アンゲロプロス「アレクサンダー大王」


ギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスというと、「旅芸人の記録」や「永遠と一日」といった作品でその名を知られ れた映画監督です。私もその作品を何本か見たことがありますが、ロングショットを多用し、時系列が頻繁に入れ替わる 事が多いように感じる作品がかなりあると思います。今回の「アレクサンダー大王」は時系列が頻繁に入れ替わることは ないものの、主人公は多くを語らず(ほとんど台詞はない)、映像で語らせるという感じの映画になっています。

物語は20世紀初頭、脱獄した政治犯がアレクサンダー大王を名乗り、仲間と共に外国人を誘拐し、自分たちの故郷にかえっ てそこに籠城する、という話です。まず、脱獄のシーンからして、いつの間にこうなったのかとおもわされるところが ありますし、脱獄した後に武装するシーンなどはまさに寓話めいています。馬と武器のあるところだけ月明かりがさして いるという場面やアレクサンダー大王のが昇る太陽を背に白馬に乗って登場する所などは、それを見ただけでもしびれて しまいます。

スニオン岬で外国人達を人質にしたアレクサンダー大王とその仲間は自分たちの特赦と村の農民達の土地所有を認める ことを要求しますがそれは認められず、彼らは故郷にはいって、そこで人質とともに立てこもることになります。村に入る 前に人質にした外国人のなかで女性は解放したものの、男性はそのまま連れて行き、故郷の村へと入ります。このあたり では、人質に対する扱いでトラブルを起こした部下を処刑するなど、かなり統制の取れた集団にしようとしていることが うかがえます。そして村に入った後、その後は村における様々な出来事が書かれていきます。歓迎の宴の場面では、村の 歌や踊り、イタリア人たちの歌など、さまざまな歌や踊りが登場しますが、こういうところは何となく「旅芸人の記録」 の歌合戦のシーンのようでした。しかしこの歓迎の宴の時点ですでにこの後の破滅が何となく予見できる作りになって います。思想的に相容れない人々が一緒にやっていくことが果たして出来るのかという不安を残しつつ、村での生活がスタート します。

故郷の村では、彼らがとらえられ獄につながれている間に原始的な共産社会がつくられ、そこでは「先生」という人が 指導的立場に立っています。また大王一行と途中で出会って村に着いてきたイタリア人無政府主義者達もいます。これら 2つの政治勢力と、大王一行の3つの立場が村の中に存在するようになりますが、やがて解放者のようであり、盗賊であり ながら村人の支持を得ていたアレクサンダー大王が共有財産である羊を殺したり、いままで止められていた時計を動かしたり、 何の理由もなく人を殺したりする中で村の社会が崩れ、やがて彼も破滅に至ることになります。共産社会を営んでいる村でも、 地主が土地は村民のものであることを認めると、その後村民間で今後も土地を共有にするべきか、伝統的な私有制にするべき かをめぐって対立するようになり、徐々にきしみが出てきています。結局イタリア人無政府主義者たちはうまくいかずに 村を出ようとして殺されることになります。それでも問題はまだまだ続き、アレクサンダーが共産社会のルールを破る行動 を繰り返し、独裁者として村を力で抑えていくことになります。そして最終的に政府軍との戦いに敗れ、彼は群衆の中にその 姿を消していくことになります。

村には盗賊の首領のアレクサンダーのほか、少年アレクサンダーもいます。かれは村において「先生」の指導する原始共産 社会の経験をしつつ、村にやってきた無政府主義者の思想にもふれ、さらにアレクサンダー大王というカリスマによる支配 も見ています。最後、傷を額に負った彼は、馬にのせられ、20世紀初頭のギリシャの寒村を飛び出し、現代のアテネの町へ と消えていきます。このあたりは、よく言われているところではありますが、子供に希望を託したといったところでしょうか。

大まかに内容をまとめてみましたが、まずこの映画の場合は時系列をいじると言うことは見られません。時間の流れは出来事が 起きた順番に流れていきます。そのため、いきなり過去のシーンに飛んだりすると言うことはなく、その分流れには乗りやすい とおもいます。映像自体はどんよりと曇ったギリシャの空のもと、雪のシーンなどもあり、色彩鮮やかとか明るい映像という ものはみられません。しかし、ロングショットを多用し、カメラを軸に一周して町の様子を移すといった映像表現は他の作品 でもよく見られる特徴でしょう。また、内容については、やはり近現代ギリシャの歴史に目を向けつつ、古代ギリシアの神話的 な世界の要素や、中世のビザンツ・キリスト教的な要素を映像表現の中にも加えつつまとめたという感じです。

映画のタイトルは「アレクサンダー大王」となっていますが、そこに書かれているのは歴史上のアレクサンドロスではなく、 紀元後3世紀頃に起こり、オスマン帝国の支配を受けるようになってから民衆の間に広まった「アレクサンダー伝説」の アレクサンドロスです。古代以来、様々な伝承が積み重なって作られる過程で、歴史上のアレクサンドロス像から大きく離れ、 民衆の心の中ではアレクサンドロスは解放者としてのイメージが強く広がっていきます。そしてその伝説とイメージの存在が、 20世紀初頭の義賊の首領にアレクサンダーの名が与えられる理由になるわけです。このような解放者としてのアレクサンダー というイメージは、古代のアレクサンドロスに関する伝記にも見ることが出来ます。東征初期、小アジア沿岸部のギリシア人 諸ポリスを「解放」していることがそう言った伝記にも書かれていますが、そういったことが時を経るにつれて伝説の中で 解放者としてのイメージを民衆に広める一員となったのでしょう。

一方、村の支配者となったアレクサンダーは当初は解放者として村民の支持を得ていたようですが、時が経つにつれて 徐々に独裁者となっていきます。この展開も古代のアレクサンドロスに関する史料にすでに見られます。ペルシア帝国を 滅ぼした後のアレクサンドロスは征服地支配の必要上、ペルシアの仕組みを採用したり宮廷儀礼を導入していますが、その ようなアレクサンドロスの姿をオリエントの風習に毒されて独裁者と化したように書くという叙述も古くからあります。 インタビューなどを見ると古代のアレクサンドロスと関係ない、民衆の伝承の中に存在するアレクサンダー大王を書いた ということを述べているので、映画の方とは関係ないとは思いますが。ただ、見る側としては古代の時点でそんな書き方も あるということが頭の片隅にあったため、アレクサンダーが独裁者となり村が崩壊するという過程はすんなりと受け入れて しまいました。

古代ギリシアと現代ということに関して、映画の中で、イギリス人貴族が古典の一節を引用して現代ギリシア人がそれを 分からない様をみてバカにするような所があったり、アレクサンダー大王の裁判の場面でもイギリス人貴族が古典の一節 を朗詠して一人悦にいる中でギリシャ人達には何をやっているのかさっぱり理解されないという場面が見られます。古代 ギリシアと現代ギリシャの関係というものは常に問題になるところだと思います。ルネサンス期の「古代の発見」以降、 古代ギリシアの文献や美術に対する興味が高まり、その結果近現代の西欧人にとり、現代ギリシャは古代ギリシアとは別 のものであり、自分たちこそ古代ギリシアの文明を継承しているという意識が強かったと聞きます。映画の中でのイギリス 人の振る舞いもそう言ったところが有る程度反映されているのでしょう。


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