手に取った本たち 〜カ行〜


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    柿沼陽平「中国古代の貨幣 お金をめぐる人びとと歴史」吉川弘文 館、2015年
    春秋戦国時代に青銅貨幣が造られるようになり、秦始皇帝の半両銭、前漢武帝の五銖銭といった貨幣があったということは高校 世界史レベルで習うことです。そんな古代中国の貨幣および、それを用いた人々の暮らしの様子をわかりやすく描き出していき ます。

    柿沼陽平「古代中国の24時間」中央公論新社(中公新書)、2021年
    時代は漢、皇帝の元に奇妙な物の身柄を確保したという話が入ります。その奇妙なものこそ本書の著者であり、皇帝の寛大なる措置のおかげ で命を取られることなく、色々と見て回ることが可能となりました。そんな設定のもと、古代中国の日常生活、朝起きてから身支度し、仕事 に出かけ、夜は宴会に参加し、家に帰るといったことから、どんなものを使っていたのかなど、さまざまな事柄をわかりやす書いています。 古代中国社会の様子について、イメージがより掴みやすくなる一冊だと思います。

    加来彰俊「ソクラテスはなぜ死んだのか」岩波書店、2004年
    古代ギリシアの哲学者ソクラテスはアテナイにおいてその哲学活動などを理由に裁判にかけられ、そして死刑判決を受けた 後、従容として死を迎えることになりました。ソクラテスが告訴されて死に至るまでの間の過程では、不敬神や若者を堕落 させたという奇妙な告訴理由、裁判の場においてソクラテスが行ったとされる妙に挑戦的な弁論、そして逃亡の拒否という いささか奇妙だと思われることが見られます。そのような問題に対してプラトンとクセノフォンを読み解きながら、彼が 行ってきた哲学活動こそが告訴された理由であり、かれは法廷の場で自らの正しさを説き説得しようとしたが失敗し、逃亡 することは正しきことに反すると思うが故に死を選んだということを説明しているようです。

    梶雅範「メンデレーエフ 元素の周期律の発見者」東洋書店(ユーラシアブッ クレット 110)、2007年
    理科の授業では元素の周期表については必ずどこかで勉強し、その並びについて語呂合わせなどをしながら一生懸命暗記しようと した人は多いと思われます。本書は元素の周期律を発見したメンデレーエフの伝記です。科学の世界での活動だけでなく、社会経済 的なところにも色々と関わりを持っていた(なお、ウォッカの度数が40になったのは彼のせいだという俗説があります)ということ がコンパクトにまとめられています。

    梶田昭「医学の歴史」講談社(学術文庫)、2003年
    人類の歴史は病気との耐えることのない戦いの歴史であったといっても良いでしょう。人類が文明を発達させる以 前から「慰めと癒し」は始まっていて、これがやがて医学へと発達していきます。古代から現代に至るまでの医学史をまとめた 物が本書です。しかし医学とそれにまつわる様々な話題が盛り込まれていて、無味乾燥な事実だけをつづった本とは違う造りに なっています。また、著者が様々な本を読み、教養に満ちているということは、本文中に様々なジャンルの本が引用されている こと絡もうかがい知ることが出来るでしょう。

    鹿島茂「怪帝ナポレオンIII世」講談社、2004年
    ナポレオン3世というと、「一度目は悲劇として、二度目は茶番として」の言葉がしられるマルクスの「ルイ・ナポレオン のブリュメール十八日」や「レ・ミゼラブル」の作者ユゴーの数々の著作によるマイナスイメージ、そして前線に赴きながら 戦で負けて降伏して捕虜となるという失脚の仕方から、馬鹿で間抜けな独裁者というイメージがもたれやすい人物ですし、 一昔前のフランス史の概説書でもそのように書かれています。しかし一方で彼の治世はフランス資本主義の発展、パリの 大改修など後のフランスの基礎が作られていく時代でもありました。

    本書では従来のような単なる善玉・悪玉では割り切る ことができないナポレオン3世という人物について、様々な陰謀を巡らしながら皇帝になるまでの「国盗り物語」から、 サン・シモン主義に傾倒し、労働者の生活の改善、社会保障プランの整備、パリ大改造や鉄道建設などの推進に取り組む 様子を描いていきます。また、第2帝政期にフランスで資本主義が発展し、消費が必要から快楽へと転換していく様子等 が書かれる一方で、軍事に関する関心の薄さと能力の低さ、自己の権力基盤の強化に踏み切らねばならぬ時期に自由帝政路線 を徹底しようとするなどの不思議な行動、軍事・外交面での失敗から第2帝政崩壊までの過程についても触れられています。

    鹿島茂「モンフォーコンの鼠」文藝春秋、2014年
    時は19世紀前半、パリのモンフォーコンにある屎尿処理場、廃馬処理場、そこの地下に広がる採石場跡には不思議な世界が作られて いた。その地下世界に絡んでサンシモン主義、フーリエ主義といった初期の社会主義者たち、それをマークする警察、陰謀を 企む王党派貴族、そしてなぜか作家のバルザックが前半はバラバラに登場し、やがてこれらバラバラの要素が後半にからまり あっていくと言う展開になります。メタフィクションのような要素もあり、エログロもあり、パリという一つの町の下半身事情 がモンフォーコンに集中しているようなお話でした。

    イスマイル・カダレ(平岡敦訳)「誰がドルンチナを連れ戻したか」白水社、 1994 年
    今のアルバニアが中世の頃、名家ヴラナイ家から遙かボヘミアへ嫁いだ娘ドルンチナが、実家へと戻ってきます。誰に連れられてきた のかと聞かれた彼女は兄コンスタンチンが連れてきたと答えましたが、そのことが大きな衝撃と波紋をおこしました。なぜなら、彼は 3年前に死んでいたからです。この奇怪な出来事を解決すべく、警備隊長ストレスが挑むことになるのですが…。

    死者がよみがえるという、普通ではあり得ない出来事を、極めて合理的に解決しようとする前半のストレスと、終盤のかれの姿が随分 違っているような気がします。

    イスマイル・カダレ(村上光彦訳)「夢宮殿」東京創元社、1994年
    ある帝国に存在する「タビル・サライ」という官庁では、帝国全土から夢を集め、より分け、それを解釈することによって、国の 進むべき道を知ったり、何か危険なことの予兆を知って問題を防ごうとする作業が行われていました。名門の出である主人公は 「タビル・サライ」に勤めることになりますが…。

    特に理由もなくとんとん拍子に出世する彼の行く末を案じているような終わり方でしたが、個人の夢まで国家に管理されるって 嫌な世界ですね(もっとも夢収集の方法が自己申告だったりするので、どうとでもいじれそうな気がしますが)。

    イスマイル・カダレ(平岡敦訳)「砕かれた四月」白水社、1995年
    治外法権状態と化したアルバニアの高地地帯を舞台に、血で血を洗う復讐を繰り返す二つの家がありました。遡ること70年、遠方より 来た客人が殺されたことがきっかけで始まった復讐で、本作の主人公ジョグルも掟に従って相手方の人間を一人殺害します。そして、 掟に定められた休戦期間が過ぎると命を狙われる定めにあるジョグルがはどうなってしまうのか…。

    「ドルンチナ」とワンセットで読むべき本だと思います。「誓い」と「掟」を分ける物は、自発的かつ意識的におこなわれるか、善し悪し はとわれずとにかくそこにある物ととらえられているか、そのへんだろうとおもいます。

    イスマイル・カダレ(桑原透訳)「草原の神々の黄昏」筑摩書房、1996年
    アルバニアからの留学生「私」の目を通し、スターリン死後のソヴィエト連邦で起きた様々な出来事と、「私」の恋愛を絡めながら 書かれた小説です。各国・各自治共和国からやってきた人々が、自国語ではなくロシア語で物を書かねばならない状況下で鬱屈した 思いを抱えている様子、著者のアルバニアへの強い思い、そんな物を感じさせる作品でした。

    イスマイル・カダレ(井浦伊知郎訳)「死者の軍隊の将軍」松籟社、2009 年
    第2次大戦が終わってから20年ほど経ったアルバニアに、某国(なんとなくイタリアっぽい)の将軍が派遣されてきます。彼の 任務は、アルバニアで戦死した兵士たちの遺骨を収集し、持ち帰ることで、アルバニアにやってきるとすぐに事前に準備した 資料を基に遺骨発掘の作業を開始します。戦死者の遺骨を自分が持ち帰るという偉大な仕事はデータがあればすぐにおわるものと 考えていたようですが、2年間の遺骨発掘遺骨の果てに彼はどうなってしまうのか…。

    遺骨発掘作業を通じて、死者の記憶も蘇り、それが日記や現地人の話といったかたちで語られていくという展開ですが、憂鬱な天気 (雨の場面が多いです)、アルバニア人の間にくすぶる敵意、発掘作業中に時折聞こえてくる陰鬱な歌声、そして発掘されてくる 大量の遺骨と死者の記憶…。合間合間にアルバニア人の復讐劇や好戦性といった事柄が挟み込まれ、将軍を鬱々とした気分にさせ、 追い込んでいくには十分すぎます。

    はじめは死者の軍隊を引き連れて凱旋帰国なんて事も考えた将軍も、死者の軍隊から離れたくても離れられない状況に陥るとは考えて もなかったでしょう。終盤で突然縁もゆかりもない婚礼の席へでることで、その状況を脱したかったようですが、結局は脱することは 出来ず、かえって自分の置かれた状況を強く意識させられる羽目に陥ります。何とも不条理かつ陰鬱な物話ですが、読むことが苦痛に なる本ではないです。

    葛兆光(橋本昭典訳)「中国は“中国”なのか 「宅茲中国」のイメージと現 実」東方書店、2021年
    「中国」という言葉でイメージされる領域はどこからどこまでを指すのか。また中国をどのように捉えるのか。初出は紀元前11世紀の青銅器銘文 である 「中国」という言葉にはさまざまなイメージがこれまで投影されてきました。本書では、歴史の流れのなかで「中国」についてどのように人々がと らえ てきたのか、そして中国に接した他国・他地域の人々がどのように考えていたのか、さらに学術研究の場面で中国をどのように捉えてきたのか。本 書は 「周辺から中国を見る」という方法をとりながら中国を描き出そうとしています。

    加藤九祚「中央アジア歴史群像」岩波書店(岩波新書)、1995年
    古代より様々な民族の興亡がみられた中央アジア。そこにおいて、アレクサンドロス大王やイスラム勢力、チンギス・カンら 外部からの侵略者に立ち向かった人々、チムールやバーブルのように中央アジアを起点に広大な地域を征服した者、この地 で栄えた文化を支えた詩人や学者、こうした人々の生涯を書き出していきます。この地で活動した人々の生涯をきっかけに 中央アジアの歴史に興味を持つ方も多いのではないでしょうか。

    加藤九祚「シルクロードの古代都市 アムダリヤ遺跡の旅」岩波書店(岩波新 書)、2013年
    中央アジアでは、近年も継続されている発掘により、古代都市や神殿の跡が発見され、様々なことが分かってきています。本書 では、バクトリアやマルギアナといった地方について、最近の現地における考古学の成果を紹介しつつ、日本でも比較的有名な アイ・ハヌム遺跡と、アイ・ハヌムのようにヘレニズムの影響を受けた遺物が多数出土しているタフティ・サンギンの遺跡に かなりのページ数を割いてまとめています。そしてこの地域の遺跡で拝花壇を備えた神殿やギリシア文明の影響を受けたモノが 色々と見つかっていることから、ゾロアスター教やヘレニズムと言ったことにも言及しています。中央アジアの古代文明、文明 の交流と言ったことに興味がある人は是非読んでみましょう。

    加藤博「イスラーム世界の危機と改革」山川出版社(世界史リブレット)、 1997年
    一括紹介その5に掲載

    加藤博「ムハンマド・アリー 近代エジプトを築いた開明的君主」山川出版社 (世界史リブレット人)、2013年
    ムハンマド・アリーによる近代国家建設の試みと行き詰まり、帝国への野望と挫折をコンパクトにまとめた一冊です。 「人を通して時代を読む」というシリーズ全般のコンセプトとなる帯文から考えると、ムハンマド・アリーの生涯を 通じて地中海世界、そして近代というものについてコンパクトにまとまった良い本だとおもいます。

    角谷英則「ヴァイキング時代」京都大学学術出版会(学術選書)、2006年
    8世紀後半から約300年間に渡り、スカンジナビア半島に住んでいた人々の各地への移動が活発に行われ、人・もの・情報の大規模な移動が 続いた時代がありました。その時代のこと「ヴァイキング時代」と呼ぶようですが、スカンジナビアの人々が中世キリスト教文明に含まれる ようになっていくきわめて重要な時期でした。

    スカンジナビアから大量に発見されるイスラム銀貨の獲得について、その経路にあたるロシア の遺跡を見ながらヴァイキングの外部での活動の一部を眺め(「ルーシ」とは何かという問題にも当然関わってきますが、スカンジナビアや フィン・ウゴル、スラブが融合して「ルーシ」という新たな帰属意識が形成されたという立場をとっています)、さらに彼らの故郷である スカンジナビアの都市集落とそこから発見される遺物についても眺めつつ(スカンジナビアの都市集落は西欧への中継点ではなく東側への 出発点として発展したようです)、ヴァイキング時代がスカンジナビアにおいて、贈与交換を主とする経済から市場交易を主とする経済への 転換期であり、「王」の正統性が社会内部の合意からキリスト教の権威に求められる転換期であったということが語られているようです。

    ガルテルース・ド・カスティリオーネ(瀬谷幸男訳)「アレクサンドロス大王 の歌」 南雲堂フェニックス、2005年
    一括紹介その1に移動

    加藤徹「西太后 大清帝国最後の光芒」中央公論新社(中公新書)、2005 年
    清末の政治を長年牛耳った西太后というと、中国史上の悪女の代表的存在として扱われることが多い人物です。彼女の贅沢な 暮らしぶりとそれに付随したエピソードの数々からはそのようなイメージを抱くのも分かるような気がします。しかし本書では 彼女を単なる悪女として片づけるのではなく、47年という長期間にわたり政界で多くの政治家とやり合いながら清朝に君臨し、 現代中国の政治・経済・文化のあり方に多大な影響を与えた人物として彼女を描き出していきます。少々西太后びいきに感じ られる部分もありますが通説打破による面白さや視点を変えたときに別の物が見えてくる面白さのような物を感じられると思い ます。

    加藤玄「ジャンヌ・ダルクと百年戦争」山川出版社(世界史リブレット人)、 2022年
    百年戦争の終盤、彗星の如く現れ人々に鮮烈な印象を与えたジャンヌ・ダルクの生涯と、彼女がどのように語られていったのかということを 扱った一冊です。どちらかというと「受容史」的な内容がメインとなっていますが、そのあたりがジャンヌについての史料的状況、語られ方 の難しさを感じさせます。

    ポール・カートリッジ(橋場弦監修・新井雅代訳)「古代ギリシア 11の都 市が語る歴史」白水社、2011年
    地中海世界各地に作られたポリスは、古代ギリシア文明の土台となってきました。本書は数多くのポリスの中から11を選び出し、それぞれ の都市の来歴を語りながら、古代ギリシア世界の歴史の重要な出来事や事象について触れていきます。選ばれた11のポリスは、古代ギリシア の歴史を説明する際にどこかで名前が登場する物から、ギリシア世界の歴史で中心的な存在となっている物まで色々混ざっています。それら の歴史が組み合わさり、古代ギリシアの通史が大まかに描かれている一冊です。

    金井一薫「よみがえる天才9 ナイチンゲール」筑摩書房(ちくまプリマー新 書)、2023年
    ナイチンゲールというとクリミア戦争の時看護師達を率いて現地に行き敵味方関係なく看病あたったというイメージが強い人物です。しかしなが ら、 そのような「神話」で覆い隠された彼女の実際の業績について知っている人は少ないようです。本書はそんなナイチンゲールについて、データ,統 計 を武器に換気と清潔な環境を重視する公衆衛生、それを実現できるような病院、看護師教育などを実現すべく戦った女性として描き出していきま す。

    金澤正剛「中世音楽の精神史 グレゴリオ聖歌からルネサンス音楽へ」河出書 房新社(河出文庫)、2015年
    以前日本でもグレゴリオ聖歌が話題になったことがあります。こうした中世音楽について、そもそも中世ヨーロッパにおける 「音楽」の概念が我々のイメージする音楽とはことなるものであったこと、そして中世音楽理論の基礎をなすボエティウスの 著作のまとめ、そして中世の音楽教育や譜面のこと等々、中世音楽の発展の歴史をまとめています。

    金沢百枝「ロマネスク美術革命」新潮社(新潮選書)、2015年
    キリスト教の教会の装飾になぜか怪物や奇妙な人の姿、動物や植物が刻まれていたりすることがあります。建物の建材のスペース にあわせ、奇妙な姿形、姿勢をとっているこうした像だけでなく、他の美術作品でもなぜか不思議な姿勢をとっているものがあり、 人間の体の構造でこれは無理だろうと思うものもあります。また遠近法もない書き方の絵があったりします。目に見えるものに とらわれず、なかなか自由といいますか、個性的なものが結構残されています。そうしたものに何か心惹かれる人はぜひ読んでみて 欲しい一冊です。

    金原保夫「トラキアの考古学」同成社、2021年
    古代ギリシアやマケドニアの隣人としてその名が度々登場しますが、どのような民なのかあまり一般的に走られていないトラキア人について 扱った本が出てきました。トラキアの遺跡についての考古学の成果と、古典文献の内容を本に、トラキア通史的内容および軍事や社会、精神 世界や物質文化についてまとめた一冊です。

    エリザベス・ドネリー・カーニー(森谷公俊訳)「アルシノエ二世 ヘレニズ ム世界の王族女性と結婚」白水社、2018年
    プトレマイオス朝の女王というとクレオパトラ7世が非常に有名ですが、“クレオパトラの先駆者”といっても良い人物がいます。 世間的には非常にマイナーな人ですが、波乱万丈の人生を送ったアルシノエ2世がその人です。そんな人の伝記が邦訳され、読める ようになるとは思いませんでした。波乱万丈の生涯をたどりながらヘレニズム世界の形成過程もわかるという面白い本です。 

    アレックス・カピュ(浅井昌子訳)「アフリカで一番美しい船」ランダムハウ ス講談 社、2008年
    第1次世界大戦前の1913年、北ドイツの造船所から3人の技師が、タンガニーカ湖で内陸アフリカでもっとも大きな船を造るために、 ドイツ領東アフリカに派遣されます。それによってイギリスなどを圧倒しようと考えたためでした。そして、第1次大戦が始まると、 ドイツに対抗したイギリスがとった作戦は2隻の小型船を陸路で送り込み、ドイツ艦船を撃破するというもので、その指揮官を務めた のはお調子者でほら吹きな海軍中佐心得でした。昔の映画「アフリカの女王」(ドイツの艦船を爆破しようとする話)は、このときの イギリスの作戦に着想を得たということですが、それを題材に書かれた、ちょっとノンフィクションぽい感じもする小説です。

