アイ・ハヌム
〜最果てのギリシア都市〜


  • アイ・ハヌムの発見
  • ヘレニズムというと、一昔前の認識では「東西文明の融合」として扱われ、ギリシア文化とアジアの文化が融合して生まれた文化が ヘレニズム文化であるといったことが書かれていました。最近では東方世界におけるギリシア文化の影響はかなり限定的な物であり、 ヘレニズム文化の代表のように扱われるガンダーラの仏教美術に関しても、近年ではローマとクシャン朝の交易をつうじてギリシア風 の彫刻が伝わった結果成立したと考える説もあり、昔ほどギリシアの要素が強調されることは少なくなっているようです (とはいえ、既に古くから様々な文化があるオリエント世界に、ギリシアの文化も一つの要素として入り込み、ギリシア的要素も加味 された文化が一時期見られたということくらいは言えるのではないかと思われますが…)。

    そのようなヘレニズム文化について考える上で、極めて重要な都市として、バクトリア(現在のアフガニスタンのあたり)に作られた ギリシア都市遺跡である、アイ・ハヌム遺跡の事例が良く取り上げられます。アイ・ハヌム遺跡が発見される前から、東方における ギリシア都市を探してフランスなど各国の調査隊により発掘調査が行われてきました。しかし実際にはギリシア都市はなかなか見つから ないまま年月が過ぎていきました。そんななかで、外国の調査隊が入れなかったアフガニスタンと旧ソ連の国境地帯においてギリシア都市 の遺跡がみつかったのは1961年のことでした。

    アイ・ハヌムの発見は一寸した偶然によるものでした。アフガニスタン国王ザヒル・シャーとその一行が狩猟を楽しんでいたときに、 休憩を取った村でコリントス式柱頭をたまたま見かけたことが遺跡の発見と発掘のきっかけとなりました。その後、短期間の調査を経て、 1965年より本格的な発掘が開始され、1979年のソ連軍のアフガニスタン侵攻により調査が中断するまで、発掘が行われ、遺跡について かなり詳しいことが判明し、発掘報告も出版されています。

  • アイ・ハヌム遺跡の概要
  • アイ・ハヌム遺跡はアムダリアとコクチャ川の合流地点、三角形の台地上にあります。二本の川に面し、背後には岩山があり、防衛は かなりしやすかったのではないかと思われます。自然の要害だけでなく、城壁によって都市を囲い、濠をほって守りを固めていたことも 判明しています。岩山がアクロポリスにあたるもので、そこからはからは要塞や城壁、そして居住区の跡が発見されています。

    いっぽう、平野部には、南北を貫く大通りがあります。市街地とアクロポリスの境界にそって走る大通りは道幅25メートル、長さ1.6キロ、 アクロポリスへは馬車で上下できる道がついているというものです。そして、平野部には宮殿施設(支配者の住居、広場、官公庁、倉庫 などからなる)、大通りから宮殿に通じる列柱門、小さな神殿状で石棺が発見された廟、おそらくゼウス神像があったとされる神殿、 ギュムナシオンと、アクロポリスを背に作られた円形劇場、武器を保管していたと思われる倉庫のような公共施設にくわえ、都市の南端と 北側の城壁外に大きな邸宅が発見されています。また、場外には葡萄園、共同墓地、耕作地、神殿の跡も発見されています。

    アイ・ハヌム遺跡はおそらくオクソス河畔のアレクサンドレイアから発展してできたギリシア都市ではないかといわれています。 ただし、オクソス河畔のアレクサンドレイアの候補となっている場所はアイ・ハヌムの他にタフティ・サンギンやテルメズもあげられて おり、定かではありません。もっとも、アレクアンドレイアでないとしても、アイ・ハヌムが現地のギリシア都市としてはかなりの規模 のものだったようです。

    現在のアイ・ハヌム遺跡はすっかり荒れ果てており、近年の写真を見る限り、ここに実際に都市の遺跡が存在したのか、はじめて 見た人には分からないほど変わり果てています。発掘が中断した後も盗掘が相次ぎ、遺跡は掘り返され、穴だらけの姿をさらしています。 しかし、それまでの間に発掘された様々な遺物が残されており、そこから発見された遺物にはギリシア文化の影響を窺わせるものも 多く見られます。いっぽうで、どの程度までギリシアの文化が浸透していたのかというと議論は分かれています。

    アイ・ハヌム遺跡の 建造物の構造をみると、個人の家屋や宮殿の造りなどはイラン文化やメソポタミア文化の影響を窺わせるものがあり、建築の プランは全体的には非ギリシア的であるが建築技術はギリシア風という造りになっています。一方でギリシア風の都市プラン をもち、神殿や体育館などギリシア都市の備えている建造物が存在し、出土した遺物にはギリシア風彫刻などギリシアの様式 を使った物が多く見られることなど、純然たるギリシア都市というよりも、オリエントの様式とギリシアの文化を折衷した ような都市という感じがします。

