかそのような事に関して、直接それを物語る史料というものは無いようです。

ただし、東方へと 遠征した大王に対してモロッソイ王が対抗心を燃やしていたらしいこと、それ故にタレントゥムの救援要請に応えて遠征したと言うことは いえるようです。戦死した彼の遺体は2つに切断され、その半分は夫と子どもを捕虜にされたルカニア人女性によりクレオパトラの元に 送られて、そこで埋葬されました。彼の死後、モロッソイは事実上マケドニアに併合されるとともに、エペイロス全体がマケドニアの管理 下におかれることになるのです。

(参考文献)
森谷公俊「王妃オリュンピアス」筑摩書房(ちくま新書)、1997年
Heckel,W. Who's who in the age of Alexander the Great,Blackwell, 2006

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