    亀田俊和「南朝の真実 忠臣という幻想」吉川弘文館、2014年
    かつての歴史観では南北朝時代の南朝には忠臣たちが多くいたと言われていました。しかし、実際にはどうだったのか。そして 「忠臣」と呼びうるのは誰なのか、それをまとめた本です。南朝の中では様々な分派行動や対立が繰り返されていたことが示され るとともに、「忠臣」とされる楠木正成についても非常に現実的な姿勢を持つ人物として評価し、そして高師直についても高い 評価をしています。本当の「忠臣」は誰なのかということは本書を読んで確認してみてください。

    フランク・カーモード(河合祥一郎監訳)「シェイクスピアと大英帝国の幕開 け」ラン ダムハウス講談社(クロノス選書)、2008年
    シェイクスピアが生きたエリザベス1世の時代やジェイムズ1世の時代の劇場とか彼と同時代に活躍した他の劇作家の話やパトロンとして 劇団に関わる有力者の話、さらに演劇の技法の変化や当時の社会についてまでまとめた1冊です。また、作品論についても結構ページを割いて おり、初期の頃は大仰な台詞が多いけれどもそれが段々変わっていくことや、戯曲における言葉遣い、演劇と政治の関係などにもふれつつ、 初期の作品、グローブ座ができてからの作品など時代ごとに分けて各作品について解説をしていきます。シェイクスピアたちが戯曲を書いて いた頃の歴史的背景についてコンパクトにまとまっていて読みやすいですし、当時の劇場や劇の様子についての話はなかなか興味深いです。

    香山陽坪「砂漠と草原の遺宝 中央アジアの文化と歴史」講談社(学術文 庫)、2021年
    旧ソ連領だったカザフスタンやウズベキスタン、トルクメニスタンなど中央アジア諸国の考古学を扱った一冊です。新石器時代のころから 話が始まりますが、この地域の様々な遺跡が紹介されています。原著がでたのはもう半世紀以上前(1963年)で、解説において今は変わって いるところがいくつか指摘されています。本編と解説、両方読むべきです。

    ロン・カリー・ジュニア(藤井光訳)「神は死んだ」白水社、2013年
    「神は死んだ」ときくとニーチェのことを思い出す方は多いのではないでしょうか。しかし本書ではそういう哲学的な話ではなく、 “実際に”神がこの世に現れて死んでしまうと言うところから話がスタートします。神の死体を喰らって突如理性に目覚めた犬への インタビュー、神の代替物として子供や思想にすがる人々の姿など、神を失い少しずつ狂っていく世界の様子を書いた短篇集です。

    日本人には理解しにくい話だという評判が多く見られる作品ですが、日本人だってなんかに依存しているわけで、今依存している 何かがこわれたときにどうなるのか、色々と考えてみると似たような話は作れそうな気がします。また見方によっては日本の状況は既に これに書かれたことに近いのかもしれませんが。

    伝カリステネス(橋本隆夫訳)「アレクサンドロス大王物語」筑摩書房(ちく ま学芸文庫)、2020年
    アレクサンドロス大王に関し、彼の死後に語られてきた様々な物語が3世紀のアレクサンドレイアで一つにまとめられました。内容は 「歴史的」アレクサンドロスの姿とはずいぶん違う、想像力の翼を広げた内容ですが、なかなか面白いです。

    イタロ・カルヴィーノ(米川良夫訳)「不在の騎士」河出書房新社(河出文 庫)、 2005年
    まさに騎士道の鏡としか言い様のない騎士アジルールフォは鎧の中身が空っぽな「不在の騎士」、そして彼の従者となるグルドゥルー は確固たる自己という物が存在しない変わった人物、その他アジルールフォに恋する一寸エキセントリックな女騎士ブラダマンテ、 立派な騎士になりたいランバルドと、少々斜に構えたような感じも受けるトリスモンド・・・これらの人物が織りなす奇想天外な小説。 途中から修道女が語り手として登場しますが、語り手の世界と物語世界の間の関係にも注目しながらラストまで読んでみましょう。 語り手の世界から物語り世界への入り方がいい感じです。

    河合祥一郎「謎ときシェイクスピア」新潮社(新潮選書)、2008年
    シェイクスピアについては別人説が今もなお主張されることがあり、その別人についても様々な人物が取りざたされています。 そういった別人説はたいていの学者からは相手にされていないようですが、それとは別にシェイクスピア学者の間で定説化して いることにもよく見てみるとおかしいことがあったりします。本書ではシェイクスピアについて「謎」扱いされている「別人説」 について取り上げ、その魅力と問題点をまとめつつ、シェイクスピアが誰なのかを解き明かすとともに、常識化している事柄にも 誤りがあることを示していきます。全体は4部構成で、第2部を読むとシェイクスピアの生涯の概略がわかるようになっていて、 そこを読むだけでもなかなかおもしろい本ですが、やはり「別人説」を真正面からきちんと批判したり、常識化して誰も疑わない 事を改めて検討して新たな説を提示するなど刺激的な1冊です。

    河合望「ツタンカーメン 少年王の謎」集英社(集英社新書)、2012年
    ほとんど盗掘を受けることの無い状態で発見された墓と財宝により有名になったツタンカーメン王、しかし彼については血縁 関係を巡る謎が多く残っていたり、そもそも彼の時代のエジプトで一体何があったのかということはあまり触れられずにいたり、 分からないことが多かったのは昔のことです。今はかなり色々なことが分かってきていると言うことを、わかりやすくまとめて います。今後はツタンカーメンに関しては、まずこれを読めばいいのではないでしょうか。

    河江肖剰「ピラミッド・タウンを発掘する」新潮社、2015年
    ギザの三大ピラミッドのそばにある「ピラミッド・タウン」の発掘に関わる著者による、ギザの三大ピラミッドとその周辺に ついての研究をまとめた一冊です。ピラミッドとはどのように建てられたのか、何のために作られたのか、そしてピラミッド を作ったのはどのような人々だったのか、このような内容をコンパクトにまとめています。

    河上麻由子「古代日中関係史」中央公論新社(中公新書)、2019年
    倭の五王、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という国書で知られる遣隋使、様々な人が行き交った遣唐使など、 古代の日本と中国の間で正式な国同士の交流があった時代の両国関係についてまとめた一冊です。この時代の東アジア国際政治 において仏教が非常に重要な存在であった事が分かる内容となっています。また東アジアの国々だけで無く、北方の国々や西方 都の菅家院も触れているところが興味深いです。

    川上弘美「センセイの鞄」新潮社(新潮文庫)、2007年
    37歳の主人公と高校を定年退職したかつての先生が飲み屋でばったりあったのをきっかけに、カウンターで世間話をするようになって からの日々を描いていきます。センセイとの日々は時には巨人戦が原因で諍いがあったりしつつも、露店巡りや茸狩り、お花見を楽しみ ながらゆっくりと流れていきます。劇的な展開があるとか、そう言うわけではないのですが、ゆったりとした二人のやりとりをよんで いるとなんとなくほっとします。

    川北稔「砂糖の世界史」岩波書店(岩波ジュニア新書)、 1996年
    現在、我々の日常生活において欠かすことのできない商品になっている砂糖。しかし砂糖がこれほどまでに大量消費されるように なる前、砂糖は東方からごくわずかな量が入ってくる高級品でした。砂糖は世界各地に受け入れられる「世界商品」となり、また 砂糖の生産のためにヨーロッパ諸国が海外に進出した先で農園を開き、そこで黒人奴隷を用いて大量の砂糖が作られるようになっ ていきます。砂糖と世界の歴史の発展がどの様に関連しているのかということを分かりやすく説明した一冊。ジュニア新書という 中高生向けの本ですが、大人用の本としても十分に通用する内容だと思います。

    川北稔「民衆の大英帝国 近世イギリス社会とアメリカ移民」岩波書店(現代 文庫)、 2008年
    17世紀、18世紀の「重商主義帝国」の時代、イギリスからアメリカへ移民した人々の様子を見ると、年季奉公労働者として渡ったものや、 兵士として徴集された人、流刑者、農民などがいたことが分かっています。当時の資料を基に、そう言った人々が一体どんな境遇にあった のかをみていくと、イギリス本国では厄介者扱いされる者がアメリカへ移民として送り出され、それによりイギリスの社会問題を解決しよ うとしていたことや、本国では囲い込みの進展により農業経営が厳しくなり、熟慮の上でアメリカに渡って再起を図ろうとしていたことが まとめられています。年季奉公人は全体として下層民が多く、そこでかなり大きな割合を占める「サーヴァント」とよばれる階層について 1章を割いてまとめて論じていたり、イギリス海軍の兵士徴集や捨て子や孤児を育てて海軍の兵士として送り込もうとする組織があったこと など、民衆の社会が「イギリス帝国」につながっていたことを分かりやすくまとめている1冊です。

    川口琢司「ティムール帝国」講談社(選書メチエ)、2014年
    モンゴル時代のあと、ユーラシア大陸で一時強大な国家を作り上げたティムールと、彼の子孫達が支配した国家が「ティムール帝国」 です。其れはどのような過程を経て形成されたのか、そしてティムールは帝国を建設する過程で何を行ったのか、そしてティムール 以後、この帝国の統治をすすめるためにどのようなことが行われたのかと言ったことをまとめています。ウルグ・ベクが祖父ティムール を相当強く意識し、同様の政策をとっていたことがかなり印象的でした。

    川越泰博「モンゴルに拉致された中国皇帝」研文出版(研文叢書)、2003 年
    1449年、当時の大明帝国皇帝正統帝(英宗)がオイラトの捕虜となる「土木の変」という事件が起こりました。捕虜にした皇帝を 早いうちに帰国させたいモンゴル側、この機会に得た権力の座を維持したいがために強硬論をとり皇帝の帰国を望まぬ景泰帝や干謙、 和平派と主戦派の間で揺れ動く明の官僚たちが複雑な動きを続けること1年、ようやく英宗は明に帰国することができました。皇帝 としては名君でも暗君でもなく、ごくごく凡庸な君主に過ぎないと評価される英宗ですが戦に敗れて捕虜となり、1年の後に帰国して それから復位するという数奇な運命をたどったことで名を残していますが、この本は土木の変から皇帝復位までの英宗の数奇な運命 を当時の様々な政治状況などをふまえながら追跡していく「歴史ドキュメントを試みた」書ということになっています。

    土木の変に ついては通説では宦官王振が己の欲望のため何の準備もなく遠征を画策・強行したと言われていますが、遠征に至るまでの準備からは そのような解釈は無理があることがまとめられています。すでに明とモンゴルの関係が悪化しており、モンゴルの侵入に備えて北京の 守りを固めることが前々から必要とされ、京営と関係ないかなり遠くの衛所からも兵力を集めていることや大量の武器や資材が遠征出 発前にすでに準備は出来上がっていたためにモンゴル侵入からわずか5日で出発できたと見なしていますが、此方の方が説得力はある ように思われます。

    川島重成・古澤ゆう子・小林薫(編)「ホメロス『イリアス』への招待」ピナ ケス出版、2019年
    ホメロスの「イリアス」というと古代ギリシア文学の代表作、世界文学の金字塔とも言える作品です。そんな作品の世界をより理解 しやすく、様々な角度・視点から作品の魅力を引き出す入門書が刊行されました。「イリアス」を丁寧に読み込み、その読解をもと にして語られる各章の内容は非常に面白く、そして読みやすいです。「イリアス」を読むときのお供にぜひ。 

    川尻秋生「平将門の乱」吉川弘文館(戦争の日本史第4巻)、2007年
    10世紀、平安貴族の世を震撼させた2つの戦争が日本列島の東と西でおこりました。東で反乱を起こした平将門はやがて「新皇」と 称して、板東に新しい国家を樹立しようとしたことが知られています。本書では平将門の乱について主要史料となる「将門記」が いつ、どんな人物によって書かれたのか(10世紀末、東国と関係のある教養人)を考察したり、当時の東国の地理や、水上交通 と将門の関係、当時の武器や防具のあり方、土地所有の様子と言ったことをまとめた後で将門の乱の考察にはいり、乱の原因は 10世紀の日本において国勢改革が進む中でそれについて行けなくなった旧勢力の反発にあると見ています。

    また、将門の独立国家 構想には東北地方も含まれていた可能性があることや、将門の乱はその後の関東地方の扱いについて先例として扱われるようにな ったこと、平安貴族の板東観に多大な影響を与えたことが触れられているほか、将門を倒した者たちの中から武士が生まれてくる ことについても、単に戦闘技術を身につけたと言うことと違う視点を示しています。乱の鎮圧者の家系であると言うことを貴族の 側では異能者視し、一方で鎮圧者の子孫たちも乱鎮圧に関わったことを利用しつつ、一族としての団結が生まれていく中で武士階 層が成立したという点から将門の乱が武士階層成立に果たした役割を評価しています。

    川瀬貴也「植民地朝鮮の宗教と学知 帝国日本のまなざしの構築」青弓社、 2009年
    日本が植民地支配をしていた時代の朝鮮半島において、日本の仏教やキリスト教の団体による布教活動は朝鮮をどのように見ながら 行われてきたのか、また、総督府による仏教団体への関与やキリスト教への監視統制などの宗教政策は具体的にどのようなことを意図 して行われたのか、そして朝鮮半島に対する日本人のまなざしと、それに対する朝鮮側の反応はどのようなものであったのか、大体 そのようなことを扱っている本だと思います。

    川添愛「聖者のかけら」新潮社、2019年
    ベネディクト会系修道院にとどけられた聖遺物の正体は一体何か、そして姿を消したという聖フランチェスコの遺体はどこへいったのか。 こうした謎に好対照な二人の若い聖職者が挑む、という感じの話です。謎の探求と様々な人との出会いを通じた成長物語のような感じも します。

    川戸貴史「戦国大名の経済学」講談社(現代新書)、2020年
    戦国大名が合戦を行うにあたり、果たしてどの程度の費用がかかっていたのかというのは気になるところです。武具や馬匹、さらには 鉄砲関連の用意はもちろんのこと、少量など必要な物資の確保などが必要ですが、果たしてどのくらいの費用がかかるものだったのか。 また、戦国大名の収入と支出はどうだったのか、この時代の貨幣事情はどのような感じだったのか、一通りの内容を押さえている一冊 です。もう少し知りたいと思ったら巻末の参考文献を見るとさらに理解が深まると思います。入門書にはちょうどいい本だと思います。

    河西晃祐「大東亜共栄圏 帝国日本の南方体験」講談社(選書メチエ)、 2016年
    太平洋戦争の頃、日本が作り上げた「大東亜共栄圏」とはそもそも何がきっかけで考案され、そしてどのような展開をたどったのか、 そして「大東亜共栄圏」が作られていた時期に多くの日本人が海外へ渡り、海外経験をつむことになるのですが、そこでの「異文化体験」 が何を生み出したのか、アジアの人々がこの構想にたいしどう向かい合い、対応していったのかといったことをまとめています。

    この時代の交流が戦後の文化交流にも影響を与えている事例があることなど、興味深い話題が多く掲載されています。

    川端康雄「ジョージ・ベストがいた マンチェスター・ユナイテッドの伝説」 平凡社 (平凡社新書)、2010年
    マンチェスター・ユナイテッドの伝説的プレイヤー、ジョージ・ベストの半生をあつかった評伝です。もともと、ベストを切り口にして6 0年代英国文化を語る文章を練っていたところ、このような本を書こうという企画が持ち上がって書かれたという経緯があるため、合間に は当時のイギリスの社会や文化についての話が色々と書き込まれています。もちろんサッカーに関する描写も結構ありますが。

    ベストのキャリアが頂点を迎える1968年と、その後の凋落(私生活の乱れに伴う物。特に飲酒…)と、マンチェスター・ユナイテッドが ミュンヘンの悲劇から立ち直りチャンピオンズカップを制覇してから、これまた転落していく過程を重ねる形でまとめられていて、なか なか面白い1冊だと思います。サッカーに興味が無くても読めると思います。

    川又正智「ウマ駆ける古代アジア」講談社(選書メチエ)、1994年
    馬は「歴史を作る動物」とも呼ばれるように、人間にとって馬は特別な意味を持つ生き物のようです。機械化が進む以前は交通、 運輸、軍事、農耕など様々な分野で用いられ、現代では競馬という文化的な面での関わりが見られる馬ですが、人が牽引や騎乗 という形で馬を利用するようになったのはいつ頃からなのか。本書では古代の戦車(2輪の車両)に関して考古学の成果をもと にしながらその発明と伝播について扱っているほか、騎乗と遊牧、騎兵の関係や文化的な面での馬と人の関係などをまとめてい ます。

    シュメールやアッシリア、スキタイなど中央アジアや西アジアの事例も扱っていますが事例としては東アジア古代に関係 することが多めになっています。事例を積み重ねながらかなり慎重な筆致で書かれているので面白味に欠けると見る人もいると 思いますが、安易に受けを狙うよりははるかによいと思います。

    河村彩「ロシア構成主義」共和国、2019年
    ソ連が社会主義リアリズム路線に行く前、前衛的な表現のグラフィックや造形物が多く創り出されていた時期、構成主義はまさに その時期のものです。社会主義理念を形に表して人々に伝える、社会主義理念に基づく生活を日常で使うものに反映させる、 そして社会主義の理想に人々を引っ張り込む、そして「芸術」と「普段使いのモノ」の差異、ものを作る人と使う人という 一方通行的関係、そういったものも変えていこうとしていたかのような活動にみえます。本書は構成主義の始まりと発展、 そして社会主義リアリズムに取って代わられ、構成主義が終焉を迎えるその時までをまとめています。

    イコンの国らしいというと語弊があることは重々承知していますが、視覚情報の力というものへの理解というか、視覚から入る ものを通じて人々を一定の方向に引き込むノウハウが蓄積されているのかななどと思いながら読んでいました。

    川本智人「オスマン朝宮殿の建築史」東京大学出版会、2016年
    オスマン帝国の宮殿というと、現在は観光名所となっているトプカプ宮殿が非常に有名です。しかし、トプカプ宮殿以前のオスマン 帝国の宮殿がどのような構造であったのか、またトプカプ宮殿のようなタイプのものがどのような過程を経て作られるようになった のか、そして宮殿の構造とオスマン帝国の統治の関わりはどのようなものだったのか、そういったものについてはあまり研究が進んで いないようです。

    本書は、トプカプ宮殿の構造、さらには残された史料も少なく遺構もあまり残っていないそれ以前のオスマン朝の宮殿の構造をさぐり ながら、どのようにしてトプカプ宮殿のようなタイプの宮殿がつくられたのか、またそこを舞台として行われていた宮廷の儀礼やしきたり から、帝国の統治の変化がどのようにおこたのかを明らかにしていきます。

