講談社の「興亡の世界史」シリーズ


講談社から「興亡の世界史」と いうシ リーズの刊行がスタートしました。 知識ではなく知恵を、ということで色々と変わったことをしようとしているようなので、その内容をまとめつつ、軽く感想でも書いて 見ようと思います。2010年にようやく完結しましたが、ひょっとしたら何年かしたら文庫になるんじゃないだろうかと…。


青柳正規「人類文明の黎明と暮れ方」(第0巻)、2009年
先史時代からはじまり、各地で成立した古代文明についてとりあげ、人類の行く末を考えてみようという巻です。内容としては先史時代、 古代の諸文明について、最近の発掘や研究の成果をちょこっと追加しながらまとめたという感じです。ただ、個人的にちょっと心配なのは、 これを機に著者が文化人路線へとシフトしていかないかどうかと言うことですね。往々にして研究者が文化人化し、テレビや雑誌にちょろ ちょろと顔を出し、妙なことを言ったり書いたりするようになるきっかけの一つが文明論であることがおおいように感じられるので、その ような道を歩んだ他の人々と同じようなことにならなければよいのですが…。

森谷公俊「アレクサンドロスの征服と神話」(第1巻)、2007年(講談社学術文庫版 2016年)
アレクサンドロス大王の東方遠征とその最中の出来事を中心にした巻です。はじめにアレクサンドロスについて近代の歴史学ではどのように 描いてきたのか、さらに大王像がどのように変わっているのかをまとめています。次の章ではアレクサンドロス登場以前のギリシアとオリエ ント世界の関係についてもまとめられ、ギリシアとオリエントの間で文化的な交流があったことも示され、その中でマケドニアが台頭してき たことが書かれます。そしてアレクサンドロスの誕生から即位、東征出発、彼の死までの流れも軽く触れつつ、アレクサンドロス大王とギリ シア人の関係について彼が解放した小アジア、東征軍のギリシア人についてまとめたり、エジプト、バビロニア、ペルシアといったオリエント 世界の伝統とどのように関わっていったのか、王と将兵の関係、中枢での権力闘争、東方協調路線の限界、アレクサンドロスの人間像、そして アレクサンドロスの帝国とはどういう意義を持つのかと言ったことを最近の研究動向をもとにまとめています。

アレクサンドロス大王死後のヘレニズム世界についても単にギリシア文化の東方への伝播ではないこと、東征出発前の2年間が結構重要な意味 を持っていること、後継者諸将が彼の征服地の中にいくつも王朝を作る過程でアレクサンドロスの名声・権威を利用したためにアレクサンドロス の名が後世に残されたという指摘はなかなか面白いと思います。アレクサンドロスの伝記ではないのですが、第3章、第4・5・7章の冒頭の 東征略史をよむとかれの生涯については押さえられるようになっています。ヘレニズムというと良く出てくるアイ=ハヌム遺跡についてもギリ シア風一色ではなく、そこにはメソポタミア、アケメネス朝ペルシア、中央アジアの要素が見られると言うことが指摘されていますし、ヘレニズ ム時代の東方世界においてギリシア文化はそこに存在する色々な文化の一要素であるということが発掘により示されていると言うことも書かれて おり、ヘレニズムという概念の問題点についても改めて示されています。

「おわりに」でまとめられた武勲と名誉こそすべてという古代ギリシア人の価値観を究極まで追求し、空前の結果をもたらしたのがアレクサン ドロスであるというのが本書におけるアレクサンドロスの評価ととって良いと思われます。単なる伝記でなく、アレクサンドロスの帝国とヘレ ニズム時代をそれ以前の時代から連続した流れの中に位置づけようとした本であり、これはなかなか面白い本であると思います。
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林俊雄「スキタイと匈奴 遊牧の文明」(第2巻)、2007年
岩明均「ヒストリエ」にもちょろっと登場したスキタイとは、そして中国古代史を見る上で重要な存在である匈奴とは一体何者か、また彼ら の間で王権が確立し、強大な力を持つようになるのはいつ頃なのか、さらにさかのぼって人類が馬を家畜化し、騎乗したり馬車を引かせる 用になったのはいつ頃のことなのか。スキタイや匈奴と言った騎馬遊牧民について、主に考古学の成果を駆使しながら(スキタイについては 大部分は考古学の成果によっている)描き出していきます。スキタイに関しては考古学の成果を主に使っているため、遺跡の名前が色々出て きたり、聞き慣れない地名や人名にとまどうところもあると思いますが、スキタイについてヘロドトスが書き残したことがかなり当てはまる 事例があったり(葬礼について)、フィリッポス2世と戦ったスキタイ王の墓とおぼしき物が過去に見つかっていることが書かれていたり、 スキタイは西アジアに現れたとき傭兵のような感じで使われたと考えられることなど、興味深い記述が多数見られますし、スキタイの起源 神話の所では神話学の成果を駆使して書くなど、文献や神話解釈なども活用されています。一方、匈奴に関してはこちらも考古学の成果は 多く用いられていますが、司馬遷や漢書の記述があることから、此方の方がどちらかというと文献によって書かれているところが多い感じ ですし、中国史について詳しい人は既にどこかで聞いたことがある話も載っています。

