岡山・倉敷・姫路旅行記


8月8日(日)

夏になると、ふとどこかに旅をしたくなることがある。昨年はどこかに旅に出ようと思い、一人東北へ向かい白河 界隈を廻った。今年も昨年同様にどこかに旅に出ようと思い、今まで行ったことのない岡山に行ってみることにした。 思い立ってからすぐに宿をとり、新幹線の指定席を確保し、荷物をまとめて出発した。新幹線で3時間半近くかけて 岡山に到着したのは昼前のことだった。駅を出て空を見上げると雲行きがかなり怪しい。近いうちに雨になりそうだ と思い、雨が降る前に移動を開始した。駅前から市電に乗り、少し移動したところで下車し、最初の目的地である 岡山オリエント博物館へと向かった。

岡山オリエント博物館では、アッシリアのレリーフに関する展覧会が開かれており、岡山オリエント博物館所蔵の 「有翼鷲頭精霊浮彫」が展示されていた。その他、アッシリアに関する遺物が展示されており、それらの展示をじ っくりと見て回ることができた。中近東文化センターが常設展示・展覧会開催を辞めてしまった今、ここの博物館 の存在はかなり貴重であるため、これからも頑張ってほしいところである。展覧会をみてから、次に岡山城へとむ かった。そして岡山城に着いた直後から大雨になり、近所の定食屋に急遽駆け込んだことから、予想外の出費にな ってしまった。そうこうするうちに雨もやんだために、岡山城をみることにした。

岡山城は外見が黒かったために烏城とも呼ばれた城で、宇喜多氏により築かれた城である。宇喜多氏の後は池田氏 が入り、明治時代に至っている。天守閣は戦災で焼けてしまい、戦後に新たに建てられた。烏城の名の通り、外見 が黒い姿で復元された城の姿はなかなか立派である。しかし、その天守閣の中で「お化け屋敷」をやるというのは あまりいただけない。少しでも客を多く入れなくてはならないという事情は分かるが、もう少しましな企画はない のだろうか。「お化け屋敷」に意気をくじかれ、結局天守閣には登らなかった。

天守閣には登らなかったが、その後橋を渡って旭川を越えて後楽園へと向かった。後楽園は日本三大名園の一つで あり、岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて、貞享4年(1687)に着工、元禄13年(1700)には一応の完成 をみ、その後は各藩主の好みに従い手を加えつつもさほど姿を大きく変えることなく現在に伝えられてきたという。 現在は橋が造られ、そこから入ることができるようになっているが、かつては旭川を船で渡って城から後楽園へと 入ったという。園内の庭園にはソテツがあるかとおもえば、周代の井田にならって作られた田があるなど、なかな か変わった姿を残しているようである。また、郭沫若氏から丹頂鶴が送られたということにちなんでか、現在でも ツルが飼育されている。雨上がりの後楽園をゆっくりと散歩したのち、岡山市を適当に散策しつつ、宿へ向かい、 結局初日の予定はそこで終了した。本来ならば、林原美術館も鑑賞する予定だったのだが、展示替えの最中で閉館 となっていたためみることはできなかった。またこの日は食事の調達に少々手間取り、名産物といってもどこで何 を扱っているのかがあまりわからず、夜もだいぶ遅くなってからラーメンを食べて終了した。


8月9日(月)

前日に目覚ましをかけるのを忘れたため、予定よりも30分ほど遅く8時過ぎに目を覚まし、あわてて出かける準備を して出発した。まず最初に向かったのは備中高松、そう、かつて秀吉が水攻めを行った高松城がある場所である。 備中高松は吉備路の中にあり、時間と体力に余裕が有れば吉備路散策を楽しむことも可能であったが、今回は高松 のみをたずねることにした。

吉備線備中高松駅を降りると、そこはショッピングセンターがある以外には田園が広がる地であり、はたしてどこ に城跡があるのだろうと思いながら歩き続けること数分で備中高松城跡にたどり着いた。備中高松城は「深沼に囲ま れた平城で、平地との比高僅かに4m人馬進み難く、二の丸・三の丸も僅かに兵が行き違える程度の道があるのみ、 三の丸の間も僅かに兵が行き違える程度の道があるのみ、外部との連絡道として三の丸の南に八反掘を掘り河舟を 並べて、舟橋として必要に応じて撤去できる仕掛けになっていた。又西北の和井元口には、押し出し式の橋を架け、 これらの橋を利用した作戦によって敵兵を悩ました。兵糧さえ積み込んでおれば、自然を取り込んだ要害堅固な城 であった」(備中高松(http://www.optic.or.jp/oka- ap8sci/takamatu/)より) という。現在は城跡は公園として整備され、かつて秀吉と毛利方の戦ったあとは全くみられない。ただ高松城主 清水宗治の首塚が近くに有るのみである。

高松から岡山に引き返し、次に向かったのは倉敷である。かつて商業都市として栄えた倉敷も現在は美観地区には 旧家やそれと同じような作りの建物が数多く並んでいる一方、倉敷チボリ公園というデンマークのチボリ公園を模して つくられた公園があるなど、かなり観光に力を入れるようになっている感じである。実際に倉敷で下車して町を散策 する人々の数は多く、美観地区を散策する観光客は平日にしては多かったように感じた。月曜日ということもあり、 美術館は閉館しているところが多かったが、大原美術館のみは開館していたため、早速見学することにした。