    トプカプ宮殿以前のエディルネの宮殿において、すでにトプカプ宮殿の原型ともいうべき構造が出来上がっていたこと、そして宮廷 儀礼の整備が進められ、トプカプ宮殿で儀礼を行う仕組みが作られた時代のあとも、スルタンがちょっと離れた宮殿にいて、トプカプ 宮殿まで戻るのが難しい時に備え、利休でも儀礼を行う仕組みがだんだんと整備されていたこと、トプカプ宮殿ができてからも、 スルタンがちょこちょこと他所へ出かけていてイスタンブルにいないということがあったことなどが示されていきます。そして、 イェニチェリとの謁見を極力しないで済むようにメフメト2世の頃からしていたり、スルタンは閣議にでないようになっていくなど、 オスマン朝の君主が臣下から隔絶した、上に立つ存在へ変貌していったことも、宮殿建築から語ることができるなど、なかなか興味深い 内容になっています。

    川本直「ジュリアン・バトラーの真実の生涯」河出書房新社(河出文庫)、 2023年
    ジュリアン・バトラーという架空の作家についての本を言う体裁を取りつつ、アメリカ文学・アメリカ文化史を今までと違う視点から 構築していく一冊。数多くの実在人物や実際にある雑誌や出版社も登場させ、非常に細部に至るまでこだわった作り込みをもとにして、 虚構を展開していきます。

    川本正知「モンゴル帝国の軍隊と戦争」山川出版社、2013年
    13世紀、広大な帝国を作り上げたモンゴル、その原動力は何と言っても強大な軍事力にあることは否定できないでしょう。では、 モンゴル帝国の軍隊はどのように編成されていたのか。本書はその辺りを扱っていきます。そのため、モンゴルがいかにして 遊牧民、帝住民を組織化し、支配したのか、そう言った話が多くなっているように感じました。

    川本芳昭「中国史の中の諸民族」山川出版社(世界史リブレット)、 2004年
    中国の歴史をみていくと、様々な民族が歴史の舞台に登場します。古代秦漢帝国と抗争を繰り広げた匈奴、激しい抗争を勝ち抜き 華北をまとめ上げ中国に同化していく鮮非や女真族、強大な国家を築き民族の独自性を維持し続けた契丹やモンゴルといった北方 諸民族については様々な書で語られてきています。また最近では長江流域に独自の文化圏が存在したことが判明してきていますし、 南方の様々な民族も中国の歴史に様々な影響を与えていることがわかってきました。北方諸民族と南方諸民族の中国の歴史との関わり や自己と他者の関わりについて簡潔にまとめた一冊です。

    姜在彦「西洋と朝鮮 異文化の出会いと格闘の歴史」朝日新聞社(朝日選 書)、 2008年
    朝鮮が西洋諸国と関係を持つようになるのは19世紀後半も終わりに近い1882年のことでした。それまでは国を閉ざし、西教(キリスト教)や 西学(西洋の学問)は19世紀初頭より一緒くたに「邪学」とみなされて排除されている状態でした。しかし、このような状況に至る前の段階 では朝鮮にも西洋の学問やキリスト教が中国へ向かう使節の団員が本を手に入れたり洗礼を受けたりすることで流入していたことが本書では まとめられています。西洋人が直接やってきて学問や宗教を持ち込んだ中国や日本と違う形で異文化を受容した朝鮮で、キリスト教をめぐる 問題(祖先崇拝を否定するキリスト教は結局士大夫には認めがたいもの)や、18世紀には星湖学派や北学派のようによその文物を学ぶことの 重要性に気づきそれを主張する人々がいる一方で、かたくなにそれを否定する者がいたことが19世紀の状況をもたらした様子がまとめられて います。

    姜尚中・玄武岩「大日本・満州帝国の遺産」講談社(興亡の世界史18巻)、 2010 年
    一括紹介その4にて紹介。

    姜尚中(総監修)「アジア人物史7巻」集英社、2022年
    人物伝を通じて通史を見るというシリーズが始まり、16世紀から18世紀、西洋諸国とアジアの遭遇が見られ、世界のつながりがより 緊密になった時代をあつかった巻がでました。オスマン帝国、サファヴィー朝、ムガル帝国といった西アジアと南アジアの大帝国、 明清交代期の海の世界と陸の世界、そしてチベットなども含む内陸ユーラシアから、日本に来たイエズス会宣教師や戦国時代の日本 まで様々な地域が扱われます。また思想や学術関係にもかなり頁を割いています。朝鮮儒教の流れなんて言うのは一般書ではなかなか 読む機会も少ないのではないでしょうか。

    姜尚中(総監修)「アジア人物史8巻」集英社、2022年
    この巻では17世紀から19世紀、繁栄する近世アジアの諸国の様子、そして西洋の衝撃にさらされる中、アジアでどのようにそれに向き合い 対応していったのかと言うところが扱われています。乾隆帝の「盛世」から西洋への対応に苦労しつつ何とか国を保つ清朝、近代化改革 に取り組むオスマン帝国、英国の進出が進むインドなどがあつかわれています。琉球や江戸時代の日本についても頁を割いていたりしますし、 日本や朝鮮の学術についての言及がかなり多いです。

    姜尚中(総監修)「アジア人物史1巻」集英社、2023年
    この巻では古代のアジアについて、神話から説き起こし各地の動向をまとめています。ハンムラビ王が群雄割拠のメソポタミアで如何にして大国 バビロニアを作り上げていったのかとか、ダレイオス1世のペルシア帝国史における位置づけ、アショーカ王の事績と後世でのアショーカ王の受容 と言ったことがなかなか興味深いです。そしてやはり東アジア、中国関係が多くなるのは史料的なものもあるのでしょう。そういう部分も類書とは 少し違う視点から語り直したりしています。

    姜尚中(総監修)「アジア人物史2巻」集英社、2023年
    この巻では2世紀から7世紀、世界宗教となる仏教、イスラムに関する章が設けられていますが、中心となるのは朝鮮半島、日本、中国及び内陸 ユーラシア といったところです。激動の東アジア情勢を人物中心にまとめていきます。また、人物の選択として女性を軸とした章が有るのも今ならではといっ たところ でしょうか。一部砕けた文体も織り交ぜつつ(「タイマンをはる」という言葉を歴史の本で見たことはあっただろうか)、視点を変えつつアジア史 を語ると いう試みは面白いと思います。

    姜尚中(総監修)「アジア人物史3巻」集英社、2023年
    この巻では6世紀から11世紀頃という期間で、唐とイスラム帝国が栄えた時代を中心があつかわれます。東アジアに重点が置かれているようにも 見えますが、 内陸アジアの突厥やソグド人、チベットについてもかなりあつかっています。そして契丹の歴史についてもまとまっています。東ユーラシアにおけ る仏教 の話や中国の詩の展開、そして武則天だけでなく様々な女性(契丹の皇后など)の動向があつかわれています。個人的には帰国後の玄奘の扱いは意 外と知らない ことだったので面白く読めました。

    姜尚中(総監修)「アジア人物史4巻」集英社、2023年
    この巻では日本では摂関政治と院政の時代(一部鎌倉時代にも関わる)を扱い、それと時を同じくして外戚政治や武臣政権が出現した高麗、 思想と学術、芸術が栄えた宋(北宋と南宋)といった東アジアの国を中心としつつ、南アジアでは海域世界で力を持ったチョーラ朝、東南 アジア大陸部のアンコール朝やパガン朝、そして十字軍との戦いの真っ盛りであった西アジアではヌーッラディーン、サラディン、バイバルス の3人を中心とする内容、と言う具合でアジアの歴史を人物中心に描いていきます。思想や文化にも焦点を当て、さらに女性の活動にも結構 頁を割くシリーズらしい内容です。

    姜尚中(総監修)「アジア人物史5巻」集英社、2023年
    この巻ではチンギス・カンによるモンゴル帝国の建国からモンゴルによるユーラシア制覇、モンゴル時代の各地域の様子と言ったことが描かれてい ます。 ある意味前近代アジア史のハイライトと言っても良い巻です。扱われる人物もモンゴル時代に深く関わる人物達が中心となります。そんな中でも思 想や 文化に関することに対してかなり頁を割いています。

    姜尚中(総監修)「アジア人物史6巻」集英社、2023年
    この巻ではモンゴル帝国の解体後の世界が扱われていきます。モンゴル帝国の後継国家たらんとしたティムール帝国、かつてのモンゴル帝国 の勢力下にあった中国に生まれた明、そしてユーラシア西部で新たな帝国を築いたオスマン、そしてティムールの後継者バーブルによるムガル帝国 建国など、ポスト・モンゴル期のユーラシア各地で生まれた帝国屠それに関係する人物が扱われています。それだけでなく、モンゴル帝国解体後も のこった海のネットワークを通じた宗教の伝播が東南アジア世界に大きな影響を与えていたことにもふれています。

    姜尚中(総監修)「アジア人物史9巻」集英社、2024年
    この巻では、近代日本の政治や思想、学術に関わった人物が多く登場します。内村鑑三、内藤湖南、そして伊藤博文といった人々が登場します。 近代とどのように向き合い、どのような国を作ろうとしたのか、日本以外にも色々な地域を取り上げていきます。ムスタファ・ケマルや孫文と 言った有名どころから、近代イランや中央アジアの人々などもとりあげられています。

    姜尚中(総監修)「アジア人物史10巻」集英社、2023年
    この巻では民族運動や独立運動に関わった人々、近代化に取り組んだ人々が多く扱われています。朝鮮からはじまり、段々西に進んでいき、最後は 日本に 至るという展開で、西洋近代に由来する様々な事柄にアジアの人々がどのように向き合ってきたのかを描き出しています。このシリーズでよくみら れる 傾向としては、政治史だけでなく文化史に関する人にもかなり重点的に触れていること,女性を多く取り上げていると言うことはこの巻でもみら れ、 中国の文学で魯迅だけでなく張愛玲を扱っているところは良いと思います。また、人物を中心にすえることで、国家の枠を超えた歴史叙述がやりや すいの かもしれないと思うところがありました。

    姜尚中(総監修)「アジア人物史11巻」集英社、2023年
    この巻でも民族運動や独立運動に関わった人々、近代化に取り組んだ人々が多く扱われています。どちらかというと世界大戦に絡む所が多い内容で す。 このシリーズでよくみられる傾向としては、政治史だけでなく文化史に関する人にもかなり重点的に触れていること,女性を多く取り上げていると 言う ことはこの巻でもみられ、胡適と陳寅恪を扱っていたり、また各国の女性の活動も手厚く扱い(中には現在存命中の人も含まれる)、一人一人の情 報量は 少なくとも色々な人物がこの時代に関わって生きた様子が伝わってきます。当然日本も扱われ,昭和天皇とその時代に生きた人々の伝がたてられて います。 興味を持ったのは、どちらも英国に滞在しながら,夏目漱石が体を壊すくらいに色々葛藤をかけてながら過ごしていたのに対し、まったく何の違和 感も抱く ことなくロンドンのシティライフを満喫していたかんじがするガンディーというこの違いは何に依るのかというところです。

    神田千里「島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起」中央公論新社(中公新 書)、 2005年
    島原の乱というと敬虔な信仰を持ったキリスト教徒の殉教戦争とか、重税に苦しむ人 々の起こした一揆というイメージが強く定着している ように思われます。しかし本書ではそのような一般的なイメージと実態はかなり異なる物であることが示されていきます。重税や飢饉は蜂起の きっかけに過ぎず、重税に苦しむ住民すべてが蜂起を支持したわけでないこと、終末論に基づく宗教的要素の強い蜂起であり、一揆側による 寺社破壊や強制改宗が行われたがこれはキリシタン大名による統治と連続性があること、蜂起側も藩側も百姓を戦力として期待していたこと、 蜂起したキリシタンの多くは一度棄教してから再びキリシタンになった「立ち返り」であったこと等が語られています。

    神田千里「織田信長」筑摩書房(ちくま新書)、 2014年
    織田信長というと、革命的・革新的な人物として良く取り上げられます。しかし、近年ではそのような信長像の修正を迫る本が多く 出始めています。本書もそのような一冊です。伝統的権威と対決するのではなく協調し、世間でどのような評判が持たれているのか ということをきにする、そんな信長の姿が描かれています。また、著者が宗教関係の研究をやっているため、信長と宗教の関係に ついてまとめられた章があり、特定の宗教を優遇したわけではないという結論に落ち着いているようです。

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    パトリック・J・ギアリ(鈴木道也他訳)「ネイションという神話 ヨーロッ パ諸国家 の中世的起源」白水社、2008年
    ヨーロッパ初期中世の歴史にあらわれる様々な「民族」は近代に入ってネイションの歴史を記述する際に各ネイションの起源とみなされる ようになっています。しかし本当に古代末期から近代まで連綿と続く「民族」の歴史など存在するのでしょうか。本書ではナショナリズム の影響が強い近代歴史学において中世初期の歴史もそれを免れなかったことから話を始め、古代における民族誌とそれが後世に及ぼした 影響や、中世初期の諸「民族」の形成の歴史をまとめています。

    移動してきた諸民族の中には、元々は色々な種族から構成されていたものの、いつしかある特定の民族アイデンティティを強調した 東ゴートやヴァンダルのような事例もあれば、融和を図ったフランク族のような事例もあったり、特定の民族の連続性と一体性を前提に ついつい歴史を語りがちですが、古代末期から中世初期の諸「民族」の特徴は非均質・非連続であったというのが本書の結論のようです。 器のラベルは同じでも中身は常に変わりゆくということでしょうか。

    クレア・キーガン(岩本正恵訳)「青い野を歩く」白水社(エクス・リブリ ス)、 2009年
    かつて交際のあった女性の結婚式を執り行う神父を描く表題作のほか、何かが終わりを迎えたことに伴う哀愁と、その先に何があるか分からないけ れど、 何か新しい段階へと入ったことを示す結末の余韻に浸ることができる作品が掲載された短編集です。何かの拍子に語られていない過去が表に現れ る、 そして何かが終わりを迎えたことに気づく、そんなかんじがしました。表題作のほか、「森番の娘」「波打ち際で」あたりが結構読んでいて良かっ た です。

    菊池良生「ハプスブルグを作った男」講談社(現代新書)、2004年
    飢饉、戦乱、ペスト流行といった事が起こり不安定な状態に陥っていた14世紀、中欧において国家の安定や発展を目指して 活動した2人の人物がいました。一人は神聖ローマ帝国皇帝カール4世であり、現状を見た上でそれに即した対応をおこない、 武力に訴えずに平和的に安定を目指しました。金印勅書の承認はまさにその状況で行われたことでした。一方、オーストリア においてはルドルフ4世が短い治世の間に矢継早に、かなり先進的な改革を行いました。しかしルドルフ4世の行ったことはそれに とどまらず、大胆にも皇帝カール4世を相手に文書のでっち上げまで行ってハプスブルグ家の権威を高めようとしました。

    このルドルフこそ、ハプスブルグ家がヨーロッパの権門のなかで特に卓越した存在であるという一種の選良意識の源を生み出した 人物であると主張しているようです。ルドルフ4世が一応本書で主に扱っている人物なのですが、彼が登場する前、大空位時代 終了直後のドイツ諸侯の対立や、ルドルフの父アルプレヒトや神聖ローマ皇帝カール4世についてもかなりページ数を割いて おり、意外と詳しく扱っている本が少ない14世紀のドイツ、オーストリアなど中欧地域の歴史に興味のある人には楽しく読める とおもいます。

    菊池良生「ハプスブルグ帝国の情報ネットワーク」集英社(集英社新書)、 2008年
    1490年、“中世最後の騎士”こと神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世がヴェネツィア出身のタクシス家と郵便契約を結んだ時から、 ヨーロッパにおける郵便が始まったと言われています。そのあたりの真偽はさておき、16世紀にはいるとハプスブルグ家と郵便契約を 結んだタクシス家の世襲事業として神聖ローマ帝国で郵便網の整備と郵便事業の発展が見られるようになります。

    本書ではタクシス家 の郵便事業以前、古代ローマの駅伝制度から、中世の「死者の巻物」やパリ大学の飛脚、中世都市の飛脚やイタリアの駅伝制度について の説明がなされ、さらに神聖ローマ帝国以外の国々における郵便制度の発展と、近代に入り郵便事業が「国王大権」の一つとして収入 獲得手段として営まれていたものが「国民の福祉」という観点から国営化されていく過程をまとめています。郵便事業がヨーロッパの 社会や人々の生活、考え方に大きな影響を与えたという指摘はおもしろいとおもいます。

    菊池良生「哀しきドイツ歴史物語」筑摩書房(ちくま文庫)、2011年
    歴史を変えた偉人としては決して扱ってもらえない、むしろ歴史の流れの中で浮かんでは消える人の方が多いと思います。本書に登場 する傭兵隊長や官僚、将軍、芸術家たちもまた、そのような人々です。彼ら一人一人の生き様を見ていくと、色々と考えるところも あるかもしれません。

    菊池良生「ドイツ誕生 神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世」講談社(現代 新書)、2022年
    世界史の用語で出てくる「神聖ローマ帝国」初代皇帝オットー1世、彼がこのような地位に就くまでどのような生涯を歩んだのか、そしてそれが ドイツの誕生二度のように関わっているのか。本書はオットー大帝一代記のような一冊です。身内がたびたび反抗するのですが,それでも後で 結構活躍していたり、仲違いしているときもあれば一緒に何かをやっているときもあるなど、なかなか複雑な一族のようで。

    M.トゥッリウス・キケロー「キケロー弁論集」岩波書店(岩波文庫)、 2005年
    古代ローマを代表する弁論家にして政治家キケロが書き残した弁論のうち、代表作「カティリーナ弾劾」をはじめとする4作品をまとめた 一冊です。キケロというとラテン語を学ぶと必ずどこかで読まされることになるのですが、それが日本語で手軽に読めるという点で非常に 有益だと思われます。古代の弁論とはどういう物か、その一端を知りたい方、ラテン語の名文といえばキケロということで一度読んでみたい と思う方は是非手に取ってみてはどうでしょう。

    岸田麻矢「異国のおやつ」エクスナレッジ、2020年
    東京都内で食べられる世界各国のお菓子やおやつと、それを扱うお店の紹介のような本です。作り方が出ている本というわけでは ないですが、見ていると楽しいですよ、こういうのも。夜に見るのは薦めませんが。

    岸本廣大「古代ギリシアの連邦 ポリスを超えた共同体」京都大学学術出版 会、2021年
    古代ギリシアというとポリス、というイメージが政治単位については非常に強力です。しかし連邦のような組織も作られ、アカイア連邦、 アイトリア連邦、ボイオティア連邦などギリシアの国際情勢に多大な影響を与えたものもあります。本書ではそういった連邦の構造について 詳しく論ずるというわけではなく、ギリシア政治史においてエトノスからポリス、あるいは連邦へという発展段階論的なとらえかたではなく、 古代ギリシアの共同体のありかたについて、重層的な共同体モデルというものを想定し、エトノス、ポリス、連邦が並立している状況にあった と言う捉え方を提示していきます。