考古学の成果をもとに書いているため、「おわりに」で著者も書いているように何か発見があると結論がひっくり返る可能性がかなり大きい とおもいます。これを読んでいると10数年前に定説なのかと思っていたことが考古学の成果によってひっくり返っていたということはあり ましたので、この本については数年後にどうなっているのか、ちょっと興味深い物があります。とはいえ一冊の本としては、スキタイや匈奴 について簡潔にまとめられた、なかなか面白い本であるとは思います。

栗田伸子・佐藤育子「通商国家カルタゴ」(第3巻)、2009年
地中海世界の歴史というと、古代ギリシア史・ローマ史をみてそれで終わり、と言う事になりがちです。しかし、古代地中海世界において、 ギリシア人やローマ人よりも古くから活動したフェニキア人については海上交易をしていた事とフェニキア文字の事くらいしか知られていない のが現実です。本書はフェニキア人の東地中海沿岸での活動から始め、彼らが築いた植民都市であり、地中海で強大な力を振るったカルタゴの 歴史を、その建国から滅亡までの長い時期をまとめていきます。

文献資料がそれ程多いわけではなく、残されている物もギリシア語やラテン語の文献だったりするフェニキアの歴史ですが、考古学の成果も もりこみながら、フェニキア人およびカルタゴの歴史についてまとめています。カルタゴの社会や宗教、国家の仕組み等々、最近の研究成果を基 にして書いている本でフェニキアやカルタゴについて、何か大まかな事を知りたい時には、これを読めばよいと思います。また、ポエニ戦争より 前の時点におけるカルタゴとシチリアの関係とか、オリエント世界におけるフェニキア人と周辺諸国の関係など、案外目が行き届きにくいところ についても述べた箇所があり、そこも興味深いです。

本村凌二「地中海世界とローマ帝国」(第4巻)、2007年
ローマの建国から、ローマ帝国の東西分裂、西ローマ帝国の滅亡など古代末期までを扱った1冊です。しかし単なるローマ史概説ではなく、 「世界帝国」ローマの登場以前にオリエント・地中海世界に存在したアッシリア、アケメネス朝ペルシア、アレクサンドロス帝国をとり あげ、それぞれ「強圧の帝国」「寛容の帝国」「野望の帝国」と位置づけ、これら先行した帝国と比べて長く安定した帝国をローマがなぜ 作り得たのか、そして作り上げた帝国がどのように変貌していったのかということを、ローマの歴史で活躍した様々な人物の話を盛り込み ながら進められていきます。

ローマ人の心に刻まれ、彼らの精神を鍛え上げたものは父祖の物語であり、「父祖の遺風」がローマ人の行動規範となってローマをイタリア 半島統一達成やカルタゴとのポエニ戦争での勝利をもたらしたと言う形で説明したり、多神教帝国ローマが一神教に取って代わられる背景 として主が十字架で犠牲になるという物語のわかりやすさ、下層民が救いを求める状況にあったこと、心の豊かさが求められるといったこと を挙げて説明するなど、古代人の心性の面からローマ帝国の歴史をまとめているようです。しかしだからといって堅苦しく難しいかというと、 そのようなことはなく、カエサル、アウグストゥス、スキピオ等々ローマ史を彩る個人についての話を盛り込みながら進められていて飽き させない作りになっています。一方、社会経済史や文化史にまつわる部分は少々少なめですが、それについては別の物を合わせて読むべき でしょう。