大原美術館は倉敷の実業家大原孫三郎によりつくられた近代美術を中心に集めた美術館であり、エル・グレコの 「受胎告知」やモネの「睡蓮」などの作品が収蔵されている。町の散策で疲れたときには、美術館にはいって絵を 眺めるというのもなかなか良いものである。美術館内の池には睡蓮が花を咲かせていたため、その写真を数枚とって みたが、モネの「睡蓮」のようにはいかず、けっきょくお蔵入りとなったままである。また、大原美術館は西洋美術 の他にも日本の近代美術や東洋美術もあり、さまざまなものをみることができる。なお、大原美術館の向かいには 旧大原邸があり、こちらは現在博物館別館となっている。いかにも旧家といった風情の建物であり、屋根瓦は家紋入 りで釉薬をかけて焼かれた緑色の瓦であり、一枚一枚が非常に高価な物であるという。建物の外も中もなかなか風格 がある家であり、大原一族の在りし日の栄華が窺える。

大原美術館を出た後、美観地区やチボリ公園を適当に散歩しながら倉敷の町を楽しみ、岡山へと帰還した。そして 岡山へ帰還した後、こんどは岡山城と逆の方面を散策してみることにした。そして気がつくと岡山大学周辺まで足を のばしていた。岡山大学を越えると、甲子園の岡山代表として現在出場している岡山理大附属をはじめ、岡山理大 関連の施設があった。なお、岡山理大を運営している加計学園という学校法人はかつての蜷川美術館を買い取り、 加計美術館として運営している。実はこの旅行は、蜷川美術館のギリシア陶器を見ようと思って当初この計画を立 てていたため、閉館したことを知ったときはショックであった。岡山大学や岡山理大のあたりになると田園もかなり 広がっており、炎天下の中を少々歩き疲れたためにバスに乗って岡山へもどった。この日はかなりの距離を歩いたた めか、夕食を飲み屋に行って飲んで食べてきたところ、すぐに眠くなり眠ってしまった。しかもクーラー、テレビ、 電気をつけたままで寝ていたようである。


8月10日(火)

旅行も最終日、この日は起きてからしばらく、どこに行くべきか考えた結果、姫路へ行くことにした。帰りの新幹 線は岡山発のものにのるため、姫路に行って戻ってくると言うことになるが、それでも時間は充分にあるため、姫路城 を再び訪ねてみることにした。14年前に一度訪ねて以来行っていなかった姫路城であるが、再び訪れた姫路城は以前 と変わらぬ姿を見せていた。西の丸や天守閣の中に入り、天守閣より姫路の町を一望しながら時間をつぶし、城周辺 を散策して帰ることにした。やはりその姿は美しく、姿の点では名城と呼ぶにふさわしい城だと思う。しかし城として はどうも問題があったらしく、西側に男山、そのすぐ南に景福寺山が対峙するという、軍事的な弱点を抱えており、 戊辰戦争当時もその2つの山を新政府軍に占拠され砲撃されてあえなく降伏したという。

また、この日になって、ようやく名物らしき物にありついた。姫路散策中に、穴子を扱っている店を発見してそこで 昼食を頂くことにした。当然、注文した物は穴子寿司である。この日の朝は鯖寿司を食べ、昼に穴子を食べ、夜は鰆 のすしを食べるという寿司づくしの一日となるが、それはまた別の話である。そうこうしつつも岡山へ戻り、家への 土産を色々と購入して帰宅の途についた。岡山の名産をもう少し堪能したかったが、今回は突発的に決めた旅行だっ たため、あまり調査ができていなかったため仕方がないところである。岡山においてばら寿司を食べ損ねたことは少々 心残りであるが、それはまた別の機会の楽しみとして残しておくことにした。岡山、倉敷、姫路のように瀬戸内海が 近いと、いろいろ瀬戸内海あたりでとれる美味しい物があり、一度でそれを味わい尽くすのは難しい。今回は調査不足 であったため、正直なところ地元の名産を味わう機会は少なかった。強いて言えば地元で結構客の入りが多いラーメン 屋にいったくらいである(2日目の飲み屋は東京だったらふつうにあるようなダイニングバーだったので除外)。現地 で食べられなかった代わりに、家への土産に海産物を色々と買い込んできたが、かまぼこが実に美味しかったという ことはここで触れておこうとおもう。岡山というとままかりが有名だが、あれは少しずつ食べるぶんにはよいのだが、 大量に購入してもそれを全て残さずに食べられるかと言うと少し厳しいため、今回ははずしておいた。

今回の旅行では、月曜日に倉敷に行ったために大原美術館以外の美術館・博物館が休館状態でみられなかったり、 吉備路は備中高山に立ち寄っただけですませてしまったり、城めぐりも岡山、高松、姫路に行ったものの備中松山 に立ち寄るのを忘れているなど、色々とみてくるつもりでみられなかった場所が多々あるため、改めて時間がある時に もう一度訪ねてみたいものである。さらにはもっと西の方へと行くことも考えているが、果たしてそれはいつの日に なることか。


トップへ戻る inserted by FC2 system