    岸本美緒(編)「1571年 銀の大流通と国家統合」山川出版社(歴史の転 換期)、2019年
    スペインがマニラ建設を行った1571年を軸に、世界において銀の流通が国家の経済矢社会にどのような影響を与えたのか、また国家統合の 動きはどのような形で現れたのかなどなどを扱う論文が掲載されています。

    木曽明子「弁論の世紀 古代ギリシアのもう一つの戦場」京都大学学術出版 会、2022年
    古代ギリシアにおいて数多くの弁論が残されています。法廷弁論から政治弁論まで色々な物があり、そこから当時の社会の様子をうかがい知ること ができるところもあります。デモステネスやアイスキネスなどの弁論を邦訳した著者は、本書ではそうした弁論を手がかりにアテナイの社会や政治 について描き出しつつ、アテナイにとり脅威となるマケドニアの台頭についても触れています。古代ギリシア史についての読みやすい一般書といっ た ところでしょうか。

    木田知生「司馬光とその時代」白帝社、1994年
    中国の歴史書というと司馬遷の書いた「史記」が有名です。「史記」は紀伝体というスタイルで書かれた歴史書で、以後の王朝史 の書き方もこのスタイルと踏襲していくことになったという点でその影響力は大きかったわけですが、一方で全体をまとめたような 通史の歴史書は少なかったようです。そんな中で司馬光が編纂した「資治通鑑」は通史として中国諸王朝の歴史をまとめ上げた編年体 の歴史書として後世にまで伝えられています。しかし、司馬光については、この本を編纂したことは有名なものの、他のことについて は王安石の改革に反対した保守派の政治家として軽く触れられる程度に留まっています。

    そんな司馬光の政治思想はどのようなものだったのか、政治家としての司馬光がどのような活動をしていたのかと言ったことに ついてまとめたのが本書です。適材適所に人材を配置し、信賞必罰を明確にすることによって政治はうまくいくというのが彼の 基本的なスタイルであることや、対外政策では、契丹(遼)についてはあまり詳しくなく関心も持っていないのにたいし、西夏 に対してはかなり関心を持っていたこと、王安石とは個人的な交流はあったものの財政政策では根本的に見解が異なっている ことなどについて触れられています。

    北村厚「教養のグローバルヒストリー」ミネルヴァ書房、2018年
    高校教科書をもとに、古代から現代までの世界各地域の人やモノ、情報の流れるネットワークの歴史をまとめた一冊です。大人が読んでも 面白いですが、受験生がこれを読むと、妙にキャッチーな表現で俗受けをねらったような下手な参考書よりはるかに為になるのではないでしょう か。

    北村厚「大学の先生と学ぶ はじめての歴史総合」KADOKAWA、 2023年
    新教育課程のもと、鳴り物入りで始まった「歴史総合」について、色々と思うところがある人はいるでしょうし、そもそも何をどの感じで やればいいのかと言うことで迷う人もいると思います。本書はそんな歴史総合について、学習参考書と一般書の中間のようなかたちで 読みやすくまとめていきます。何でもかんでも細かく書くのでなく、あえて問の形で自分で調べるような所を作ってあるなど、なかなか 興味深い作りです。

    北村暁夫「イタリア史10講」岩波書店(岩波新書)、2019年
    イタリア半島にギリシア人、エトルスキ、ラテン人といった集団が存在し、やがてローマが台頭して古代帝国を作っていった古代、ゲルマン人の移 動 とそれに伴う諸国家の形成とビザンツ帝国やフランク王国、神聖ローマ帝国などの支配とノルマン人などの到来のなか各地域で都市国家も現れる中 世、 ルネサンス華やかなりし時代と教皇含めた5大国の時代と外国の侵入が見られた近世、そして外国支配から統一国家へと変わる近代と激動の時代の 中 での歩みを見せた現代、イタリア半島を舞台に展開された歴史をコンパクトにまとめている一冊です。

    地中海世界のちょうど真ん中にあるイタリアにどのような人々や集団が到来し、イタリアからどのような人々が外へ出ていったり去っていった のか と いう人や集団の移動の歴史と、イタリアの各地域の独自性がどのように現れて来たのかという地域への視点からなるイタリア史の概説書です。著者 は 自分の専門外のところは他の専門家にも意見を聞きつつまとめており、結構手堅くまとまっているような気がします。個人的には宗教改革や啓蒙の 時代のイタリアがどうだったのかという意外と手薄なところも触れていて非常に興味深かったです。

    北村紗衣「シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち 近世の観劇と読書」白 水 社、2018年
    今では読むべき古典、英文学の「正典」となっているシェイクスピアの劇も、当初は決してそのような扱いをされていなかった。 それが「正典」となっていくまでの過程で、劇を見、翻案したり評論する女性や、シェイクスピアの書籍を読んだりやり取りする 女性たちの存在が影響をあたえていたことを示していく。残された刊本の蔵書票といったわずかな痕跡から女性のユーザーの身元を たどり、そこから女性の知的活動のひろがりを明らかにするところが非常に面白くよめましたし、ほかにも興味深い視点が盛り込まれて います。

    来村多加史「万里の長城 攻防三千年史」講談社(現代新書)、 2003年
    現代中国でも観光地としてだいたい見て回ることになる万里の長城。万里の長城は北方の遊牧民から中国を防衛するために 建設された建造物です。しかし防衛と言ってもその方法は遊牧民をはじき返すというものではなく、万里の長城の防衛システム はあくまで時間稼ぎや足止めのためにあり、真の防衛システムは長城にそってたてられた見張り台から素早く情報が伝えられ、 それとともに軍隊が駆けつけて鎮圧するという仕組みだったようです。しかし防衛に関する発想が国力の充実こそ国防に重要 であるという思想が出てくるとともに長城は放棄されていったと言うことが語られています。また、長城を建設するという行為 は決して専守防衛によって行われたわけではなく、漢民族が北方に勢力を伸ばし獲得した土地を守るために作った、いわば侵略 行為の産物であるという見方も出来るようです。

    貴堂嘉之「移民国家アメリカの歴史」岩波書店(岩波新書)、2018年
    アメリカ合衆国というと「移民の国」「開かれた国」というイメージがあります。そう言ったイメージ形成はおもに大西洋方面のヨーロッパ系 移民を基にして作られていますが、太平洋方面のアジア系移民たちは差別と排除の苦難の道のりを歩んできました。本書は中国系、日系移民を 中心にアジア系移民の歴史を辿りながら、「移民国家」アメリカという自画像への検証を行っています。

    貴堂嘉之「南北戦争の時代」岩波書店(岩波新書)、2019年
    岩波新書から出始めたアメリカ合衆国概説書の第2巻、19世紀を扱った巻です。南北戦争を軸に据え、アメリカ合衆国が「奴隷国家」から移民国家」へと変 わっていく様子を描いています。そして、「未完のプロジェクト」という感もある南北戦争後の改革や、南北戦争にまつ わる記憶が過去のことにとどまらず、今にも色々影響を与えている事などにも触れられています。南北戦争の時代とその後に問題になったことは、 21世紀の今もくすぶり続けているようです。

    アンドルス・キヴィラフク(関口涼子訳)「蛇の言葉を話した男」河出書房新 社、2021年
    物語の舞台は中世とおぼしき時代の現在のエストニア、まだキリスト教化が進んでおらず、森の民は独自の文化と信仰を持ち、「蛇の言葉」を操り 森の動物たちを思うようにコントロールすることも出来ました。しかし徐々に近隣の村落へ移住する者が増え、衰退の道をたどっています。そんな 森の社会で生まれ育った、最後の「蛇の言葉」使いである主人公の目を通し、一つの文化圏が消えていく過程を描いた物語という感じです。

    このように書くと、文明批判の物語のように見えますが、そう単純な構造ではなく、キリスト教世界と対置される森の民の社会を決して理想化せず 描き出しています。まず、キリスト教世界の村の人々が森の民を劣った人々と見るが如く、森の民達も彼らの生活圏の側にわずかに残る猿人たちを 遅れた未開の民として扱っている様子がみられます。また、キリスト教を信仰しその価値観に絡め取られた村の人々の姿を描きつつ、森の民も 実態とかけ離れた精霊信仰にとりすがる者たちがいるなど、迷信にとらわれるものはどこにでも現れる事が示されていきますし、遅れた民とされる 猿人達がシラミを世代交配させながら品種改良している様子が見られるところも、昔と変わらぬ社会などないと言うことをそれとなくいっている ようです。また、通じていないようで通じている、誤解に基づいたコミュニケーションのようなものの見受けられます(村娘マッダレーナと主人公 の関係)。

    終盤、身近な人々を次々失った主人公が半ばやけになったかの如く、「触るもの皆、殺してた」というような展開が突如として発生するのですが、 主人公が最終的に神にも精霊にも祈らず、自らの文化の滅び行く様を静かに受け入れていくに至る過程が幻想的な世界を舞台に展開され、そこに 引き込まれる人は多いでしょう。

    木俣元一・原野昇「芸術のトポス(ヨーロッパの中世)」岩波書店、 2009 年
    中世ヨーロッパの文学や美術について、作品の細かい分析や、いわゆる文学史や美術史といった内容ではなく、文学や芸術の受容の歴史 をまとめたような一冊となっています。文学の場としてキリスト教・宮廷・農村と都市を取り上げ、そこにおいて発展した文学作品の 大まかな内容の要約と、それらの物語の背景や受容され方をまとめた第1部と、空間・時間・言葉・視覚性から美術をとらえた第2部から なっていますが、記憶を文字と結びつけるのではなくイメージと結びつけるというような話が興味深かったです。そこの部分を読んだとき、 記憶術の類や、現代の速読術を思い出してしまいました。

    君塚直隆「ヴィクトリア女王 大英帝国の“戦う女王”」中央公論新社 (中公 新書)、 2007年
    在位年数64年、18歳で即位し、死去したのが20世紀最初の年という、19世紀の「大英帝国」に君臨した女王ヴィクトリアの生涯を綴った 一冊です。彼女の時代についてはイギリスの国王は「君臨すれども統治せず」の原則下、政治は議会が中心で国王はあまり重要でないような イメージを持っている方が多いと思われます。しかし長い治世を見ていくと、彼女は必ずしも議会で活動する政治家の言いなりになっていた わけではなく、時には激しく対立することもあったようです。

    本書では、「君主」としてヴィクトリア女王が64年という長い治世を通じて 老練な政党政治家たちと渡り合い、大英帝国の拡大と繁栄を第一に考え、時としてかなり強硬な外交姿勢をとる様子を描いていきます。また、 64年という長い治世の間に英国の政治は貴族政治から大衆政治へとシフトしていきますが、その中でも女王の存在が政党政治の調整役として 重要であり続けたことや、大国としての地位を維持するため外相更迭を迫ったり大臣を主導することが度々あり、自分の意に添わぬ政治家(特 にグラッドストン)との関係は非常に険悪であったことも述べられています。

    金薫(蓮池薫訳)「孤将」新潮社(新潮文庫)、2008年
    豊臣秀吉の朝鮮出兵を撃退した朝鮮の名将李舜臣の視点から、朝鮮出兵の様子を描き出していきます。しかし単なる歴史を描いているわけでは なく、勝手に逃げようとする無能な同僚、朝鮮王朝を無視して裏で動いて講和を結ぼうとする明、そして自分を脅かす実力者の登場を恐れ、己 の権力を振りかざして情け容赦なく処罰する王といったマイナス要素を抱えながら日本と戦わなくてはならない李舜臣の苦悩と奮闘を描き出し て いきます。無実の罪で処罰され、一兵卒として従軍することになった時から始まり、最後は露梁海戦で戦死するところでおわりますが、派手な 活躍を描き出すのではなく、一人の人間として色々悩みながら工夫を凝らして日本と戦う李舜臣の姿が描かれています。

    木村彰一訳(作者不明)「イーゴリ遠征物語」岩波書店(岩波文庫)、 1983年
    12世紀ロシアの諸侯の一人であったイーゴリがトルコ系遊牧民族ポロヴェーツに対して遠征し、緒戦は勝利するものの 結局破れて彼自身も捕虜となり、後に隙を見て脱走してロシアへと帰り着くという歴史的出来事をもとに作られた中世 ロシア文学の作品です。この作品に見られるロシアの自然は人間と語り合い、人間同様に喜怒哀楽を持つものとして かかれているところが特徴のようです。また、作者は互いに争うロシアの諸侯に対し批判的な視点をとり、一致団結して ロシアを守るように説いたりしているところもみられます。単純な武勲詩や軍記物ではなく、色々な内容が含まれている 一冊。

    木村靖二「第一次世界大戦」筑摩書房(ちくま新書)、2014年
    2014年は第一次世界大戦勃発から100年ということで、色々な本が出ています。本書はその中にあって、新書サイズでコンパクトにまとめ た、 最近の研究成果も盛りこんだ一冊になっていると思います。第一次世界大戦について、入門書として読むならばまずこれをおすすめしようと 思います。

    木村靖二(編)「歴史の転換期11 現代への模索」山川出版社、2022年
    第一次世界大戦後、パリで講和会議が開かれ、ロシアで内戦がおきていた1919年、ここを転換点として、現代とはなにかを 見ていこうという一冊です。ロシア、アメリカ、ドイツ、中国がとりあげられ、それぞれどのようにこの時代に向き合い、 対応していたのかがまとまっています。

    木村元彦「誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡」集英社(集英社文 庫)、 2000 年
    ユーゴスラビア代表の10番であり、名古屋グランパスでもプレイした「ピクシー」ことドラガン・ストイコビッチの半生を 書いた一冊。こちらはストイコビッチを話の中心にすえて、レッドスター時代と90年イタリア大会の輝かしい日々、国外移籍 後の怪我やクラブの不祥事、そしてなによりユーゴスラビアが国際試合から閉め出された苦難の日々、そして日本における 不遇と復活の時期とたどり、フランス大会出場やユーロ2000におけるユーゴスラビア代表での戦いが書かれていきます。 その合間には複雑なユーゴ情勢についての記述もありますが、ストイコビッチの半生を語る上でユーゴ情勢は切り離して考える 事は難しい事だと思われます。

    木村元彦「悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記」集英社(集英社文 庫)、 2001 年
    かつてバルカン半島にユーゴスラビアと呼ばれる国が存在しましたが、90年代に民族対立が紛争に発展し、さらにアメリカ や西欧諸国による介入をへて、結局ユーゴスラビアは消えていきます。ユーゴスラビアの民族問題が激しさを増し、ついに NATOによる空爆にまで至ったその時期にユーゴスラビア代表のサッカー選手やバルカン半島出身のサッカー選手たちが置か れた状況は察するに余りあるものがあります。本書はストイコビッチなどバルカン半島出身のサッカー選手とバルカン半島の サッカーを切り口としてバルカン半島の政治情勢について迫った本です。98年フランスワールドカップのユーゴ代表の戦い ぶり(と、ユーゴ情勢)について始まった話はコソボやバルカン諸国のサッカー事情やバルカン半島情勢について、選手、 サポーター、関係者へのインタビューを通じて書き出そうとします。そしてNATOによる空爆とほぼ同時進行で進んでいった ユーゴ代表のユーロ2000予選の戦いを描いた章は本書のクライマックスと言っても良い箇所でしょう。

    木村元彦「終わらぬ『民族浄化』セルビア・モンテネグロ」集英社(集英 社新 書)、 2005年
    1999年のNATO軍の空爆によってコソボ紛争は終結したことになっており、その後はコソボ情勢に関する情報は減少し、 今となってはイラク戦争とその後の情勢の陰にすっかり隠れてしまってニュースでもまともに扱われることはほとんど無いよう に思います。しかし空爆ですべてが解決して平和が訪れたのかというとそんなことは全くなく、コソボではアルバニア側による セルビア系住民の拉致など今までと違う形での「民族浄化」が行われ、現地にとどまった住民は法の下での保護など期待できない 状態に置かれ、多くの人々はコソボを離れて難民化していったようです。さらにコソボ問題にとどまらずマケドニアでも争いが 発生したことにもかなりの頁が割かれていたり、ミロシェビッチ体制が崩壊した10月5日の革命に関わった人々への取材から 革命の裏側のようなことにも言及がなされています。

    セルビア・モンテネグロへと国名が変わった今もなおコソボには様々な問題 が残っていることが6年間にわたる現地取材を通じて書かれています。ボスニアやコソボのセルビア人達が国際社会からほとんど 見捨てられた状態になっている様子がこれでもかと書かれ、さらにはコソボで拉致されたセルビア人を探す団体の4年間を通じて もはや政府すらもあてにできない状態にあることも言及されています。そして最後にはそのような状態の旧ユーゴに対しては頬被り をしておきながらイラク戦争になってからあれこれと言いだした国際社会、知識人に対する批判めいたことも書かれていきます。 同じ著者の「悪者見参」(集英社文庫)がNATO空爆の時期を扱っており、本書はその後の情勢を書いた本ですが、前作で書かれた 状況と比べて事態は悪い方へと進んでいる彼の地に平和が訪れることはあるのでしょうか。

    木村元彦「オシムの言葉」集英社(集英社文庫)、2008年
    イビチャ・オシム前サッカー日本代表監督の半生をオシム監督が発した一寸頭を一ひねりするとそうかなるほどと気づかされる言葉 とともにまとめた一冊です。ジェフ市原の監督としてどうも中途半端な感じのするチームを強くすることに成功したり、ワールドカップ・ イタリア大会での見事な戦いぶりと、サラエボがユーゴ連邦軍に包囲され家族がそこに取り残されている中でパルチザンと代表チームの 監督を続けた苦悩の日々、日本代表監督しての歩みなど、なかなか興味深い内容が含まれています。

    木本好信「奈良時代」中央公論新社(中公新書)、2022年
    青によし奈良の都、とうたわれる平城京、圧倒的存在感を放つ東大寺大仏やシルクロードを通じたつながりを感じさせる正倉院宝物、奈良時代 と言うとこういったものがよくとりあげられます。しかし平城京を都としたこの時代は相次ぐ政争が見られた時代でもありました。本書では、 皇位継承を巡る問題や当時の権力闘争について触れつつ、奈良時代の政治史を描き出しています。

    ランドル・ギャレット(公手成幸訳)「魔術師を探せ!(新訳)」早川書 房 (ハヤカワ・ミステリ文庫)、2015年
    プランタジネット朝以来英仏を支配する王朝が存在するという設定で、しかも魔術が存在するという世界を舞台に犯罪が起きた時、 どのようにして解決するのか。捜査官と魔術師のコンビが事件を解決するという物語ですが、魔術で全てを解決して終わるという わけではなく、あくまで法医学や鑑識と同じような形で扱われています。あくまでも捜査官による推理によって解決されるという ぐあいにバランスが取れています。