森安孝夫「シルクロードと唐帝国」(第5巻)、2007年
中央ユーラシアで活躍したソグド人、突厥、ウイグルの動向を最近の研究動向やなかなか目に触れる機会のない文書の邦訳を多く掲載しな がらまとめ、さらに中国史からではなく中央ユーラシアの側から唐という国を見なおしていこうとしています。日本における中央ユーラシア 研究の成果を研究者の名前をあげながら取り上げているのでこの時代や地域について知りたい人にとっては入り口になる本だと思いますし、 史料の邦訳もものによっては掲載されていたりするので、概説書ではあるけれども意外と史料的な価値がある本であるとおもいます。ただ、 後書きの文章で言っている事は正直なところ感心しないし(あれでは暗記する項目が変わるだけで終わってしまう可能性大です)、この本 など中央ユーラシア研究者の示す「世界史」を学ぶことが今後我々人間が生きる上で何をもたらすのかがあまり伝わってきませんでした。 とりあえず、世界史の舞台としての中央ユーラシアの知識を頭の中に入れるとか、この地域の研究動向を押さえたいという人にはおすすめ ですね。

小杉泰「イスラーム帝国のジハード」(第6巻)、2006年
イスラームの誕生からウマイヤ朝、アッバース朝の歴史までを中心に扱いつつ、しばしば誤解されがちな「ジハード」という言葉を 切り口にしてイスラームの歴史を誕生から現代まで見ていこうとしています。アッバース朝以降の王朝の歴史についてはかなり軽い 扱いになっています。いっぽうでムハンマドの生涯についてはかなり詳しく書かれており、彼を取り巻く人々についても結構詳しい のですが、後になると段々軽くなっているような所もありました。制度や社会や文化という点についても類書と比べると軽めですが、 イスラーム国家やイスラーム社会の歴史を扱った別の本でそう言ったところはカバーした方がよいように思われます。後半2章は最近 の問題にまで踏み込んでいますが、ジハード(内面の悪との戦い・社会的公正の樹立・外的からの防衛)という言葉が元来どのような 意味を持って使われてきたのかと言うことを理解した上で現代の問題を考えていくというのは「知識ではなく知恵を」という本シリーズ の執筆姿勢からすればありなのだと思います。後半2章で扱っていることは評価が定まらぬ問題であり、納得いかない・釈然としない という感想は当然でると思われますが、あえて踏み込んだという点は評価されてしかるべきかと思われます。

原聖「ケルトの水脈」(第7巻)、2007年
ヨーロッパに広く存在したケルト人およびケルト文化について扱っています。話の中心はブルターニュ、ブリテン島、アイルランド ですが、先史時代の辺りから現代までと言うかなり幅広い時代を扱い、古代ケルトの時代、中世のブルターニュやアイルランド、 ウェールズの文化圏のはなし、そして近代のケルト復興の動きまでをまとめています。なお、本書の最初の方で「ケルト」について かなり詳しく設定慕う絵で話を進めています(「ケルト」という言葉を巡っては色々と問題が多いので)。

第1章がブルターニュ地方の民俗学・文化人類学的な記述になっており、その次から歴史的な事柄に入っていくのですが、第1章の 異教的な要素の話や妖精・妖怪の話などについて行けるかどうか、地名や人名の表記が通常の物と少々違うのでそこになじめるか、 それによって楽しめるかどうかが分かれていくように思えます。個人的には、ブリテン島・アイルランドの『ケルト概念』自体を 問題にする近年の研究動向についてももっときちんと紹介してほしいと思います。一方、ドルイドについてなかなか面白いことが かかれており、ピュタゴラス派との関係があったのではないかということがふれられています。また、アーサー王伝説についても、 あれがなぜ全ヨーロッパ規模で広がっていくことになったのか軽く触れていたりします。後半の内容は同じ著者の「〈民族起源〉の精神史」 (岩波書店、2003年)を読んだ方が詳しいことがわかるとおもいます。

陣内秀信「イタリア海洋都市の精神」(第8巻)、2008年
中世の地中海世界で栄えたイタリア海洋都市ヴェネツィア、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァを中心に、南イタリアの諸都市(ガッリーポリなど)、 さらにはヴェネツィア人が東地中海世界で活動する過程で発展した都市をとりあげていきます。そして都市の来歴、そこにある建造物や 都市の構造、景観から様々な情報を引き出していこうとしているように感じました。これを読むと、実際にヴェネツィアやジェノヴァ、 アマルフィといった町に行ってその様子を見たくなってきます。普通の「歴史の本」を期待すると、かなり違う内容になっているような 感じもしますが、これはこれでいいのかもしれません。

