日々の雑感(2006年7月〜9月)

通常の日々の雑感へ

9月30日
久しぶりに「ろしあ亭」へいってロシア料理を食べてきました。ひょっとしたら1年くらい行っていなかったかもしれません。 久しぶりに行って、キャベツの酢漬け、ニシンの酢漬け、ウハー、それとメインのビーフストロガノフを注文。飲み物はロシアの 「バルティカ」6番という組み合わせにしてみました。久しぶりに食べたので美味しかったですが、これを大量に食べていたら 健康診断で引っかかるのも無理はない。前菜とスープはかなりヘルシーにしたものの、メインが重かったからまた暫く節制しないと いけないなと思います。

その後久しぶりに神田の飲み屋へ。メニューが一部変わっていました。

9月28日
随分前に購入した「蝶採り」を鑑賞。古城に暮らす亡命ロシア人の女性2人と彼女たちを取り巻く様々な人々(インドのマハラジャ、 宗教団体、隣の城の公証人)からなるのどかな田舎社会が資本主義の流れの中に呑まれて変わっていく様子を淡々と、一寸おかしく 描いた作品です。劇的な場面が出てくるというわけではありませんが、見ていて何となく面白いというかおかしいというか、そんな 感じを与えてくれる作品です。で、日本人商社マンが出てくるのですが、何となく不思議な感じの人たちが出てきました。大勢で自転車 にのっていたり、古城を買い取ってそこに妙な日本語の垂れ幕や「財」の文字のついた門を設置したり・・・。

9月25日
ちょっくら旅(というか出張ですが)に出ていました。で、旅先から今日帰ってきたのですがたいした土産はありません。 更新するようなネタも特にないですし(仕事がらみのことは極力書かない主義ですので)。

旅に出ている間に何か世の中で変わったことでもあるかと思ったものの、これもまた特になかったようで。何もないのが良いのか 悪いのかは分かりませんが、まあ良いと言うことにしておきましょう。

9月19日
頭髪と世界史というテーマで何かかけないか思案中。とは言っても今のところ分かるのはメロヴィング朝のフランク王国では 王族以外は長髪にできなかったとか、ユーラシアの弁髪とか、そんなくらいしか思いつかなかったりします。その他しりとり では「ス」でおわる人物で結構ネタに詰まっています(ギリシア・ローマ史の人は使わないようにしようと思ってるので)。 なかなか使える文献が集まらないので・・・。マケドニア史については調べて書く時間がとれないので当分無理でしょう。

9月14日
これまでにも度々書いていることですが、うちのサイトにもちゃちながら一応アクセス解析がついています。あれの推移をみていると、 「ヒストリエ」の単行本が出たときは尋常ならざるアクセス数(といっても普通のサイトからしたら普通のアクセス数ですが)を記録 した一方で、映画の「アレキサンダー」のときにはあんまり普段とアクセス数が変わらなかったり、どこのリンクから来ているのか等々 がわかったりします。

で、昨日帰宅後にアクセス解析を見ていてここのところと比べると異常なアクセス数の多さ(通常時の数倍)を記録していたので何が あったのかとおもって見ていると、うちも登録している歴史系リンク集から、それもカテゴリ別ページではなくて登録サイトのアクセス ランキングのページから来ているのですが、うちのサイトのランキングを上げようというキャンペーンでもやっているのでしょうか。 あまりそう言うことをしない方がいいとおもうのですが、どうなのでしょう。うちのサイトなんか上に上げても、ネット上で歴史の好き な人の多くが興味を持っているのは戦国時代とか幕末、三国志あたりであり、それとはほとんど関係のないうちのサイトが上の方に来て もあんまり意味は無いと思うのですがどうでしょう。

9月11日
ここのところ家の近所のうどん屋が気に入っています。最近は讃岐うどんのお店が東京でも増えていますが、そう言う店に行かずとも 武蔵野うどんのうまい店はいろいろあるのに・・・。お酒が飲めなくなったので、一寸かわりにうどんの店探しでもしてみようかと思 う今日この頃です。ある程度情報が集まったら、またロシア料理とか中東系料理みたいに一覧でも作ってみよう。