    金文京「三国志演義の世界(増補版)」東方書店、2010年
    日本において様々な媒体で楽しまれている「三国志演義」、それは一体どのようにしてできあがったのでしょうか。三国志演義と 三国志の違うところ、三国志演義が中国の歴史においてどのようにできあがってきたのか、作者とされる羅漢中とは一体何者か、 なぜ関羽が神としてまつられるようになったのか、等々の内容をまとめ、最後には日本と韓国における三国志演義の受容の様相が あつかわれています。

    スティーブン・キング「ザ・スタンド」文藝春秋(文春文庫)、2004 年
    (第1巻): アメリカの軍関連施設で悪性のインフルエンザウイルスが流出し、次々に感染者を出していきます。そして、 疫病が大流行する中でアメリカが崩壊していくまでをかいています。その過程で、孤独に生きてきた男、思いがけず妊娠して しまった女子学生、放浪の旅を続ける聾唖の若者の物語が挟み込まれています。聾唖の若者が度々見る夢が何なのか、そして 本巻の終盤になって登場した「闇の男」とは一体何者なのか(登場シーンからして、かなり邪悪そうな感じですが・・・)。 その辺は第2巻をまつことにしましょう。

    (第2巻): インフルエンザの大流行により、アメリカが崩壊した後、わずかに生き残った人々が移動を開始します。 やがて、移動を続ける人々が他の生存者に出会い、すこしずつ旅の仲間を増やしながら夢の中に現れる黒人の老女アバゲイル の許を目指して移動していくことになります。一方、第1巻終盤に登場した「闇の男」も活動を開始し、人々の夢の中に現れ たり、仲間を作っていく過程がかかれています。苦難に満ちた旅を続けながら仲間を増やしていく様子がかかれていますが、 果たしてこれから彼らはどうなるのか。

    (第3巻): 苦難に満ちた旅の末に、アバゲイルのもとにたどり着く生存者達。そして彼らはそこで「フリーゾーン」 という共同体を作っていきます。一方で「闇の男」のほうでも生存者達を集め始め、一大勢力としてまとまっていきます。 両者を比べてみると、「闇の男」の勢力の方はかなり専門的な職にあるものがまざっており、そういう人間は指導的立場に たち、かなり厳しい規律の下で人々をまとめているようです。一方「フリーゾーン」の方は、これから色々な仕組みを作る というかんじで、人々が色々話し合って物事を決めるという感じです。何となく「フリーゾーン」は独立前のアメリカの 13植民地の自治みたいな感じのものを作ろうとしている感じで、こちらは何となくアメリカ的価値観をもつ集団のようです。 一方の「闇の男」の方は厳しく統制され、専門的な技術を持つ人々が選ばれた地位につき指導しているところをみるとソ連 など共産主義国家のイメージが投影されているのでしょうか。「フリーゾーン」にたどり着いた人の中にも闇の勢力に転向 しそうな気配の人が2名ほど(ナディーンとハロルド)混ざっていますが、彼らはどうなるのか・・・。

    (第4巻): アバゲイルの突然の失踪、ラリーに振られたナディーンとスチューに憎悪を抱くハロルドの転向といった事がフリーゾーンで おこる一方で「闇の男」の情勢を探るべく、トム・カレンを含む3名がスパイとして西へ送られていきます。徐々に フリーゾーンと闇の男の対決に向けて動き出す中、ついに闇の男の方に魂を売り渡したハロルドとナディーンの手により フリーゾーンにおいて惨劇がおこり、フリーゾーンの中心メンバーにも死者がでます。その一方で、アバゲイルが突如帰還 し、死の間際にフリーゾーンから闇の男の方へ4人の人間を送ることになり、ついにそのメンバーが出発します。いよいよ 善と悪の対決の時は近づいてきています。

    (第5巻): 西へと旅だった4人、フリーゾーンから闇の勢力の側に転向したハロルドとナディーン、スパイとしてフリーゾーンから 送られた人々の運命、そして善と悪の対決はいかに・・・。いよいよ大長編も最後の時を迎えます。そして善悪の対決が 終結したとき、人々の未来はどうなっていくのか。

    金七紀男「エンリケ航海王子」刀水書房(刀水歴史全書)、2004年
    ポルトガルの大航海時代を切り開いていったポルトガル王国王子エンリケ。一昔前に 和辻哲郎や司馬遼太郎がその著作で彼のこと を取り上げたこともあり、その名前だけは知っている人もいると思いますが、彼の生涯について知っている人は少ないのではない でしょうか。史料が必ずしも多く残っているわけでなく、「エンリケ伝説」とでも言うべきものがかなり広まっている彼の生い立 ちからその死に至るまでの生涯をたどる本書には、中世という時代に生きる一個人としてエンリケを書き出していきます。キリスト 騎士団長として十字軍の精神に生きアフリカのイスラム勢力と戦い、ポルトガル王国の一王子として国王である父や兄、甥に仕えて 家臣団や騎士団のために様々な特権譲渡を引き出していく、そして時と場合によっては肉親の情より国益や利害を優先する彼は決し て自ら意識して新しい時代を切り開いたわけではないものの、彼の活動が結果として植民地の獲得や交易の拡大につながり、ポルト ガルの新時代をもたらしたということが書かれていきます。また、彼が登場する前のポルトガルの歴史(アヴィス朝成立期)や大航 海時代の背景についても色々と書いているため、ポルトガルの歴史に関心のある人は是非読んでみましょう。

    チャールズ・キング(前田弘毅監訳)「黒海の歴史」明石書店、2017 年
    地中海やインド洋、大西洋とくらべると少々印象が薄い黒海とその沿岸地域について、古代から現代までの歴史を見通す一冊です。 この地域で栄えた諸帝国、黒海沿岸部及び海上で活躍した諸集団の歴史を知ることができますし、ヨーロッパとアジアの境界線の ような場所の歴史を知ることで、「ヨーロッパ」についての認識が色々と学べるところもあると思う一冊です。

    カルロ・ギンズブルグ(杉山光信訳)「チーズとうじ虫」みすず書房、 2003年(新 装版)
    16世紀イタリアのフリウリ地方の粉挽きメノッキオは、ある時異端審問にかけられ ます。そして最終的には処刑されてしまうのですが、 彼の審問記録が残されており、そこから彼が当時西欧でスタンダードとされていた考え方とは大きく異なる世界観をもっていたことが うかがえます。彼がどのような本を読みながら独特な汎神論的な物の見方を形成していったのか、そして口承伝承文化の影響はどうだ ったのか、そういったことが書かれているほか、当時の西欧のオーソドックスなものの見方と異なる思考の存在を描き出している一冊 です。

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    クイントゥス(松田治訳)「トロイア戦記」講談社(学術文庫)、 2000年
    ホメロスの叙事詩「イリアス」、「オデュッセイア」にも詠われたトロイア戦争、しかしイリアスは10年におよぶ戦争のうち の50日程度を書いたものであり、オデュッセイアはトロイア戦争終了後の後日談的色彩が強い作品です。そのために有名な 「トロイの木馬」などの話はこれらの叙事詩にはほとんど取り上げられていません。イリアスとオデュッセイアの間をうめる トロイア戦争の物語は様々な神話や劇の中に残されていますが、それらの物語を一つにまとめたものがこの本です。紀元後3 世紀の詩人クイントゥスによってまとめられた本書をよむと、その間にどのようなことがあったのかということがよく分かると おもいます。

    ロバート・クーヴァー(越川芳明訳)「ユニヴァーサル野球協会」白水 社、 2014年
    主人公ヘンリーは賽子を振って進める野球ゲームを造り、それを一人で楽しんでいました。非常に細かく色々な設定を造り(試合中の事故で 選手が死ぬ、八百長などなd)、複数のチーム、プレイヤーをつくり、ペナントレースを戦っています。しかし、いつの間にか、ゲームの世界 が徐々にヘンリーを浸食し…。

    白熱の試合シーン、バーでのしゃべり、そして選手や関係者の心情、これらがすべて一人の人間の妄想という物語の流れにびっくり。そして、 いつのまにか脳内妄想がリアルな世界のを浸食していき、ゲームの創造主ヘンリーがどうなっちゃったのかもよく分からないというところが、 なんか怖い。ゲーム中毒もここまでいってしまうと…。

    久慈光久「狼の口〜ヴォルフスムント」〜」(第1巻〜)エンターブレイ ン、 2010 年〜
    ハプスブルク家からの独立闘争が展開されている時代のスイスを舞台に、難攻不落の 関所、通称「狼の口」を舞台に、そこを突破 しようとする独立闘争側の勢力と、それを阻止する関所の代官たちの話を描いています。関所を抜けようとして色々知恵を絞り、 工夫を凝らすが、結局関所の代官に見破られて失敗し、処刑されるか消息不明になるという、基本的に救いのない話ばかりですが、 狼の牙からこぼれおちた諸々のことが積もり積もっていった末にどのような結末を迎えるのか。第1巻はまだまだ導入っぽい感じでは ありますが、これからの展開に期待を持たせる作りとなっています。

    そして第2巻になると、さらに救いのなさが増幅されているような気がします。え、この人がここで退場するのか?と思う展開が ありますし、この人もきっと死ぬんだろうなとも思ってしまうところがあります。

    楠見千鶴子「ギリシアの古代オリンピック」講談社、2004年
    2004年の夏にはギリシャのアテネで夏季オリンピックが開催されますが、それに 関連して古代ギリシア関係の本が何冊か でるようです。この本もその一つのようで、古代ギリシアのオリンピックがどのような日程でどんな競技を行っていたのか、 また、古代ギリシアの4大競技会の会場となった場所はどのような場所だったのかを扱っています。古代オリンピック関連 の書籍はいろいろありますが、古代ギリシア4大競技会の開催地について色々書いている上、図版も多く、とっつきやすい 本ではないでしょうか。

    クセノポン(松平千秋訳)「アナバシス 敵中横断6000キロ」岩波書 店 (岩波文庫)、1993年
    紀元前5世紀末、ペルシアの王子で小アジア方面の総督だったキュロスが密かに兵を集め、王位を狙って内陸へと侵攻します。 しかしクナクサの戦いでキュロス軍は途中まで優勢に戦いを進めていたにもかかわらず、キュロスが戦死し、状況は一変します。 キュロスに味方した人々の寝返り、そして奸計によりキュロスに従ったギリシア人傭兵団の主だった司令官や指揮官たちは 殺害されてしまいます。

    指揮官不在の状態で敵のまっただ中に残されるという危機的な状況下で突然指揮官の役目を担うことになったのがクセノポンでした。 果たして彼は傭兵およそ1万数千を率い、敵の追撃を振り切り逃げることができるのか。極めてドライなタッチでギリシア人傭兵の 逃避行を書いたドキュメンタリータッチな作品です。

    クセノポン(松本仁助訳)「キュロスの教育」京都大学学術出版会(西洋古典叢 書)、 2004年
    「アナバシス」の著者クセノポンがペルシア帝国の建国者キュロスの一代記という形 をとりながら書いたリーダー論・国家論の著作です。 キュロスが広大な領地と多用な民族を支配することが出来るようになったのかという疑問から始まった物語は、キュロスの少年時代に受けた教育、 そしてその教育を元にかれが大帝国建設を成し遂げていく「国盗り物語」的な話がつづきます。メディア王キュアクサレス(この本で彼の叔父 に 当たるという事になっています)のもとで戦いながら、貴族や兵士たちを組織し、訓練し、戦って勝利を収めつつ、アルメニアやヒュルカニア、 カドゥシオイなどを同盟者に引き込み、最後はアッシリアを打ち破るとともに叔父からメディアを譲られて帝国を作るという過程をみると、ま さ に「国盗り」という感じがしてきます(色々ときれい事を並べていますが結局は叔父から王位をとってしまったわけで…)。その合間合間に、 節度と自制、勇敢さを身につけ、他者に対して誠実かつ寛大に接し、人心掌握にたけたキュロスの姿が挿入されています。

    工藤重矩「源氏物語の結婚 平安朝の婚姻制度と恋愛譚」中央公論新社 (中公新書)、2012年
    「源氏物語」の主人公光源氏と数多くの女性の関係について、平安時代が一夫多妻であるというところから説明がなされることが多いです。しか し、本書では、平安時代の結婚は一夫一妻であり、正妻と妾の間には厳然たる格差があるということを指摘し、そのうえで源氏物語にみられる 源氏と彼を 巡る女性達の関係を描いてきます。

    著者の主張の当否、学説史上の位置は正直なところ分からないのですが、なかなか刺激的でした。

    国本伊代「ビリャとサパタ」山川出版社(世界史リブレット人)、 2014年
    メキシコ革命の最中に活躍したパンチョ・ビリャとサパタのコンパクトにまとめた伝記です。彼らが活躍したメキシコ社会の背景など がコンパクトにまとめられ、その中で彼らがどういう存在だったのかが書かれています。

    久芳崇「東アジアの兵器革命 十六世紀中国に渡った日本の鉄砲」吉川弘 文 館、 2010年
    16世紀、戦国時代の日本に入ってきた鉄砲は瞬く間に広がりました。そして日本の火縄銃と射撃法(輪番射撃)は文禄・慶長の役において明軍 と朝鮮軍に大きな刺激を与えることになり、17世紀の中国の軍事書にはこれらについての記述を残しています。本書では、日本式の鉄砲や射 撃方 が東アジアにおいてどのように伝播したのか、そしてそれが東アジアの歴史においてどのような意味を持つのかを、様々な史料を基に明らかに していきます。兵器の普及を通じて、東アジア世界のあり方が窺える一冊です。

    フランティシェク・クプカ(山口巌役)「カールシュタイン城夜話」風響 社、 2013年
    チェコ国王にして神聖ローマ帝国皇帝カレル4世(カール4世)が療養中に側近達が無聊を慰めるためにそれぞれに小話をしていきます。 話の中心は女性の話ですが、悲劇もあれば滑稽な話もあり、途中からは国王も参加してきます。チェコの国の歴史に関係する事柄に触れて いる話がそこそこ多いような気がしました。また、王自身の語りからは、王であるがゆえに普通の人間と同じようには生きられないことの 難しさとか、悲しみのような物を感じます。

    アレクサンドル・クプリーン(紙谷直機訳)「ルイブニコフ二等大尉」群 像 社、 2010年
    日露戦争末期のペテルブルクに、戦争で負った傷を見せながら、日露戦争の様子につ いて語る一人の復員軍人が現れました。ルイブニコフと なのるその男、戦争にまつわる出来事をおもしろおかしく語るため、色々な人間が興味を示します。そんななか、この男が実は日本のスパイ ではないかという疑いを抱いたジャーナリスト(と言うか、やっていることを見るとゴシップライターっぽいが)が、なんとかしてしっぽを つかもうとするのですが…。

    表題作については、必死になってつつき回るよりも無防備な状態を作りだしたほうが秘密を暴きやすいってところでしょうか。まあ、秘密を 知って何かに利用しようという感じの人と、それほどがっついていない人の違いかもしれないなと。

    その他、病をおして戦い続けるレスラーの話や、手厚く面倒を見てもらえる、恵まれた境遇にあった競走馬が見込みなしと見なされたとたんに 扱いが一変していく悲劇などなど、なかなか面白い作品が集まっています。個人的には競走馬の話をつの丸画で見てみたいとおもう。

    久保一之「ティムール」山川出版社(世界史リブレット人)、2014年
    モンゴル帝国崩壊後の中央ユーラシアに一大帝国を建設した草原の英雄ティムール、彼についてのコンパクトな評伝です。彼の業績 や統治の仕組み、そして彼の生前より彼以後も進むティムールの一族とチンギス・ハン一族の関係の変化(系図の捏造等も含む)と いったことをあつかっています。

    窪添慶文「北魏史 洛陽遷都の前と後」東方書店(東方選書)、2020年
    通常の通史というと時代順の記述となるのですが、本書は北魏孝文帝の遷都の場面から始まり、彼の時代に行われたことをまとめてから、 北魏の歴史を代国建国以後の歴史をときはじめ、そして孝文帝以後の歴史を描くという、孝文帝の政策の意義がよりわかりやすくなる叙述 の形式をとっています。そして、秦漢帝国と隋唐帝国の間で北魏がもつ意義を考察していきます。

    ハインリッヒ・フォン・クライスト(種村季弘訳)「チリの地震 クライ スト 短篇集」河出書房新社(河出文庫)、2011年
    17世紀のチリ、死刑になろうとしたまさにその時に大地震におそわれ、死刑を免れた男と女。彼らが生き残った喜びを胸に教会へ向かった時、 突如悲劇が降りかかる「チリの地震」、ハイチ独立を題材として男女の心のすれ違いと結果としてそれによって引き起こされた悲劇を描いた 「聖ドミンゴ島の婚約」、拾い子が成長するにつれろくでなしとなり結果としてそれによって破滅へと向かう「拾い子」、展開が二転三転する 決闘裁判とその結末をかいた「決闘」等々、クライストの短篇が収録されています。

    「チリの地震」で書かれている群集心理の移り変わりを見ていると、2011年3月11日以降の日本もこんな感じではないかと思わされま す。 全般的に悲劇的な内容が多いのですが、主人公の行動が突拍子もないというか激しいような気がします。救いよりも地獄にまでいってさらに 復讐したいとねがうなんて、よほど執念深くないと無理でしょう。

    マイケル・クライトン「タイムライン」早川書房(ハヤカワ文庫)、 2004年
    14世紀フランスの遺跡からその遺跡の発掘を指導している教授の眼鏡と救援を求める文書が発掘された。 そして発掘に参加していた学生・研究者たちは発掘スポンサーのハイテク企業から衝撃の事実を伝えられる。 時空を超えた移動を可能とする装置を開発したという。 そしてそれにより14世紀フランスに行った教授を助けに行って欲しいというのだ。現代から14世紀フランスへ、 激しく、荒々しい騎士達の世界に送り込まれた彼らは果たして任務を果たすことが出来るのか。 だいたいこういった筋の話になっています。 現代の量子力学に関する細かな描写や中世ヨーロッパの社会に関する様々な記述がなされており、 ちょっとした雑学小説の様相を呈しています。 なお2004年1月17日より映画も上映されていますが映画と小説では人間関係など色々と違うところがありますので、 別のものとして楽しむことをおすすめします。

    エリック・H・クライン(安原和見訳)「B.C.1177 古代グロー バル 文明の崩壊」筑摩書房、2018年
    紀元前1177年、この年にエジプト新王国時代最後の偉大な王ラムセス3世が押し寄せる「海の民」との決戦に臨み、彼らを撃退したとされてい ます。 そして、古代世界の歴史において「海の民」はエジプト新王国やヒッタイト、ミケーネ文明の諸王国の行く末に大きな影響を与えた勢力として 扱われることが度々あります。しかし、実際に彼らの存在が古代の諸王国、諸文明を崩壊させたのか。

