「キング・アーサー」感想


久しぶりの映画鑑賞はアーサー王伝説を史実に近づけようとする思い切った試みが見られる「キング・アーサー」です。 先行オールナイトということで、混んでいるかと思いましたが、かなり空いていました。やはりオールナイトの2回目とも なると、遅くなるから見に行きにくいのでしょうか。

あらすじ

ハドリアヌス長城に沿って駐屯しているローマ軍指揮官アーサー(アルトリウス)と彼の率いる強力なサルマート 人騎兵(以下、騎士と書きます。)が、ローマからきたキリスト教の司教をつうじて、ローマ教皇の名の下に一つの 命令が下されます(5〜6世紀頃のローマ教皇は強力な力を持っていたのでしょうか)。その命令はハドリアヌスの長城の北 の地で、当時侵攻してきたサクソン人と、ローマの支配を脱しようとして活動している武装集団ウォード(ブリトン人たち) のまっただ中に置かれたローマ人貴族マリウスとその家族を救出することです。1ローマ貴族を助けるために、長城防衛 の精兵達を危険な地域に派遣するという、「プライベート・ライアン」のような命令ですが、この任務を最後に兵士達の 除隊を認めるという条件が付けられたため、アーサーと騎士達は危険きわまりない救出行に赴きます。その途中でウォード 達の襲撃を受けて危ない目に遭うものの、ウォードのリーダーであるマーリンは彼らを見逃すことにします。

そして目的のローマ貴族の集落に到着し、そこで彼らを連れてもどろうとしますが、その時に妙な地下室を見つけます。 そこは異教徒や異端を拷問するための場所であり、怒りに燃えながらもアーサーは少年一人と女性一人を助け出します。 ここで助けられた女性がグウィネヴィアです。帰り道でサクソン人の襲撃を逃れ、何とかハドリアヌス頂上まで帰り着 いたアーサー一行ですが、彼らを追ってサクソン人達がハドリアヌス長城までやってきます。一方でアーサー達は任務 を果たしたということもあり、事前の取り決めに従い、騎士達は兵役義務を負えて自由の身となり、自分たちの故郷へ と帰っていきます。一方アーサーはローマに戻らずブリテン島に残り、サクソン人と戦うことを決意します。また、 グウィネヴィアとの間にも愛情のようなものが芽生え始めはじめていきます。そして、ついにサクソン人とアーサー・ ウォード連合軍の壮絶な戦いが起こり、アーサーは勝利します。そしてグウィネヴィアと結婚してブリテン島をまとめ、 アーサーは王となるのです。


この映画において、アーサーはローマ帝国とは文明のある世界であり、キリスト教は自由や平等をもたらすと考えている かなり理想主義的な人物として描かれていますが、徐々にローマ帝国やキリスト教に対する理想というものが揺ら ぎ始め、最終的にブリテン島に残ってブリトン人達と共に戦い、彼らを導いていくことを選び取ります。自分で考え戦う 理由を見つけるという展開は、色々な話に出てくることで、特に目新しいものではないでしょう。しかし、長年ブリテン 島に駐留して戦い続け、属州ブリタニアの社会についてもそれなりに見てきたと思われますが、昔は何も考えなかったの でしょうか。どうも理想主義者というより、かなり脳天気な人物のような気がしてきます・・・。アーサーが過去に 母親をブリトン人に殺されているということがあるにせよ、今までローマの圧政に気づかなかった人間が、突然ブリトン人 のために戦うと言う方向に変わるというのも何か変な感じです。アーサーがウォード達と共に戦うのだと言うこと をはっきりと決意させる場面でも入れて置いた方が良かったと思います。最後の戦いのところで、突如グウィネヴィア やマーリンに率いられたウォードの軍勢が姿を見せますが、両者の間でいつの間にそこまで話がまとまっていたのでしょうか。 映画を見ただけではあまり良く分かりませんでした。

アーサーとグウィネヴィアとの関係の深まりに関しては、いつの間にか2人の関係が深まってしまっているようで、正直 なところ書き足りないような感じがします(ちなみにこれはラブシーンを増やせという意味ではないので念のため)。 彼と共に戦う騎士達についても、もうちょっと個人の背景について色々掘り下げて描いてほしいところです。特に騎士の なかでもガウェインとガラハッドのばあいは、単にそこにいて戦っているだけという感じで、どのようなキャラクター なのかと聞かれると、説明に少々困ります。マーリンについても、何故アーサーに肩入れするのかが余りよく分からない ですし、全般的にキャラクターをもうちょっと掘り下げて描いた方が、何故そのような行動を取るのかわかりやすいので はないかとおもいました。