9月6日
この夏は実は減量に成功しました。というか実は夏に体重を減らすことができたのはこれが始めただったりします。普通夏というと 体力を結構消耗したり汗をかいたりして体重が減る人が多いと思いますが、実は私の場合夏は太ることの方が多かったのです。暑い から体力を消耗するとまずいなと思って普段異常に食べていたのですが、今年は健康診断の結果のこともあり減らすべく努力した 結果、2キロ以上の減量に成功しました。しかし秋から冬にかけて太らないように気を付けないといけませんし、何よりお酒を飲め ない状態を何とかしたいなあと思っているのですが果てさてどうなっていることか。

9月5日
とりあえず帰還しました。疲れた・・・。

家を留守にしている間に高額な買い物が届いたりしたらどうしようかと心配していましたがそう言うことは全くなかったようです。 しかし、そろそろ届くはずなんですが。また、この間に古代中国の本とネアイラの本を読み終えました。それくらいかな。この2冊 にかんしては近いうちに感想をアップする予定です。あとは暫く留守にする前にイスラム関係の奴も読んだ気がしますが、それも どこかで感想を書くつもり。

8月31日
明日から暫く留守になります。9月4日夜に帰宅するまでは更新は停止しますし、メールや掲示板への御返事もできません。

そろそろ本気で家にある本を何とかしないと行けないのかなと思う今日この頃。しかしうちにある本の多くは図書館で借りると 言っても結構面倒だったりするものもあるので(地元の図書館にはおいていないので、取り寄せてもらうことになります)、 あまり手放したくはないんですが、置く場所がなくなりつつあるという現実を考えると何か手を打つべきなんだろうなあ。 とりあえず、直近で必要な物、サイト更新に使いそうな物は残そうと思うのですが、そうなると結局全部残すのと変わらないし。 思想関係・社会学・政治学と言った辺りは手放してもいいかなあと最近思うこともありますし、面白そうかなと思って買ってみた けれども面白くない本というのも少しあるのでそう言った辺りから古本屋にもっていこう。

8月29日
本日、「太陽」を鑑賞してきました。終戦直前から、マッカーサーとの会見、そして人間宣言までの昭和天皇を題材に、現人神から 人間になる天皇の姿を描いた作品です。一人の人間として昭和天皇を描き出す映画です。イッセー尾形扮する昭和天皇と侍従長や老 侍従とのやりとり、椅子の譲り合いを巡るシーン、写真撮影の時のチャップリン、一人で踊ったり蝋燭を消すシーン等々、和やかで コミカルなシーンが多々見られる間にふっと苦悩する様子が挟み込まれていたり、戦争の責任、さらにラストで判明する人間宣言 が引き起こした事態などシリアスな場面がみられます。天皇家の長男に生まれたと言うことで本人の意志に関係なく背負わされる物、 そして人間宣言で神から人となったことで新たに生じた責任、そう言った物を背負いながら生きる昭和天皇の姿を描き出しているの ですが、我々がテレビで見た昭和天皇の感じってこういう感じだったよなあとついつい思わされてしまいました。勿論我々は昭和天皇 のプライベートについては知らないわけですから(その辺の情報はほとんどでていないですし)、にもかかわらずこういう人なんだと 思わされてしまうというのは監督の腕でしょう。

8月23日
ここのところマウスの具合が何故か悪く、思うように動かなくなることが度々ありました。前もセキュリティアップデートをダウン ロードしたときにおかしくなったのでそれが原因なのかと思っていましたが、どうやらマウス自体がダメになっていたようです。 その証拠に今日買ってきた新しいマウスにしてからは非常にスムーズに動いています。いらいらすることなく出来ていいのですが、 これなら早めに買い換えるべきだったかと。

8月20日
とりあえず、前に書こうと思っていた「スーパーマン・リターンズ」の感想でも簡単に書いておこうかと。話自体は地球に戻ってきた スーパーマンが宿敵レックス・ルーサーと戦うという基本線は変わらず、そこにいつの間にか子どもがいて婚約者もいるロイスとスーパー マン(=クラーク・ケント)の話がからんでいるというもので、この後続編もありそうな作りになっています(ただ、興行成績はそんなに 悪くないけれど作る時点でお金を使いすぎたので続編制作が危ぶまれているという話もあるのですが)。バットマンやスパイダーマンと 違って悪人との壮絶アクションというのがあるわけではないので、その辺の所を期待するとちょっと肩すかしな感じはあると思われます。 とはいえ、基本線は昔と同じ分(人間ドラマの部分をかなり増やしていますが)安心してみることは出来るとおもいます。また、昔の スーパーマンを知っているとなるほどこういう事かと分かるシーンもいろいろあります(例の「鳥だ」「ロケットだ」と言うフレーズが 妙なところに出てきたりします)。