    本書ではエジプト新王国やヒッタイト、ミタンニ、ミュケナイといった東地中海の国々の間に密接な交流があり、外交交渉や交易なども行われ て いたことを最近の研究をもとに解き明かしていきます。そして本書でいうこれらの王国が栄えた「後期青銅器時代」文明が紀元前十二世紀に崩壊 していくのはなぜかを考察しています。結論は、文明崩壊について様々な理由があがるけれども、どれか一つというわけではなく、複合的なも の だという至極穏当な話になっていますが、そこに至るプロセスでは新しい研究を色々盛り込み、それにより確実性が高い結論を導き出しています。 この時代について、色々と知りたい人にお勧めです。

    エリック・H・クライン(西村賀子訳)「トロイア戦争 歴史・文学・考古 学」白水社、2021年
    古代ギリシアを代表する叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』はトロイア戦争に関係する物語として必ず出てきますし、これ以外にも トロイア戦争を扱った文学作品は色々とみられます。では、この戦争は一体どういう者だったのか、シュリーマンで有名なトロイアの発掘 と調査はどのようなものであり、その後のトロイアの調査はどうなっていたのか、そしてトロイアがある小アジアでは当時ヒッタイトが 栄えていましたが、ヒッタイト側の史料から分かることはどんなことがあるのか、トロイア戦争にまつわる事柄をコンパクトにまとめた 一冊です。

    ヤスミン・クラウザー(小竹由美子訳)「サフラン・キッチン」新潮社、 2006年
    パフレヴィー朝の将軍の娘マリアムは父親によって家を追い出され、その後英国に渡って英国人と結婚し、娘も生まれて幸せな家庭を 営んでいました。しかし娘サラの身に降りかかった不幸な出来事がきっかけとなって故郷や昔の恋人への思いを見届けようとイランへ と旅立っていくことになります。物語はマリアムの語りとサラの語りが頻繁に交差しつつ、何とか母親に戻ってきてほしいと思うサラと、 人には語りたくない過去がありながらも何とか娘に理解してほしいマリアム、そしてマリアムのことを違う場所で思い続ける夫エドワード と昔の恋人アリ、その他ファティマやドクターなどマリアムをささえてきた多くの人々を交えつつ話は進んでいきます。エドワードとアリ のようなできた人ってなかなかいないのではないかと思いつつ、マリアムとアリの関係は何かこういうのもいいなあと思わされるところが あります。

    アーサー.C.クラーク(池田真紀子訳)「幼年期の終わり」光文社(古 典新 訳文 庫)、2007年
    宇宙進出を目指す人類の目の前に突如として巨大宇宙船が出現、人類はオーヴァーロードと呼ばれる異星人の支配下に入 り、 平和と繁栄を享受 することとなった。多くの人類はその支配に満足していたが、オーヴァーロードたちは真の目的を人類に知らせていなかった。彼らは一体何の ために人類を導こうとしているのか、そして異星人との遭遇が人類に何をもたらすのか…。

    オーヴァーロードと人類の関係は大人と子供のようでもあり、19世紀であれば「文明人と野蛮人」のような関係ともいえるだろうし(物語中 で もイギリスとインドになぞらえて語っているところがある)、本書の解説で沼正三はこれに対する批判として「家畜人ヤプー」を書いたのでは ないかという推測もなされているようにも読むことができるでしょう。この部分は、本書における人間がより高次の存在に進化する過程と併せ て、何となくやりきれないような感じや反発、嫌悪感を持つ人もいるかもしれません。一方で、オーヴァーロード自体が高度に発達した物質 文明の象徴であり、人類を寄り高次の存在に進化させるということは物質文明の行き詰まりの打開を精神世界に求めたという事を表している とも見ることができるでしょう。他にもあとで読み返すと色々な読み方が可能な気がする本です。

    倉沢進・李国慶「北京 皇都の歴史と空間」中央公論新社(中公新書)、 2007年
    中華人民共和国の首都北京は2008年夏のオリンピックに向け、現在大規模な開発が進められています。本書はそ んな北京の町が作られてから現代にいたるまでの歴史を概観し、その都市構造の変化、都市社会の変化について書いていきます。 都市戸籍と農村戸籍の存在と都市部と農村部の格差の問題、単位(職場組織)社会が第二次大戦後の北京の社会構造の根幹をなして いたものが近年は社区(コミュニティのこと)への移行が進められていること、人口増加と市街地化の進展や高層住宅の出現等々の 事柄がとりあつかわれ、生産都市から全国の政治・文化の中心地、そして世界都市へと変わっていく北京という都市の姿が書かれて いきます。本書の内容は 中華人民共和国建国後の北京の開発の話が半分以上を占めるのですが、建国直後にソ連の意向と違う旧城を保存してその外に官庁など を作るという中国人建築家のアイデアが通っていたらどうなっていたのでしょうか。現在、北京の城壁の一部は復元されていますが、 それらの城壁は人民共和国がソ連型都市設計を採用した結果壊されたのですから…。

    バルバラ・グラツィオージ(西村賀子(監修)、西塔由貴子訳)「オリュ ンポ スの神々の歴史」白水社、 2016年
    古代ギリシア世界ではゼウスを中心とし、アポロンやアテナ、アフロディーテなどの「オリュンポスの神々」が各地で祀られてきました。 そしてギリシアの神々はローマの神々と同一視される形でとりこまれ、その後も西洋美術の創作の源となっているということはわかっている 人が多いのではないかと思います。

    本書では、ホメロスやヘシオドスといった詩人の作品を通じオリュンポスの神々についての基本的なイメージが作られた時代、それに対する 懐疑的姿勢の存在といったことから話が始まり、中世ヨーロッパやイスラム世界でもこれらの神々が形を変えて生き残り、ルネサンスの美術 で創作の源として息を吹き返していくところをまとめています。中東よりもっと東に目を向けてもいいのかなという気はしましたが、興味 深い一冊です。

    アンソニー・グラフトン(福西亮輔訳、ヒロ・ヒライ監訳)「テクストの 擁護 者たち 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生」勁草書房、2015年
    昔の人の書き残したものを読み、それをもとに何かを論じていくというのは人文学の世界で日常的に行われていることです。 そうした営みをルネサンスから初期近代までの時代の人々がどのように行っていたのかを論じている一冊です。単純に直線的 な歴史の歩みがあったわけではないことはわかるとおもいます。

    倉本一宏「藤原道長「御堂関白記」を読む」講談社(選書メチエ)、 2013 年
    2013年、ユネスコの世界記憶遺産に登録された「御堂関白記」は、藤原道長の残した日記で、陶磁の権力者の自筆日記が残されているという 極めて貴重な物です。そこに描かれている内容については現代語訳も出されていますが、そもそもこの日記がどのような物なのか、どのよう な形で書き残されていたのか、そして自筆本と写本ではどのような違いがあるのかといったことにも触れていきます。

    倉本一宏「藤原伊周・隆家」ミネルヴァ書房、2017年
    藤原氏の歴史というと、藤原道長の栄華は誰もが知るところでしょう。しかし彼は初めから藤原氏嫡流の後継者に定められていたわけではなく、 様々な偶然が重なった結果そうなったということもいえます。兄であり権勢を振るった藤原道隆の死をきっかけに道長は「中関白家」の人々を 追い落として権力を握ったわけですが、道長に追い落とされた藤原伊周、藤原隆家兄弟はどのような生涯を送ったのかをまとめています。 関白となった道隆、若くして異例の出世を遂げた伊周の振る舞いをみていると、貴族社会で中関白家はどちらかというと「浮いていた」一族の ような印象を受けました。そして、短気で粗暴ながら人付き合いも悪くなく、道長にもそんなに嫌われていない隆家が子孫にもそれなりの 地位を残せたというのが兄とは対照的です。

    倉本一宏「紫式部と藤原道長」講談社〔講談社現代新書)、2023年
    2024年の大河ドラマ「光る君へ」は紫式部を主人公としています。そして藤原道長もまたドラマの重要人物として主人公とか変わりを持つよう に 描かれています。しかしながら、時代考証を務める著者によると、二人が昔から知り合いであったと言うことは無いようです(著者はドラマは ドラマで楽しんでほしいが、歴史は歴史でちゃんと知って欲しいというスタンスです)。本書はこの二人の生涯を残された古記録などから探って いきます。「源氏物語」の執筆に際して道長というパトロンが必要であり、また一条天皇を引きつけるために紫式部の文才が必要であったという ことでしょうか。

    栗生沢猛夫「ボリス・ゴドノフと偽のドミトリー」山川出版社、1997 年
    プーシキンの史劇やロシアの歌劇にもなっているボリス・ゴドノフ。彼はイヴァン雷帝死後のロシアの宮廷で権力を握り、リューリク朝断絶後 には皇帝に推挙されて即位した人物でした。しかし彼に対し、既に死んだはずのドミトリー皇子を称する男が軍勢を集めて戦いを仕掛け、それ がきっかけとなってロシアは動乱時代へと突入していきます。

    本書では動乱時代に入るまえにイヴァン雷帝の時代について軽く触れた後、摂政・皇帝としてのゴドノフの姿勢についてまとめ、僭称者ドミト リー 登場とその後の展開に触れた後、何故17世紀から18世紀にかけてロシアで数多くの僭称者が登場した背景について探っていきます。

    栗生沢猛夫「タタールのくびき」東京大学出版会、2007年
    バトゥの遠征とキプチャク・カン国(ジョチ=ウルス)の成立はロシアの歴史にも影響を与えた出来事として見なされています。そして モンゴル支配の影響がどのくらいあったのかを考える様々な学説の中にはロシアはモンゴルの継承国家であると見なす説もあったりします。

    本書ではモンゴルのロシア支配について、バトゥの遠征からはじまって戸口調査の実施と徴税、それに対するロシアでの抵抗があったことを 示したり、モンゴルのロシア支配において「バスカク」という名前の役職がかなり重要であったことを示していくとともに、それが途中から 消滅する背景を探るところまでまずまとめまていきます。

    その後、モンゴルによるロシア支配においてかなり重要な役割を果たした人物である アレクサンドル・ネフスキーについてかなりの頁を割いていきます。旧ソ連・ロシアでは愛国者として扱われる一方彼により「タタールの くびき」がもたらされたとする見方が出されるというこれまでのネフスキーについての研究動向をまとめ、さらにネフスキーの登場する年代 記史料や、「アレクサンドル・ネフスキー伝」についていつ誰が描いたのか、史料的価値はどうなのかといった問題をあつかい、そのうえで モンゴル支配に批判的また反抗的な人から見るとアレクサンドル・ネフスキーは愛国者ではなくある時期からモンゴル支配を積極的に受け入れ これを利用して己の地位を確保し、モンゴルのルーシ支配をさらに促進したという著者なりの「史的」アレクサンドル・ネフスキー像を描き出 していきます。そして最後にロシア史におけるモンゴル支配の意味について著者なりの結論を下し、モンゴルの侵入によりロシアが被って被害 は大きかったことは否定できないことであり、モンゴル支配のロシアへの影響は根本的な部分ではあまりなく、技術的側面に限定されていたと 見ているようです。

    本書は研究書であり一般向け書籍ではないため、その道の専門家でないと読みにくい所もあり、研究動向についてある学者 はこういっている、また別の学者はこう、と言った感じの文章がかなり長く続いています。また、アレクサンドル=ネフスキー関連の所ではそれ までの研究動向は勿論、各種年代記の記述内容を比較するような形で次々と挙げていたり、「アレクサンドル・ネフスキー伝」は版により書き 方が微妙に違うことからそれが書かれた時代の状況を推測していく所など、何も知らずに読むとかなり読むのが大変な箇所もあります。しかし 中世ロシア史、モンゴル史について考える上でかなり重要な本であり、じっくり読むことが必要な本だと思います。巻末には関連する資料の邦 訳もある程度つけられているので、この時代のロシアについて関心のある人は一読するべきでしょう。

    アガサ・クリスティー(安原和見訳)「オリエント急行殺人事件」光文社 (古 典新訳文庫)、2017年
    イスタンブルからヨーロッパの西の方へ向かうオリエント急行、その車内で殺人事件が発生した。殺された男の素性が明らかになるなか、 乗客全てにアリバイがあるという状況で探偵ポワロはどのようにこの事件を解決するのか。どこかで多くの人がそのタイトルとおおまかな ないよう、そして場合によっては結末まで知っていると思いますが、結末を知っていても面白く読める一冊。 

    アゴタ・クリストフ(堀茂樹訳)「悪童日記」早川書房(ハヤカワepi 文 庫)、2001年
    戦争の最中、疎開してきた双子の兄弟「ぼくら」と田舎の不潔、粗暴、けちな「おばあちゃん」との生活を通じて、過酷な日々を過ごす中で 抜け目のなさやしたたかさ、そして残酷さを発揮していく様子を短編のような構成で描き出していきます。何のためらいもなくろくでもない ことをやらかし、肉親を犠牲にすることさえいとわない双子は戦争という極限状態だからこそ現れたのか、それとも環境要因は関係なく現れる 可能性があったのか。そして最後はあのような結末を迎えるとは思いませんでした。

    栗田伸子・佐藤育子「通商国家カルタゴ」講談社(興亡の世界史第3 巻)、 2009年
    一括紹介その4に掲 載。

    栗原典子「スラヴ世界のイースター・エッグ」東洋書店(ユーラシア選 書)、 2008 年
    ロシア、ウクライナのイースターエッグに関する書籍です。しかしそれだけではなく、そもそもイースターって何なのか、なぜイースターエッグ というものが作られているのか、そういったことについても解説がなされています。そして最後にはイースターエッグの作り方も載っていま す。 地域によって細かいところでは違いがあっても、だいたい似たような感じになっているスラヴ世界のイースターエッグについて、その色や模様 に色々な意味が込められているだけでなく、誰にどんなイースターエッグを送るのかということも重要な意味を持つことがわかるようになって います。バレンタインデー、クリスマス、ハロウィン、聖パトリックデー等々外国のイベントを何でもかんでも取り入れてお祭りにしている 日本でもイースターをそういう風に扱う気配は今のところありませんし、イースターエッグを送る習慣もありませんが、もしそんなことが世の 中 で起こりそうなときは、これでも読んで一歩踏みとどまってくれることを願います。

    ジャック・グリーン(大森雄太郎訳)「幸福の追求」慶應義塾大学出版 会、 2013年
    北米大陸のイギリス植民地というと、ピルグリム=ファーザーズなどピューリタンの植民がおこなわれたニューイングランドの植民地が その後のアメリカ植民地の典型であったというようなことがいわれています。それに対してニューイングランドは典型でなく、南部の チェサピークこそ流動性の高い個人主義的な社会が成立し、その後のアメリカ植民地に影響を与えたという点で重要であると考えている 本です。また植民地にもいくつかのパターンがあることを示している本でもあります。

    スティーヴン・グリーンブラット(河合祥一郎訳)「シェイクスピアの驚 異の 成功物 語」白水社、2006年
    シェイクスピアの生涯を彼の残した作品や、公文書、その他色々な記録をもとにして推論を重ねて描き出していく評伝。田舎の革手袋商人 の息子に生まれ、父親の家業がうまくいかなくなったこともあって大学に進学することはかなわなかったものの、ロンドンに上京してから は大学出の他の劇作家たちも顔負けの脚本を書き、興行的にも大当たりして財産を残すことに成功した一人の作家について、その人生と 作品の関わりを読み解いていく様子が随所に見られます。そして、シェイクスピアについても隠れカトリックであることや、伝記上の空白 の時期にはイングランド北部、ランカシャー地方のカトリック圏にいたという他の類書では見られない見解も提示しています。

    スティーヴン・グリーンブラット(河野純治訳)「一四一七年、一冊の本 がす べてを変えた」柏書房、2012年
    1417年、南ドイツのある修道院にて、元教皇秘書にしてブックハンターであるポッジョによって一冊の写本が発見されました。 原子論など極めて刺激的な内容を含むルクレティウス「物の本質について」は、やがて書き写され、ポッジョ以外の人文主義 者達にも読まれるようになり、さらに後の時代の人々にも影響を与えていくのです。

    本書ではポッジョによるルクレティウスの写本発見とその後の広まりの話を軸に、中世の写本とブックハンター、古代世界に おけるエピクロス派哲学、ポッジョが仕えた教皇庁、彼が一時失職する原因となるコンスタンツ公会議等々の話題も盛りこ まれています。

    ルネ・グルッセ(橋口倫介訳)「十字軍」白水社(文庫クセジュ)、 1954 年
    一括紹介(その3)に掲載

    アラスター・グレイ(高橋和久訳)「哀れなるものたち」早川書房、 2008 年
    スコットランドの医師マッキャンドレスが書き残した手記には衝撃的な内容が書かれていました。スコットランドの外科医バクスター が、入水自殺した妊婦の脳を彼女の胎児のものと交換して蘇生させ、ベラ・バクスターとして再び命を与え、ベラは様々な遍歴の末に マッキャンドレスと結婚したという、人が生物を作り出すというフランケンシュタインのような話が書かれていたのです…。

    作家アラスター・グレイが手に入れたスコットランドの一公衆衛生官の手記に妻の手紙、著者の註をつけて刊行したというスタイルを とっています。夫の手記と妻の手紙で言っていることが違っていたり、夫の手記の内容を真実として裏付けるべくつけられた著者の註 をよんでも真偽がよくわからなかったり、なにやら小難しい書き方をしています。でも、それを特に考えることなく、普通に読んでも 面白いと思います。

    黒嶋敏「秀吉の武威、信長の武威」平凡社、2018年
    織田信長と豊臣秀吉は各地の大名を征服したり服属させながら支配領域を拡大していった大名であり、彼らの行ったことについては 多くの本が残されています。本書は、そんな彼らがどのようにして各地の大名を服属させ、自分たちの支配を認めさせてきたのか、 彼らが「天下人」として支配するにあたり、どのようにして自らの支配を正当化したのか、その際に示される「武威」について考え ていきます。また、惣無事令など、「豊臣平和令」と総称されるものがあると言われ、学問的な論争が結構行われてきたようですが、 惣無事令についても改めて検討を行っていきます。

    信長や秀吉のホラ話・ハッタリのようなものが、家臣や寺社によってどんどん膨らまされていったが、それにも理由があることが わかりますし、信長と秀吉で武威を示し服属させるとしても、二人の間でスタンスの違いがあることも示されています。個人的には、 軍事にしか関心がなさそうな信長について、なぜ人はいろいろなイメージを持つのか、その理由がちょっとわかった気がします。

    アルフレッド・クロスビー(小沢千重子訳)「飛び道具の人類史 火を投 げる サルが宇 宙を飛ぶまで」紀伊国屋書店、2006年
    人類の長い歴史を説明する際に、人は様々な視点からそれを行っています。本書の場合は「飛び道具」に注目し、先史時代から現代までの 人類の歩みを一気に説明していきます。それだと、ただのその辺にある兵器や機械の概説書のようですが、本書をそれとわけるものは、何と いっても、人類の定義にあると思います。ホモ・サピエンスの定義を「二足歩行・投擲能力・火を操る能力を持つもの」として定義づけると いうアイデアとひらめきの勝利といった感じの一冊です。