杉山正明「モンゴル帝国と長いその後」(第9巻)、2008年
ユーラシア大陸の大部分を支配下に置いたモンゴル帝国がどのようにできあがり、発展していったのか。そしてモンゴル帝国以降 のユーラシア大陸各地に生まれた諸国家にどのような影響を与えたのかということを中心に、モンゴル時代に世界に関する知識が 集積され、その成果として登場する世界史や世界地図をとりあげるほか、ラバン・ソーマの旅をたどりながら東西交流の発展につ いて説明したり、かつてスキタイや匈奴といった騎馬遊牧民の連合体という仕組みがユーラシア大陸一体を制圧したモンゴル帝国 のもとで整備され、そこで確立された国家システムがその後のユーラシア大陸各地に出現した諸帝国に継承されていったことが まとめられています。そして最後の章でアフガニスタンには遊牧民国家の特徴が今もなお色濃く残されている事が指摘されています。

著者の他の著作を読んでいると、既にそこで見たり読んだりしたことが多いような印象も受けましたが、同じ著者の他の著作と比べ、 内容と関係ないところで引っかかったりすることなく、意外とスムーズに読み通せました。余計なつっこみや独り言があまり無かった からでしょうか。昔に比べると他の歴史研究について小馬鹿にしたような物言いが少し減ったからか?でも、あいかわらずレグニツァ の戦い幻説を唱えているんですが、この辺で議論があったという話は見かけないですし、いいのかな、このへん。また、ロシアに関しては 動乱期とロマノフ朝成立という辺りでイヴァン4世の頃とは変わったような気もするんですがどうなんでしょう。

林佳世子「オスマン帝国500年の平和」(第10巻)、2008年
東地中海世界を支配したオスマン帝国の歴史を、オスマン候国誕生前からマフムトの時代までまとめている一冊です。そのため、近代 オスマン帝国の歴史については軽く触れているだけです。大まかな内容は同じ著者による「オスマン帝国の時代」(山川出版社)と だいたい同じような印象を受けました。「オスマン帝国の時代」ではコンパクトにまとめていた部分の説明をかなり増やしたのでしょう。 とりあえず、徴税請負=体制弛緩というイメージは、17世紀のオスマン帝国については当てはまらないということが理解できただけでも 良かったかなと思います。

扱っている時代をみると、オスマン帝国史の概説書として評価の高い鈴木董「オスマン帝国」(講談社現代新書)と同じですが、両者を くらべると現代新書ではスレイマンの時代が頂点でそのあとはかなり軽い扱いになる上、スレイマン以降は衰退の時代として扱っている のに対し、興亡の世界史では体制の変化があった時代ではあってもただ単に衰退していったとはとらえておらず、かなり詳しく説明して いるところが違っています。やはり両者の間にある16年という年月の間にオスマン帝国研究の新しい成果を盛り込みやすくなったという ことでしょうか。

石澤良昭「東南アジア 多文明世界の発見」(第11巻)、2009年
長年東南アジアのアンコール遺跡発掘に関わってきた著者の手によって書かれた、アンコール王朝の歴史です。最初の章で東南アジア全体 の概説を付けていたり、近現代の東南アジアの歴史にもそれなりに分量を割きつつ、碑文や中国の史書、出土資料をもとにして、アンコール 王朝の歴史をまとめています。どうしても固有名詞が覚えられないという人には少々辛い東南アジア史ですが、第1章を読むだけでも全体像を つかめるようになるのではないかと思われます。アンコールワット関連・世界遺産関連の本は多数ありますが、アンコールワットなどの建造 ブツをのこした王朝の歴史については知らない人も多いと思います。アンコール朝がどのような王朝だったのかをしるには良いと思います。

網野徹哉「インカとスペイン 帝国の交錯」(第12巻)、2008年
スペインによるインカ帝国征服から、ラテンアメリカがスペインの支配から離れていく頃の時期までを扱い、スペインによる植民地経営や、 現地の人々と征服者の関係、植民地の社会の様子、新大陸におけるユダヤ人の活動などをまとめています。前半4章が後半に向けての長い 前振りのような感じになっており、そこでインカ帝国の歴史と中世スペインの歴史が扱われています。スペイン支配下でのインカ族やインカ 帝国の記憶の扱いは余り触れている本がないので、インカ貴族が過去の歴史を持ちだしてスペイン国王から特権を引き出したり、18世紀に インディオの反乱が起きたときには反乱軍鎮圧の側に立って戦ったりしたこと、さらにインカがスペイン到来以前の物の象徴として扱われ るようになったことから、新大陸でのユダヤ人の活動(ポルトガル系の人たちがネットワークを張り巡らしていた)など、個別の事柄では 面白い物が色々あると思います。