スーパーマンは生まれながらにしてスーパーマンであり、クラーク・ケントの方が別人格であるという点でバットマン(富豪のブルース・ ウェインがバットマンに変装している)やスパイダーマン(その辺にいる青年ピーター・パーカーが蜘蛛にかまれ力を得た)とは違うんだ というアメコミヒーロー論が「Kill Bill vol.2」にて語られていましたが、今回のスーパーマンは「2」の続編という設定であり、地球を 離れてから5年後という設定で、その間自分の故郷クリプトン星を見に行って戻ってきたということになっています。普通の人間にはなれ ないし、ロイスに本当のことを言うわけにもいかないが故に一度地球を離れてみた物の居場所は地球しかないことを知って戻ってくる ことになったというわけですが、スーパーマンとしての能力(透視や聴力)をつかってついついロイスの家の様子を探ってしまうところや、 消耗しきったスーパーマンが病院に担ぎ込まれていく場面などは人間的な所を入れてみようとして撮ったのかなと思われます。

8月14日
世間がお盆休みと言うこともあってか、電車も何となく空いていました。しかしそろそろ帰省先や行楽地から戻ってくる人もいる ようですね。東京駅に大きな荷物を持った人がかなりいましたが、これから行くのか帰ってきたのかどちらかなのだと思いますが。 時期的にそろそろ戻ってくる頃かなと。

そんな中、何故か私はウォールバンクのポリュビオスの注釈書を手に入れることに成功しました。家に帰ってみてみると、どうやら ウォールバンク自身が前201年の出来事について自説を撤回してキオス→ペルガモン→ラデ→カリアという順番を取る説に変わった ようです。そうなると、サイトに載せたフィリッポス5世の記事のかなりの部分を書き換える必要があるようです。道理で最近のこの 時代の本をみるとキオスが先に来ているわけだ・・・。まあ、納得がいったので、書き換えることにします。こうやってみると、 新しい研究動向にアクセスできない状態でサイトの更新をするのはやはり大変ですね。なんとかしないといけないな。

8月12日
いや〜、今日の雷はすごかったですね。おかげで電車のダイヤが乱れて大変でした。上野駅付近に落ちたということですが、 あんな所で雷が落ちるとは思いませんでした。

夜は「スーパーマン・リターンズ」を鑑賞。前のシリーズを見ていない人でも結構楽しんでみることが出来ると思いますが、 やはり1と2は見ておいた方がよいかもしれません(一応2の続編という扱いになっている映画です)。しかし、あの定番の テーマがかかるだけでもなぜかわくわくしてしまいます(このへん、スターウォーズと同じですが)。正式公開前なので、感想は あまり詳しく描くとまずいかなと思い、暫くたってからのせます。

8月10日
本日、映画を長編2本、短編1本鑑賞。「ピロスマニ」と「火の馬」、それと「ピロスマニのアラベスク」です。実は「ピロスマニ」に ついては途中結構寝てしまったため、断片的にしか覚えていないところもあるのですが、画材をもって流浪し、居酒屋の壁に掛ける絵 等を書きながらその日暮らしの生活を送るピロスマニの悲惨な境遇と芸術家としての彼の清廉さのような物を感じさせられる映画でした。 流浪する画家と言うことで山下清のようなイメージを持ってしまいましたが、山下清が生前から結構評価されていたのと比べて彼のほうは モスクワの画壇から全く評価してもらえず、生前はその絵がまともに評価されなかったと言うところがかなり違うかと。

そのピロスマニの絵画をこれでもかとばかりに次から次に出してくる「ピロスマニのアラベスク」を見た後、「火の馬」がはじまりました。 「火の馬」は人によってはカルパチアのロミオとジュリエットなんて言う人もいます。確かに前半は対立する家に生まれたイワンとマリチカ の恋愛が中心ですが、マリチカがイワンの出稼ぎ中に死んでしまってからはマリチカへの思いに取り憑かれたイワンの話になり、その部分が かなり長い(というか映画の半分くらい)部分を占めています。死は愛する二人を分かつ物でもあり、なおかつ再び彼らを結びつけたものでも あるといったところでしょうか。マリチカを失った後にイワンがどんどん壊れていく様子(妙な術にまで頼り始めるし・・)がなんとも言えず 見ていて辛い感じがしてしまいました。始めの方で、イワンの父親がマリチカの父親に殺されるシーンや、他のパラジャーノフ作品でも見られ る一瞬ノイズで映像が飛んだのかと思うようなつなぎかた、後半の何だかひずんだかのような感じをあたえる場面があったり、映像面でかなり 変わった表現が見られたのが面白かったです。