    デーヴ・グロスマン(安原和見訳)「戦争における『人殺し』の心理学」 筑摩 書房(ち くま学芸文庫)、2004年
    普段は善良な市民として暮らし、人殺しなどしない人々が、戦場に行くと(おそらく)同じように市民として暮らしていた人々や ふつうに暮らしている人々を殺害できるのか、また、戦争から帰ってきた人々のなかには、日常生活に戻ることができた人がいる 一方でベトナム戦争の帰還兵のようなケースもあるのはなぜか。こうした問題について、人間には元来同類を殺すことに対する強烈 な抵抗感があり、そのような人々をいかにして人殺しができる兵士として送り出すのか、そのための訓練とは一体何か、そのような 事について書きつづった本です。著者は心理学者、歴史学者にして軍人という経歴の持ち主であり、かつて兵士として戦った人々 から聞き取り調査を行ったり、自らの体験などもふまえた上で、かなりわかりやすく書き記していきます。攻撃対象に対する 心理的、物理的な距離や、権威者への服従、そして条件付けといったことが、ふつうの人々を兵士に変えていく要因であるという ことがわかりやすくまとまっているのですが、これが分かる、というのはある意味怖いことなのかもしれません。それをよんでいる 自分にも十分それが当てはまる可能性があるのですから・・・・。

    黒田基樹「今川のおんな家長 寿桂尼」平凡社、2021年
    戦国大名今川家の興隆に深く関わった女性として、今川義元の養母である寿桂尼がいます。大河ドラマなどでも登場することが度々ある 人物ですが、戦国大名の家で女性はどのような役割を果たしてきたのか、彼女の生涯をたどりながら描きます。色々と考えさせられる 事の多い一冊でした。

    ローレン・グロフ(光野多惠子訳)「運命と復讐」新潮社、2017年
    ロットとマチルドという非凡ならざるカップルの姿を、夫視点と妻視点で描き出す。自分らしく生きることを認められてこなかった人 が長年溜め込んだ怒り、自分らしく生きようとしたときの奔流のようなありさまを強く感じる一冊です。

    桑野栄治「李成桂」山川出版社(世界史リブレット人)、2015年
    李朝朝鮮王国初代国王の李成桂についてのコンパクトな伝記です。激動の高麗末期の国際情勢及び国内政治の様子、そして 不遇としか言いようのない晩年についておさえることができるとおもいます。

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    エドワード・ケアリー(古屋美登里訳)「堆塵館(アイアマンガー三部作 1)」東京創元社、2016年
    ロンドンの郊外のゴミ山の中央にそびえる堆塵館、そこに暮らすのはゴミを扱って財をなしたアイアマンガー一族です。館というには あまりにも巨大すぎる、一つの社会の縮図のような館にくらし、一族のものは「誕生の品」を肌身離さず持ち続けることになっています。 主人公クロッドはそのような品が発する声を聞く能力を持つ、他の一族とはちょっと違うところのある男の子です。そんなかれが、召使 として雇われたルーシーとであったことから、館に暮らす人々の運命は一変するのです。

    第1部の終わり方が、次がどうなるのか非常に気になる一冊です。三部作が無事完結すると良いのですが。

    エドワード・ケアリー(古屋美登里訳)「穢れの町(アイアマンガー三部 作 2)」東京創元社、2017年
    堆塵館の秩序が揺らぎ始めたころ、「穢れの町」とよばれるフィルチング地区に舞台を移して物語は始まります。クロッドとルーシーの 二人は第1部の最後で大変なことになってしまいしたが、離れ離れになっていた二人は再会しますが、さらに過酷な運命が降りかかる ことになります。人からモノ、モノから人へと頻繁にかわり、いつしか両者の境界が怪しくなってくる物語ですが、アイアマンガー 一族の狙いもあきらかになっていきます。

    第2部の終わり方も、第1部同様に次がどうなるのか非常に気になるかたちです。三部作が無事完結すると良いのですが。

    エドワード・ケアリー(古屋美登里訳)「肺都(アイアマンガー三部作 3)」東京創元社、2017年
    フィルチング地区、そして堆塵館が崩壊したあと、アイアマンガー一族はロンドン市街へ入り、ある家を拠点として活動を開始 します。そこにはクロッドもいます。一方クロッドと逸れたルーシーもなんとかフィルチング地区の崩壊をのがれてロンドンへ やってきますが、警察に追われることに。そしてアイアマンガー一族はなにやらヴィクトリア女王も巻き込むような大それた事 を企んでいるようです。

    第3部で無事に話は簡潔、大団円といってもいい終わり方のようですが、エンディングをどのように解釈するのか気になるところです。

    エドワード・ケアリー(古屋美登里訳)「望楼館追想」東京創元社(創元文芸 文庫)、2023年
    アイアマンガー三部作を書いたケアリーのデビュー作が、文庫としてまたでることになりました。デビュー作と言うことで、後の作品 と比べると荒削りという人もいるのですが、その後の作品にみられる様々な要素(奇妙な人々、ものへのこだわり)は既にこの時点で 強く表れています。閉ざされた世界で充足して生きる奇妙な人々が、新しい住人の登場により過去が掘り起こされ、変化に直面する、 そういうお話です。

    ニール・ゲイマン(金原瑞人訳)「墓場の少年 ノーボディ・オーエンズ の奇 妙な生活」角川書店、2010年
    一家惨殺事件で唯一生き残った子供が墓場の死者たちに育てられながら成長していく物語です。この本で書かれる死者の世界 はあまり辛気くさい感じはせず、普通の世界みたいですし、主人公を育てる人々もその辺りの普通の人のようです。死んだ後 の世界がこんな風であったら楽しそうですね。

    ヘンリー・ケイメン(立石博高訳)「スペインの黄金時代」岩波書店 (ヨー ロッパ史入 門)、2009年
    16世紀から17世紀半ばまでのスペイン(ハプスブルグ帝国の一部だったり、スペイン・ハプスブルグ家の支配が続いた時代)は 最盛期であったと言われています。そんな時代について、最近の研究動向を紹介したガイドブックです。けっして初心者向けの 概説書ではないので、いきなり読んでも何が何だかよく分からないかもしれませんし、この時期のスペインの歴史について詳しく なれるわけではありませんので要注意。

    氣賀澤保規「則天武后」白帝社、2005年(第4版、初版は1995 年。講 談社学術文庫版は2016年)
    中国史上唯一女性でありながら皇帝の位についた則天武后の伝記です。とはいえ、前半は隋末の争乱から唐の成立、そして太宗の 貞観の治といった唐初期の歴史の概略がまとめられています。その後からようやく則天武后の話にはいるという構成になっています。 最後も、則天武后後の状況に軽くふれています。則天武后の誕生から死去までをまとめながら、則天武后の治世の意味や、唐という 国について考察を加えていきます。文章も読みやすいのでお薦めです。そして、文庫版では則天武后が高宗の宮廷に入る際に必ず でてくる感業寺のくだりについての考察が以前のものからブラッシュアップされています。

    氣賀澤保規「絢爛たる世界帝国」講談社(学術文庫)、2020年
    分裂時代に終止符を打った隋、それを継承し「世界帝国」となった唐、その長い歴史をオーソドックスな感じでまとめていった一冊です。 隋唐時代について知りたかったらまずこれを読めば当分大丈夫ではないかと思われる内容です。個人的には唐の女性、唐の軍制に関する 章が面白かったです。

    ジョン・ケリー(野中邦子訳)「黒死病 ペストの中世史」中央公論新 社、 2008年
    中世ヨーロッパをおそった「黒死病」は、内陸アジアから一方は中国へ、もう一方は草原地帯を西へ進み、クリミア半島のカッファからジェノヴァ のガレー船を通じて広まり、シチリア島、イタリア、そして仏や英、中欧にひろがりました。本書は同時代人の回想録や書簡、記録をもとに、 人口の三分の一(場所によっては半分以上)が死んだ「黒死病」の脅威について書いていきます。

    疫病流行という非常事態において、我先に逃げ出す人もいれば、そこにとどまって己の義務を果たすべく頑張る人もいる、そんな様子が描かれ て いきます。また、こういう状況になるとユダヤ人が悪者にされ、虐殺が起きたと言う話や、黒死病により生じた労働賃金高騰、貴族階級への打撃、 技術革新、医学の発展、公衆衛生の誕生などについても触れられています。

    ディアナ・ゲルゴヴァ(千本真生(監修・翻訳)、田尾誠敏、松前もゆる 訳) 「ゲタイ族と黄金遺宝」愛育社、2016年
    ギリシア人たちの世界に隣り合って存在し、ある時は強大な力を持っていたのがトラキア人たちです。現在のブルガリアのあたり を中心としてトラキア人は文化を築き、時によっては強大な勢力を振るったことがありました。しかしトラキア人の歴史については あまり詳しいことを書いた邦語文献は見当たりません。

    本書は、そんなトラキア人の部族のひとつであるゲタイ族に関して、発掘の成果やそこから分かりうることをコンパクトにまとめた 一冊です。豪華な副葬品、宗教儀礼に使われたと思しき遺物などなどが写真付きで紹介されています。

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    呉明益(天野健太郎訳)「歩道橋の魔術師」白水社(エクス・リブリ ス)、 2015年
    かつて台北に「中華商場」とよばれる商店街が1992年までありました。1960年代から1992年まで存在した中華商場において子供時代 を過ごした人々が、過去の出来事を思い起こして語ります。そこに、多くの人々が過去にあったことがある「歩道橋の魔術師」が 引き起こすちょっとふしぎな出来事や、ノスタルジーだけでなく突然訪れる死など現実の厳しさを感じさせる事柄が盛りこまれて います。全く知らない場所ですし、言ったこともないところなのですが、なぜか子供時代の懐かしさのようなものを感じさせる作品 が多く掲載されています。最後はまさか作者(とおぼしき人)が扱われるとは思いませんでしたが、違和感を感じませんでした。

    小池登・佐藤昇・木原志乃(編著)「『英雄伝』の挑戦」京都大学学術出 版 会、2019年
    古代ギリシア・ローマの偉人を対比するスタイルで書かれたプルタルコス「英雄伝」について、歴史・哲学・文学それぞれの研究者が 論じた一冊です。彼の「英雄伝」がどういう点で今までと違うのか、そして後世にどのような影響を与えているのかということが扱われ、 「西洋古典学」という学問がどういうものなのかを知ってもらうのにいいのではないかと思います。

    小池和子「カエサル 内戦の時代を駆けぬけた政治家」岩波書店(岩波新 書)、2020年
    カエサルといえば、ローマ史通史的な本であればまず扱われる人物ですし、彼を単独で扱った伝記もそれなりにはあります。 著者が「供給過剰」「情報過多」というのも分かるところはありますが、最も基本的で重要な事柄を整理して簡略に述べる、 当時のローマ社会で生きた人間の一人として書く、というスタンスでそれなりの分量を取って書かれたカエサルの伝記という のは意外と見かけないような気がします。クレオパトラのことなどあえて深入りを避けた話題もありますが、書くべき事は おさえてまとめられているように感じます。また、本当に書きたかったのは第5章の文人としてのカエサルの所なのかなと も思います。

    合田昌史「大航海時代の群像」山川出版社(世界史リブレット人)、2021 年
    ポルトガルが展開した大航海時代の活動を中世ヨーロッパの拡大の流れに位置づけ、十字軍的な要素が強く表れている活動として とらえ、エンリケ航海王子、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼランの活動を中心にポルトガル海上帝国の始まりと終わりをまとめた一冊 です。大西洋アフリカへの経済的進出と、十字軍的なモロッコ軍拡路線、その二つを同時に追うのはポルトガル王国の手に余る 大事業だったという感じがします。

    河野淳「ハプスブルクとオスマン帝国 歴史を変えた〈政治〉の発明」講 談社 (選書メ チエ)、2010年
    16世紀、オスマン帝国と隣り合うことになったハプスブルク帝国は、いかにしてオスマン帝国に対抗するのかと言うことに腐心しました。 そのために「トルコ税〉と呼ばれる臨時税の徴収をおこない、防備を固め、時に攻勢に転ずるといった具合でしたが、寄り合い所帯 である神聖ローマ帝国の諸侯達をいかにして対オスマン帝国戦に協力させるのかということが大きな課題となりました。本書では、辺境の 防衛政策(クロアチアにおける軍事植民)、プロパガンダ(トルコの脅威論)による民衆の動員、膨大勝つ正確な情報の収集と提供による 諸侯の説得といったことがあつかわれ、対オスマン帝国政策をつうじて、目に見える現実によって主張を正当化して相手を説得する「実証 主義的政治」がいかにして成立したのかといったことをまとめていきます。

    「べき論」の政治(思弁的政治)ではなく、状況によりその場その場で最適な政策を選択していく「実証主義的政治」がなぜイギリスや フランスではなく、ハプスブルクにおいて成立したのかを考えることにより、「政治」が如何に成立したのかを明らかにしようとしています。

    クロディーヌ・コーエン「マンモスの運命 化石ゾウが語る古生物学の歴 史」 新評論、2003年
    かつて地球上に存在しながらも絶滅したマンモスは、今もなおシベリアでは肉や毛が残った状態で永久凍土の中から現れる ことがあります。しかしマンモスの化石は遙か昔から人々の目にとまることがあり、ある時は神話に登場する巨人や英雄の 遺骨、またあるときは伝説上の生き物の骨、さらに地中において自然に動物の骨や歯のような石が作られたとする説が出され たこともあります。またハンニバルの遠征やノアの洪水が各地で化石が発見される理由として持ち出されたことがあります。 さらに、マンモスの発見が国家のアイデンティティ追求と密接に関連したり、種の絶滅をかたくなに否定する学者がいたり、 様々な説が唱えられていたようです。本書はそのようなマンモスの化石を巡り、それをどのように認識し、解釈しようとして きたのかという過程をしめすとともに、系統樹中の位置づけや絶滅の理由といった現代でもなかなか結論のでない議論、さら にはマンモスのクローニングの試みなども紹介しています。マンモスの化石を巡る古生物学の歩みをまとめた本です。

    ニコライ・ゴーゴリ(浦雅春訳)「鼻/外套/査察官」光文社(古典新訳 文 庫)、 2006年
    ある日突然鼻が勝手に離れてどこかに行ってしまう「鼻」、ある役人が新品の外套を手に入れた後見舞われることになる不条理を描いた「外套」、 誤解と思いこみがもたらした喜劇「査察官」という3つの作品が収録されています。何とも幻想的でありなおかつシュールな世界を落語調の翻 訳で 描き出しています。こんな読みやすいとは思わなかったです。

    ニコライ・ゴーゴリ(原久一郎訳)「隊長ブーリバ」潮出版、2002年
    5世紀の南ロシア(今のウクライナ)を舞台に、古株のコサック隊長タラス・ブーリバが息子2人をザポロジェのシーチに送って 鍛えようとします。そのさなかにポーランドとの争いが発生し、そこに息子2人をつれてブーリバも参戦するのですが、そこで 息子一人は敵側につき、さらにダッタン人による本拠地襲撃などにより軍を二つに分けねばならなくなります。戦いの最中および 戦いの後にブーリバの息子2人は死に、彼も復讐の鬼とかしポーランドを荒らし回った後とらえられ、火あぶりの刑に処せられる のです。

    勇猛なコサックたちも決して死は避けられない、そんなところに何となく寂しさを感じてしまいました。その一方、死んでいく コサックたちが口々にロシアの栄光を願いながら逝くところはこの本が書かれた時代を何となく感じさせるものがあります。

    アミタヴ・ゴーシュ(小沢自然・小野正嗣訳)「ガラスの宮殿」新潮社 、2007年
    コンバウン朝が英国にやぶれ、暴徒達が王宮に物盗りのために乱入したとき、インドから来たラージクマールと王家の侍女ドリーが出会います。 そして時が流れ、彼らは再び出会い結婚し、そして子供もうまれます。そんなラージクマール一家と、彼らに様々な形で関係を持った人々の人 間 模様と恋愛模様が、インド、ビルマの近現代の歴史の流れに時に翻弄されつつ、時に巧く乗りながら展開していきます。

    小島庸平「サラ金の歴史」中央公論新社(中公新書)、2021年
    一時期日本で活発な活動をみせ、テレビのCMでも頻繁に見かけたサラ金、その興隆と衰退の歴史を、金融技術の革新とジェンダーの視点から 読み解いていく一冊です。金を貸すことが貧民街で男らしさを示すことにつながり、それを逆手に取り一寸お金のある者から金を取っていく ところや、戦後の家族についての通念や、日本的な能力評価のあり方を利用しながら金融技術を発展させていったことなど、興味深い内容を 含んでいます。こうであるべきという通念を巧みに利用しながら金融技術を発展させていく、制約となりそうなことを逆手に取る(滅茶苦茶 名取り立てはその過程で活発になる)、サラ金を通じて現代日本の社会や歴史が見えてくるような一冊です。 

    小島渉「カブトムシの謎をとく」筑摩書房(ちくまプリ マー新書)、2023年
    カブトムシというと夏の昆虫採集の目玉といいますか、夏休みの昆虫飼育で触れた人たちも多いと思います。クヌギやコナラの樹液を吸いに夜 に 集まる虫を捕まえに行った人もいることでしょう。そんなカブトムシですが昨今彼らの生態についての研究も進み、昼間からあつまるものもい る ことや、都会の住宅街に出没する物が結構いることなどがとりあげられています。本書はそういう近年の研究動向を分かりやすくまとめた一冊 です。 カブトムシの生き様も周囲の環境変化に色々と影響を受けていることがよく分かります。

    シオドラ・ゴス(鈴木潤他訳)「メアリ・ジキルとマッド・サイエンティ スト の娘たち」早川書房、2020年
    父母を失ったメアリ・ジキルは母が「ハイド」という人物に送金していたことを知ります。それが何故なのかを調べようとしたメアリは シャーロック・ホームズの協力を得ることに。やがて調査を進める中で謎の結社の暗躍があることが明らかになります。そしてそれと 並行してハイドの娘等々、マッド・サイエンティストの娘達が仲間となり、一つのチームが結成されることになります。果たして謎は 解けるのか。三部作の1作目ということですが、続巻が気になる作品です。

    シオドラ・ゴス(原島文世訳)「メアリ・ジキルと怪物淑女たちの欧州旅 行  1:ウィーン編 2:ブダペスト編」早川書房、2023年
    前作でマッドサイエンティストの娘達が「アテナ・クラブ」を結成、そこにヴァン・ヘルシングの娘から助けを求める手紙が届きます。 アテナ・クラブの面々は彼女を助けるために欧州へ渡ることに。そこで前作で存在が明らかになった錬金術師協会の活動を阻止すべく 活躍する,そういう展開です。欧州に渡った彼女たちを助けるのはアイリーン・アドラー、そして吸血鬼カーミラ,ドラキュラ伯爵 と言う面々、アドラーとカーミラがかっこよいです。そして、ホームズものには欠かせない「あの人」が暗躍することになりそうな エンディング、三部作の最終作はどうなるか楽しみです。