    また、アイ・ハヌム遺跡だけを以て東方におけるヘレニズム文化の影響を論じるのは難しいようにも思えます。中央アジアで は現在も発掘調査が各地で行われており、タフティ・サンギン遺跡などから発掘された遺物をみると、ヘレニズムの影響は バクトリアやマルギアナのなかでも様々なパターンがあることが指摘されています。現地の文化にギリシア文化の一要素を そのまま取り込んだケース(言語面ではそういうところもみられるようです)、様々なものを意味内容を変えながら取り込 んでいったケース、ギリシア文化の意匠をとりこむケースもあったようです。

  • ギリシア人・ギリシア文化の「避難所」として
  • アイ・ハヌムの周囲には現地人たちが暮らす世界が広がっていました。彼らは都市の周りでそれまでと変わらぬ農耕や遊牧民との取引に 加え、都市に住むギリシア系住民へ物資を供給する存在でした。また、彼らはギリシア語をしゃべる物はほとんどおらず、後にアイ・ハヌム 内部に居住にすむようになったものもある程度は「ギリシア的」なものを身につけてはいても、決してギリシア人と全く同じという扱いでは なかったと考えられています。

    また、アイ・ハヌムのある地域には遊牧民もいましたが、彼らはギリシア人からかなり警戒されていたようです。彼らの動向は監視され、 キャラヴァンはセレウコス朝の軍や寨によりコントロールされていたらしく、それは遊牧民とソグディアナ・バクトリアの人々が一緒に 反抗することを恐れていた為だと言われています。アンティオコス1世の時代にバクトリアはセレウコス朝の支配にしっかりと組み込まれ ていきますが、北方の遊牧民に対する警戒からそれが行われ、同時にギリシア勢力の結集・強化も行われたといわれています。そして、 ディオドトス1世がアルサケスの遊牧民を撃退したことに注目し、遊牧民の脅威の存在はバクトリア王国独立の原因として重視する 見解もあります。

    このような環境でギリシア人は閉鎖的なコミュニティを中央アジアに形成し、自分達と他者をかなり厳しく分け、さらに 「ギリシア人らしさ」を失い、現地人に同化することを恐れていたようです。アイ・ハヌムは中央アジアのギリシア人の「避難所」 のような存在だったといえる面もあり、セレウコス朝もこの地域にギリシア的な物をもたらしたのは、ギリシア人としてのアイデン ティティを維持するためだったようです。なお、セレウコス朝のもとで要塞や植民市が建設され、それらを経由して地中海から中央 アジアまでの交通システムがつくられ、それを経由してギリシアの文物が中央アジアにまでもたらされていたようです。そして、 バクトリア王国の独立が戦乱を起こして独立を達成するような「革命」ではなく、政治的な「発展」であり、バクトリアと 西方ヘレニズム世界は決して交流が途切れることもなかったと考えられています。

  • アイ・ハヌムの〈滅亡〉
  • アイ・ハヌム遺跡の発掘結果からは紀元前225年頃までアイ・ハヌムに対して攻撃が行われた形跡が見られず、その頃までは特に 軍事的危機が生じた形跡はないようです(そしてその頃の軍事的危機はディオドトス2世がエウテュデモス1世の挑戦を受けるなかで生じた ものとされています)。しかし、アンティオコス3世が東方遠征を行い、バクトリアにも侵攻してきた頃より、バクトリア王国に対して 北方の遊牧民の危機が増大し始めたことも、ソグディアナが独立し、バクトリアのものを真似て貨幣を造り始めたことから伺えるようです が、アイ・ハヌムも前200年頃に新たな寨の建設を進めるなど、北方の危機への対応を迫られていた様子がうかがえます。。

    そして、遊牧民の脅威が日増しに強まる中、前146年頃にアイ・ハヌムは大月氏の侵攻を受け破壊されたといわれています。前146年には 地中海世界では第3次ポエニ戦争の結果、ローマがカルタゴを破壊し、またコリントスが破壊されアカイア同盟が消滅、そして マケドニアが完全にローマの属州となった年でもあります。地中海世界では「ヘレニズム世界」にかわるローマが主導する 新たな枠組みができあがっていくことになるのと同じ頃、東方世界でもそのような変化が進んでいったようです。バクトリア王国 の滅亡は前130年頃とされていますが、東方でのヘレニズム王国は滅びたものの、その後もギリシア文化の影響は残り、やがてこの地に 建国されたクシャン朝にも強い影響を残していくことになりました。

    (参考文献)
    加藤九祚「シルクロードの古代都市」岩波書店(岩波新書)、2013年
    小谷伸男「大月氏」東方書店、1999年(新装版2010年)
    森谷公俊「アレクサンドロスの征服と神話」講談社、2007年
    Holt,F. Thnundering Zeus,University of California Press,Berkeley, 1999

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