8月8日
今日を含め、最近3本の映画を見ました。

「映画史特別編 選ばれた瞬間」(2005)はゴダール「映画史」から色々な場面を引っ張ってきて編集した物で、ゴダールが映画の過去 から現在までを語るというスタイルの映画です。好きな人は多分ものすごい好きだと思うんですが、体調不良の時に見たせいか睡魔に襲 われてしまい、うつらうつらしながら目を閉じたりあけたりしてみていましたのであまり中身は覚えていません。色々な映画作品、監督 等の名前が次々と出てくるため、映画マニア・オタクなひとにはたまらないでしょうね。

その後場所を変えてみたのが「ジダン・神が愛した男」は正直なところこれは映画なのか疑問です。2005年4月23日のレアルマドリッド対 ヴィジャレアル戦におけるジダンの動きを延々と追いかけているという映像が続くので、よほどのジダン好きでないと多分辛いでしょう。 サッカー映画なのかと言われると、サッカーの試合における1選手の動きはこんな感じなのかというのも分かるのでそう言う見方は出来る のかなとおもいますが、この試合のジダンは前半ほとんど動いてません。後半になると動きがかなり激しくなり、アシストも決めますが 最後にレッドカードで退場になってしまいます。

本日は「誓いの休暇」をみてきました。多くの人が傑作というこの映画ですが、母親に会う・恋心を抱く・なんていう普通の日常生活を 送っていればそれほどめずらしくないことでも、戦争中の限られた休暇という厳しい条件が付くとそれが普通以上の価値を持って見えて くるものなのですね。

8月4日
本日、上野の東京都美術館にて「ペルシャ文明展」を見に行ってきました。紀元前5000年頃からササン朝までのイランの古代文明に 関する出土品を多数展示していましたが、土器あり石像ありアクセサリーありといったぐあいに古代イランに関する物があつめられ ている展覧会は滅多にないので、この機会に是非見に行ってみて下さい。
感想はこちら

さて、今上野では東京芸大美術館で「ルーヴル美術館展」をやっています。こちらでは古代ギリシアに関する展示をしていますが、 期せずしてギリシアとペルシアが上野の地で激突するという何とも言えない事態が発生しています。しかもアレクサンドロス大王の 像がルーヴル美術館展にはきてますから何とも言えない微妙な感じが・・・。

8月2日
本日、映画を2本鑑賞。「王と鳥」、「ガーダ パレスチナの詩」です。

最初に見てきた「王と鳥」は50年くらい前に作られた「やぶにらみの暴君」をリメイクした物です。何でそう言うことになったのかを 調べてみたところ、資金難に陥ったために監督のポール・グリモーにことわりなくプロデューサーが公開したのが「やぶにらみの 暴君」で、それをグリモーがこつこつとお金を貯めて取り返して完成させたものだとか。タキカルディ王国のシャルル5+3+8=16世は孤独 な独裁者で、国民からも好かれていないし、彼自身も趣味は鳥撃ちと孤独になることという人物です。そんな彼が愛することが出来るのは 自分の部屋に飾られた絵に描かれた羊飼いの少女だけでした。王の部屋の寝室にはこの絵も含めて3枚、自分の肖像画と羊飼いの少女、 そして煙突掃除の少年の絵が飾られています。そして、ある夜、3枚の絵の登場人物が動き出し、羊飼いの少女と煙突掃除の少年が逃げ 出します。2人を引き裂こうとする王の絵も動きだし、本物を落とし穴に落っことして消して入れ替わり、2人を執拗に追いかけていき ます。国王、衛兵、警察、さらに懸賞につられた一般国民も2人を追いかけますが2人は鳥の助けを受けながら地下まで降りていきます。 そこには上の高層宮殿のある世界とは似ても似つかぬ、光なき世界が広がっていました・・・・。というのが大まかなあらすじです。 単純な勧善懲悪ではなく、王に反抗する鳥もライオンたちを煽動するにあたって詭弁を弄したりする様や蜂起したライオンを見て下層世界 の人々が「鳥万歳」と叫ぶ中で老女一人が本当のことを見抜いていたりするところなんかはかなり政治的なリアリズムを感じさせられます。 最後の場面は瓦礫の山の上に考える人のような格好で巨大ロボが座り込んでいるという物ですが、これは「やぶにらみの暴君」のハッピー エンドから作り替えた場面であり、国王の圧政を倒せばそれで万事解決とは行かない難しさを非常に分かりやすく見せているように思え ます。こうかくと堅苦しい説教臭いアニメのように思われてしまうのですが、この映画のキャラクターの動きや表情が非常に魅力的である ことや音楽、そしてなにより建物や乗り物、キャラクターの造形のアイデア(この映画からパクったなと思われるものもありますね)が 素晴らしいと思います。この夏はアニメもいろいろやってますが、まずこれを見ましょう。