福井憲彦「近代ヨーロッパの覇権」(第13巻)、2008年
世界の歴史上、ヨーロッパが世界の覇権を握るのはようやく近代に入ってからのことであることは最近ではよく指摘されています。アジア に比べると、貧しくてなおかつ遅れていたヨーロッパが世界を主導する立場に立ち、ヨーロッパの価値観が地球上を覆っていく近代の歴史 をまとめた巻です。大航海時代から始まり、近世の絶対王政期、科学革命や啓蒙思想、環大西洋革命、産業革命、ナショナリズム、帝国主義、 そして第1次世界大戦といったことを扱っていきます。最近の歴史の本を色々読んでいる人からすると、目新しいことは書いていないと思う 本で、読んでいると何となく高校の世界史の本でも読まされているような印象を受ける一冊ですが(東京書籍の「世界史B]の近代史と何か かぶるなと思ったら、福井先生はあの教科書の執筆者の一人でした…)、近代ヨーロッパについて細かい事柄に深入りすることなく、近代 ヨーロッパの歴史を大まかに押さえるにはちょうど良い本だと思います。

土肥恒之「ロシア・ロマノフ王朝の大地」(第14巻)、2007年
ヨーロッパとアジアの間にできた、ロシアのロマノフ王朝の歴史を扱った巻です。ロマノフ王朝成立前史としてキエフ・ルーシ、「タター ルのくびき」のロシア史への影響、イヴァン3世やイヴァン4世(雷帝)時代の発展といったことからはじまり、終わりはソヴィエト連邦 の解体までを扱い、通史のような体裁になっていますが、やはり中心はロマノフ朝の歴史です。内容的には同じ著者により書かれた「よみ がえるロマノフ家」の内容のうち、社会や経済に関する記述を増やしたこと、ロシアの対外進出(カフカース、中央アジア、極東方面)に ついての記述に1章があてられて内容も充実したことは挙げておくべきでしょう。一方で、前著と比べて書き方が軽くなった部分もあ りますが、全体としてロマノフ朝の概説書として手堅くまとめられているとはおもいます。ただ、近世ヨーロッパとの関係という文脈に ついても色々書いても良かったのではないかという気はしています(近世ヨーロッパについて「紀律国家」という視点があるらしいですし、 ロシア史の本でそれについて触れた物があり、この本の参考文献にもあがっています)。
日々の雑感3月26日の記事も参照

羽田正「東インド会社とアジアの海」(第15巻)、2007年
ヨーロッパ諸国でアジア貿易のために作られた東インド会社という独占企業があります。17世紀にオランダやイギリス、フランスなどで 作られたこれらの会社がどのような組織を持っていたのか、東インド会社が進出したアジアを舞台とした交易や人の移動はどうだったのか、 日本とこれらの動きがどう関係するのか、どのような船を使ってどんなものを食べながら航海していたのかなどをまとめていきます。さら に、東インド会社の活動がヨーロッパの社会を変えていくことになるとともに、アジアでも商品となる作物を作るなどの社会変化を引き起 こしたことがまとめられています。東インド会社の活動が「世界の一体化」に果たした役割は何なのかを考えていこうとしている本です。 また、東インド会社の活動に関わった3つの町に関係のある人物を取り上げた章があり、そこでじゃがたらお春が取り上げられていましたが、 悲劇的なイメージのある彼女についてはかなりしっかりがんばっていた様子がかかれています。また、第1章にまとめられたヴァスコ・ダ・ ガマの航海の詳細や、オランダ東インド会社の東南アジア進出、マカオ建設、イギリスのインド進出等々、事項として知っていても内容を 詳しく教わることがない内容が多数含まれています。