    シオドラ・ゴス(鈴木潤訳)「メアリ・ジキルと囚われのシャーロック・ホー ムズ」早川書房、2023年
    前作終盤、メアリの家のメイドであるアリスとホームズが失踪、そしてそこにはホームズの宿敵モリアーティがからんでいました。彼の 狙いはシャーロックを生け贄にしてある儀式を通じて力を得ること、そしてそれは英国の行く末にも関わるようなものでした。果たして メアリたち「アテナ・クラブ」の面々はアリスとホームズを救い出しし、問題を解決することが出来るのか。

    「アテナ・クラブ」の面々の冒険もこれが最終巻、マッドサイエンティストに作られたモンスター娘たちが冒険のすえに自分たちの 居場所を自分たちの力で作り出していく物語というところでしょうか。

    小杉泰「イスラーム帝国のジハード」講談社(興亡の世界史6巻)、 2006 年
    一括紹介その4に掲載

    小菅桂子「カレーライスの誕生」講談社(選書メチエ)、2002年
    日本ではカレーライスというと、「国民食」と行っても良いくらい色々な人によって食べられていますし、様々な形態のカレーがあります。 それがどのようにしてできあがっていったのか、そしてどのようにして普及したのか、カレーライスの誕生と普及の歴史を描いています。

    パオロ・コニェッティ(関口英子訳)「帰れない山」新潮社、2018年
    イタリア北部モンテローザ山麓の村を中心に、そこで出会った少年二人の30年にわたる友情、良い関係を作れなかった父親の再発見など を山の世界の美しさと厳しさを描き切った描写とともに書いた物語です。大きな事件が起きるわけでもなく、複雑な構成をしているわけ でもないのですが引き込まれる物語でした。

    パオロ・コニェッティ(他)(関口英子他訳)「どこか、安心できる場所 で」 国書刊行会、2019年
    現代イタリア文学というと、カルヴィーノ、タブッキ、エーコなどが上がりますが、彼らの活躍した時期はやはり20世紀が中心となります。 しかし本書ではそういった「大家」のような作家では無く、今の時代のイタリアで執筆活動を行う作家達の作品が集められています。21世紀 のイタリア文学の短篇ですので、今のイタリアが抱える様々な問題が反映された小説も結構掲載されています。 感想 は こちらにも

    小林章夫「おどる民だます国 英国南海泡沫事件顛末記」千倉書房、 2008 年
    イギリスにおいて南海会社という会社がかつて存在しました。南海、つまり南米大陸方面との交易を目的として作られたことになっている この会社ですが、実は「バブル経済」をひきおこした会社としてその名を知られています。額面100ポンドの株式がなぜ一時的に1000ポンド をこえ、その後一気に暴落していったのか、株価上昇のからくりや、それに関わったイギリス政府の人々、そして、バブル崩壊後の後始末 をどのようにつけたのかと言ったことがまとめられています。

    小林功「生まれくる文明と対峙すること」ミネルヴァ書房、2020年
    「アラブの大征服」によりササン朝は滅亡、しかしビザンツ帝国は領土を縮小しながらも生き残りました。本書はビザンツ帝国が 新興勢力であるアラブ国家にどのように向き合ってきたのか、そしてその過程でビザンツ帝国がどのような帝国となっていったのか、 コンスタンス2世の苦闘を描きながら示していきます。苦境に追い込まれながらコンスタンティノープルを防衛できたという経験が ビザンツ帝国にとって如何に重要な事だったのかがよく分かる一冊です。

    小林功・馬場多聞(編著)「地中海世界の中世史」ミネルヴァ書房、 2021 年
    地中海世界というと、どうしても古代史の話が中心に扱われがちなところがあります。しかし地中海およびそこに点在する島々を舞台とした 諸勢力の興亡、対立と興隆は6世紀以降の世界でも色々な動きが見られます。本書はビザンツ帝国や西ヨーロッパ諸国、イスラム諸国の動向 が地中海においてどのようなものであったのかをまとめている本だと思います。特にクレタやサルデーニャなど島を舞台とした歴史の展開に も目が向けられているのが興味深いところです。

    小林登志子「シュメル 人類最古の文明」中央公論新社(中公新書)、 2005年
    ティグリス・ユーフラテス川流域は早くから古代文明が栄えた土地であり、そこで最初に高度な文明を築き上げたのはシュメル人です。 しかしシュメル人についてはメソポタミア最古の文明ですがそれについて単独で扱っている著作は滅多にありませんし、同じメソポタミア の文明でもバビロニア王国やアッシリア王国、アケメネス朝ペルシアと比べると少々扱いも軽いような気がします。本書はそのシュメル 人とその文明のみを扱い、シュメル文明の遺物を紹介しつつ、文字の始まりが記録用に用いられたトークンから絵文字、そして楔形文字 へと発展していったことや、当時の農業や戦争の様子(シュメルにも密集歩兵が存在したようです)、ハンムラビ法典のような復讐法では ないシュメルの法や「徳政」について、さらにはシュメル版中華思想等々が紹介されていきます。色々なことを盛り込もうとしているため、 少々散漫な気もしますが、シュメル文明について興味や関心を持っていく入門書として丁度良い本であると思います。

    小林正典「英国太平記」講談社(講談社文庫)、2012年
    中世のイングランドとスコットランドの戦い、そしてスコットランドの独立を描いた小説です。エドワード1世によるスコットランド侵攻と、 それに対するウィリアム・ウォレスやロバート・ブルースの戦いがえがかれています。

    キャラクター造形にもうちょっと深みが欲しいなと思う所、話が意外とさらっと流れていってしまう所などはありますが、適度に歴史にかんす る 事柄の解説を入れながら話が進むので、中世スコットランドに興味があったら読んでみると良いのではないでしょうか。また、著者は長年作家を やってきたというわけでなく、退職後に暖めていた構想を思い切って小説として描いてみたようで、スコットランドに対する関心や情熱は感じ られます。

    小林義廣「王安石 北宋の孤高の改革者」山川出版社(世界史リブレット 人)、2013年
    北宋において新法と呼ばれる改革を進めた政治家王安石についてのコンパクトな伝記です。王安石の生涯、新法の概要とそれにたいする反対、 王安石の国家観、後世の評価がまとめられています。

    ダニーラ・コマストリ=モンタナーリ(天野泰明訳)「剣闘士に薔薇を」 早川 書房、2015年
    クラウディウス帝の治世のこと、剣闘士競技において絶対に勝つであろうと思われた大本命ケリドンが試合中に突如倒れて 死亡しました。皇帝主催の剣闘士協議会でのこの結果をめぐり、人々は紛糾、なにやら不穏な事態に。この事件を解決する ことが自分にとり重要だと思った皇帝はかつてのエトルリア語の教え子で元老院議員のアウレリウスに謎を解くように依頼 します。

    アウレリウスは頭の回転が尋常でなく早く、常に何かを得ようとして色々と動く秘書カストルを従えて死の真相を究明しよう とするのですが、その過程で明らかになるのは剣闘士ケリドンの素性、そして彼と当世無敵の弁護士セルギウスのつながり、 さらにセルギウスがこの出来事を利用して企んでいた帝国を揺るがしかねない陰謀でした。はたしてアウレリウスは全ての真相 を解き明かすことはできるのか。

    主人公のアウレリウスもそうですが、腹心のカストルのキャラクターが非常に印象的でした。カストルについては、転んでも ただでは起きない、というより転ばぬ先に常にセーフティーネットを十分に張り巡らしている、そして主人のアウレリウスも 手のひらの上で転がしていそうなくらいの人物ですね。しかし、この物語ではカストル以外にも食えないやつらは色々と登場 します。一癖も二癖もある登場人物たちのやり取りにより織り成される歴史ミステリーです。

    小松香織「オスマン帝国の近代と海軍」山川出版社(世界史リブレッ ト)、 2004年
    一括紹介その5に掲載

    小松久男「イブラヒム、日本への旅」刀水書房(世界史の鏡)、2008 年
    本書の主人公イブラヒムは、一体だれと思う人が圧倒的に多い人物だと思います。パン・イスラム主義を唱え、オスマン帝国と日本の連携と いう壮大な構想を考え、実際に日本にもやってきて伊藤博文や頭山満、大山巌、犬養毅と行った名だたる面々と交流を持つ、活発な執筆活動 を展開し、自ら雑誌を創刊して主張する等、非常にバイタリティあふれる人物です。日本近現代史とイスラーム世界の関係というと、まったく ないように思ってしまいがちですが、そう言うなじみのない歴史について、知ることが出来る一冊だと思います。

    小松久男「近代中央アジアの群像」山川出版社(世界史リブレット人)、 2018年
    ロシア支配下の近代中央アジアを舞台に活躍した4人の人物の生涯を辿りつつ、帝政末期からロシア革命、ソヴィエト政権の時代へといたる 中央アジアの歴史を描き出している一冊です。近代的教育の導入や自治を求めた彼らの末路は寂しさを感じます。

    小松久男(編)「1861年 改革と試練の時代」山川出版社(歴史の転 換 期)、2018年
    ロシアの農奴解放令やイタリア王国成立、アメリカ南北戦争の始まりなどの重大事件が発生したこの年、人々は何を考えて生きて いたのか。清朝やオスマン帝国、ロシア、日本、イタリアをとりあげ、当時の人々の様々な語りをもとにし、それらを交えながら 当時の世界の一端を描き出していく一冊です。 

    小松久男(編)「1905年 革命のうねりと連帯の夢」山川出版社(歴 史の 転換 期)、2019年
    日露戦争が終わった1905年はロシア第一革命、イラン立憲革命が始まった年でもあり、その数年後には青年トルコ革命もおこっています。 この時代に人々がどのような結びつきを作って行ったのか、そして各地の革命との関係や影響についてあつかっています。イスラムの話 に少々偏ってしまった感は否めないです。他の地域とかも入れて欲しいところ。

    小南一郎「古代中国 天命と青銅器」京都大学学術出版会(学術選書)、 2006年
    西周王朝の体制理念を青銅器の銘文を用いて解き明かそうとする一冊。西周王朝の統治体制において命や徳の観念が重要な意味を持って いたことを論じていきます。個人的には青銅の鼎と土地の結びつきは強く、何かがあったからと言って青銅器を勝手によその土地に持ち 運ぶことが許されないと言うことや西周時代には徳とはある種の生命力であり、儀式を通じてそれを授かった王から臣下や民衆に分け与え られる者であると言うことについては面白いと思います。ただ、第1章で参考にしている青銅器の銘文については別の論文では偽作の可能性 が高いと言っているのですが、それによってこの本全体の評価はどうなるのか気になるところではあります。

    小宮正安「愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎」集英社(集英社ビジュア ル新 書)、 2007年
    かつて、ヨーロッパの王侯の宮廷や修道院の一角に「ヴンダーカンマー(不思議の部屋)」という物が作られていたことがあります。 そこには様々な生き物の骨格標本や剥製、変わった形の石等々が一見無造作に並べられていたり、なにやら奇怪な形に作られた物体が 展示されていたのですが、これは博物館の元祖とも行っていい存在でした。本書では、ヴンダーカンマーの歴史についてまとめながら、 ヴンダーカンマーが一見混沌とした展示の仕方をしつつ実はそこには当時の世界観のような物が反映されていることを示していきます。 図版が多数掲載されていて、分かりやすくまとめられています。

    アンナ・コムニニ(相野洋三訳)「アレクシアス」悠書館、2019年
    内訌と外部からの侵入により危機的状況に陥っていたビザンツ帝国、それを安定させたのがアレクシオス1世でした。このままま 歴史の流れから消え去るのは惜しいと持った娘が書き上げた歴史書が本書です。父親への敬愛の念が随所であふれる一冊です。 

    マクシム・ゴーリキー(中村唯史訳)「二十六人の男と一人の女 ゴーリ キー 傑作選」光文社(古典新訳文庫)、2020年
    地下のパン工場でパン作りにあけくれる二十六人の男達、彼らが崇拝してやまないのは上の階からパンを求めてくる小間使いソーニャ、しかしある 日 彼女が伊達男になびくかどうかが話題となり、、、。表題作は、“神”を試すような行動に対してはそれ相応の報いがあるということでしょうか。 その他、ロシア社会の底辺に生きる人々を取り上げた短編集です。

    リジー・コリンガム(東郷えりか訳)「インドカレー伝」河出書房新社、 2006年
    カレーというと日本では“国民食”といってもよいほどに定着し、さらに最近ではインド料理店もかなり増えてきて、本場インド風の“カレー” も食べられるようになっています。しかし、インド“カレー”も含めて、現在我々が本場インドの料理や食文化と考えているものは初めから今 あるような形だったわけではありません。それはムガル帝国、ポルトガル、英国といった外来勢力との関わりの中で作られていった物であると いうことが本書で示されます。

    イギリス人が「ソースを使い香辛料を効かせた料理」をカレーと総称し、そこから色々と工夫して新たな概念を 作りあげたという歴史的背景があること、そしてそこに至までの間に、各地域に色々な料理が発展していたこと、今では黒胡椒などと並ぶ重要 な香辛料である唐辛子はポルトガルの来航とともにもたらされたこと、そしてムガル帝国により肉料理やコメ料理についてペルシア風料理法が もちこまれ、ビリヤニ等ができてくること等々、非常に話題が豊富な本です。また、インドのチャイもイギリスの支配下で茶の生産が増え、 販売促進キャンペーンが行われるなかでできあがったものだということ、茶は伝統的なインドの浄−不浄の観念に当てはまらない物であり、 故に広く飲まれたということや、伝統的なインドの食に関する哲学と新しい食材や料理の関係等々にも触れられています。

    また、インドを支配した英国の人々の振るまいはあくまで自分たちが文明を代表する物だという立場をしめしているようであり、その辺は 「大英帝国という経験」でも触れられていたような気がします。一方で、インドの王侯貴族の中には英国の文化を取り込んでいこうとする 者もいたことがわかり、植民地支配の影響は色々なところに及ぶ事もよく分かります。単純に支配に対する反発ととらえているだけでは理解 できないものだということが分かるでしょう。料理を通じて大航海時代から現代までのインドの歴史について知ることができ、なかなか面白い 本だと思いますし、章末にレシピがついているので腕に自信のある人はこの本を見ながら自分で料理を作るという楽しみ方もできるのでは ないでしょうか。

    A.A.ゴルスキー(宮野裕訳)「中世ロシアの政治と心性」刀水書房、 2020年
    中世ロシアの4人の君主の生涯と政治的な動きをたどりながら、彼らに関連する4つのトピックについて同時代人やそれ以後の人々がどう 考えていたのかを史料を基に示していく一冊です。

    エイドリアン・ゴールズワーシー(宮坂渉訳)「カエサル」(上・下)白 水 社、2012年
    権力闘争の激しい共和政ローマに登場したカエサルについては、これを絶賛する人もいれば批判的に見る人もいます。本書では、 なぜカエサルが激しい権力闘争を生き抜くことができたのかを描き出していきます。軍事史家として評判の高い著者だけあり、 ガリアでの戦いやローマの内乱についての記述は興味深い。

    エイドリアン・ゴールズワーシー(阪本浩訳)「古代ローマ名将列伝」白 水 社、2019年
    ポエニ戦争の時代からユスティニアヌスの再征服戦争の時代まで、ローマの歴史に登場した名だたる将軍達の中から何人かを選びつつ、 軍事面から古代ローマの変化を見ていく一冊です。将軍と兵士の結びつきの変化や力関係の変化などが生じていく様子がよく分かります。 名将として功を上げた人々が決して幸せな人生を送れていない、晩年が不遇というところから、色々と思うところはあるでしょう。

    近藤和彦「近世ヨーロッパ」山川出版社(世界史リブレット)、2018 年
    ルネサンスや宗教改革、主権国家の出現と主権国家体制の確立、啓蒙と産業革命など、1500年から1800年ころまでのヨーロッパでは 大きな変化がおこり、それによってユーラシア西部の辺境にすぎなかったヨーロッパが世界各地へ進出していくことになりました。 本書では、そのあたりの歴史的なながれをコンパクトにまとめています。ヨーロッパにとり近世がどのような時代だったのかを手軽 に読める一冊です。「礫岩のような国家」のような国家の捉え方から、ナント王令廃止から「九年戦争(アウクスブルク同盟戦争)」、 に至る流れの中で、名誉革命をプロテスタントによる反ルイ14世戦争の一環として捉える見方など、いろいろと興味深い内容が 詰まっています。

    近藤二郎「ヒエログリフを愉しむ 古代エジプト聖刻文字の世界」 集英社(集英社新書)、2004年
    古代エジプトの文字であるヒエログリフは単なる文字であるだけでなく、文字の形の美しさもあいまって人々の関心を長きに わたって惹き付けてきました。1822年にシャンポリオンが解読に成功して以来エジプトに関する研究は急速に進み、現在では カルチャースクールにまでヒエログリフを扱う講座ができています。本書ではヒエログリフ解読の歴史、ヒエログリフの読み方 やヒエログリフが書かれた様々な遺物(その中には19世紀にプロイセン国王の誕生を祝って書かれた物もある)にまつわる 様々なエピソードが盛り込まれています。タイトルを見るとヒエログリフの読み方や書き方を詳しく書いてある本だと思って 読むと肩すかしを食うと思います。あくまでもヒエログリフで書かれた様々な物を入り口に古代エジプトへの関心を持っても らおうというスタイルの本です。

    今野元「マックス・ヴェーバー 主体的人間の悲喜劇」岩波書店(岩波新 書)、2020年
    マックス・ヴェーバーの著作や思想について詳しく取り上げた本は色々ありますが、本書は著作の紹介とかはあまりなく、ヴェーバー 本人の思想がどのように形成されてきたのかを明らかにしていく一冊です。かなり攻撃的、保守的、人種偏見(ポーランド人に対して 結構ひどいような、、、)などなどに満ちた彼の姿が明らかになっていきます。「で、何がしたいのか」と言われると評価に困るところ はありますが、まあ面白いかなあと。

    ジョゼフ・コンラッド(井上義夫編)「コンラッド短編集」筑摩書店(ち くま 文庫)、 2010年
    「闇の奥」で有名な作家コンラッドが書き残した「闇の奥」と非常に似たシチュエーション(というか、象牙積み出しとかアフリカの奥地って ところだけですが)、ただし登場人物はクルツになれなかった(ならなかった)「文明の前稍地点」、よその船から逃げてきた船員と雇われ船 長 の奇妙な関係を描いた「秘密の同居人」等の短篇が収録されています。個人的には「秘密の同居人」が好きでした。コンラッド個人の体験をベース にした話が多いような感じですが、面白いですよ。


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