その後見た「ガーダ パレスチナの詩」はパレスチナ人女性ガーダの10年間をまとめたドキュメンタリーですが、単なるドキュメンタリー とは何となく違う印象を受けました。そう感じたのは撮影・監督の古居さんもまたガーダの10年間を構成する要素の一つになっているよう に感じられ(撮影している古居さんに話しかけるようなかんじの場面も結構あります)、また、途中からはガーダの姿も映像から消えて 彼女と古居さんが同化してるような感じすら受けたからなのですが、1994年から12年間ずっとカメラを回し続ける中でそのような形で 撮影者と被写体という境界が薄れていったのでしょうか。これは是非見てほしい作品ですね。

8月1日
ここのところ涼しい日が続いており過ごしやすいのはよいのですが、冷害とか大丈夫なのでしょうか。それが心配です。それは さておき、ようやく歯医者がよいがおわりました。長かったなあ・・・。皆様、歯は大切にしましょう。そうしないと色々と 大変なことになりますよ。

7月27日
サイト開設から2年とすこしになりますが、昔書いた物を見なおしてみるとこれは直した方がいいなと思う物もあります。今回特に これはまずいと思ったのはマケドニア王国の建設に関する文章で、あそこにはマケドニアの王家の紋章と考えられている「ヴェルギナ の太陽(ヴェルギナの星)」の絵を載せているのですがそこの説明文でペルディッカスの故事にちなんだのかと言うことを書いていな がら、肝心な内容がすっぽりと抜けていることに気がつきました。全く説明がないまま2年間以上放置していたというわけで、これは まずかったな。他にもそう言う箇所はありそうですし、年代に関して色々と直した方が良いところもありそうです。全面改修には時間 がかかりそうですが、地道に直そうかと。問題になりそうなのはフィリッポス5世関連の年代、ディアドコイ戦争関係の年代(エウメ ネスに関するところは色々と説があり、専門家でも真っ二つにわれていたりしますので)、まあその辺をどうするかですね。あと、 アレクサンドロス1世に関するところを「・・・」で終わらせているというのはやはりまずいと思うので、ここも修正が必要な箇所 ですね。

7月26日
露地物のトマトがとても美味しい今日この頃。

久しぶりにDVDを買いました。以前買った「群盗第7章」の監督オタール・イオセリアーニ作品を3本。実は以前DVDボックスだった ものが最近ばら売りされるようになり、そのばら売りのものをちょこちょこ買い集めてみようかと思い、以前は1本、今回は3本と いった具合で購入してきました。さっそく「歌うつぐみがおりました」を鑑賞しましたが、いい加減な憎めないお調子者を主人公に してグルジアの日常を描いた作品で、なかなか面白かったです。出てくる女の人が悉く綺麗でおしゃれだったりするので、この主人公 が女の人に会うたびにナンパしてるというのも納得してしまったりします。せわしなく、何かと忙しいと言っている主人公の最後が 交通事故で入院というのは何とも皮肉な感じもします

「四月」は台詞は全くない音と映像だけで魅せる映画ですが、とても仲睦まじい若いカップルが新しいアパートに引っ越してきて 新しい生活を始めますが、そこに大量の物が入り込むようになり物に満ちあふれた生活が出来るようになりますが二人の間はうまく いかなくなり・・・という話です。話自体はそれほど変わった話ではなく、その結末も物より心ということなのですが、心が通じて いると灯りがついたり水道がでたりする(逆に後半になり心がすれ違うようになってからは水がでないシーンもあります)とか、 意味不明の言語で喧嘩をするようになるなど、色々と変わった演出も見られます。