本書ではヨーロッパとアジア、アジアでも東アジアとインド洋世界ではいろいろな違いがあるということが度々指摘されています。たとえば インド洋世界と東アジア世界で貿易に対する関わり方が大きく異なり、とにかく貿易を管理をしようとする東アジアと開放的なインド洋と いう違いが見られること、さらにはキリスト教を禁止した東アジアと特に取り締まらないインド洋世界の違いが指摘されています(そして、 その地域の状況に応じて東インド会社のとる対応も異なっていますが、それもこれもいかにして貿易で利益を上げるのかということに由来 しています)。さらに、国家についても主権国家体制をとるヨーロッパと人を支配するインド洋世界、主権国家的な江戸幕府といった違いが あることに気づかされるような書き方になっています。また、近代ヨーロッパの誕生はヨーロッパ単独の力によってではなく、ヨーロッパ以外 の地域の活動によって成し遂げられたという指摘はかなり重要だと思われます。

本書で扱われている時代や地域に関しては各地域ごとの研究の蓄積が膨大であり、著者も各地域の専門家から様々な批判を受けることは 承知しているようです。そのうえで、あえて東インド会社の成立から衰退に至る200年ほどの期間の「世界史」を書き、「日本」をその中に 位置づけようと試みた事に意味があるのだと思います。せっかく個別にいろいろな研究がなされ、成果を上げているのならば、現段階でそれ を総合して一つの歴史像を描く努力は行われなくてはならないことですから。

井野瀬久美惠「大英帝国という経験」(第16巻)、2007年
大英帝国の繁栄と衰退の歴史を、「イギリス人らしさ」とはなにか、イギリス人にとりイギリスとはどのような国であり、どのような国民 であると見てきたのか、それがどのように変容してきたのかといったことに焦点を当てながらまとめられた1冊です。植民地アメリカを失 った時、帝国の中心をアジアやアフリカのほうに移していったとき、カナダやオーストラリアなどの自治領が自立を強め、独自の道を行こう としたとき、そして第二次大戦後に植民地が次々と独立していく時、それぞれの時に「イギリスらしさ」が修正を迫られたことや、帝国の 変貌について扱っている本だと思います。内容としては、アメリカが物質的にはイギリスと同じで、イギリスではアメリカの人もイギリス人 と見ていたが植民地人の意識とずれがあったことや、アメリカ喪失がその後の大英帝国の性格を変貌させ、新しい帝国へと再編しなおす契機 であったことに触れ、その後は帝国について想起させる色々な物の存在(品物から博物館、観光旅行等々)についての記述があるほか、ヴィ クトリア女王の時代に君主の家庭が理想の家庭としてみられるようになる経緯、外へと盛んに出て行く女性たちといった様々な事柄に触れな がら、近代のイギリスについて描き出していきます。

つねに「イギリスらしさ」が問題となり、今も自分たちのアイデンティティについて模索し続けるイギリスで最近大英帝国について取り上げ ることが増えているそうですが、道徳的によい方向に変えていこうと努力し、博愛主義的な行動をとり、文明化の使命を果たそうとする帝国 として19世紀のイギリスがイメージされているのかもしれません。そのことは国王一家も道徳的に模範となることが求められ(そしてそれを ヴィクトリア女王は演じきったようです)、外へ出て行く女性たちにも「文明」の側の人間としての振る舞いが求められる(どんな場所であ ってもイギリスにいるときと同じ格好で旅をする)と言ったことに現れているように思われます。より良き世界への導き手として、様々な人 や世界を支配下においた大英帝国の過去のイメージに引きつけられる人は多いのでしょう。なお、この本は自己と他者の関係の中で自己認識 を形成していくということを近代イギリス史を題材に描き出しているほか、過去の歴史とどのように向き合うのかと言うことについて考えさ せる内容が含まれています。そう言う点でもこの本はしっかり読んでおくべきでしょう。

平野聡「大清帝国と中華の混迷」(第17巻)、2007年
清朝の統治が現在の中国に正負様々な遺産を残したということは、現在の中華人民共和国の領土は清の版図とほぼ重なっていることや、 チベットやウイグルなどの民族問題を現在もなお抱えていることからもあきらかでしょう。本書は清朝は「中華帝国」ではなく、モンゴルや チベット、ウイグルと言った地域を支配する「内陸アジアの帝国」として捉え、内陸アジア帝国として領域をまとめる上で重要な役割を担った のがチベット仏教であり、中華世界の漢字と儒教ではまとめられなかったと指摘します。そして、中華と内陸アジアをまとめた「中外一体」の 実現のためには満洲族が支配者にふさわしいこと・諸民族の平等・固有の文化の尊重と言ったことを実現し、それを示し続けることが必要であり、 雍正帝や乾隆帝はそのために努力した様子が描かれています。