人間ドラマとしてはどうも食い足りない感じをうけた本作ですが、アーサー王伝説に関する映画でありながら、伝説そのもの ではなくその起源を映画化するという方法でアーサー王を映画化するという着想はなかなか面白いと思います。過去、アーサー 王伝説に関連する映画は様々なものがあり、アーサー王伝説として伝わる話を短くまとめた「エクスカリバー」、 アーサー、グウィネヴィア、、ランスロットの三角関係をとりだした「キャメロット」、ランスロットを主人公にした ヌーベルバーグな「湖のランスロ」、さらには徹頭徹尾伝説を笑い飛ばした「モンティ・パイソン・アンド・ザ・ホーリー グレイル」のようなパロディも含めて様々な映画が作られてきました。しかし、これらの映画においては、中世騎士物語と してのアーサー王伝説がベースとなっているため、見た目はどんなに変わった設定としても、その内容は中世騎士物語 そのままで描かれていきます。

一方、「キング・アーサー」は中世騎士物語としてのアーサー王伝説の枠組みを利用して映画にするのではなく、 伝説のルーツとなる歴史上の出来事とそれに関わった人々を取り上げていく姿勢で映画が作られています。それゆえ、 アーサー王伝説というと必ず出てくる聖杯探求の話は出てきませんし、アーサー、グウィネヴィア、ランスロットの三角 関係も出てきません(ちなみにランスロットは最後の戦いで戦死します)。そこで描かれるものは、ローマ人とブリトン人 の混血で、サルマート人騎兵を率いるローマ軍人のアーサーとその仲間達、ローマの支配から独立しようとするブリトン人、 外部からブリテン島を征服しようとするサクソン人の3つの勢力が戦うブリテン島において、アーサーという男がブリテン 島をまとめるまでの過程です。伝説を映画化するのでなく、伝説の起源となった「史実」をもとに映画を作っていこうと いう姿勢は、最近「トロイ」において神々の物語をいっさい排して人間のドラマとして書き出そうとしたことに通じるもの があるようです。

また、この映画には近年進んだアーサー王関連の研究の成果がかなり反映されています。アーサー王のモデルとなる人物は この地に駐屯していたサルマート人騎兵部隊を率いていたアルトリウス・カストゥスという軍人であり、武装に関しては、 アーサーはローマ風の甲冑に身を包み、馬に乗って戦っています。騎士達は鱗状の鎧を身にまとい、馬にも防具をつけて 戦いに備えていますが、騎士達の装備はサルマート人騎兵たちの装備にかなり酷似したもを使っています。なぜサルマート 人なのかというと、ローマによりブリテン島に送られたサルマート人達が、ブリテン島における彼らの指揮官アルトリウス の名前をリーダーの称号として採用し、それが「アーサー王」の起源となるという説が近年唱えられているためです。この 映画もそれをもとにして作られたアーサー王伝説映画というわけです(ただし、アーサー王伝説の起源をサルマート人など 騎馬民族の伝説に遡らせる説は、証拠は考古学的なもののみで、文献はほぼ皆無という問題がありますが)。それゆえに、 アーサー王は中世のものという思いが強いと、見たときにめまいを起こすかもしれません。

もっとも、だからといってこの映画が史実のみで構成されているわけではなく、史実としては、ブリトン人の戦闘指揮官 の一人が優秀で、サクソン人を撃退したという事があった程度です。その中に様々な要素を詰め込んでいき、映画「キング・ アーサー」になっているわけです。厳密に言えば、色々とおかしそうな所もあります(伝説のモデルとなったアーサーが 活躍する時期と映画で設定されている時期には半世紀以上の開きがあるetc. )。また物語とは全く関係ありませんが、 最後のシーンで、ストーンヘンジで結婚式をするのは辞めた方が良かったかと思いますが・・・・。何故ストーンヘンジ なのか?

以上、「キング・アーサー」をみて思いついたことを書き連ねてきました。ストーリー展開がいつかどこかで見たようなもの だったり、個々の人物描写や物語に深みがないなどの不満はありますが、伝説を伝説のまま映画化するのではなくて、 アーサー王伝説の起源となった史実の方に着目して映画化したという試み自体は評価できます。また、戦闘シーンに関して もそこそこ楽しめますし、夏休み中の暇なときに気楽に見ると意外と良いかもしれません。下手にアーサー王伝説に関して 予習しない方が映画の世界に入り込みやすいかもしれない、そういう映画でした。


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