7月25日
今月のアフタヌーンには久しぶりにヒストリエが掲載されていました。思ったよりあっさり話が進んだような気もしますが、 小ネタを調べて記事にしてみてもいいかなと思う内容でした。掲載するのはかなり後になると思いますし、まだまだ調べる のに時間がかかりますが、一応予告ということで。

7月22日
健康診断の結果が帰ってきました。やはりビールの飲み過ぎか・・・・。というわけで当分アルコールは控え、減量をしないと 下手したら痛風になってしまうかもしれないことがわかりました。何とか頑張ってみるかな。やはり不摂生は良くなかったという ことがよく分かりましたが、この夏の間に減量をしようという目標が出来ました。食事に気を付けて動くようにすれば減るかな。

7月20日
ここのところ見た物についてまとめて書きます。

ひとり&ふたり芝居(新宿)
新宿の非常に小規模な劇場で上演されていた一人芝居と二人芝居の公演です。一人芝居は2組(というか2人)、一人は結婚詐欺を もくろむ男の話で、一人でいくつもの役を演じ分けていて、うまいなあと思いました。もう一人のほうは勢いはある感じですがうまく 演じ分けていると言う感じの劇ではなかったかな。二人芝居の方はどちらもかなりうまく組み立てて作っていましたが、後の組のほう がおもしろかったかな。

府中すもも祭
何となく府中のビール屋にのみにいってきましたが、今日は府中ですもも祭をやっていたとは知りませんでした。カラスの団扇と扇子 を買って、神楽を見て帰ってきましたが、神楽を見る機会というのはなかなか無いのでよかったです。

7月17日
12年間愛用してきた傘を電車に忘れてしまいました。その電車を次の電車で追いかけて、駅で忘れ物として届いていないかどうか 聞いてみましたが残念ながら届いていませんでした。

思いおこせば12年前の春、国立博物館に行った時に雨が降り始め、傘を持っていなかったために急遽購入したのが始まりでした。 円瓦のような文様が入った傘で、なかなかデザイン的にも良かったため長年気に入って使い続けること12年、今ではもう販売され ていないというかなり貴重な物になっています。最近ではすっかり防水機能が無くなってしまい、雨水を吸い込んでかなり重くな ったりして使い勝手は徐々に悪くなってはいましたが、電車の中に忘れてしまったというのは痛恨の極みです。

7月16日
昨晩無事に帰宅しました。やっぱり疲れますね。起きてきたら既にお昼でしたし・・・。

帰宅してみると、予想通りにコピーをお願いした論文が届いていました。これから読もう。一方、注文した本はまだ届かず。 これに関してはまあそれも仕方ないかと思います。

7月12日
明日から15日夜までしばし留守になります。掲示板、メールへの御返事は遅れますが、しばしお待ち下さい。

先日、「史学雑誌」の回顧と展望で取り上げられていたマケドニア関係の論文がどうやら入手できそうです。しかし上に書いたとおり、 暫く家にいないので、家にいない間に来てしまったらどうしようかと・・・。料金はいくらぐらいなんだろう。その他色々とサイト更新 のネタに使いたい本を大量注文していたのですが、それらの本もどうやらそろそろ日本に着きそうな気配が・・・。問題はこっちの支払い は福沢先生が何人か手許を去るような高額な買い物になってしまったと言うことです。あぁ、どうしたものか。でも注文した物はもう取り 消せないし。

7月8日
人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。何かを得るためには同等の代価が必要になる。それが錬金術 における等価交換の原則だ。
(「鋼の錬金術師」より)

ただで何かを要求する方にはこの言葉の前半部分(後半はまああの世界の設定のことなのでそれは一般社会的にはあってもなくてもいいと 思うので省略)を贈りたいと思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

何かを作り出すことと作り出すまねごとでは天と地ほどの違いがあることをもっと我々は自覚すべきなのではないかと思います。 勿論このことは私にも当てはまることだと思っています(だからここは「学術系サイト」ではないと始めから宣言しています。せいぜい 読み物レベルの物しか置いてませんし)。しかし色々なところを見ているとどうもそうではない人もいるみたいで、中には何かを作る人の 仕事そのものに対して全く理解がないのではないかと思うような記事も見かけます