後半になると、雍正帝や乾隆帝時代の「盛世」が崩れ、清朝が欧米諸国主導の主権国家体制の中に組み込まれ、洋務運動、変法自強、そして 辛亥革命による清朝滅亡という過程が描かれていきます。「盛世」が崩れた頃、経世儒学者により従来の中華ではなしえなかった「中外一体」 の版図を乾隆帝は達成したと評価されています。この「中外一体」の版図こそが、のちに中国の領土として主張される物になっていくわけです。 清朝が近代国際関係に適応しようとする中で内陸アジアの帝国から近代東アジアの帝国へと転換を進め、そのことがチベットとの関係も大きく 変える要因となっていく(仏教文明の中心から遅れた暗黒の世界へ)こと、洋務官僚が政界で力を持つようになる中で藩部も含む版図すべてを まとめた近代主権国家中国が構想されたことや、朝貢国に対する影響力を宗主権と規定することで朝貢国の確保を図るようになり、それが日清 戦争への道を開くことになったことも指摘されています。そして、清末の新政で国民国家経世を目指す動きの中で自主性を否定されたチベット、 モンゴルは不満を募らせ、結局辛亥革命ののちにモンゴルは独立、チベットは事実上独立にいたるという所まで触れられています。現代の状況 についても随所で触れられていたり、著者自身が現地に赴いたときに撮った写真は体験したことも盛り込まれています。

姜尚中・玄武岩「大日本・満州帝国の遺産」(第18巻)、2010年
満州国に関わり、戦後の日本と韓国の政治に深く関わった岸信介と朴正熙を扱いながら、満州国と朝鮮、日本の関わり、そして戦後の両国の 歩みと満州国の影響、そのようなことをまとめています。岸信介パートおよび満州国の歴史自体については、既に膨大な先行研究があり、 この本でも山室信一氏の中公新書の著作が良く引用されています。そういうところでは特に目新しさはない本ですが、朴正熙パートおよび 朝鮮と満州の関係についてはなかなか興味深い内容が含まれています。

大日本帝国の植民地となった朝鮮の人々にとり、新たに出現した満州国は一発逆転のチャンスのある「フロンティア」であり、そこに賭けた 一人である朴正熙の壮絶な生き様を見られる貴重な本だと思います。それ以外は、まあ、特に無いかなと(先行研究が多い分野ですし)。

生井英孝「空の帝国アメリカの20世紀」(第19巻)、2006年
20世紀アメリカの歴史を「空」との関わりから論じていった巻。ポスターとか写真、映画といった視覚資料についての記述や、アメリカ 文化の話等々は結構面白かったです。全体を読んでみて、著者の専門である映像論・視覚文化論的な記述は面白く読めました。しかし、 「空の帝国」というタイトルは全体を読み通して見た今でもなお一寸違和感を覚えます。アメリカの航空産業の話をしたいのか、はたまた アメリカ空軍の話をしたいのか、この本からは後者の方が比重が多かったのですがもうちょっと航空産業の話入れた方が良かったと思いま す(著者後書きにもそのようなことが書かれていましたが)。また、色々なテーマ(ジェンダー論から軍事、航空産業、視覚文化まで)を 一冊に含んでいて、個々の題材は面白いのですが、全体としてこれはどういう本なのか少々焦点がはっきり絞れない印象を持ちました。 一応切り口は「空」なのですが、それとあまり関係のない記述もかなり含まれていました。そう言うわけで、この本を読んでアメリカの20世紀 がすぐ分かるかというと難しと思われます。一度何か別の本を読んでアメリカに着いてある程度知識を入れてから読むときっと面白くよめ る本でしょう。

青柳正規ほか「人類はどこへ行くのか」(第20巻)、2009年
シリーズ完結前に総集編のような巻がでていますが、他の巻では扱えなかったテーマ(アフリカ)や、個別のテーマ(海と世界史、宗教、 日本と世界史(とはいっても中国史との関わり)、人口)、これからの世界史についてのエッセイや対談がまとめられた内容になって います。他の巻と異なり、通読するのでなくて、つまみ食いのような形で読んでいっても十分分かるような一冊です。5章のアフリカの話 はなかなか興味深く読めましたが、あとはまあ、そうですねえ、適当で良いんじゃないかと。


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