何かを作り出してその対価を得ている人は、そのためにかなりの時間と労力をつぎ込んでいるわけで、生み出された物に価値を認める ならば対価を払うのは当然のことだと思います。歴史学の世界であれば、一次史料を自分で読み解き、さらに場合によっては史料の現物 (校訂を経て公刊されたりしていない段階の物)にあたるなどしながら、他の人の研究動向にも目配りして、今までにない論を打ち立て なくてはいけないわけです。何か新しい物を生み出す作業という物はかなり苦しいものであり、何かを生み出すために色々なことを犠牲 にすることになります。そのようなことを行っている人が対価を求めることに対して、二次文献をまとめているだけ、あるいは一次史料 の出来合いの訳文を見ながら記事を書いているだけの人がそれがあたかも悪いことであるかのように言うのはおかしいのではないかと思 います。例えば、少し本を調べてウィキペディアに記事を書いている程度でそんな風に思うようになってはいけないと思います(あそこ に記事を書くことと研究論文を書くことの価値が等価だと思ってる人はまさかいないと思いますが・・・・もしかしたら自分で史料を読 み解き、先行研究もふまえて何か新しいことを書いている人もいるのかもしれませんが、たいていの記事は参考文献調べてまとめてみた という感じのレベルでしょう)。

それはさておき、話を変えますと、本日東京ブックフェアに行ってきました。年々規模が縮小しているような気がしますし、出版社の 数が少しずつ減っている(今年は藤原書店と講談社を見かけませんでした。どこかにいたのかもしれませんが、藤原書店は少なくとも 人文書フェアの処にでてませんでしたね)というところは気になりますが、今回は少しばかり成果がありました。古代中国の度量衡関係 の図録(みすず書房)、ヨーロッパ経済史関係で2冊(九大と関大の出版局から)、あとは「ローマ皇帝群像」の2巻を2割引で購入。 2割引きというのは大きいですよ。

それを見たあとで新宿へ出て(埼京線がつながっているので便利です)、「ローズ・イン・タイドランド」を鑑賞。テリー・ギリアムの 新作ですが、なかなかダークなファンタジーでした。ギリアムがとったちょっとブラックな「不思議の国のアリス」ということで、結構 大勢お客さんも来ていましたが、ヤク中の両親と変態さんしか周りにいない状況で現実と妄想が入り交じったブラックなファンタジーで、 結構賛否は分かれそうな気がします。ちょっとこれはやばいだろうという描写もあり、それゆえにR-15指定になっています(ヘロイン蒸留 とかちょっとペドフィル?なシーンとか・・)。受け付けない人は全く受け付けないだろうし、理解不能という人は間違いなくいるだろう と思う映画でしたが、こういう変な映画をとるのがギリアムなんだと思えばさほど気にもならず見られるんじゃないかと。

7月7日
ほんじつ、健康診断がありました。1年前と比べると果たしてどうなっているのか、色々と気になるところも出てきているし、 何より去年の明き辺りからビールを沢山飲んでいるので、血糖値、尿酸値、肝機能などは果たしてどうなっているのか、正直な ところ心配です。その辺の処は今日の段階では分かりませんが、体重は少し減少(昨年比マイナス2キロ)といったところです。 体重が減ったからと言って油断は禁物ですが、少し安心しました。

そんなこともあって暫く禁酒をしていましたわけですが、もう暫く禁酒は続けてみようかと思います。それにしても、昨年は色々な 数値が悪化していましたが、ロシア料理、トルコ料理、イラン料理の店のリストを作るのは本当に命を削っていたんだということが よく分かりました。たしかにコレステロールとか中性脂肪があがりそうなメニューが多かったですが。

あと、今日は「若沖と江戸絵画展」を見に行ってきました。感想は後ほど。

7月6日
結局イタリア対フランスというユーロ2000の再現になってしまった模様。結局こうなる訳か・・・。

7月4日
NHK衛星放送で「マンガノゲンバ」という番組をやっていますが、今日は「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズで知られる 荒木飛呂彦氏が登場。あの「ジョジョ立ち」はイタリアの彫刻を見て思いついたとは。たしかにそれっぽいところもある といえばあるかな。

7月3日
本を読むのは好きなのですが、何故か読んでいると眠くなってくる本というのがあります。最近ですと「ソ連=党が所有した国家」 (下斗米伸夫、講談社)を読むと何故か知らないけれど眠くなり、眠り込んでしまいます。寝不足の時でも寝不足でないときも関係 なくねむってしまい、最近は寝過ごして気がついたら八王子まで行ってしまいました。下斗米氏の文体に何か催眠効果でもあるのか、 はたまた扱っている題材が体質に合わないのか、原因は未だ不明です。何度読んでも寝てしまうので、通読は諦めてつまみ食いする ような感じで読んでいますが、そのうち読書コーナーに紹介してもいいかとは思っています。

中田英寿の引退とか東京ファンタスティック映画祭休止とか、夜になってから色々なニュースが入ってきます。

7月2日
朝起きてきたらブラジルがフランスに負けたというニュースを見ました。試合自体は結局眠くて見ていなかったのですが、ちょっと 意外でした。まあそういうこともあるかな。

しかし、これで残っているチームを見ると、あんまり面白いチームがないなあ・・・。面白いことと勝敗は別なのかなとも思いますが、 こういうのもあるんでしょう。勝った負けたよりも面白いか面白くないかで見ていた私にとって、今回の4強メンバーはあんまり面白く 無いメンバーが集まってしまったので、まああとは再放送とかニュースで見ればいいかなと思っています。これで寝不足にはならずに 済みそうです。面白いサッカーを魅せてくれそうなチーム(チェコ、メキシコ、アルゼンチンなど早いパスを次々つないでいくチーム)が 消えたのどうでもいいかな。強いて言えばポルトガルは次戦でまたメンバーがそろうのでそこそこ期待は出来そうですが、あとの3チーム は正直なところ何かどうでもいいなあという気分になってしまうんですよね。どうせ変わり映えの無い試合になるんだろうし。

「ざくろの色」を鑑賞。前に見た「スラブ砦の伝説」「アシク・ケリブ」はこれに比べるとかなりストーリーがつかみやすい作品だった んだなあと改めて実感。これについてはストーリー云々ではなくイメージの洪水にひたすらおぼれるしかないんじゃないかという気分です。 ストーリーよりヴィジュアル重視な映画ですが、それがなかなかインパクトがあって。しかし、パラジャーノフ作品を見たり、「柘榴の スープ」を読んだりしているとあの辺の地域の料理が無性に食べたくなってきます。健康診断までは我慢しよう。

7月1日
今日もまたDVDを購入。「群盗 第七章」と「ざくろの色」です。しかし今晩はW杯のイングランド対ポルトガル、ブラジル対フランスを まずみなくてはいけないので、「ざくろの色」を見るのは明日のことになりそうです。イオセリアーニDVDボックスに入っていたものが ばら売りになっていたので購入した「群盗 第七章」ですが、途中まで見たところでは過去と現在を行ったり来たりしながら話が進む ため、つながりが分からなくなる人もいるかもしれません(浮浪者が王様やスリ、内務官僚になったりとまあ結構とびますから)。

冒頭はどこかの試写室からはじまるという映画中映画のような進み方をする(しかも始めに違う場面からかけるというギャグめいた 場面があったっりします)この映画、中世のグルジア、ボリシェヴィキ革命とソ連時代、そして20世紀末の内戦時代という3つの時代 を行きつ戻りつ、同じ人間が国王、ソヴィエト政権下の人民委員、そして内戦期の浮浪者と全く違う役柄を演じ分けていますが、まるで 輪廻転生のような繋がりがあるかのような印象を受けます。浮浪者が自分そっくりの王様の絵を見ていたりもしますが、みているこっち はそれは昔のあんただと突っ込んでしまいそうになります。しかし、そのような過去と今が何となくつながっているような感じは最後の ほうであっさりと断ち切られるような感じを受けました。浮浪者が昔どこかであったことがあるかと尋ねた女性(中世のときは王妃、 ソヴィエト政権下でも妻だった人)に、知らないとか関係ないとかではなく、言葉が分からないといわれて、そのままですから・・・。 狩りの途中に出会った野良娘をいきなり王妃にし、彼女の密通をしると処刑したりするところや自分に都合のいい密告があるとそれを利用 してライバルを排除したりと権力を恣にしている権力者の横暴ぶりというものは過去も今も変わらないということでしょうか。ただ、 こういう風に書いていると何か非常に重苦しい雰囲気の映画のように思うかタイルかもしれませんが、そう言う感じのする映画では ありませんので、意外と見やすいかもしれません(分かりやすいかどうかはまた別ですが)。

トップへ

inserted by FC2 system